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聖女の料理

 アーシュラ様は意識の戻った子どもを宿へと連れ帰った。その子に帰る家がないからだ。親を病で亡くし、頼れる人も助けてくれる人も周りにおらず、町中を彷徨いながら食糧を調達していたのだという。



「国は貴族の――――領主たちの状況をちゃんと確認してるんですかねっ?」



 子どもの身体を綺麗に拭ってやりながら、アーシュラ様は唇を尖らせる。



「いや……どうだろう」



 普段は世話を焼かれる側だというのに、今日のアーシュラ様は寧ろ甲斐甲斐しく世話を焼いている。アーシュラ様はきっと、典型的な『やればできるけど、やらない』タイプなのだろう。



(もしかすると、俺はアーシュラ様を甘やかしていることになるんだろうか)



 だけど、それで良い――――そんな風に考えている自分がいる。

 アーシュラ様は、俺には見えない重荷を背負って生きているのかもしれない。聖女皆が抱える業なのか、はたまたそれとは別の何かなのか。

 分からない。

 けれど、俺が世話を焼くことでそれが少しでも軽くなるなら、悪くはないと思ってしまったのだ。



「力のない領主の元に暮らす領民が気の毒です。こんな小さな子どもだもの。本当だったらとっくの昔に保護されて良い筈なのに」


「…………だからアーシュラ様は、領主やその土地の有力者から先にお会いになるんですね」


「えっ?」



 ポツリと漏らしたひとりごとに、アーシュラ様はほんのりと目を丸くして応酬する。


 領主に会えば、その土地の状況が見えてくる。今回のように、領主の統治能力や資力が衰えている場合、それは領民の生活にまで影響する。

 困った人間の声を届ける場所がない。支援の手が差し伸べられなくなる。人々の心が荒み、窃盗や詐欺などの犯罪も横行する。後はもう、負の無限ループだ。



「仮にも王家と血の繋がりがあるというのに、俺はこれまで、そういうことに無頓着でした。……すみません」



 俺は文官ではないし、公務に就いたのも割と最近のことだ。とはいえ、そういう観点で物事を見ようと思ったことも、実際に見たことも無かった。自分より二歳も年下のアーシュラ様が当たり前のようにそうしているというのに、彼女に言われるまで、ちっとも気づかなかった。

 もしもアーシュラ様と一緒に旅をしなかったら、一生気づけないままだったかもしれない。



「やだなぁ、そんなんじゃ無いですよっ」



 アーシュラ様はそう言ってニコリと笑う。



「だって……ほら! 領主さんのところに行ったら、よく宝石とか貰えますしっ。美味しいもの食べさせてもらえますしっ。そっちの方が目当てです」



 ビシッと敬礼をして笑うアーシュラ様に、俺は思わず目を細める。



「……今日の所はそういうことにしておきます」



 そう言ってアーシュラ様の頭をクシャクシャっと撫でると、彼女は恥ずかし気に頬を染めた。



 結局、当初の予定を大幅に変更し、この町には二週間ほど滞在することになった。

 助けた子どもは女児で、名をジャネットといった。随分と幼く見えたが、栄養状況が悪かっただけで、実際は12歳らしい。



「さぁさぁ、食事の時間です! 食べて食べて!」


「――――アーシュラ様……なんなんですか、この物体は」



 ある日のこと、アーシュラ様は町の広場に大きな鍋を用意し、自ら料理を始めた。

 しかし、その過程は傍目で見ていて恐ろしい。アーシュラ様は食材と一緒に、何度も指を切りそうになっていた。

 その後も、煮炊きの最中に奇声を発したり、何やら儀式めいたことをしていて、俺の知っている『料理』とは何もかもが違っている。

 挙句の果てに、出てきた皿に入っていたのは、真緑色のどろどろとした液体状の何かだった。結果が結果なので、料理というより黒魔術を発動したと言われた方がしっくりくる。



「え? アーシュラ様特製、栄養ましまし粥だけど」


「お粥? これが本当にお粥? 薬か毒物か何かの間違いじゃなくて?」



 俺たちの周りには『聖女が何かやっている』と物見遊山に来た町人達が集まってきていた。とはいえ多くの人間は、俺たちの皿の中身を見ると、すぐに踵を返してしまう。身を乗り出し残っているのは、ほんの十数人だけだ。

 アーシュラ様はぷぅと頬を膨らませつつ、クルリとジャネットに向き直った。



「ほらほらジャネット! 冷めちゃうから早く食べて食べて」



 ジャネットは躊躇いつつ、俺を見上げた。無理もない。あのおどろおどろしい調理過程を隣でずっと見ていたのだから。



「待ってください! もし万が一お腹を壊したら大変です。折角回復したのに、また寝込ませる気ですか⁉」


「失敬な! ちゃんと消化に良い食材を選んだし、寝込んだりしないもん! 心配だったらローラン様が毒見したらいいでしょっ」



 アーシュラ様はそう言って、俺の唇に粥入りのスプーンを突きつける。先日とは真逆の構図だ。俺はゴクリと唾を呑み、額にダラダラと汗を掻く。



「だっ……大体、あなたなら一切れのパンで数十人を満腹にできるでしょう? なんで急に、こんなこと」


「だって、食べることは喜びだもの」



 そう言ってアーシュラ様は、俺の口にスプーンを勢いよく突っ込んだ。熱々の粥が舌の上に乗り、俺は思わず天を仰ぐ。



(……んん?)



