冬戦【_WAVE_6】黒虎
・6
戦闘地域『村跡』。午後二時を過ぎてだいたい午後三時頃だろうか。大粒の雨が降り出した。一回でおさまりそうにない雷が鳴りはじめ、風は強く吹きつけるほどではないとしても、「風があった」のは誰でもわかった。みさやは思い出しても、あれは短い嵐のようだった。
彼は腕時計に目をやる。時間は、午後七時を過ぎている。非戦闘地域には戻っていない。帰還しようと移動している最中、戦闘地域『村跡』、林のなかだ。薄闇であり、周りは都市ミーモルほどの明かりと呼べるものはない。
ガンスリンガーは足を止めた。「この辺りで、野営の準備をしよう」
「ここでか?」仲間の一人がそう言った。「もうすこしじゃないか。もう少し歩けば、回収地点だ。雨にも濡れて、装備もたいしたものじゃない。野宿は勘弁してほしい」
「先を進むのはきついか」とみさやは問う。
「行った先で、回収地点が機能していない場合を考えると、朝を待った方がいい。このまま進んで、辿り着いたとしても使えなかったら、そのほうが状況が悪くなる」
「こう暗くなると、ナイトビジョンでもあればいいんだがな。そんなもの、持ってきているわけがねえが」
五人のなかで背の低い男が言う。彼もここまでくると、急がなくてもいいのではないかと考えているようだった。言葉は、不満げな彼に向けて告げているようだった。
「俺も、負傷者がいることを考えても、下手に動かないほうがいいのはわかってる。だが、またいつ、あの『黒虎』が襲ってくるかわからないぞ」
短い嵐。任務で訪れたみさやを含めた五名は、黒虎に襲われた。回収地点を探しているところだった。雨が降り出して雷が鳴るなか、それは現れ、攻撃を仕掛けてきた。
彼らは応戦した。仲間の一人が、触手に胸と片足を貫かれた。制圧射撃、桜花爛漫の一撃を食らって、撃退。なんとか死人は出ておらず、ほかはたいしたことはない。麻痺は青の医療キットで治療し、受けた体のダメージは回復さえあれば問題ない。
実のところ、彼らはもっと早く非戦闘地域に戻れるはずだった。いまだ回収地点を探しているのは、「みつからない」からである。ごまかさずにいうなら回収地点がなくなっている。
「ああホント、いったいどうなってんだ? なんで回収地点から風守に戻れないんだ。もういくつまわった? 会いたくもねえ黒虎にもであって」
「近いところから順に回ってきたが、どこも駄目だったな。最悪全部使えないようになってる、とか。いやさすがにそんなことはないよな」
みさやは呟く。「次が駄目なら、反対側を目指すことになるのか」
ガンスリンガーは胸を貫かれた男のほうを見ていた。男三人は気付いて、揃って視線を移動させる。
「大丈夫か」と彼女は問いかける。彼は咳をして、なんでもないと伝えるように片手を見せると、間を置いて「よくなってるよ」と口にした。
しかし野営の準備をするにしても、任務ではこれほどまでに夜遅くまで活動するつもりはなかった。だから必要な装備は、ほとんど持ってきていないと考えていい。寝袋でさえない。気温はそこまで凍えるほどに低いわけではないが、雨が降った後ということもあり(濡れたからでもあるだろう)、空気は冷たくひんやりしている。毛布でもあれば嬉しかった。
ネズミがいるため見張りは二人。残りの三人は支度をしていく。
「食料」と「水」は困っていない。戦闘地域『村跡』は、食料も水も探せば手に入る。
「これ、嫌いなんだよな」好みの問題はある、そこは我慢するしかない。風守から持ってきていた食料が残っている者はそれを口にするし、ガンスリンガーとかはそうだった、みさやはその嫌がられた食べ物でこの夜の食事を済まそうとする。
五人とも薄々感じてはいた。『もしかして、俺ら、都市風守に帰れないのではないか』
一つ目、そこからおかしいなと思うだろう。回収地点についた、なのに帰還できない。
「あれ、ここ、回収地点だよな」誰かが言った。「ここで間違いない」とガンスリンガーは言う。「じゃあ、なんで」「それはわからない。近い別の場所に行くしかないだろう」
