再会の黄昏
「今、あまり悪い噂を広げるべきではない」
何もない薄暗い部屋。
最小限の明かりの中…ティアはいた。
隣に立つ、体格のよい男。
部屋の真ん中に置かれたディスクの上に置かれた、パソコンの画面に、KKの文字が輝いていた。
「なぜだ」
男はティアにきいた。
「もう世界中で話題に上がっているわ。こちらから、仕掛ける必要もない」
「勝手に騒いでくれると…」
ティアはディスクに近づき、キーボードを叩いた。
アクセスを見て、苦笑する。
「音楽とは、不思議なものね…こんな形のないものに群がる」
「音楽は原始から、人々の生活とともにある」
ティアはパソコンを切る。
「KKはどうしてる?」
ティアは、タバコを取り出すと、火をつけた。
男の質問に、肩をすくね、
「部屋よ。多分…サックスを吹いてるわ」
「寝る時もか…」
「KKとは…サックスのそのものの名前かと…思う時があるわ。吹いてる人間は…飾りのようなもの」
ティアはタバコを吹かし、
「同じ演奏でも、まったく違って聴こえる…。狂わすようなときもあり、どうでもいいときもある」
ティアは壁にもたれ、
「いつでも狂う訳じゃない」
「お前は、これからどうしたいんだ?」
男の質問に、ティアは微笑を浮かべ、
「別に、何もないわ…人が狂うのも見るのも、飽きたし…」
「俺は飽きてないぜ」
「ジャック。あなたこそ、何をしたいの」
「金だ」
ジャックはニヤッと笑う。
そんなジャックを、冷静に見つめるティア。
「KKは金になる!これからな!CDを出せば、必ず売れる。ライブをやれば、中毒者続出だ!」
ジャックは、笑いが止まらない。
ティアは、タバコを途中で、ディスク上の皿にねじ込むと、歩きだした。
そのまま、ドアに向かうティア。
「どこにいく」
ティアは、ジャックの方に振り向き、
「部屋に戻って、寝るだけよ」
ティアは外に出ると、廊下を歩き出した。
廊下の先から、微かに漏れる音。
ティアは、ふっと足を止めると、音の方に向かった。
KKの部屋。
完全防音のはずなのに…。
ティアは、そっとドアに耳を近づけた。
漏れる音の素晴らしさに、ティアは涙した。
これは狂っていても、
綺麗な音だ。
そして、
悲しい音だ。
KKの音に、皆が魅力されるけど、誰でも狂う訳ではない。
この音の深さと、絶望を感じることができる…
心に傷を持つ者だけが、シンクロするのだ。
「そうよね…こんな世界、なくなればいいのよ。こんな悲しい世界なんて…」
ティアは、心の奥にある感情が刺激された。
「壊したらいい…」
ドアにすがりながら、ティアは泣き崩れていた。
放課後、
珍しく部活がない恵美と祥子と、一緒にに帰る香里奈。
「部活がないと、暇だなあ~」
恵美が、大きな欠伸をした。
「どこか寄っていこうか」
祥子が提案した。
「賛成!」
香里奈と恵美が、声を合わせた。
「じゃあ、久々に寄り道として、ライムライトに行きますか」
ライムライトはクレープ屋だ。
「賛成!!」
と、また二人が声を合わせた時。
「速水さん!」
後ろの方から、声がした。
香里奈たちは、顔を見合わせ、ゆっくりと振り返った。
こちらに向かって、手を振りながら、満面の笑みを浮かべた直樹が、走ってくる。
香里奈は、ため息をついた。
香里奈たちにたどり着いた直樹は、全力で走った為、肩で息をしている。
「よかった…間に合った」
「あんた、部活はどうしたの?」
恵美が直樹にきいた。
「今日は休みです。公演が近くって、最近みんなずっと遅くまで、練習していたから…今日は休めと、部長が言いましたので」
「じゃあ、里緒菜はどうしたんだ?」
恵美の後を、祥子が続ける。
