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ゆるやかな殺人  作者: 矢島歌子
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夫婦の危機


 夫への愛が消えた。


 3ヶ月や3年。

 『3の倍数』で夫婦の危機は訪れるというが、私の場合は10年だった。

 DVを受けていたわけではない。

 ギャンブルをするわけでもない。

 浮気もないし、仕事もちゃんとしている。

 子どもが産まれてからしばらくはいわゆる「ワンオペ」だった。

 でも子が小学生になった今は家事もよくやってくれるようになった。


 でも10年経ったある日。


 本当に突然に。

 私の中に残っていたはずの夫への愛は急に『消えた』のである。



 私はいわゆる『手に職系』の仕事をしている。

 資格があって食うに困ることはない。

 会社勤めでもフリーランスでもやっていくことはできる。

 実際に会社勤めをしながら副業として個人でも仕事をしていた。

 

 子どもは小学生が2人。

 長男と長女で歳の差は2歳。

 あまり手がかかる子たちではなかったとはいえ、一旦仕事を辞めて母としてのみ生きていた数年間の記憶はほとんどない。それほどに2歳差の子育ては大変だった。

 子どもが産まれたころ、夫は自分が父親になったという自覚は薄く、当たり前のように私の『助手』に回った。

 私が風呂に入っている間に子どもが泣き止まなければ、早くあがるように私に命じ、オムツは「苦手」という理由で積極的には替えなかった。離乳食は一度も作ったことがない。本人は「チンして出したことはあるよ」と思っているかもしれないが。


 夫と私は同い年で同業者である。

 同じようにキャリアを積み、同じ時期に子どもを持つ『親』になったはずなのに、ここで私たち夫婦が初めて別々の道を歩み始めた。

 夫は子育てに熱心に関わることよりも『仕事』を選んだ。

 もしかすると給料が無くなった私のために「しっかり働かなければ」と思っていたのかもしれない。


 しかし私はその時期ただただ苦しかった。

 子どもは可愛いし、子の相手をすることや世話をすることは嫌いではない。

 自分で言うのもなんだけど、長女なので面倒見が良く責任感もある方だと思う。

 

 でもそれは夫も同じだったはずなのだ。

 長男で子どもが好きで、面倒見がよく責任感もある。

 少々過干渉で過保護な義母のせいで家事はまるでできなかったが、「共働きなら家事も半分」という我が家の常識を説くと「たしかにそうだ」と納得してそれなりに努力していた。

 さらに私のできないところや弱いところはカバーしてくれて、独身時代はこちらの心がぎゅっと掴まれてしまうようなサプライズもたくさん計画してくれた。


 私にとっては『頼れる男性』であり格好良かった。

 マナーや礼儀に厳しく、誰に対しても率直な意見を伝え、少し抜けているところはあるが周りがなぜか放っておかないような人柄の良さに惹かれた。

 みんなの人気者である夫が私にだけ独占欲や甘えた表情を見せてくれるのは嬉しかった。

 女性だからと言って下に見たり、蔑ろにすることは決してなかった。

 私のことをとても大切にしてくれていた。


 だからこそ『子育て』の場面において、突然夫が『部下』に成り下がったことは私にとって幻滅だった。

 仕込んだはずの家事スキルは急に低下して仕事しかしなくなった。

 口に出して文句こそ言わないものの「疲れて帰ってきているのにどうして家にいるお前は何もしないんだ」というオーラを出していた。


 もっと協力してくれると思っていた。

 もっと理解してくれると思っていた。


 自分でも未熟だと思うが、私は『夫婦の愛は永遠だ』と思っていた。

 まだ子どもがいない時も夫婦仲は良く、倦怠期など自分にはあり得ないとたかを括っていた。

 子どもが産まれてもきっとそれは何も変わらない。

 喧嘩したり衝突したりすることはあるけれど、きっと縁側でお茶をすすって毎日手を取り合って散歩に出かけるような老夫婦になるのだろうと夢を描いていた。


 子どもが産まれ、夫は巷でよく聞くような『ダメ夫』になった。

 正直なところ「うちの旦那に限って」と思っていた。「そうはならない」と。

 でもなっていたのだ。

 世の奥様たちが何度も鳴らしてくれていた警告に沿ってきれいに進んでいく夫。


 そして私もふと気がつけば「身なりに構わないおばさん」になっていた。

 劇的に太ったり、やつれたりしていたわけではないが下着や服はとにかく楽で洗いやすいものばかりになり、髪の毛はひとつに縛ったままでもちろん化粧はしない。

 『女性らしさ』は急速に失われていたし、この時期に外で浮気をする夫が多いというのもなんだか頷けるような状態だった。


 産後に起こると言われていた夫婦の危機は全て起こった。

 産後の恨みは無限大に膨らんだ。

 妊娠後期に無理をして出勤したせいで職場で嘔吐したことを「前日に肉食い過ぎたからだろ」と笑い飛ばした夫への憎しみは一生消えないだろう。

 産後に疲弊している時期に「週5日勤務から週6日勤務に増やしたい」と言い出した時は殺意が湧いた。


 でも私の愛はここで消えたわけではない。

 不満の積み重ねが愛の火を少しずつ鎮火していくのではないのだ。


 愛は消されるのではなく、自分で消していくものなのである。

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