だからだ、次の地点に移動中、みんなが今後のことを考え出す。拾ったわけだ。それぞれのバックパック、やや多めに水や食料があるのはそういった理由からである。
胸に麻痺の症状がある男は、ときおり咳をしていた。彼の胸の治療はできていない。はっきり言って、彼の状態は悪かった。胸の麻痺は(腕や足のようには)、青の医療キットでは治せない。
まず安心していい。彼がすぐに死ぬということはない。
その状態で居続けるのはツライところはあるとしても。
胸を貫かれた、あのとき片足を失った。しかし、外見上では元に戻ってる。
五名が黙ったまま食事を終えて、時間は午後九時を過ぎた頃になる。ひとりが風呂に入りたくなると呟いていた。みさやは時を見て「次の回収地点」明日の話をしようと考えていると、水を飲んでいたガンスリンガーがおもむろに桜花爛漫を手にする。
ネズミでもいたのだろうか。彼女は暗闇を眺めていた。
「なにかいたか?」とみさやは問う。
ガンスリンガーは何も言わず銃口を向ける。ところが引き金を引くようすはなかった。
彼が不思議がっていると、林のなかで枝を踏んだ音がする。そして次に男の声が聞こえてきた。「待ってくれ。撃たないでくれ」と。
明かりを向けられても夜であり、全体の姿を見るのは難しい。その男は慌てているようで、それでも落ち着いているようにも見えた。
「みふゆ君。僕だ。おうがだ」
攻撃する意思はないと銃を降ろしている彼は、次に彼女が銃口の向きが変わったことに安堵していた。
プレイヤー名『おうが79』。赤タグ。ハッカー。年齢は三十を超えている。みさやは年齢についてはドット(三四歳)と同じくらいではないかと考える。
「いやいや、引き金に指をかけるもんだから、撃たれるかと思ったよ」おうがは気さくに話しかける。
「あんな近付き方をすれば、そうなるだろ」見張りをする仲間が言った。
「そのとおり。僕もやってて、『あれ? これはまずいかな』と思ったよ。でも、考えてみてくれ。ほかになんにも思い浮かばなかった」
「おうが。なぜ『村跡』にいる」ガンスリンガーは銃をホルスターに片付けていた。
「調べておきたいことがあったんだ。だからここに来た。それで、まあ、なんというか、いやはや困ったことになってしまって」
彼も、回収地点を発見できていない。みさやは聞かなくても、そんな気がした。自分たちがそうなのだから。おそらく他の四人も、その場でそう思っただろう。
おうがは自身の装備に目を向ける。「だから、君たちと出会えてよかったよ」
「よくこんな、暗闇のなか歩けたな」背の低い男も見張りを続けている。見事な技術だと感心していた。「林にもネズミはいる。なんにも見えないだろうに」
「僕にはこれがあるからね」
「うん?」みさやは彼の銃を見る。
「サーマルスコープか」と胸に麻痺がある男は言う。
「そう、このサーマル君で君たちを見つけた。ばっちり映ってるよ」
それからしばらく彼の話を聞いていると、おうがはみさやたちが明日に向かおうとしている回収地点から来たのだと説明する。
彼も、この状況が初めての経験であり、よくわからないようだった。
美味しそうに水を飲む彼は、よほど喉が乾いていたのだろう。ずっと歩き続けだったのかもしれない。そして「この状況で、みふゆ君といるのは幸運かもしれないな」と呟いていた。
「それで、僕もこの部屋から出られなくなって、困ってたんだ」
「そうか」とガンスリンガーは言う。
「みふゆ君は、何も知らないのかい? 回収地点が使えない理由とか、用心棒時代に」
「どうだったか。そういった話は聞いたことがあったと思う。でも、これは私も初めて」
「僕も、これは初めてだ」
みさやは考える。「この先にある回収地点に明日行こうと思っていたんだ、使えないのだとしたら、どうするか考えておかないと」
そうだね、とおうがは頷く。「さきほど説明したように、僕はそこから来た。だから『使えない』と信じていいと思うよ。はっきりいってどうやろうとしても無理だ。まあ、僕が『使えなかった』だけで、君たちが『使える』可能性はあるかもしれないが。どうしても試したいというなら。止めないよ」