「そうよ。今日も部活だと言っていたわ」
直樹は首を捻り、
「もしかしたら…如月さんは、部室にいったかも…」
「どうして、里緒菜だけ」
香里奈は、直樹に詰め寄った。
「今回の脚本は、如月さんが書いたので…昨日、やり直したいところがあるって、言ってたから」
「そうなんだ…」
直樹の言葉に、香里奈は納得した。
最近、里緒菜とまったく話していない。
いろいろ話したいのに…。
少し黙り込む香里奈と、それを見守る直樹。
二人の様子を、じっと見ていた恵美と祥子は、
顔を見合わせると、
「香里奈…あたしたちいくな」
「じゃあ、またね。香里奈ちゃん」
手を振り、離れていく二人。
「え…ま、待ってよ」
残された香里奈と、
直樹。
気をつかわれたのだろうけど、
笑顔の直樹を見て、香里奈はまた、ため息をついた。
一人きりの部室。
里緒菜は、台本を見つめていた。
これでいくと、決めていたけど、
里緒菜は、悩んでいた。
この物語の終わりを。
ハッピーエンドのはずだった。
でも、今は、
悩んでいる。
ハッピーエンドにして、いいのか。
主人公を演じるのは、里緒菜と直樹。
物語の主人公は、ハッピーエンドに終わっていた。
この前、直樹と二人で台詞を合わした時、
自分が書いた、物語の意味を知った。
(あたしは、劇を隠れ蓑にしている。)
この物語は…。
部室の扉が、開いた。
「今日は、休みと言ったはずだけどな」
入ってきた女は、腕を組んで、里緒菜を睨んだ。
「部長…」
演劇部部長-中谷美奈子は、里緒菜に近づき、
「台本を、変えたいんだって?…公演は、来週だぜ」
「わかってます。だから、変更は結末だけです」
里緒菜は、目をそらした。
そんな里緒菜の姿を見て、美奈子は、ため息をついた。
「やれやれ…何があったか、知らないけどさ」
美奈子は、里緒菜から台本を取り上げる。
「一度完結させた物語は、変わらないぜ。例え、最後だけ変えたとしても」
美奈子は、台本をめくり、
「よく出来てると思うぞ。エンディングに向かって、相手への思いが溢れてる。それなのに…」
美奈子は、台本を里緒菜に返した。
「最後だけ、無理やり変えたら、おかしくなる。主人公のそれまでの行動…気持ちさえもな」
「何とかまとめます」
里緒菜の言葉に、美奈子は頭を抱えた。
「かあ~!何とか…まとめる!何をだ、如月!」
「ストーリーを…」
「違うだろ!」
美奈子が叫んだ。
思わず、里緒菜は美奈子の顔を見た。
「ストーリーじゃない!お前の気持ちだろ」
はっとする里緒菜。
美奈子を見て、すぐに視線を外した。
「ったく!」
頭をかきながら、美奈子は扉に歩きだす。
「台本は、このままでいく。お前ができないんだったら、誰かに、代役をさせるからな!いいな」
里緒菜は、俯いたままだ。
「どっちにしても、今のお前じゃ…エンディングを変えたとしても、演技なんてできないよ」
美奈子は、部室を出ていった。
また一人になった里緒菜は、
ただ台本を見つめることしか、できなかった。
「はあ~」
香里奈は、深くため息を落とす。
薄情にも、恵美と祥子は先に消えてしまった。
「帰りましょうか」
直樹の笑顔は、嫌じゃなかった。
素直で、まっすぐで、香里奈に何も求めていない。
だから、ただ…。
それに…ここは、学校から駅までの帰り道。
行き交う生徒の視線が、痛い。
祥子が言っていたけど、直樹は女子に人気がある。
(香里奈ちゃんが告白されたことは、くれぐれも内緒にした方がいいよ…。)
と、言われたけど…。
「速水さん」
向こうがこうも、大々的にアピールしてきたら、
「無理…」
香里奈は肩を落として、呟いた。
