受け取ったバトン
次の日、明日香はアメリカへと旅立った。
泣きじゃくる和恵を何とか、なだめて。
向こうの日本人学校に通っていた和恵を、転入させようか悩んだけど、
しばらくは、ダブルケイで、里美が面倒を見ることにした。
香里奈は、普通に学校に通う。
そんな日々が、何日か続いた。
町を歩くと、アメリカデビューした志乃の歌声が、溢れていた。
向こうでのチャートアクションも好調で、
シングルはトップ20に、いきなり食い込んでいた。
向こうでのライブ中、失神者が続出していた。
香里奈は、志乃の曲に、
妙な違和感を感じていた。
目立たないが、
微かに音がしていた。
意志がある別の…
表面には聴こえない…
聴こえる演奏の奥の方で、
何とも言えない絶望とともに…。
明るく、激しいダンス曲なのに…
どうしょうもない悲しみが、隠されている。
香里奈は、嫌な予感がした。
「速水さあん」
昼休みになると、必ず屋上で、ランチするのが当然になっていた。
香里奈、恵美、祥子、
直樹に、和也。
そして、里緒菜がいた。
演劇の発表は、明日だった。
もう準備は、すべて用意できていた。
楽しそうに、話すみんなから離れ、
里緒菜は、手摺りから、景色を眺めていた。
「どうしたんだ?如月」
そんな里緒菜に気づき、和也がそばに来た。
「別に…何でもないわ」
和也は、里緒菜の横顔を確認して、
「吹っ切れたみたい…だな」
和也も視線を変え、景色を眺める。
里緒菜は、少し驚いたように、和也の横顔を見た。
少し微笑むと、
「ええ」
明るく返事をした。
「あのさ…お前にききたいんだけど…」
「何?」
里緒菜がきいた。
「お前と俺は、近いから…きくけど…俺の魅力って、何だと思う?」
「魅力?」
「モデルをやってるからか…それとも、親戚に金持ちがいるからか…」
里緒菜は首を捻り、
「モデルは有名だけど…親戚のことは、知らないんじゃないの…あたしと違って」
「全面に出してなくても…今…俺が、のほほんと、余裕を持っていられるのは…そういうのが、バックボーンとして、あるからじゃないんだろうかってな。そういうのが、無くなったら…俺はどうなるんだろうか…」
和也は振り返り、
香里奈と楽しそうに話す直樹を、見た。
「あいつは強いよ…。俺は、あいつに支えられている。もし、あいつはいなかったら…」
「あたしも、香里奈たちに支えられてるわ」
「もし、俺が…時祭の一員じゃなかったら…」
和也の言葉に、里緒菜は肩をすくめた。
「友達だから、みんないっしょにいるのよ」
里緒菜は、体を和也に向けた。
「もし、藤木くんが、何ももってなくても…友達は友達よ」
里緒菜は、香里奈を見、
「あの子たちは、そんなこと関係なく、友達でいてくれる」
「もし、俺がすべてを失っても…?」
「少なくても、ナオくんはそうでしょ?」
和也は、直樹を見た。
「そうだな…」
何があっても、直樹は友達でいてくれる。
「何かあったの?」
里緒菜が心配そうに、和也の顔を覗き込んだ。
「何でもないよ…でも」
和也は、里緒菜に微笑み、
「ありがとう」
和也は、みんなの方に戻る。
「何…里緒菜と話し込んでたんですかあ?」
祥子がちゃかす。
「大した話じゃないよ…俺よりさ!直樹!あまりいちゃつくなよ」
和也は焦りながら、誤魔化すように、大きく笑った。
「いない…」
アメリカに戻った明日香は、レコード会社や、音楽仲間の情報から片っ端から、KKのいそうな所を探したが、
見つからない。
何日も、探してもいるが。
最後に、志乃たちが訪れた会場も訪ねてみたが、
その周りのテントにも、人はいなかった。
まったく、手がかりがなくなった。
ここしばらく、KKがライブを行った記録がない。