「場所を間違えてるってことは?」
「僕が間違えると思うかい?」
おうがは時計に目をやっている。表情や、それを見て、みさやは彼がよく確かめて行動したのだろうと頭を働かせる。『WAVE』初心者のようなことはしないと。
見張りをしている二人に視線を向ける。つづいておうがは咳をした男に目をやった。
「いま、この戦闘地域にあの黒虎がいるが……、君たちは見ているかな」
「あった。戦った」とみさやは言う。
「三時頃に雨が降っていただろう。そこで村の外れで出くわした」ガンスリンガーは詳細を付け加える。
「あれと戦ったのか。ということは、その咳は、戦って胸をやられていると考えていいのかな? そして全員生きてる」
みさやは頷く。
「つまり撃退できたのか。それは」おうがはしばらく間を置く。「黒虎と応戦して、生きているなんて凄いじゃないか」
「なんも凄くはねえよ」
みさやが呟いた。彼はこれまでのことを思い出してしまった。
「うん?」
彼はやけに静かだなと思い、ガンスリンガーやおうがの表情を注視する。
「いや、なんでもない。気にしないでくれ」おうがは片手を上げてそう言った。「それより、この部屋のボスネズミについては、みふゆ君、どのくらいまで知っているかな。見ていたらぜひ教えてほしい」
「地上では見ていない」彼女は簡単に答える。
「そうか。僕もだ。地上では見ていない。黒虎が襲っているのかもしれないな。地下区画にはいた。確認したよ。『イエスマン』がいる」
任務では戦闘地域『村跡』の地上を主に行動していた。地下区画は行っていない。この五名で移動するのは難しいと判断して、あらかじめ使わないことにしていた。
「だとするなら、地上は、これからスポーンするかどうかで決まると考えてよさそうだ」
おうがは他の回収地点にも訪れている。どれも労力をかけて空振りのようで、現在、ここにいるようだった。よって彼はガンスリンガーにいくつか提案する。そこは行っていない。ここは行った。だが、駄目だったよ。
そのあとに、彼はついに誰もが思っていたことを話題に語りだす。
「あまり話したくはないが、しかし話さないわけにはいかない。そのことは君たちも知っているだろう。『このまま出られないとしたら』。次に目指す場所は決めた。これからは、腹をくくるためにも、それについてこの六人でしっかり話そうじゃないか」
どうかな、という問いかけに五人とも何も言わない。それは否定しているのではなく、見合ったうまい言葉が思いつかなかった。
「では、このまま風守に帰れないとしたら。このサバイバル、まずはじめに『食料、水の問題』が出てくる。しかし、まあそこは、なんとかはなるだろう。食べ物も、水も、ネズミと同じでリスポーンはするからね。ただ、そうだ、『弾』は気にすべきだ。作戦行動で君たちはネズミとも戦っているだろう。そして黒虎とも戦っている。今後を考えると、町で用意したマガジンは、撃てば撃つほど軽くなり空となり余裕がなくなってくる。定期的に運良く僕たちの武器に使える弾がこの場所で拾えるとは限らない。『ボディアーマー』もそうだ。アーマーは被弾すれば、それだけで危険性は増す。重いばかりで防弾性能は低下する。ネズミからお古をもらって生きていくとしても、限界は来る。そして『銃』だってそうだ。そのお気に入りの銃も使えば使うほど故障しやすくなる。いずれ新品みたいには使えなくなる」
おうがは口が乾いたようで少量の水を口に含んだ。
「これはあえて最後に話すが、精神と肉体についてだ。これもどちらにも限界がある。いくら今健康でいようとね。たとえば一度でも麻痺になれば、それは死亡する確率が上がる。戦闘地域で麻痺となった部分は専用の医療キットで治療しても、もう一度なる可能性が高い状態だ。その時点で、板の上ではなくもう綱渡りをしているようなもんだ。集中力も永遠とは続かない。休息は必要。言わなくてもわかると思うが、寝ることも大事だ。だからつまり交代で寝るのではなく、ほんとうなら安全な場所でそれぞれがぐっすり眠れる方がいい」
