想い出の影
長く続く…テレビ局の冷たい廊下を、付き人たちを振り切るようなスピードで、歩く女。
ラフにデニムと、Tシャツという出で立ちでありながら、漂う雰囲気は、気安くはなかった。
天城志乃。
現在の日本の音楽界トップに、位置する一人であり、
日本人離れした歌声、ダンスの表現力は、世界を狙えると、噂されていた。
志乃は、用意されている楽屋に入った。
今日は、バラエティーの収録だ。
馬鹿らしいと、思いながらも、テレビの影響力は、わかっていた。
馬鹿に見せるんではなく、気さくに。
カリスマ性なんて、いらなかった。自分より、歌が有名になればいい。
楽屋に入るが、くつろぐ暇はない。
所属会社の社長が、飛び込んで来た。
「天城く~ん。どういうことなの!」
顔を真っ青にして、社長が直々に、志乃に詰め寄る。
「何です?」
志乃が、社長を軽く睨むと、それだけで社長は、慌てる。
弱小企業。
志乃が、メインで成り立っている。
「い、い、いえね~別に志乃ちゃんに対して…何か、言いたい訳じゃなくって…」
社長は、志乃のそばにいるマネージャーを睨んだ。
慌てるマネージャーは、志乃に気を使いながら、口を開いた。
「例の契約の件です」
志乃は、社長の方を向いた。
それだけでビビル周り。
志乃は、置いてあったお茶を飲みながら、
「あれね。別に悪い話じゃないわ…」
お茶を飲む志乃を、見守る取り巻き。
「アメリカを、ターゲットにいれたら…必要だから」
「でも、会社に相談もなく…」
社長の言葉は、志乃の目力でシュンとなる。
「悪かったとは、思ってるけど…あたしには、目的があるの」
志乃は、一冊の雑誌を社長に投げた。
それは、アメリカの音楽雑誌だった。
「13ページ」
志乃は、お茶を一口すすった。
急いで、ページをめくるが、英語で書いてある為、読めない。
社長は、愛想笑いを浮かべる。
横から覗き見たマネージャーが、何とか訳していく。
「中毒患者、続出…音のドラッグ…すばらし過ぎる音の麻薬…」
志乃は、お茶を飲み干す。
マネージャーが、それに気づき、お茶を入れようとするが、
「続けて!」
志乃は、それを制した。
マネージャーは恐る恐る、雑誌を訳していく。
「その者の素性は、わからないが…こう呼ばれている…ケー…」
「読み方が違う!」
志乃は、コップを床に叩きつけた。
怯える周りに。
「あいつだ!」
志乃は震えていた。
空港のロビー近く…。
人混みから、離れたところ。
女は、かかってきた携帯電話を取る。
電源を切ろうとした瞬間だった。
「俺だ」
電話に出た瞬間、クスッと笑ってしまう。
「あら。まだ生きてたの?」
その言葉に、絶句したのか…しばらく無言になる。
「ひどいな…それが恩人にいうセリフか」
「あらあ…いつも、もう終わりとか、死ぬばかり…言ってるから、そろそろかと」
また無言になる。
少し間があって…、
「いつから、そんな冷たい女になっちまったんだ…明日香」
大きな旅行鞄を、傍らに置き、電話にでている女は…、
速水明日香、その人だった。
明日香は苦笑し、
「で、サミーどうしたの?いきなり電話してきて」
「明日香…」
冗談を言いながらも、サミーの電話の声のトーンが、さっきからおかしいことに、
明日香は気づいていた。
「知ってるか…明日香」
「何を…」
「音のドラッグだ」
少し間を開けて、
明日香はこたえる。
「知ってるわ」
明日香は前のベンチに、大人しく座っている和恵を見た。
速水和恵。
香里奈の妹だ。
「まるで、麻薬のような音…西海岸辺りを、中心にして、中毒患者が続出…」
「その音を聴いたものは…快楽から、やがて狂ってしまう…」
「薬ではないから、警察も取り締まれない…」
「明日香…だったら、そいつが、そいつらが…何て言われてるか、知ってるのか?」
明日香は目をつぶり、静かにこたえた。
「知ってるわ」
「明日香…」
「KK…ダブルケイよ…」
「明日香…やつは、生きてるのか…」
明日香の返事はない。
「生きてるのか!啓介は!」
サミーは、電話越しに叫んでいた。
「啓介は…」
明日香は、言葉を噛み締め、
「あの人は死んだわ」
サミーは認めない。
「人を狂わせる音を吹けるやつなんて、そうはいないぞ!」
興奮しているサミー。
「サミー…。啓介は、死んだのよ…」
明日香は電話を切った。
しばらく、その場で、立ち尽くしてしまう。
「ママ…時間だよ」
和恵の声に、我に帰る明日香。
場内アナウンスが、日本行きを告げる。
「帰りましょう…お姉ちゃんのところへ」
和恵が笑顔で頷くと、明日香は、手をつなぎ、
歩きだした。