途方にくれていると、
携帯が鳴った。
サミーからだ。
「明日香。啓介が、今どこにいるかわかったぜ」
「どこ?」
「明日香、お前の弟子で…最近この国に来た…」
「志乃ちゃん?」
「そう!そこにいる。志乃とこだ…確か、バックは大輔たちだよな」
サミーは、LikeLoveYouのメンバーを知っていた。
「表向きは、全面にでていないが…ライブでは、吹きまくっているらしい」
サミーは興奮して、
「それより異常なのは、ライブの数だ。1日6回以上…ほとんど毎日だ。あいつらが、いくら体力があるといっても…いつまで保つか」
明日香は、携帯電話を着ると、
ネットに接続し、ライブの予定を見た。
今日は、ニューヨーク。
次の予定は、未定となっていた。
明日香は、軽く舌打ちすると、
ニューヨークへ戻る為に、空港へ向かった。
香里奈は、驚いていた。
あまり音楽に、興味を持たないようにしている香里奈でも、
その宣伝、広告、
テレビ等のオンエアの量は、凄まじかった。
そこら中で、志乃の姿を見ることができた。
異常な程に…。
アメリカでのデビューアルバムは、リリースの予定延期が、続いていた。
人気が出てるのに、アルバムが出せない。
レコード会社は、催促しているが、
バンドは、狂ったようにライブだけを続けた。
それとともに、まだ気づいてはいないが、
ライブ後の地域で、犯罪率が上がっていることを。
ライブの終わった会場は、必ず暴れる者が、何人も出ていることを。
主要なアメリカの都市を、ある程度制覇した志乃たちは、
次のターゲットを、日本へと向けた。
「今は、大雑把でいいわ」
ティアはステージの裾から、観客席を眺めていた。
「音が悪すぎる…これじゃあ、KKの音が、伝わり難いぞ」
ジャックは、耳栓を確かめながら、会場の音響の悪さに毒づいた。
ティアは肩をすくめ、
「今、これくらいでいいのよ」
「しかし…」
ティアは、ニヤッと笑うと、
「一斉に狂ったら、面白くないじゃない。じわじわがいいのよ」
ライブが終わり、志乃たちがステージを降りる。
ヘトヘトになって、帰ってくる大輔たち。
その後ろから、志乃が歩いてくる。
観客が、見えるところまでは、普通に歩いているが…見えないところに来ると、
いきなり、そばにある壁に手をつき、激しく息をする。
「おい、大丈夫なのか?」
その様子を見ていたジャックが、ティアに言った。
「さあ〜」
ティアは、横目でちらっと見たが、そのまま会場から歩きだす。
「別に、倒れてもいいじゃない。変わりは、いくらでもいるわ」
「しかし…あれ程の歌手だぞ」
「あれくらい…見つけられる。歌手になりたいやつなんて、いっぱいいるわ」
ティアは、平然と歩いてくるKKに微笑んだ。
「ただ歌いたい。歌が好き…有名になりたい…って、バカは世界中にいるわ。だけど…」
ティアは、KKに走り寄った。
「彼は、一人だけよ」
ジャックは、ティアとKKを見ながら、耳栓を取った。
「音楽は、使い捨てか…」
ジャックはタバコを取り出し、口にくわえた。
「まあ…金になればいい」
火をつけ、煙を吐き出した。
アメリカの音楽シーンは、騒然となりながらも、
誰も文句は、言わなかった。
あまりの狂信的な人気と、狂信的なファン。
志乃を聴きにいく人々に、注意を促したロックシンガーが、
自宅近くで襲われるという事件が起こったのだ。
それは、一度だけではなく…。
通報で、駆けつけた警察の発砲。
それは、銃をもったファンとの、銃撃戦にまで発展した。
ティアは、その事件を伝えるテレビを見て、せせら笑った。
「もっとやり合ったらいい」
ティアは、テレビに映るファンも、警官も睨んでいた。