人から「ハッカー」と呼ばれた彼は、現在の状況を全員に理解してもらうため、丁寧に説明する必要があると考えている。それはその夜、日付が変わるほど長くはなかったが、ふかく今後の話をしていることにはちがいなかった。
それぞれが明日の準備をする。すぐに寝るものもいれば、考え事でもしているのか、弾倉にかちりかちりとゆっくり弾を込めていた。
寝静まった頃、二人が見張りをしていた。おうが79とガンスリンガーである。
「声がした」
おうがは通信で情報を伝えた。サーマルスコープを覗く彼は、音の正体を見つけると銃を降ろす。相手はこちらに来る。
「みふゆ君、ここは僕に任せてくれ。君に任せてばっかりはいかない。このサーマル君だって使ってやらないと。これ、今思い出しても高かったんだ」
深夜だというのに、その林のなかで発砲しようが銃声が目立たない。もちろん短い間、たしかに狸でもいたのかなという具合には何かが騒いでいる。手慣れたように彼は静かに片付けていた。
「こうして二人で見張りというのも不思議な感じがするな。あれはいつだったか? 二人だからって交代で見張りをしていたことがあったような。あれ? みふゆ君と、どうしてだっけ?」
安全を確保して戻ってきた彼は、そんなふうに会話を続けた。
「回収地点に帰ろうとしたら、そこで引き止められた」ガンスリンガーは答える。
「そうだった。そう、何か嫌な予感がしたんだ。今思えば、もしかしたら君に、その不安を与えたかもしれないが」
「そこは気にしなくていい。私もあの夜、動かなくて良かったと思ってる」
「次、黒虎が出た時、いい考えはあるかい?」
「いや。まったく」
「撃退したと言ったが、桜花爛漫を使ったのかな?」
「これなら、やつも完璧に防ぐことは難しい」
「そうか。そうだろうね。僕も、黒虎の撃退報告はいくつか聞いているよ。相手は不利と感じたら逃げるようだね。だからか、倒したという記録はまだない」
「人は多く死んだ」
「人はたくさん死んだ。たくさん聞いたよ。もうあの通知が届いてから、一年と六か月ぐらいになるのか? でも、あれがなんなのかいまだわかっていないのが、現状だ」
ガンスリンガーは黙っていた。
「僕の予想だ。まだこの部屋にいて次攻撃するとしたら、たぶんみふゆ君、君が狙われるぞ。君がよく知っているだろうが、桜花爛漫にも欠点はある。気を付けなよ」
フクロウの声が聞こえ見張りの交代の時間になると、ガンスリンガーは「おやすみ」と言って、音を控えめに戻っていった。
彼女の代わりに銃などを装備して立ったのはみさやである。
彼にも、おうがは話しかけた。
「みさや君はそこまで『WAVE』歴はなかったのか。てっきり、二年とかそのくらいだと思ってた」
「一年になろうとしていたところで、冬のイベントだった。それでセーフハウスで通知を見て」
「それはなにかと大変だっただろう。完全に初心者というわけでもなく、かといってベテランに混ざるのも難しい。彼らは知識に経験、金も装備も蓄えてる」
「だから、とにかくあの頃は、いろいろと支えてもらいました」
「黒虎の話をしてもいいかい?」
「えっ? はい」
「みさや君は、戦ったことは一度だけではないだろ」
「ガンスリンガーから聞いたのか」
「聞かなくてもわかるさ。同じような人を知っている。同じような目をしている人を知っているからね」
「黒虎は、いったい何なんでしょう?」
「それは僕にも難しい質問だ。僕も、戦ったことはないとしても、遠くから眺めることはいっぱいあった。そして仲間から黒虎についての情報はもらっている。それでも、こうだという結論は僕のなかにはない。敵であるのは確か、それぐらいか。映画とかでいうなら、そうだな、敵意のある宇宙人みたいな?」
「アリアが用意したもの、と東ではよく聞きますが」
「ゲームであるからね。僕たちが忘れてはならないとこだ、これはゲームだ。そう考えるのも正しい。しかし、アリアの意図したものでもないという可能性もある」
「不具合だと?」
「こうだと決めるにはいささか早すぎる。時間はたっぷり経ったけどね」
みさやは黙った。過去の出来事を思い返す。