 空気を取り込み、程よい温度に落ち着いた粥を咀嚼する。



(嘘だろう?)



 野菜の旨味と魚介由来の出汁が効いていて、すごく――――すごく美味い。これまでずっと、肉が中心の脂っこい食事ばかり摂っていたせいか、身体が喜んでいるのが分かる。芯が温まり、血が勢いよく巡る。あのおどろおどろしい緑色も、今では美しく鮮やかな色彩に見えるのだから不思議だ。



「どう? どう?」



 アーシュラ様は俺を見つめながら、ソワソワとしていた。あんなに自信満々そうにしていたくせに、実は不安だったらしい。



「悔しいけど、美味しいです」


「ホント⁉」



 良かった~~と叫び声を上げつつ、アーシュラ様は俺を抱き締める。思わぬことに心臓がドキッと跳ね、俺は危うく皿を取り落とすところだった。



「ジャネットが食べても良いでしょ? ね?」



 アーシュラ様の笑顔が間近に迫る。声も出せないままコクリと頷くと、アーシュラ様は機嫌よさげに俺を解放した。改めてジャネットに食事をするよう促し、すぅと大きく息を吸った。



「ささ、皆さんもどうぞっ」



 アーシュラ様はそう言って、羨まし気にこちらを眺めていた十数人を呼び寄せる。彼等の服は擦り切れていて、あまり清潔とは言い難い。きっとジャネットのように、家や家族がないか、仕事がなく食べるに困っている人たちなのだろう。

 アーシュラ様は彼ら一人一人に器を手渡し、何かしら言葉を掛けている。彼等の手を握り、元気づけ、祝福を与えている。



(何だかなぁ)



 敵わないなぁ、とそう思う。

 あれ程自分は『聖女じゃない』だとか『面倒』だとか言っていた癖に、全部全部嘘っぱちだ。アーシュラ様を知る度に、俺は自分の至らなさを知る。悔しい気持ちも有るけれど、それが全然嫌じゃない。本当に、敵わないと心から思う。



「ローラン様、これがザ・炊き出しって奴ですよ」



 全員に食事を配り終えると、アーシュラ様は俺の隣に移動する。



「――――少ない食糧で、多くの人の腹を満たせるのは、良いことです。飢えた人にとってもありがたいことだと思います。実際、沢山の人に喜んでもらえたし、わたしも嬉しかった。……だけど、どうせ食べるなら、ちょっとだけじゃなくて沢山、美味しいものを食べた方が絶対幸せです」



 アーシュラ様はそう言って俺の顔を見上げる。胸のあたりがほんのりと温かい。まだ、先程の食事の効果が持続しているのだろう。俺はコクリと頷いた。



「まぁ、お金が無限に使えるわけじゃないし、準備に労力も要りますから、そんなにしょっちゅう食事の用意はできませんけどね。

――――だけど彼等はお腹がいっぱいになった分、仕事を探せるかもしれない。一食浮いたお金で洋服を買えるかもしれない。

だから、短期的には炊き出しだって十分有効な方法です。

でも、お家を借りるためにはたくさんお金が必要だし、生活を整えられるだけの環境を用意するには、炊き出しだけじゃ不十分なんです。分かっているけど、それを用意するだけの力がわたしには有りません」



 アーシュラ様はそう言って軽く目を伏せる。

 本当ならばこれは、国がすべきことだ。

 けれどこれまで、俺たちは困っている民がいることに気づきもせず、彼等に対して何もしてこなかった。ここから先はアーシュラ様じゃない――――俺の仕事だ。



「――――陛下に手紙を書きます」



 それだけで、俺が彼女の想いを理解したこと、これから何をしようとしているのか分かったのだろう。アーシュラ様は満足気に微笑み、俺の手を握った。



「ローラン様が一緒に居てくれて良かったですっ」



 アーシュラ様はそう言って微笑んだ。ちゃらけた口調だが、それが彼女の本心だって今ならわかる。



(俺も……)



 そう口にしかけて、俺は必死に口を噤んだ。胸がポカポカと温かい。心臓がドキドキと鳴り響いていた。

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