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灼熱都市  作者: げのむ
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灼熱都市 第一話


 二〇××年の夏は、記録的な暑さになった。

 気象庁の区分に従えば、夏の季節とは六月から八月になる。

 そして夏の暑さのピークとは一般的に、八月一日から八月二十日までになる。

 ところが今年は、六月から気温は上昇を始めて。

 六月が終わる頃には。最高気温が30度を上回る真夏日が、全国にやってきた。

 気温は、そこからさらにぐんぐんとあがっていって。七月には、最高気温が35度を超える猛暑日がやってきた。

 そしてだ。とても信じられないことだが。七月の中旬以降からは、さらにそれを上回る、気温が40度に達する記録的な暑さが各地で観測されるようになった。関東地方もこの頃から、気温35度以上の猛烈な暑さになった。

 それにともない、西日本では豪雨と、土砂災害が発生したが。世間の注目は豪雨による災害ではなく、別のところに集まった。いうまでもなく、それは夏の暑さだった。

 七月の終わりに気象庁は、緊急会見を行った。そして今年の記録的な暑さを、「ひとつの災害として認識する」と発表すると。さらにあわせて「運動はしないで」「外出はひかえて」「エアコンは迷わず使って」と警告をだした。

(ちなみに、25度以上を夏日。30度以上を真夏日。35度以上を猛暑日、という。40度以上の日の呼びかたは、まだ決まっていない。命の危険さえある暑さなので危暑日はどうか、とさえいわれている)

 言葉にすると、なんだか平凡になってしまうが。つまりは国が正式に、今年の夏の暑さは危険なレベルにある。これは命の危険がある暑さだ。災害だ、と認めたわけだ。

 でも災害レベルの猛暑といわれても。それのなにが問題なのか、すぐにはピンとこないと思う。

 猛暑の問題を理解するためによく使われるのに、総務省、消防庁が発表している、都道府県別、熱中症救急搬送人数という資料がある。

 どれだけ、ひどい猛暑だったのか。猛暑のせいで、どれだけ大勢の人が熱中症になって緊急搬送されたのか。この資料をみれば、それがわかるようになっている。

 でも個人的な意見をいわせてもらえば、緊急搬送者数よりも、熱中症による死亡者数のが。猛暑による被害の問題を理解しやすいと思う。

 わが国では、熱中症による死亡者は、毎年1000人近くでている。じつは年間で、一千人もの人が、熱中症で死んでいるのである。

 現在のところは、二〇一〇年の1731人が、熱中症による死亡者数のトップになる。この年は記録的な猛暑になった。

 翌年の二〇一一年は948人。二〇一二年は727人。二〇一三年は1077人。二〇一四年は529人。二〇一五年は968人。このように年間の死亡者数は一千人弱で推移をしている。

 ところが今年は、すでに七月の時点で、一千人を越える死亡者がでていた。夏はまだその半分あまりも残っているのにだ。

 マスメディア関連は。特にテレビ局は、この熱中症患者の急増を。連日、各局で大ニュースとしてとりあげた。

 当然だが、大衆もこの話題に注目をした。テレビのニュースで、今年の暑さは災害だ。暑さで緊急搬送された人が大勢でた、といっている。このままだと、自分も被害者の一人になって、緊急搬送されるんじゃないか。そんなふうに大勢の人が、不安から騒ぎだした。

 そこで国民側の不満と不安を解消するために、公共放送の立場をとっている放送局が、特集番組を組んで。番組側が用意した民間の専門家と、政府側の専門家とを対談させることになった。

「猛暑災害が到来! 今年の暑すぎる夏をもたらした原因は、いったいなんなのか?」 

 第一回目の番組は、そのような題名で放送された。

 この番組に、民間の専門家として番組に登場したのが。気象問題全般にくわしい、という人気の俳優だった。

 番組が始まると、この人気の俳優は、今年の猛暑について、熱心に語り始めた。

 芸能人は、視聴者にむかって、「原因は温暖化です」と断言すると、さらにこう続けた。

「大気中の温室効果ガスが増えて、そのせいで気温が上昇することを、温暖化といいます。私たちを苦しめている猛暑災害は、温暖化がもたらしたのです。熱中症の被害が増え続けているのも、これが原因なのです」

 温暖化。あるいは、地球温暖化。この言葉をきいたことがない人は、いないだろう。暑い夏がやってくるたびにきかされる説教のようなもので。もう何度となく耳にしている言葉だと思う。

 芸能人がいったようにこれは、大気中の二酸化炭素、メタン、亜酸化窒素などの、温室効果ガスが増えることによって、気温が上昇することをいう。

 でもじつは温暖化は、便利に使いまわされる悪役みたいなものでもある。なにか環境にまつわる問題が生じるたびに、その原因にされるからだ。おかげで本来はどんなものだったのか、忘れられている。でもそのあたりの説明は長くなるので、あとにまわすことにする。

 人気の芸能人は、猛暑の原因は温暖化だ、と断言すると、番組のもう一人の出演者に、あなたもそう思いますね? と同意を求めた。

 もう一人の出演者である、政府側の専門家は、女性だった。

 今日はテレビ番組に出演するというので。その女性は、仕事着であるブレザーにスカートにワイシャツに。おろしたての新品のものにして着用すると。いつもよりも化粧は濃い目にして、髪型にも気を配っていた。

