太陽と日射し
「行って来まーす」
香里奈は、飛び降りる如く、二階から、階段を駆け下りた。
「忘れ物はないの?」
里美の声が、後ろから聞こえた。
「たぶん、大丈夫!」
忘れ物なんて、気付いたら、忘れない。
香里奈は、ダブルケイの扉を開けると、勢いよく、駅までの坂道を駆け抜ける。
ダブルケイは、山の麓にあった。
でも、店から山道を登ると、新興住宅地になっており、意外と通勤時は、人通りは多い。
地下へ降りる駅の入り口を、無視して、まっすぐ走ると、
やがて住宅街に入る。
それを抜けたら、学校は近い。
「おはよう」
「速水さん、おはよう」
行き交う生徒たちが、声をかけてくる。
香里奈も、挨拶をしながら、ひたすら走る。
校門が見えた。
トップスピードのまま、走り抜ける。
右に曲がると、第一校舎と、体育館をつなぐ廊下がある。
それを突っ切って、さらに右に曲がると、
第2校舎。
そこが、香里奈たち、高二の教室がある。
三階の二年二組。
教室のドアを開けると、香里奈はため息をついた。
「一番乗り…」
朝の当番は、辛く、虚しい。
黒板をふき、花瓶の水をやりかえていると、
ドアが開いた。
「おはよう…早いわね」
少し茶色ぽい栗色の髪が、サラサラと流れるように綺麗な女の子…。
よくハーフと間違えられる、目鼻立ちがはっきりとした美人…
里緒菜が、教室に入ってきた。
香里奈は、里緒菜を軽く睨む。
「おはよー。仕方ないでしょ!当番なんだからー」
里緒菜は、クスッと笑う。
「そうよね…。いつも遅刻寸前に、飛び込んでくるもの」
「朝の1分1秒が、どれだけ大切か」
香里奈は、当番の仕事を適当にすますと、自分の席に着いた。
そして、思い切り椅子にもたれながら、里緒菜の方を向いた。
「あんたこそ、早いじゃない」
里緒菜は、1限目の用意をしていた。
「あたしは、演劇部の朝練」
「演劇部にも、朝練なんかあるんだ」
「発表会が近いからね」
里緒菜の言葉に、香里奈は感心したように、へえ~と頷いた。
用意を終え、里緒菜は香里奈の方を向いた。
「香里奈」
「何?」
里緒菜の視線が痛い。
「あんたも、何かやったら?もう2年だし…来年は、できないよ」
里緒菜の言葉に、香里奈は手を振り、
「興味なし!」
里緒菜は、少し呆れながら、
「小学校の時は、やってたのに…音楽とか…」
「音楽なんて、興味ない!」
香里奈は、きっぱりと言った。
「才能あるのに…」
残念そうに、呟く里緒菜。
「才能か…」
香里奈は、里緒菜から視線を外し、
窓から見える、グラウンドを見た。
才能…。
音楽の才能なんて…。
「そう言えば…香里奈のお母さん。もうすぐ帰ってくるんでしょ」
「まだ…いつかは、決まってないけど」
香里奈の母の名は、
速水明日香。
トランペッターにして、
歌手だ。
母親の事は、よく頭に浮かぶが…
香里奈は、父親のことをあまり覚えていない…。
彼もまた、世界中を飛び回り、あまり家にいなかった。
日本にいる時も、いろんなスタジオを、つねに渡り歩いていた。
そして、香里奈が小学校低学年の時に、
事故で亡くなっていた。
妹の和恵が、生まれて、すぐのことだった。
父親の名は…
速水啓介。
世界的なサックス奏者だったらしい…。
詳しくは知らない。
音は、残っているらしいけど…ダブルケイには、おいてなかった。
母が、持っていたのかもしれない。
今は、聴きたいとは思わない…。
昔は…聴きたいと思ったことはあったけど…
いつしか忘れていた。
母のことさえ、忘れそうになる。
(あたし、一人日本…)
もし、里美がそばにいなかったら…
香里奈は、ぞっとした。