「あたしたちの国は、もっと撃たれているわ」
ティアの隣で、無表情にテレビ画面を見つめるKK。
ティアはそっと、KKの手に自分の手を添えた。
「あなたは、何も気にしなくていいの」
ティアは、KKの肩にもたれた。
「ただ、サックスを吹くだけでいいの」
KKは、何もこたえない。
ただ画面を、見つめ続けるだけだ。
明日香が、ニューヨークに着いた時には、もうコンサートは終わっていた。
真っ直ぐに、サミーのスタジオへと向かう。
スタジオは、騒然となっていた。
何人か、明日香が知っているミュージシャンがいた。
明日香が、スタジオに入ると、一斉に近づいてくる。
「明日香…あれはなんだ…?」
「あの音は…」
「あれは、人間が出したら、ダメな音だ」
「その場にいたら、危険だと感じ…みんなで逃げたよ」
ちゃんとした耳を持つミュージシャンは、本能的に危険を感じたらしい。
「明日香…」
ミュージシャンの輪の中から、サミーが出てきた。
「あれは多分…啓介だ…感覚はちがうが…音色は、やつのものだ…」
サミーの体は、震えていた。
「恐ろしい…恐ろしい音だ…」
「サミー…」
「だけどな…明日香…」
サミーは震えながらも、笑っていた。
「恐ろしいくせに、また聴きたいと思ってる…俺の耳が…俺の体が…聴きたいと…」
他のミュージシャンもみんな、頷く。
サミーは明日香を見つめ、
「それが…恐ろしい」
口は笑いながらも、目の奥は怯えていた。
「明日香…かかわるな…やつに…。わかってるはずだ…」
サミーは、明日香を見つめ、
「お前では、啓介に勝てないと…」
日差しがこぼれる中、
香里奈は、体育館に向かった。
今日は土曜日。
そして、里緒菜と直樹たちの発表会が、ある日だった。
香里奈は、恵美と祥子と一緒に、会場に入った。
広い体育館は、三分のニが、もうすでに人で埋まっていた。
3人は、真ん中より少し前の席に座った。
「結構入ってるなあ」
恵美は、周りをキョロキョロと見回した。
「そうだね」
祥子が、相づちをうつ。
香里奈は、体育館に入ってきた和也の姿を見つけた。
和也も、香里奈たちに気づいた。
目が合ったが、
和也は、一番後ろの席に座った。
体育館に、劇が始まるアナウンスが流れた。
離れて座る和也を、訝しげに見ている香里奈に、気づいた祥子。
「もう始まるわよ。香里奈ちゃん」
「ああ…」
香里奈は、前を向いた。
ゆっくりと幕が上がり、
劇が始まる。
舞台の上に、
互いに背を向けた…
里緒菜と直樹。
これは、互いに惹かれあいながらも、
すれ違う恋人たちの物語だった。
互いに動かない二人。
やがて、
伏せみがちな瞳のまま、
里緒菜が振り返る。
「あたしはただ…あなたを見つめていたかっただけ…」
約1時間半に渡る劇は、終わった。
里緒菜と直樹が演じる二人は、
ハッピーエンドを迎えた。
「これが…こたえか…」
和也は、席を立った。
現実とは違い…
役は役。
きっちりと役を演じきった里緒菜に、拍手したかった。
劇が終わったら、幕を引き、役者は、舞台から降りなければならない。
「そうだよな…」
和也は歩きながら、舞台に手を上げた。
(俺も、降りなければならない)
和也の思いは、決まった。
「よかったね」
「感動したあ」
祥子と恵美が、楽しそうに、今見た劇の感想を言う。
そんな中、
香里奈だけは、無言で席を立ち、歩き出す。
「ちょっと香里奈ちゃん!」
「どこ行くんだ?」
香里奈は、二人に振り返り、
「ごめん…あたし…先、帰るね」
「里緒菜に、会わないのか?」
恵美の言葉に、香里奈は頷き、
「ごめん…」
「飯田くんもいるよ」
祥子が言ったが、
香里奈は、体育館を出ていった。
外に出ると、
香里奈は、胸を押さえた。