 この女性の素性と身分だが、気象庁本庁に勤務する、広報課広報官の尾坂恵子という。

 恵子は芸能人から同意を求められると、カメラを意識したつくり笑いを浮かべてから、鷹揚に「そうかも知れませんね」とうなずいてかえす。

 恵子の返答と態度が意外だったのだろう。芸能人は、かさねて次のように恵子に質問をする。

「おや。いまのは。否定とも、肯定ともつかない、返答ですね? それが気象庁の見解ですか? それとも尾坂さん個人としては、そうではない、といいたんでしょうか? しかし気象庁はすでに、気温の上昇は温暖化が関係している、と正式に認めていますよ? となると、これはいったい、どういうことなんですか?」

「いえ。べつに。それが違う、といっているわけではないんですよ。ただですね。温暖化といっても、その作用と影響がすべて解明されたわけではありませんからね。それに今後、温暖化の研究が進んで、実際はそうではなかった、原因はべつにあった、となるかも知れませんしね」

「私には尾坂さんが言っていることは、責任のがれにしかきこえません。原因は、間違いなく温暖化です。温暖化をどうにかしなければ、猛暑災害の被害を減らすことはできない。私たちは、これ以上はもう、今年の異常な夏の暑さには耐えられません。私たちはこの新たな災害をふせぐために、行動しなければならないんですよ!」

 そう力説してから芸能人は、テレビカメラに向き直ると、視聴者にむかって、さらにいっそう感情を込めて、次のように語ってきかせる。

「私は温暖化は、人類がこれまで築いてきた文明の功罪だ、と考えています。私たち人間が、自分たちが暮らしやすいように。これまで大量の燃料を燃やしてきたこと。温室化ガスである二酸化炭素を大量に排出してきたことの代価を、私たちはこのようなかたちで支払わされている。そう思っています。それがこの異常な夏の暑さを。異常気象をもたらしたんです。

 となれば、この猛暑災害を解決するために私たちがやるべきことは。いかに温室化ガスである二酸化炭素をださない社会をつくるか。燃料を燃やさない文明へと転換するのか。それだと思うのですよ」

「……あー。その。ええ、まあ。そうかも知れませんね」

 気象問題に見識がある、という芸能人が力説する熱のこもった主張に、恵子は先ほどとまったく変わらない笑みと、そして同じ態度で応じる。

 人類が。人間が。私たちが。この問題の原因なのだ。

 人類の活動が。人間の行いが。世界を滅ぼそうとしている。世界に終末をもたらそうとしている。こうした問題はすべて、私たちの身勝手さが招いたことだ。

 だから私たちは、自分自身の罪深さを、もっとよく心に刻まなければならない。謙虚にならなければならない。自粛しなければならない。今後もそうやって、生きなければならない。

 熱弁をふるう専門家の話を、すぐとなりで拝聴しながら。だが恵子はこの相手に、次のように言ってやりたかった。

 温暖化対策として。二酸化炭素をださないために、燃料を燃やさないようにしろ。文明や社会の活動を制限しろ。そうあなたは言うけれど。私たちの活動を制限しても、それでも温暖化がおさまらなかったら。そのときはどうするんですか?

 燃料を燃やさないというのは、大量のエネルギーを使わないということです。エネルギーの使用を制限する、というのはつまりは、技術の進歩を制限する。そう言っているのに等しい。

 二酸化炭素をださないように、燃料の使用を制限するために、そういう社会をつくって温暖化させないとして。それが効果なくて、もしもこのあとも温暖化が進行したら。そのときはどうするんです? 

 そうなったら、だれが責任をとるんですか? もっともらしく私たちの功罪だと言った、あなたがとってくれるんですか?

 でもそう反論するかわりに恵子は、化粧をした笑みをたたえた顔で、なにも言わずに相槌を打つのに始終した。

 別に恵子が思慮深くて、沈黙を守れるだけ賢明だったからではない。事前にわたされたテレビ番組用の脚本で、このようにしろ、とあらかじめ決めてあったからだ。

 恵子も、自分の立場はわかっていた。ここで自分が言いたいことを主張すれば、番組はブチ壊しになる。気象庁本庁での自分の立場もなくなる。間違いなく、降格されるだろう。以前に同じ失敗をして、もうこりている。

