時祭
部活を終え、里緒菜は一人、駅までの道を歩いていた。
もう陽も沈み、暗くなっていた。
一台の黒い車が、里緒菜のそばを通る。
車はすぐに、前で止まった。
里緒菜は気にせずに、車を追い抜いていく。
「お嬢様!」
車から降りたお爺さんが、慌てて里緒菜を追いかける。
「お嬢様!」
里緒菜は足を止めず、前を向いたまま、
「学校には、来ないでと…言ったはずよ」
「し、承知しておりますが…このままでは、パーティーに間に合いませんもので…」
里緒菜は足を止め、
「今日のパーティーは出席する気はありません」
キッパリと言い切った。
しかし、
「今日は絶対、出席させろと、旦那様から言われております」
里緒菜は、歩き出す。
「お父様の会社と、敵対関係のある…時祭財団の会長が、来られることになりましたので…」
里緒菜は振り返った。
「時祭財団!?」
広い屋敷の庭に置かれたテーブルに並ぶ、数多くの料理。
華やかな雰囲気が、少し息苦しい。
里緒菜は、次々に来客するVIPたちに紹介されながら、愛想笑いを浮かべる。
「我が一人娘です」
里緒菜の父が里緒菜を、VIPに紹介する。
「もう大きくなられて」
「お綺麗になられて」
里緒菜は制服から、白いドレスに着替え、お客様のお世辞に、深々とお辞儀した。
「本当…お綺麗ですわ。…もう高校生に、なられたとか…失礼ですが、どちらの学校に?」
「大した学校に、はいってませんよ…娘が望んだのですが、普通の公立高校です。普通の高校生活を体験したいと、自ら言い出したものでして」
里緒菜の父は困ったように、里緒菜を見た。
「どちらの公立で」
「大路学園高校です」
「奇遇ですなあ。うちの甥っ子も、その高校に通っております」
その声に、人々が騒めく。
会場の入り口から、白髪のタキシード姿の男が現れた。
「これは、時祭会長。わざわざお越し頂き、ありがとうございます」
時祭会長と里緒菜の父は、握手する。
「甥っ子さんが、娘と同じ学校とは…何たる偶然。まったく知りませんでしたよ」
時祭は笑いながら、
「名字が違いますから…。嫁いだ妹の息子ですので…。今日は遅ればせながら、皆さんに紹介しょうと、連れてきております」
時祭会長に促されて、後ろに控えていた少年が、一歩前に出た。
「藤木くん!?」
驚いた里緒菜が、思わず声をだした。
「ああ、そうでしたなあ…お嬢様とは、同じクラスメートですな」
会長の言葉に、
「そうなのか、里緒菜」
父は里緒菜を見た。
和也は、すうっと前にでて、
「挨拶が遅れまして、誠に申し訳ございません」
里緒菜の父に、頭を下げた。
「藤木和也と申します。お嬢様とは、同じ学校に通っております」
いつもとはちがうスーツ姿に、落ち着いた物腰に、
里緒菜は驚いていた。
頭を下げながらも、ちらっと里緒菜を見、和也はウィンクした。
「驚いたわ…藤木くんが、時祭会長の親戚だなんて…」
大人たちが笑顔の下、いろんな思惑を隠して、話し合っている。
そんな輪から、少し離れて、里緒菜と和也はテラスにもたれていた。
和也はワインを傾けながら、
「あまり…言いふらすものでもないしな…」
里緒菜は、人々の動きを眺めていた。
「如月こそ…あまりそういうこと言わないよな」
「知ってる者は、知っているわ…」
如月グループ。
飲食業を基本としながら、数多くのレジャービルを手がけながらも、店名に、如月は入れてしない。
しかし、店自体は、全国的に千店舗以上あり、有名である。
学校でも、如月グループの一人娘だと知ってる者は、
生徒も先生も、態度が違った。
里緒菜は、普通の学生生活が、したくって、中学校まで私立だったのを無理やり、高校だけ公立に行くことを、親に進言した。
成績は落とさずに、つねに全国模試で上位にいること、大学卒業後は必ず、
家を継ぐこと。
そして、
親の決めた相手と結婚すること。
決められた未来。
今だけが、自由になれる時期だった。
それなのに…
学校でも…。
演劇部に入ったのは、役を演じることで、逆に、自分が自由になれるような気がしたから。
そこで、自分に似た人にあった。