胸の奥が、酷く痛んだ。
里緒菜と直樹…。
二人は、演技に見えなかった。
特に、里緒菜。
激し過ぎる気持ちのぶつけ合いは、
演技に思えなかった。
香里奈は、その演技に魅せられながらも、
激しい嫌悪感に、おそわれていた。
それが、嫉妬だと…
香里奈は、気づかなかった。
「やればできるじゃん」
舞台を降りた里緒菜に、美奈子は微笑んだ。
「部長のおかげです」
里緒菜は、頭を下げた。
「やめろよ。そんなこと…お前は、役者の才能があるんだから…」
美奈子は照れたように、鼻の頭をかいた。
「里緒菜!」
体育館の舞台袖に、祥子と恵美がやって来た。
「祥子、恵美!」
「よかったよ!あんた」
「最高!」
「来てくれたんだ!ありがとう。二人!」
3人は、ひとしきり抱き合った。
「香里奈は?」
里緒菜の問いに、二人は目を見合わせ、
「来てたんだけど…」
「先に帰っちゃった…」
3人の会話を聴いていた直樹は、
3人の輪に入ってきた。
「速水さんは、帰ったの?」
祥子は頷き、
「うん。何か…よくわかんないけど…」
「気分が悪そうだった…」
2人の言葉をきいて、
「そうか…」
直樹は、心配そうに、つぶやいた。
その横で、里緒菜は……直樹の横顔を見つめていた。
数多くのライブを、こなした志乃たちは、
すぐに、日本へと向かう飛行機に詰め込まれた。
まるで、荷物のように。
激しく息をしながら、席に押し込まれた志乃は、ただ宙を見つめ、つぶやいた。
「香里奈…」
「わかってるはずだ!お前では、啓介に勝てないと」
サミーの言葉に、明日香は悲しく微笑んだ。
「そうかもね…」
「お前と啓介の音は、対照的だから…うまく融合する。だから、啓介はお前と組んだはずだ」
明日香は、視線を前に向けた。
「そうだったわね…」
「お前じゃ…飲み込まれるだけだ!」
「それでも!」
明日香は叫んだ。
「あたしは、行かなくちゃならない。啓介の妻だから」
「明日香…」
「今は…あの人に勝てる歌手は、いないかもしれない…だけど、あたしはやらなければならないの」
明日香は振り向き、サミーを見つめた。
「ありがとう、サミー…。でも、あたしが止めなきゃ…」
「明日香…」
「あたしには…あの人が、苦しんでいるように思うの…だから、絶対…行かなきゃ…」
明日香は微笑みながら、スタジオを後にした。
日本に着いた志乃たちは、ティアとジャックたちとともにいた。
空港の雑踏の中、
志乃は、人混みに紛れることに、成功した。
ライブが終わってから、飛行機に乗って降りるまで、しばらく時間があった。
KKの音の呪縛から、少し逃れることができた。
無理なライブを、重ねたことにより、
ボロボロになった体の痛みが、正気に戻していた。
志乃が、いなくなったという報告は、
ティアとジャックのもとに、すぐ届いた。
「何!?」
驚くジャックとは逆に、
涼しい顔のティア。
「どうする?」
ジャックは、ティアを見た。
ティアは鼻で笑い、
「別にいいじゃない」
「だけど、ボーカルはいるだろ」
「あんな壊れかけの人形…別にいらないわ」
ティアは、そのまま歩きだす。
ジャックはため息をつくと、
「やれやれ…」
何とかなるかと、自分を納得させ、歩き出した。
全力で、タブルケイに走って帰った香里奈は、
そのまま二階に上がった。
「おかえり」
仕込みをしていた里美の前を、疾風のように走り過ぎた香里奈。
里美は、首を捻った。
気になったが、仕込みから目が離せない。
「何かあったのかしら…」
つけていたラジオから、臨時ニュースが流れた。
「今日未明…アメリカから帰国した歌手の天城志乃さん…20歳が、空港内で行方不明になりました。その為、本日予定していたコンサートは、急きょキャンセルされることになりました。関係者が語ることには…」