 というわけで恵子は、番組が終わるまで、番組側が用意した役を演じるのに徹した。そのおかげもあって、特集番組はとどこおりなく、予定通りに終わった。

 番組終了後に、スタッフによる片付けが始まったセットの横で、恵子はならべてある椅子にすわると、なんとか終わった、とうつむいて大きくため息をつく。

 先ほどの専門家という役まわりの芸能人が大声で、ほかのスタッフたちを連れて食事にくりだそう、と呼びかけている。恵子は笑顔で、その誘いを断る。

 片付けが次々にされていく、騒々しい番組のセットのなかで、恵子は天井を見上げると、次のようにつぶやく。

「さて。耕一のほうは、うまくいっているかしらね?」

 そして恵子は、ここからだとかなりの遠距離になるだろう。別の場所に思いをはせる。


 東京から××キロ離れている。場所としては関東沖の海域にあたる、太平洋上。

 もっとわかりやすく、伝わりやすく言うなら。東京どころか、日本列島すら影もかたちも見えない。四方は、すべてが海の上。

 そこに、二方耕一はいた。耕一が乗っているのは、気象庁から依頼された観測機器を積むと。定期ルートを航行中にある、海上保安庁の巡視船だった。

 巡視船は、気象庁からの要請によって。通常の海上のパトロールと同時に、海洋調査を行っている最中だった。

 日本の領海を守っている。海の上の警察である海上保安庁が、海洋調査なんてするのか、と思うかもしれない。

 でもじつは海保は。管轄ごとにわけた領海上の、所定の管轄内のくわしい調査を、役目のひとつにしている。だから管轄内の海洋調査もやるし。本来の業務に支障がなければ、気象庁と協力したり。彼らと海洋データの共有もする。

 いま海保の巡視船が、気象庁と協力して行っているのは、黒潮、つまりは海流の調査だった。

 定期ルートを巡回中に、気象庁側が予定した観測地点にきたら、巡視船に積んで運んできた観測機器を海中に沈めてデータをとる。そういう任務だ。この観測業務を、予定日数内で、予定回数だけくりかえす。そういう内容になる。

 この任務のために巡視船には現在、信頼がおける気象庁の協力者であり、関係者だという、二方耕一という人物が乗り込んでいた。耕一の役目は、機材の管理と操作、データの収集だった。

 巡視船に積まれた気象庁の観測機材だが、これはCTD(塩分、水温、その深度の圧力、それらを観測するセンサーを組みあわせたもの。水温と塩分の深度ごとの分布を調べるもの)、採水器、それからADCD(超音波式ドップラ多層流速計。音響ドップラ流向流速計)になる。

 これは気象庁が、海洋調査を気象庁の観測船以外の船舶でもできるように開発したものだ。これを積めば、どんな船舶でも、海上での観測業務が行えるようになる。

 いまもまさに、その作業の真っ最中だった。予定していた海上の地点に到着したので。耕一が船のクレーンを操作して、ケーブルでつないだ観測機器を海中へと沈めていく。

 目的の深度に到達したらケーブルをとめて。甲板上の本体側から操作して、観測作業を行う。

 実際の手順はもっと面倒だったが、だいたいのところは、このようなものだった。

 もっといろいろと進歩しているように思うかもしれないが。けっきょくは、なにを調べるのかをちゃんとわかっている者と、機材をあつかえる者が、現地にまで出かけて行って。観測目的にあわせた細かく設定された調査を、悪環境のなかで苦労しながら行う。まだまだそういうやりかたのほうが、確実で間違いないのだった。

 こんな手間ひまをかけてなにをしているのかというと。これはすべて、海流を調べるためだった。耕一がやるべきことは。くりかえしになるが、予定されている日数のなかで。できるだけたくさんの、海流の観測データを集めてくることだった。

 事前に必要な訓練はすませたので、実際の観測業務も、ちゃんとこなせるはずだった。

 ところが出港した翌日の昼頃には、耕一はできると思っていたその作業ができなくなっていた。

 船酔いになったせいもある。でも理由は別にあった。とにかく暑くて、耐えられないのだ。痛みさえ覚える強烈な直射日光と、息苦しくなる熱気のせいで、できるはずの作業ができないのだ。

 予定していた作業をやるとき以外は、甲板から船内に入って冷房が効いた空間にいないと、船外での作業がこなせない。強い日射しにさらされる甲板にずっと居続けると、熱い空気の中におかれた息苦しさで。それだけで体力を消耗してしまい、へたばってしまう。

 いまいる海上の、この観測ポイントでの作業も、まさにそうなっていた。まだ海中に沈めてある観測機器を引きあげて、サンプルをとったり、観測結果を調べる作業が残っているのに、それがもうできない。甲板上にできた建物の影に入ると、そのままへたり込んでしまう。

 耕一が、日かげで、犬のように舌をつきだしてあえいでいると、様子を見るために甲板に出てきた海保の隊員から、大丈夫か、と声をかけられる。

「手助けがいるようなら、遠慮なく言ってください。見に行ってみたら、甲板に倒れているあなたを私が発見した。そういう事態にはしたくないですからね。どうですか。まだ頑張れそうですか?」

「正直な気持ちを言わせてもらうと、早いところ、こんなことを切り上げて。陸地に帰りたいです。海の上は、もうコリゴリです。

 船酔いもツライけれど、とにかくもう、この暑さに耐えられない。日射しの強烈さだけじゃない。熱気で窒息しそうだ。この熱気のなかにいるだけで、体力が奪われていくのがわかる。

 いつも、こうなんですか? 海保の皆さんは、こんなキツイ環境のなかで、頑張っているんですか? おれには、とても耐えられない」

「いいえ、とんでもない。今年は例年よりも過酷です。乗船している隊員たちも、くちをそろえて、そう言っています。こんな状態が来年も続くようなら、いまやっている海上勤務のやりかたを、今後はあらためないとならないでしょうね」