しばらくしておうがは言う。「君も、僕も、みふゆ君だって、いつ死ぬかわからない。それでもね、死んでしまった人たちは必ず戻ってくるよ。そう思うことだ」
「あの、ガンスリンガーとは、何をしているんですか?」
「うん?」
「ガンスリンガーから頼みごとをされていると、聞いた」
「ああ、それは」彼は言葉を選んでいる。「僕から詳細を話すことはできないが、これだけは言える。君の周りでも悪く言う人はいるだろうし、それが間違っているとも思わないが、みふゆ君は、ホントよく頑張ってると思うよ。やってることは小さい事のように見えて、こつこつと積み上げようとしている。どういったものか。子供の積み木のようでもあって、それが自分の役割だと信じている」
「役割……?」
「こういう場合どこかで誰かが言ってあげるべきなんだろうけど。僕の言葉は、みふゆ君には届かないだろうね」
それからおうがは「そうか、そうだなあ」と通信で独り言を言っている。
「それなりに親しいようだから。みふゆ君が、何かしようというのなら、それに協力してやってくれ」
交代の見張りをやめないでそのまま涼しい朝を迎えると、彼らは食事を済ませて、次の回収地点を目指すことにする。進路は大まかにいうと、中心をまっすぐ通るというよりは、林のなかをできるだけ進むように通りたくはない場所を迂回する形をとる。
午前八時、空は晴れていた。鳥が飛んでいく、遠くの方では鼠色の雲があった。風はそこまで強くはない。
あのいやな雲が、こちらにやってくるとは思えなかった。みさやはそうだった。おうがは言葉を濁していた。木の枝は、よくない揺れ方をしていた。
昨晩事前に話していたとおりとなる。悪い予想が当たり、彼らは「黒虎」と遭遇する。そのとき、雨が降っていた。雷もどこかで鳴った。そんな環境で、いかにも昨日の借りを返そうと考えているのではないかと思えるくらいに、黒虎が林を駆けて姿を現した。
今回は不意打ちを食らったわけではない。故に、六名とも落ち着いて対応していく。
相手に攻撃できる隙を与えない。自由な時間をつくらない。ガンスリンガーについては気配を感じてから「来る」とわかっていたので、既にサブマシンガンではなくホルスターから桜花爛漫を取り出していた。
弾幕があるなか、彼女は数発ほど立て続けに重い一撃を与えていく。
効果はあった。黒虎は液体をまき散らしながら鳴いて、とにもかくにも痛がっているようだった。うごめく姿、大きな虫のようだ。反撃をしないで、黒い触手を絡ませたり、太くしたり細くしたり伸ばして、明らかにもだえ苦しんでいる。
ガンスリンガーは桜花爛漫の残弾数を気にする。もがく敵を観察しつつ、相手の弱点だと思える部分に目掛けて、止めを刺すことになるであろう一発を放つ。
しかしながら殺すことはできない。多数の触手が集まり、それは駄目だというように防いだ。
そうして、黒虎は逃げる。
ガンスリンガーは、そこで引き金を引かない。だが、彼女は追撃をするようで。
「みふゆ君、追うのかい?」おうがは言った。
「回収地点に向かってくれ。私は奴を追いかける」
ガンスリンガーは荷物を置いていくと、片手には桜花爛漫を握りしめて、雨のなか(ナメクジの跡のような)液体を辿っていく。
彼女は、音に注意しながら走った。タクティカルベストから注射器(刺激薬FUY)を取り出すと、体に打ち込む。視界に入るもの、動いたものを見逃さないようにしながら。
黒虎の姿はどこにもない。血だろう。地面にやつの血が残っている。強めな雨はあっても、すぐに消えたりはしなかった。
ガンスリンガーは耳を澄ます。
雨音が聞こえる。鳥の声がする。カエルもいるようだった。彼女は立ち止まった。地面には、ここでいちど逃げるのをやめたのか、休んだか、大量の血がある。大きな水たまり。
黒虎が残した液体は、そのさきも一直線に続いている。
ガンスリンガーはあとを追いかけようとした。そこで彼女は気付く。背後だ。樹木にひっついている? 頭上に気配がある。
彼女は銃口を向けた。すぐに引き金を引くことはなかった。そこには何もいない。
目に見えるのは雨粒、瞬間的に高まった緊張が解かれていく。気のせいか?