直樹である。
そして…
自分とは似ていないが、眩しい日差しのような…女の子に出会った。
香里奈である。
里緒菜の家を知っても、彼女は普通だった。
それは、恵美も祥子もだ。
初めての友達。
如月グループとか気にせずに、付き合ってくれる友達。
そんな友達がほしくって、公立にしたのかもしれない。
「藤木くんこそ…どうして、大路に?」
和也は、人並みに背を向けていた。
「俺?俺は…おじさんの命令だ」
「命令?」
「そう…命令」
「藤木くんだったら、もっと上の私立に、いけたんじゃないの?」
「それは、如月もだろ」
里緒菜は黙る。
「決まっていたさ…。俺も、あいつもな」
和也の横顔に少し、陰が落ちる。
「直樹さ…」
「ナオくん?」
「東條高校に推薦が、二人とも決まっていたんだが…」
中学三年のある日。
和也は、時祭会長の呼び出しを受けた。
会長室の前に立ち、ノックをした後、扉を開けた。
「失礼します」
「今日…お前を呼び出したのは、ほかでもない」
会長は和也を見ない。
「東條に、いくのはやめろ…お前は、大路学園にいけ」
和也は驚き、
「どうしてですか?」
「東條は、全寮制だが…大路なら、通える範囲だ」
「なぜです!理由は」
「テーブルの上に、ある写真を見ろ」
和也は、テーブルに近づき、そこにある写真を、手に取った。
「その女を監視しろ。それが、お前の仕事だ」
「監視…」
そこに写る人物を、和也は知らなかった。
「誰です?」
「お前の知ることではない」
「しかし…誰か知らないと…」
「お前と、同じ学年になる。入学したら、しばらくは監視だけを続けろ」
会長はそれだけ言うと、
「もう用はない。下がれ」
和也は出ていく前に、もう一度きいた。
「誰です…せめて、名前だけでも教えて下さい」
会長は横目で、和也を少し睨む。
「速水香里奈だ」
和也は会長室を出て、もう一度写真を見た。
普通の女の子だ…。
なぜ監視など…。
しかし、和也に断ることはできなかった。
和也は、高級マンションの最上階の一室に帰る。
部屋に入ると、ベットに横になり、
少し考えた後、唇を噛み締め、携帯に手を取った。
すぐにはつながらない。
留守電になった。
「直樹、すまない…いっしょにいけなくなった」
言葉がでない。
「…家の都合で、大路学園を受けることになった…すまない」
和也は電話を切ると、携帯を壁に投げた。
「和也さん…帰ったんですか」
ドアの向こうで、声がした。
和也が返事すると、ドアが開き、一人の女性が入ってきた。
スラッとした細身の女性…和也の母親だった。
「兄さんに呼ばれたんでしょ…どんな用件だったんですか」
母親の律子は、会長とはかなり年が離れていた。
「進学する高校をかえられたよ」
和也が、吐き捨てるように言うと、
慌てて、律子は和也のそばに走り寄る。
和也の両肩に手を置き、心配そうに、和也を見た。
「兄さんに逆らってはいけません…我慢して下さい」
「母さん…」
「今は我慢して下さいね」
律子は言葉とは違って、口調は厳しく、きつかった。
何年か前、
和也は、親子3人で暮らしていた時代。
父親は小さいながらも、飲食店を営み、何とか、3店舗まで支店を、もつまでになっていた。
ある日。
父親の各店舗の近くに、同じ業種のライバル店ができた。
それこそ、時祭グループの店舗だった。
目的は簡単だった。
和也の父親の店を、潰す為だった。
理由は…。
和也が欲しかったのだ。
時祭には、跡取りがいなかった。
だが…
頭を下げるつもりはなかった。
向こうから、頭を下げるように仕向ける。
父親は頑張り、二年近くは踏ん張った。
お客を取られ、赤字が続いても…。
とうとう、従業員の給料が払えなくなり、
途中、律子がパートにでても、家族が食べれなくなってしまった。
育ち盛りの和也が、お腹をすかしている姿を見、我慢できなくなった律子は、
時祭のもとにいく。
時祭はにやけながら、和也を差し出すことを命じた。
そうすれば、撤退すると。
律子は悩む余裕もなく、頷いた。
家に帰り、父親に説明しょうとして、ドアを開けた目の前で…