 季節や昼夜を問わず、どんなに過酷な環境でも、船での業務を行うのがルーティンワークになっている海上保安庁の隊員から、そんな弱気な意見をきかされて。日かげに入ったままで、耕一も考え込んでしまう。

 警告音が鳴る。観測機器を引きあげる時間がきたのを、耕一は知る。立ちあがると、引きあげるためのクレーンとウインチのところにまで行って、予定の作業を開始する。

 いま海のなかで起きていることが、今年の夏の暑さにどれくらい関わっているのか、まだ推測するよりない。今回の自分の調査で、いったいどれくらい、あきらかになるのだろうか。

 耕一は、いろいろと考えをめぐらそうとするが、暑くてそれが続かない。

 いつもと変わらないように見える海原を見やると、耕一は、そのずっとむこうにある列島と、そこに暮らす人々のことを考える。

「海のが、放射冷却効果で夏は多少は涼しいはずなのに。こんなに暑いのなら、陸はいったいどうなっているんだ?」

 強烈な熱気のなかで、汗がながれ落ちるのもかまわずに、二方耕一はそう自問自答をすると。暑さに耐えながら、船上から海原をながめて、どこにも見えない列島に思いをはせる。


 今年の夏の暑さは、猛暑とともに、全国でさまざまな事件を発生させた。

 第一回目の特集番組を放送された、その翌日のことだ。

 事件が起きた場所にむかう最中にも。尾坂恵子の脳裏には。なぜ自分が行かねばならないのか、という疑問がずっと付きまとっていた。

 いま自分がやっている、気象庁広報課、広報官の仕事は。気象庁のことを世間の人たちに知ってもらうことだ。気象庁の有用さを、大勢の人たちに正しく理解してもらうことだ。広報官は、そのために活動している。

 自分は、いってしまえば、気象庁の宣伝係だ。でも、国民のためになる価値ある気象情報を発信することがどれだけ重要なのか。私のような者がいなければ、きっとわかってもらえないだろう。

 だからこそ、今回、自分が呼びだされた意味がわからない。はなしによると、病院に入院していた患者が、熱中症で大勢死亡したという。それはたしかに大事件だ。でもべつに広報官が関わりを持つべきことじゃない。それをやるのは警察の役目だ。なんにでもくびをつっこみたがる、マスメディアの連中の仕事だ。

 指示をうけて恵子がやってきたその病院は、規模が小さな。ごくありふれた総合病院だった。資料によれば、建設してからもう二十年以上が経過している。もとは白かった建物の壁も、いまではくすんだ灰色になっている。

 事件のことは、もう知れわたっていた。病院のまわりの道路は、テレビ局の中継車を始め、マスメディア関係の連中の車両が連なっている。

 おかげで恵子は、ここまで運転してきた、気象庁の公用車として使っている軽自動車を停車させるスペースをさがすのに苦労することになった。

 病院のなかに入るときも、大勢の警察官や警備員に、自分の身分証をいちいち見せなければならなかった。

 院内の昇降機に乗って、事件があった階まで行くと、そこに自分を呼びだした広報課の課長が待っていて、恵子に付き添ってくれたので、あとはスムーズに行動ができた。

 恵子の上司である広報課の課長は、なぜこんなところに呼びだしたんですか、と不満顔の恵子に、「説明はあとだ。こっちだ」と言いきかせて、すわっていたソファから立ちあがると、先に立って歩きだす。

 熱中症で死亡した患者の遺体をまのあたりにすることになるだろう、と覚悟していたが、遺体はもうとっくに運びだされていた。事件が起きたこの階にいた患者たちも、全員がほかの階の病室に移動を終えたあとだった。

 さっき課長がいた、空調装置が働いていたあたりはまだ大丈夫だったが、その奥に一歩踏み込んだとたんに、強烈な熱気がムワッと押しよせてきて、恵子はたじろいでしまい、先に進めなくなる。

 事件があった、その階のその棟の病室からは、大勢の警官や警察の関係者が、部屋から出たり入ったりをくりかえしている。だれもが10分から15分くらい室内で頑張って作業を続けるが、強烈な熱気と熱による不快さに耐えきれずに病室から脱出すると、空調装置が働いている待ち合いのスペースで涼んで休憩してから、またここにもどってくる。それをくりかえしている。

 課長の説明では、この廊下のならびにある病室の空調装置が故障しているせいで、こんなことになっているらしい。どうしてこんなに暑いんだ。この部屋の窓や廊下の窓は閉まっていて、廊下全体が密閉されているのか。恵子はそう考えたが、そうではなかった。

 病室の窓は、それができる一部だけだったが、開放されていたし、外から空気も風も入るようにしてあった。ところが、そもそも現在の気温が40度あまりもあるせいで、外気を入れても涼しくなるどころか、暑くなってしまうのだった。

 なにをしなくても、顔や身体から、汗がドッとふきだしてくる。それが身体の表面や、ワイシャツと下着を、濡らすのがわかる。

 こうなるとわかっていたのだろう。とりだしたハンカチでとめどもなくふきだしてくる汗を拭いている恵子に、課長は、持っていた飲み物のペットボトルをわたすと、かまわないから上着を脱いで、軽装になれ、と命じる。