里美は、眉をひそめた。
「行方不明…?」
いきなり、
店の扉が開いた。
「すいません。速水さんいますか?」
入ってきたのは、直樹だった。
「あら、飯田くん。香里奈だったら、上よ」
里美の返事に、二階に上がっていいのか…戸惑う直樹。
「ただいま!」
近くに、遊びに行っていた和恵が、帰ってきた。
直樹を追い越す。
「和恵ちゃん!香里奈、呼んで来て!」
里美は、和恵に告げた。
「はあい!」
素直に返事して、和恵は二階に上がっていく。
「お姉ちゃん!」
しばらくして、香里奈が降りてきた。
直樹と目が合い、
バツが悪そうに、香里奈は目をそらした。
「速水さん…」
香里奈は、直樹を見ないようにしながら、
「外いこうか」
香里奈は、裏口に出た。
直樹も続いた。
外に出ると、すぐに直樹はきいた。
「速水さん…どうかしたの?一人で帰って…」
「別に…ちょっと、体調が悪かっただけ…」
香里奈は、視線を合わせずに、こたえた。本当の気持ちを、知られる訳にはいかない。
「大丈夫だから…」
「どうかしたの?」
「どうもしないよ」
目を伏せる香里奈。
直樹は一歩、香里奈に近づいた。
ビクッとして、香里奈は一歩下がった。
直樹は足を止め、
「俺が…何かした?」
「何してないよ…」
時間が止まった二人。
沈黙が続く中、
カザッと、何かが倒れる音がした。
二人は、音のした方を見た。
人が倒れていた。
香里奈には、それが誰か…すぐにわかった。
「志乃ちゃん!」
思わず叫んで、走り寄った香里奈が、抱き起こすと、傷だらけの志乃の顔があった。顔色も悪い。
直樹は店に入り、急いで里美を呼びに行った。
外にでた里美は、志乃の姿に驚いた。
「志乃ちゃん!」
志乃は何とか、目を開け、
「里美先生…」
そして、
香里奈を認め、
「香里奈ちゃん…」
ゆっくりと微笑んだ。
「志乃ちゃん…どうしたの?」
香里奈の声に、反応しながら、志乃は手を伸ばし、
香里奈の頬に触れた。
「おかしなものよね…日本に帰って…逃げたけど…ここしか、いくところが…思い浮かばなかった…」
志乃は店を見上げ、
「もう来ることはないと…思っていたのに…グハッ!」
志乃は、血を吐いた。
里美は急いで、救急車を呼んだ。
「志乃ちゃん!」
志乃は、香里奈に笑いかけ、香里奈の手を握った。
「あたし…歌では…誰にも負けたくなかった…世界一になりたかった…でも…」
話すたびに、血がでてくる。
「なれるはずがなかった….あたしは、酷い女…」
志乃は、香里奈を見つめ続ける。
「あたしのお姉ちゃんが…死んだのも、あなたのせいじゃないのに!香里奈ちゃんのせいにした…」
「志乃ちゃん…」
「あたし…初めて嫉妬したの…香里奈ちゃんの歌に…あたしとは、レベルが違うと…」
志乃の目に、涙が溢れた。
「だから…あなたに歌うなと言ったの…。かなわないから…」
「志乃ちゃん…」
「あなたの歌が、好きだったのに…ごめんね…」
志乃の手に、力が入る。
「香里奈ちゃん…もう歌っていいの…。あたしのことは気にせずに…自由に歌っていいの…」
遠くから、救急車のサイレンが近づいてくる。
「あなたの歌は、最高よ。誰にも負けない」
救急車が止まった。
「あなたのお父さんにも…だから…歌って、香里奈…」
救急隊員が、タンカーを持って、現れた。
「けが人を運べ」
「香里奈ちゃん…歌って…聴かせてほしい…あなたの歌を…」
タンカーに乗せられても、
救急車に乗るまで、
志乃は、手を離さなかった。
消えていく救急車を、見えなくなるまで、見送った香里奈。
完全に見えなくなった後……そばにいた直樹の胸の中で、泣き崩れた。