祥子の言葉は続いた。
(香里奈ちゃんも、お母さんが有名だから…目立ってるし…)
(だから…飯田くんも他の男の子に、妬まれ…)
(ないかあ…どうしてだろ)
思い出したら、腹が立ってきた。
「は、速水さん…」
直樹の声で、香里奈は現実にもどった。
周りを見ると、
他の生徒たちがじろじろと、二人を見ていた。
香里奈は、恥ずかしくなって、
思わず直樹の腕を取ると、全力で走り出した。
「は、速水さあん!」
駅をこえ、タブルケイに向かう坂道に着く。
肩で激しく息をする二人。
「公園で休もう」
直樹の提案に頷く。
公園のベンチに、座り込む香里奈。
直樹はさすが男の子。
まだ余裕がある。
少し息を整えて、
「いきなり、走り出すからだよ」
香里奈は、やっと息が整ったみたいで、直樹を見た。
「みんないるんだもん…恥ずかしい…」
直樹は微笑むと、
「ジュースでも買ってくるよ」
ベンチに座り込む香里奈を残し、
公園の外の自動販売機に、買いに行こうとした。
直樹の足が止まった。
前方から、妙な気を感じた。
公園の入り口に立つ、
黒すぐめの3人。
右端は女…。
あとは男だ。
3人は、近付いてくる。
動かない直樹に気づき、
香里奈は顔を上げた。
「どうしたの…」
直樹は、前を見据えたまま、
「速水さん…動かないで」
直樹は少し構えた。
気のせいではない。
3人は、こちらに向かってくる。
周りに誰もいない。
「速水さん、逃げて」
「え?」
直樹は拳を握りしめた。
3人は、少し広がった。
直樹は舌打ちした。
別々に動かれたら、まずい。
直樹は、香里奈のそばまで下がり、
3人と距離を取りながら、
香里奈を逃がすことに決めた。
3人の足が止まった。
「香里奈様ですね…」
女だけ一歩、前に出た。
「お迎えに参りました」
女は、深々と頭を下げた。
「KKが、あなたを必要としています」
「KK…」
香里奈は、いきなり名前を呼ばれ、驚き、
さらに迎えにきたで、訳がわからなくなった。
「誰よ。あんたたち!」
直樹を押しのけて、詰め寄ろうとする香里奈を、直樹は何とか止める。
辺りはもう、日が暮れてきた。
黄昏だ。
女は言う。
「あなたに、否定する権利はない」
「何だとお!」
怒る香里奈。
「落ち着いて」
なだめる直樹。
女は顎を上げ、
「捕まえろ。男はいらない」
二人が、襲いかかろうとした瞬間、
一人が、体を宙に浮かせて転んだ。
誰かに、足を払われたのだ。
「権利がないのは、あなた方よ」
いつのまにか3人の後ろに、立つ女。
「あ!」
香里奈が声を上げた。
黒すぐめの女は、後ろを振り返った。
「お、お前は…」
もう一人の男が、後ろの女に、襲いかかるが、
すぐに転がされる。
合気道のようなものだった。
「世界中を旅するには、ある程度の護身術は、身に付けないとね」
黒すぐめの女は、わなわなと震え、
「速水明日香…なぜここに!」
「明日香!警察に通報したわ」
公園の入り口に、里美が現れた。
「どうする?」
微笑む明日香を、3人は見つめると、
「チッ」
舌打ちを残し、公園の左側の林の中へ消えていった。
明日香は、逃げていく3人の背中を見つめた。
「ママ!」
香里奈の声に、明日香は振り向いた。
夕陽に照らされ、輝いてる明日香向かって、香里奈は飛び込む。
「帰ってきてたの!知らなかった」
香里奈を抱きしめながら、
「ごめんね…驚かしちゃったわね。怪我はない?」
「うん」
香里奈は、明日香の胸の中で頷いた。
その様子を、ほっとして見つめる直樹。
明日香は直樹に気づき、微笑みかけた。
直樹は、慌てて頭を下げた。
夕陽が沈むまで、
香里奈は、明日香の胸の中にいた。