 その指示に従い、上着を脱いで、ワイシャツを腕まくりしている恵子に、課長は次のように言いきかせる。

「亡くなった患者は、いまのところは五名だ。重体の患者が、ほかに大勢いる。全員がこの階の、この廊下のならびの病室の患者だった。

 昨日からこの病院では、機械室の集中制御がうまくいかなくなっていた。特にこの階のこのならびの病室は、冷房が使えない状態だった。

 病院側は、この廊下のならびにある病室の患者を、エアコンが使える別の病室に移動させたが、全員は無理だった。(病院側は扇風機で対応する、などの措置をとった)

 患者たちは、夜間に熱中症となり、意識を失ったらしい。そして本日の午前中に、五名の患者は相次いで死亡した。病院側はエアコンの故障が死亡事故につながった、とは認めていない。

 患者は全員が高齢者で、ベッドから起き上がれない状態だった。いつ容態が急変してもおかしくなかった。そう主張している」

「……」

 恵子は、脱いだ上着を手に持った格好で、課長の説明に相槌でかえす。

 暑さのせいでボンヤリしてきた思考を働かせて、自分同様に汗をかきながら作業をしている警察関係者たちの姿を見やると、昨晩はいったいどれくらい暑かったのか、と考える。

「それで私は、なにをしたらいいんでしょうか? 病院側の医療ミスを証明する調査ですかね?」

「違う。私が君をここに呼んだのは、今年の猛暑で起きていることを、君に見せて、理解をさせるためだ。昨晩に、君が出演した放送番組を見させてもらった。君はもう少しで、番組の予定にはない、勝手な自己主張を始めそうに見えた。

 広報課の課長として、私は心配しているんだ。なにを訴えようとしていたのかは知らないが、一時の感情による勝手な主張が、気象庁を危険にさらすかもしれない。どうも君は、それがわかっていないように思える。

 気象庁はHPで公式に、温暖化の進行と、温暖化の危険性を認めている。だから君に、よけいな混乱をもたらしてもらいたくない。それをよく承知しておいてもらいたい。いいね?」

「……そういうことですか。ええ、わかりました。以後、注意します」

(なにを言いたいのかはわからなかったが、よけいな真似はするな。そう言っているのはわかった)

 課長から指摘されて、恵子はとっさに反論を口走りかけたが、それをぐっとこらえて、勝手な真似はしませんから、と課長に約束をする。

 一通り、今回の事件のあらましをきいて、現場を見て回ったあとで、恵子は、気象庁本庁にもどっていい、と解放された。

 駐車してある軽自動車のところにもどるために、恵子はくだりのエレベータに乗ると、ボタンを押す。

 動きだしたエレベータのなかで恵子は、自分はそんなに信用が無いだろうか? と悲しい気持ちになる。課長が自分をここに呼んだ理由について、恵子なりにもう一度よく考えてみる。

 病院という、大勢の看護士がいる環境でさえ、こうして猛暑災害の犠牲者が出たのだ。だから今後も同様の事件が起きるのは間違いない。そのあたりのことを考慮しながら慎重に行動しろ。そう言いたかったのだろうか。

 そんなことを考えながらエレベータからでた恵子は、自分が下りる階を間違えたのに気付く。

 そこには大勢の患者たちが集まっていた。入院中の病院で大事件が起きたせいで、じっとしていられないのだろう。立って歩ける患者たちが集まっていて、エレベータから出てきた恵子に、いっせいに面をむけて注目をする。

 集まっていたのが一人残らず、全員が高齢者なのを見て、恵子は思わずたじろぐ。


 そのままなら、まだ事態は、そこまで深刻にはならなかったかも知れない。

 ところが熱中症による入院患者の大量死がでたその数日後に、今年の猛暑災害の深刻さを決定づける、また別の事件が起きてしまった。

 八月に入ってすぐに。都内にある公立高校で、練習中だった野球部員が熱中症になると、搬送された先の病院で死亡したのだ。

 この事件は、ちょうど高校野球のシーズン中だったせいもあって、テレビのニュースで大きくとりあげられた。しかも、その後もテレビ番組や新聞の紙面で、長く問題視をされ続けたせいで、もしかすると今回のことは、私たちが考えている以上に大ごとなんじゃないか。放置しておいたら、大惨事になってしまうんじゃないか。皆がそう考えだす、きっかけになってしまった。

 事件があった翌々日に、尾坂恵子は、上司である広報課の課長の命令で、その公立高校に、軽自動車でむかっていた。

 出発前の、課長と恵子とのやりとりは、以下のようになる。

「課長。その高校に行って、生徒たちに話をきいてこい、と言われてもですね。無理だと思いますよ? そんな大事件が起きたんだから、学校は大騒ぎでしょう。生徒たちも、同じ学校の友達を亡くしたショックを受けているでしょう。

 そんなところに、気象庁ですが話をききにきました、とやったら。気象庁の大幅なイメージダウンになると思うのですが?」

「そんなことはないさ。いいかね、私たちは。気象庁、広報課の職員として、国民に自然災害の注意報や警告を始めとする、価値ある情報の発信をする義務があるんだ。

 だからこうして、猛暑災害の被害をふせぐために、調査を行うのは当然のことなのだよ。だから君も、その行動原理にのっとって行動すればいい。わかったね? わかったのなら。さあ、行ってこい!」