父親は首を吊って、自殺していた。
あれから、数年…。
今の律子の頭にあるのは、復讐である。
和也を、時祭財団の跡取りにして、すべてを奪う。
その目的の為にだけ、存在していた。
時祭に与えられた家で、命じられるままに、生きながら…。
「絶対に。兄さんには逆らっては、駄目!いけません」
そう言う律子の瞳の中に、嫌なものを見、
和也は目をそらし、律子の腕を払いのけた。
「わかってるよ…母さん」
「本当ね!本当なのね」
何度もそう確認しながら、律子は部屋を出た。
和也はそばにあった枕を、ドアに投げつけた。
そして、
ベットに顔をうずめ、何の力もない自分を呪った。
「くそっ!」
今は、自分を責めるしかなかった。
次の日、
学校にいった和也は、昼休みに、東條高校の推薦取り消しをする為、職員室に向かった。
担任は、ため息をつきながら、書類に目を通した。
「東條をやめて…大路か…もったいないなあ…折角合格したのに…」
「すいません」
和也は頭を下げた。
「まあ、いいけど…ほんともったいないよ。それにしても、何考えているんだか…お前も飯田も」
「え?飯田がどうかしたんですか?」
担任は呆れながら、
「今朝早く、学校に来て、推薦取り消してくれと…お前と同じ、大路を受けるとな」
担任は、和也を見、
「遊びじゃないだぞ。進学は」
担任の言葉が、終わらないうちに、
和也は職員室から走り出した。
「直樹!」
教室に入ると、弁当をパクつく直樹がいた。
「お前。どういうつもりだ!」
和也は、直樹を教室から引きずり出した。
「同情してるつもりか!」
和也は、直樹の襟を掴んだ。
「ちがう」
「だったら、取り消せ!」
「いやだ」
直樹は、真っ直ぐに和也を見つめる。
「東條だぞ!通ったんだぞ!」
「関係ない」
「関係ないだと!お前はいけるんだぞ!俺とちがって!」
直樹は、襟を掴んでいる和也の腕に手を置いた。
「お前は、行きたかったんだろ」
直樹は、ゆっくりと、
腕を首もとから離させる。
「俺もだ」
「直樹…」
和也は微笑む。
「だから、今は…お前と大路に行きたい」
直樹は、立ちつくす和也をすり抜けて、教室に戻ろうとする。
はっとして、和也は振り返る。
「お前。お爺さんたちは、田舎に引っ越すんだろ!東條は、全寮制だったが…住むところ、どうするんだ!」
直樹は振り返り、
「何とかするよ」
「何とかって…」
「大路は公立だから、学費も、東條に比べて、格段に安い」
笑顔を、和也に向けたまま、
「あまりお爺さんたちに、負担をかけなくてすむ」
「…」
「だから…いいんだよ。和也」
直樹は教室の中に入った。
「直樹…」
和也はただ、直樹の背中を見つめるだけだった。
手すりにもたれながら、和也は、ぐいっとワインを飲んだ。
「何も言わないが…俺のためだ…そういうやつなんだよ。あいつは」
「そうね…」
里緒菜は、遠くの方を見つめた。
「心の整理がつかないか…」
和也もまた、里緒菜と同じ方向を見た。
「え?」
里緒菜は、和也の方を向いた。
「親友だものな…」
和也は、手すりにもたれるのをやめた。
「だけど…避けるのはよくないぜ」
里緒菜は、和也の言葉の意味を理解した。
「わかってるわ」
「だったら…これ以上は、俺が、口をはさむものじゃないな」
和也が、テラスから離れようとした。
その時、
人々から歓声がわいた。
和也と里緒菜は、声がした方を見た。
「あれは…天城志乃!?」
会場にいきなり、現れたのは、歌姫、天城志乃だった。
「皆さんにご紹介…紹介は無用ですかな」
時祭会長が、志乃をエスコートする。
驚く会場内の人々の視線が、志乃に釘付けになる。
自慢気に、会長が話す。
「我々時祭財団は、ディーバ天城志乃を、全面的にバックアップすることにより、音楽と食を、基本とした一大プロジェクトを始動させます」
会長は手を広げ、
「それは日本を越えて、まずは、アメリカからはじめたい!」
志乃は一歩前に出てて、深々と頭を下げた。
「天城志乃の全米デビューとともに」
会場がざわめく。
それが、運命の始まりとなる。