ガンスリンガーはまた背後に気配を感じる。声が聞こえた。うごめいた音があった。触手が触れようとしている。
ところが、そこにも――彼女が振り向こうと敵の姿はない。
なんだ? なにが?
また、べつの音がする。しかし、これにはすべて聞き覚えがあった。
彼女が振り向こうとすると、ちょうど銃声が響く。遅れて苦しむ声があった。
ガンスリンガーはたとえ短い間でも正体を知る。発砲したのは、みさやだ。「後ろだ」と言っている。もう一人、彼の隣にはおうがもいる。
ガンスリンガーは判断して銃口を向ける。そこにいると疑わなかった。
三発、彼女は迷わず撃ち込んだ。
黒虎は激しい痛みを感じているようで、触手を歪に動かしている。おおきく鳴くと、桜花爛漫の弾丸を浴び過ぎたのか、やっと倒れた。そのようすはまだ動こうとする生き物のようであった。
触手だけはうごいている。液体は流れ、周りを染めていくと、完全に動きを止める。
みさやは近付く。おうがも安全と考え、向かおうとする。ガンスリンガーは確認しておきたかった。最後に彼女は銃口を向ける。
黒虎は死んではいなかった。
触手のひとつが動いた。そこからの動きは、まさしく何をするのか決めているようで。
ガンスリンガーは触手の一つは避けた。彼女も二つ三つは避けれないと判断していた。頭と胸だけはと守り、狙いだけは外さないよう集中し、引き金を引く。そして左腕と左脚は貫かれ、それはお返しだといった感じに切りはなされてしまう。
彼女は視界が暗くなった。敵の笑い声、音も消えていく。
これは、彼女も経験したことがある。『WAVE』の戦闘地域で、プレイヤーが『死んだ』ときに体験できるものだ。
彼女は暗い空間にいた。そこで、二人の女性を見る。
それからのガンスリンガーは記憶が曖昧だった。気付けば、戦闘地域『村跡』から非戦闘地域『都市風守』に戻っている。しかも、アクアが傍にいるようだった。アクアの医院に運ばれていた。
彼女の声、彼女の治療を受けていると、少しずつ記憶がよみがっていく。整理されていく。ふと目を向けると、「左腕」に「左脚」がない。――夢ではない。
あれ? なんで、手足がないんだ? ガンスリンガーは医院のベッドの上で思う。
黒虎の反撃を受けて、視界が暗くなった後の話になる。ガンスリンガーは最後にもう一度右手にある桜花爛漫で弾丸を放った。外さず黒虎に命中させた。
その場にいた、みさやとおうがは駆け付ける。地面に横になるガンスリンガーは生きていた。しかし、彼らは彼女の状態を見て驚く。左腕左脚、どちらも復活するようすがない。
二人にもそうだ、それは見たことのない症状だった。なぜ、失ったままなのか。
出血をしている。このままでは死ぬ。赤の医療キットから包帯と注射器を取り出す。
彼らは雨降るなかどうにか彼女の命を救う。慌ててはいけない。それからも、みさやは彼女を運び、おうがは敵と鉢合わせにならないように用心する。
回収地点では、さきに向かった三人が待っていた。さらに、東の救援もやってきていた。東は、帰りが遅いと異常を感じたらしい。
回収地点は通常通り機能していた。
ガンスリンガーの手足は戻らないかと思われた。数日待っても、これまでどおりにはどういうわけか治らなかった。包帯を取れば、そこから光の粒が零れていく。
アクアは治療を続けた。熱心に。
ここからは、アクアの気持ちを理解してみるといいだろう。
ガンスリンガーの手足は戻った。彼女は難なく歩けるようになった。左手で物を掴むこともできるようになった。
ツガクの死もある。
ダメージを抑える薬を使ってたから、一命を取り留めたようなもの。それでもみさやたちがいなかったら死んでいた。休むように、その女性医師は伝える。
ガンスリンガー、あなただってどうなるかわからないんだよ。