「わかりましたよ。いいですよ。行ってきますよ。でもこれが原因で、気象庁が訴えられても、私は知りませんからね?」

 一応は反論してみたが、課長の態度は変わらなかった。恵子はしかたなく、課長の指示に従い、生徒たちの話をきくために、出かけるよりなくなる。

 到着してみると、夏休み中だというのに、事件があった学校には大勢の生徒たちがやってきていた。

 どうやら休み中に、この学校の生徒の不幸な事故死があったので、生徒たちに集まるように指示がきたらしい。このあとで体育館に集まった生徒たちに、教師が注意がうながしたり、全員で黙とうをしたりするのだろう。

 恵子は、エアコンが効いた軽自動車の車内から、この猛暑のさなかを、夏服姿の学生たちが、汗をかきつつも活発な様子で登校する姿をながめる。恵子は、暑さにへばりそうになっている自身と彼らをくらべて、学生たちの元気ぶりに感心する。

 ここにもすでに、テレビ局を始めとする、マスメディア関係の連中がやってきていた。学校の校門のあたりでは、大勢のテレビ局の関係者たちが集まって、やってくる学生たちにマイクをむけて質問をしている。でも学校側から指示されているのだろう。学生たちは顔を伏せて、それを無視して足早に校門のむこうにかけこんでいく。

 それでもテレビ局の連中はあきらめない。生徒にインタビューをしたり、学校の敷地内に入ってこようとする連中が、あたりにひかえている教師や警備員たちに阻止されると、追い返されている。

 命令されたから、しかたなくここまでやってきた。でも課長から指示されたように、校内に入ってほかの学生たちから話をすることはできない。そんな真似をしたら、恵子もまた追い返されてしまう。

 ここまできたものの、どうすることもできなかった。しかたなく恵子は、出発前にタブレットに入れて持ってきた資料を、軽自動車の車内でひらいて読み始める。

 日本スポーツ振興センターによれば、現在のところは、一九七五年から二〇一七年までの42年間で、学校の管理下における熱中症の死亡者は170人出ている、のがわかっている。このうちで146人が、部活動の死亡になる。運動の種別では、野球部員の37人が最も多い。

 男女別では、男子が159人と、ほとんどが男子になる。学年別では、男子の高校一年生の67人が最多で、次が男子の高校二年生の41人になる。

 資料によると、熱中症の死亡事故は、体育やスポーツの屋外で行う活動中に起きている。そして気温は、27度から30度とそれほど高くなくても、湿度が高ければ発生する。発生する時間帯は、午前10時から午後4時までが多いが、暑い季節は朝にも夕方にも発生する。

 つまりは統計をとると、屋外で長時間にわたってスポーツを行う部活である、野球部の一年生か二年生の男子生徒が、熱中症で命を落としやすいことになる。

 でもじつは、この統計に基づいた情報は、誤解の原因でもある。野球部はほかのスポーツ関係の部活とくらべて、参加している部員の数が多いせいでそうなってしまう。つまりはほかのスポーツでも、だいたい同じ比率で発生しているのである。

 といっても、今回の熱中症による死亡事故も、けっきょくは統計資料通りになってしまっていた。

 ニュースで報道されたところでは、亡くなったのは、野球部の一年生の男子生徒になる。

 一年生の男子生徒は、まだなれない長時間の練習についていけずに、フラフラしていたらしい。当人はかたくなに、大丈夫だ、と言い続けていたが、そのうちに喋る内容が意味不明になると、突然に暴れだして、そのあとで失神した。そして搬送された先の病院で亡くなった。一年生の男子生徒は、熱中症による死亡と診断された。

 車内とはいえ、窓ガラス越しに日中の光がさえぎられずに入ってくるので、タブレットの液晶画面の光量では足りなくて、記述してある内容は読みにくかった。

 恵子は資料を読むのをやめて、タブレットを助手席に置く。それから、いったい課長は自分になにをさせたいんだろうか、これが気象庁の仕事とどんな関係があるんだろうか、と考えて、憂鬱な気持ちになると、ため息をつく。

 熱中症の患者増加の問題は、たしかに深刻だ。それでも気象庁がいくら頑張ったところで、患者数を減少できるとは思えない。

 気象庁にできるのは、自然災害の被害をくいとめるための効果的な情報の発信であって、熱中症患者の撲滅やケアではないはずだ。

 そんなことを考えているときだった。窓ガラスをノックする音がした。そちらを見た恵子は、学生服姿の女生徒が二人、窓ガラス越しに外から車内をのぞき込んでいるのと目が合い、ぎょっとする。

 無視するわけにもいかず、ドアをあけて車の外にでた恵子は、気温がさっきよりも上昇していて、外気が息苦しいまでに高温になっているのを知る。

 さっそく大量に噴きだしてくる汗を掌でぬぐう恵子にむかって、こちらも汗をかいている笑顔の女子学生二人が、やつぎばやに質問をしてくる。

「あのっ! この前、テレビに出ていた人ですよね? あれですよね。今日は熱中症で亡くなった野球部の人の件で、来たんですよねっ?」

「あれですか? 亡くなった野球部の人って、熱で脳がやられちゃったんですか?」

「そうじゃないよっ。カラダのタンパク質が熱で変化をして。それで死んだんだよっ。そうですよね?」

「は?」

 恵子は、目の前の女子学生二人からくりだされる意味不明の質問の数々に圧倒されてしまい、たじろいで面食らう。

 すっかり困惑した表情でいる恵子にかまわずに、女学生二人はさらに騒々しく、自分たちの主張を続ける。

「テレビでも、ネットでも、言ってますけど。温暖化のせいで、夏が暑くなりすぎているんですよね?」

「知ってる。知ってる。それでこのまま、夏が暑くなり続けると、カラダのタンパク質が熱でやられちゃって。みんな、熱中症で死んじゃうんだって」

「こわいよねーっ。そんなの、絶対にイヤだよねーっ」

 女子学生たちの騒々しい主張を、ようやく部分的に把握できた恵子は、あわてて二人に反論をする。

「ちょっ、ちょっと待ってくれない。いえ、そんなことはないわ。いくらなんでも、それは理屈としておかしい。温暖化のせいで気温が上昇するのは、ともかくとして。そのせいで人体のタンパク質が変性するのは、おかしいわ。いいえ、そんなことが、起きるはずない」

「えーっ。でもみんな、そう言ってますよ? 熱中症で死んだ人たちは、温暖化による気温の上昇で、脳のタンパク質がやられたからだって。それが原因だって」

「だからそれは、デマよ。嘘だわ。つくり話よ。信じちゃダメよ。もしもそれが本当なら、世間は大騒ぎになっているはずよ。猛暑災害よりも、もっと大ごとになっているわ。

 だってそんな事態になったら、この世界のすべての人たちが、同じ危機に立たされることになるのよ? 国をあげて解決するために努力しないと、大勢の犠牲者が出ることになる。私だってそのために走りまわっていて、ここにはいないでしょうね」

 恵子の、専門家とは程遠い、感情的な反論をきいて、学生たちは失望したらしかった。

 興味を失ってしまったのだろう。なんだ、そうなんだ、つまらない、と言いながら恵子のそばを離れると、学校の校門の方に行ってしまう。

 あとに残された恵子は、学生たちを追いかけて、いまの話をもっときくわけにもいかず、軽自動車のそばに立って、額の汗をぬぐいつつ、たったいまの学生たちが話したことについて考えてみる。


 今年の猛暑は、八月に入ると、さらに猛威をふるった。

 連日、猛暑災害に関するニュースが、テレビや新聞やネットを通じてとりあげられると、さまざまなかたちで騒がれていた。

 いやでも毎日、「猛暑災害の被害者が続出」「また新たな熱中症の死亡者が」そんなニュースをスマホやテレビで目にしたり、新聞の一面で見ることになった。

 猛暑災害の被害は多々あったが、そのなかでも、熱中症患者の急増、そして熱中症による死亡者が、特に大きくとりあげられて注目されていた。

 それと同時に、猛暑災害にまつわる事実かどうかもわからない意見や主張が、大衆のあいだでもてはやされるようになった。

 猛暑災害の原因は、温暖化にある。だから温暖化の進行をくいとめなければ、今後も熱中症の患者は増え続ける。政府は、もっと効果がある温暖化対策を施行しなければならない。

 そうしなければ、我々は遠からず、夏の暑さで最期をむかえることになる。温暖化の進行をくいとめるのが、私たちを救う、正しい選択なのだ。

 これは一例だが、こんなよくわからない主張が大衆のあいだにひろまると、テレビ局や出版社といったマスメディア関連の会社が、いろいろな媒体を通じてその主張を後押しするようになった。このせいで、この主張は一過性のものではなく、より大きな強い意見や主張になっていった。

 そして、こちらは目新しい出来事だが、このよくわからない意見や主張を下地にした、信憑性がないウワサやデマが、インターネットの通信網とスマホを通じて、多くの人たちのあいだにひろまっていた。

 なかでも特に影響力が大きかったのが、ツイッターなどのSNSを中心に「熱中症で死ぬ人が増えているのは、脳のタンパク質が熱で変質して、もどらなくなるからだ」というユーザーから投稿された情報だった。

 今年の熱中症は危険だ。現在の最高気温は40度を越えている。もうすでに、私たちが生きるには高温すぎる環境になっている。

 人間は、体温が40度を越えると、意識を失う。もしも体温が41度を越えれば、人間は生命の危機に陥る。

 体力がない高齢者が、体温が下がらずに42度のままでいると、10時間後には死亡する。これが先日に病院で起きた患者の死亡の原因だ。

 もしもこれ以上、気温があがったら。身体の体温があがったら。いったいどうなるのか?

 体温が44度から45度になれば、私たちにとっての生存限界を越える。たとえ体力がある者でも、人間はこの状態に数時間しか耐えられない。

 体温が45度を越えれば、身体の細胞のタンパク質が変性を始める。そしてそのまま、回復することもなく、その後の生存の見込みも失われる。

 つまりは、熱中症で死んだ人は、高温の環境に長く置かれたせいで、脳のタンパク質や細胞膜が変性してしまい。生タマゴが熱をくわえられてゆでタマゴになるようになって、死亡したのだ。

 もしも、このまま気温が上昇を続けたら、暑すぎる夏に私たちは殺されてしまう。いますぐに、この事態に対処しなければならない。だから政府は、効果的な温暖化対策を緊急に打つべきである。だいたい、このような内容の投稿だった。

 よく考えてみればこれは、ウソだとわかるデマ情報である。でも世間の多くの人々は、大衆は、なぜだかこの情報にとびついた。

 おかげでこのデマ情報は、急速に拡散されて、浸透していった。

 大衆がこの情報を受け入れたのは、これがショッキングでセンセーショナルな、面白いものだったからだ。それが事実かどうかは、彼らには関係なかった。

 そしてなによりも、この情報を信じたくなるくらい。ホントになんとかしたくなるくらい。猛暑の日々が毎日続いていたからだった。

 この騒動は、SNSに投稿された情報がネットに拡散した、だけではおさまらなかった。騒ぎはそのあとも続いたし、拡大していった。

 情報の拡散と、騒ぎの拡大にあわせて、この真偽も定かでない情報を行動原理にして、デモ活動や抗議運動を始めた、やっかいな人たちがあらわれた。

 この人たちは、この猛暑のさなかに、駅前に集まると、ビラを配ったり、スピーカーを使い訴えたり、駅にやってくる人たちにむかって騒々しい主張を始めた。

「温暖化ストップ。タンパク質がかたまって死ぬのはごめんだ」

「石油や石炭を燃やさない。二酸化炭素をださない。そんな社会をつくろう」

「電気は必要最低限だけあればいい。快適な暮らしよりも、未来のために、緑を増やそう。再生エネルギーでやっていける世界にしよう」

 彼らは、駅にやってくる人々にむかってそんなことを叫びながら、彼らなりの抗議活動を続けた。

 騒ぎをききつけて、テレビ局の連中がやってくると、この運動を始めた人たちの姿を撮影してニュースでとりあげて、彼らの主張を番組で放送したりもした。

 なんというか。こうした騒動の様子は、一九九〇年代の頃に、地球温暖化の問題が世間でとりあげられると、その後それにより起きた、いろんな運動やら、抗議行動やらを思い出させるものだった。

 当時は地球温暖化の話題が、先進国のあいだでトップの話題になると、問題解決にむけて、当時としても異常なくらいに熱心に取り組まれた。

 必要な法律が整備されて、政府の指導のもとで、大手企業だけでなくて中小企業も省エネに取り組んだ。自治体の指揮のもとで、地域の住民も省エネに力をつくした。

 なにがあったのかを記述するべきだが、とにかくもう、どこに行ってもなにをやっても、省エネだ、省電力だ、エコだ、とその文句がついてきたように思う。

 じつは地球温暖化の問題が登場して。身近にせまった危機としてとりあげられて。私たちがその解決にむけて取り組むようになってから。もう三十年以上の年月が経過している。

(科学者や研究者たちのあいだでとりあげられたのは、五十年から六十年は前になる。その後、世界会議やら国連やらでとりあげられて、私たちが知っている話題になるまでに、タイムラグがあった)

 当時はあれだけ世界規模で盛りあがって、解決にむけて各国で取り組まれていた問題だが、現在は下火になっている。

 それはつまり、地球温暖化の問題が、世界中の人々に受け入れられて浸透したので、一般常識として認識されたのだ。そう好意的にうけとることもできる。

 でもじつは、そうではないのだ。あることが起きて、温暖化とそれがもたらす危機に信憑性がなくなって、支持されなくなったのである。そんなことがあったなんて、語り手はまったく知らなかったが。それについては、あとで述べる。

 それじゃあ、温暖化はウソだったのか? といえば、べつにそうではない。地球温暖化の問題は、まだ解決もしてない。

 もうだいぶ前のハナシになるが。地球温暖化の問題がニュースで取り上げられて、それがすぐ間近にせまっている危機のように紹介されたとき、私たちはこの問題をどんなふうにイメージしていたろうか?

 私たちが暮らすこの世界は、二酸化炭素がドンドンと増えていて。増えた二酸化炭素がそこいらじゅうにあふれていて。私たちはその増えた二酸化炭素で窒息しそうになっている。そういった、危機感をあおる、ネガティブなイメージじゃないだろうか。

 じつは、二酸化炭素はどれくらい増えていて。酸素はどれくらい減っているのか。森林の伐採などの環境破壊によって、地球の大気はどう変わったのか。そのあたりのことは、世間の人たちはスルーしている。

 危機感は持っても。こういうことには、だれも関心を持たない。といっても、語り手も今回のことがあるまでは、気にしたことはなかったが。

 あの当時は、増えた二酸化炭素のせいで、私たちは明日にも破滅するんじゃないか。何十年かしたら、世界は人が暮らせない方向に変わってしまうんじゃないか。皆がそう考えていた。

 でもけっきょく、そういうことにはならなかった。ただし温暖化による変化は、いまも続いている。では、なにがどうなったのだろうか?

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