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Sanctuary

「アーシュラ様、おはようございます」


「うーーん」


「……早く準備を始めてください」


「うーーーーん」



 王都を出て、初めに立ち寄った街の宿。アーシュラ様の部屋の外、声を潜めて呼びかける。宿には他にも宿泊客がいるので、迷惑にならないようにとの配慮だ。

 けれど、待てど暮らせどアーシュラ様は現れない。それどころか、部屋から準備の物音すら聞こえなかった。



(さすがに今日はお疲れなのだろうか)



 昨日は移動だけに一日を費やした。アーシュラ様の強い要望で、馬車ではなく徒歩の手段を取ったことが大きな要因だが、女性が歩く距離としては、聊か長かったのかもしれない。配慮はしたつもりだったが、どうやら足りなかったようだ。



(次の町への移動は、馬を使っていただこう)



 この街には二日程滞在することになっている。荷運び用の馬を連れ歩いているため、次の移動の際は、アーシュラ様に乗っていただこうと胸に誓う。



(或いは滞在期間を一日伸ばした方が良いだろうか。急ぐ旅でもないのだし)



 王都から近い分、今滞在しているこの街は比較的栄えている。地方と比べればアーシュラ様の力を必要とする人はあまり多くないかもしれない。


 そんなことを考えている内に、昼を知らせる鐘が鳴った。未だ、隣のアーシュラ様の部屋からは、何の物音も聴こえない。



「――――――アーシュラ様、そろそろ起きてください。もうお昼ですよ?」



 躊躇いがちにアーシュラ様の部屋の戸をノックする。



「うーーん? ローラン様?」



 すると、まるで今もまだ夢の中にいるかのような寝惚け声が返って来た。



「おはよー……」


「……ですから、もうお昼です」



 ドアに耳を当てなければ聴こえないぐらい、アーシュラ様の声はか細く小さい。けれど、傍から見て、女性の部屋の外で耳を聳ている俺は、怪しい男以外の何者でもないだろう。



「アーシュラ様の準備が整うまでは、自分の部屋に居ます。終わられたら声を掛けてください」


「えーー? それじゃ起きれる気がしないです。中に入って起こしてください」


(……はぁ?)



 その瞬間、俺は己の耳を疑った。これまで、アーシュラ様からありとあらゆるトンでも要求を受けてきたが、中でもこれはトップクラスだ。


 結婚前の女性は普通、寝室に男性を招き入れたりしない。一般的に『はしたないこと』だと認識されているし、当人たちがどんなに否定しても、下世話な想像をする人間は多い。噂というのは思わぬところから瞬く間に広まるものだ。

 おまけに、アーシュラ様は聖女ということもあって、人々の耳目を余計に集めている。本人だって、そのぐらいは心得ているはずなのに。



「無理です。ご自分で起きてください」



 言うや否や、アーシュラ様の部屋の戸が唐突に開き、見えない力に背中を押される。



「……っ⁉」



 けれど、無理やり部屋に入れられたこと以上に俺の気を引いたのは、アーシュラ様の部屋の悲惨な有様だった。


 昨日着ていた洋服が無造作にソファに脱ぎ捨てられ、食べ物や飲み物のゴミ、使用済みのタオル等がそのままの状態で置かれている。

 あの小さなカバンの何処に入っていたかは分からないが、本やら小物類が部屋の至る所に散らかっていて、うっかり踏んでしまわないか心配になるほどだ。



「な……な…………」


「ローラン様ぁ、お腹空きました。でも、すっごく眠い……」



 アーシュラ様はベッドの上に腰掛けて、こくりこくりと舟を漕いでいる。同時に、ぐーーと盛大にお腹が鳴った。器用だ。



「今日の朝ごはんは何にしましょう? この辺のお店でどこかおススメは……」


「寝言は寝て言ってください!」



 俺はアーシュラ様の掛布をバサッと剥ぎ取った。アーシュラ様はさして驚くでもなく、夢見心地な表情でふふ、と笑っている。



「大体何なんですか、この部屋の惨状は! まだたった1日しか滞在してないでしょう! どうやったらこんなに散らかせるんですか!」


「えーー? このぐらい普通じゃないのーー?」


「普通じゃありません。断じて普通じゃありません!」



 辺りに散らばった荷物を集めつつ、きっぱりとそう言い放つ。拾い上げているものの中にはアーシュラ様の洋服――下着なんかも混じっているが、本人に不満はないらしい。俺が片づけをしている様子を黙って見守っている。



(聖女の部屋っていうのは神聖な領域じゃなかったのか!?)



 これでは、『神聖』というより寧ろ、『禁忌』領域である。今はまだ『少し散らかった』程度の表現で済むが、数日も経てば間違いなく腐海に成り果てるだろう。そう思うと、頭が痛くて堪らなかった。



「だから侍女をお連れ下さいと申し上げたんです! そうすれば、さすがにここまで散らからなかったでしょうに!」


「人に気を遣うのは嫌なんですってばーー! わたしは自分のタイミングで着替えたりゴロゴロしたりしたいし、気が向いた時に片づけをするタイプで……」


「気が向いたら? じゃぁ、アーシュラ様の気が向くのって一体どのぐらいの頻度なんです?」


「だっ……大体1週間に一回ぐらい」


(絶対嘘だ)



 こういう人間の自己申告はまったく当てにならない。恐らくは1週間に一回ではなく、その倍か3倍ほど、2~3週間に一回気が向けば良い方だろう。



「気持ち悪くないんですか? 放っておいたらすぐに足の踏み場もなくなるでしょう? 綺麗な部屋で過ごした方が気分も晴れますし」


「いやぁ、わたしって完璧主義だからさぁ。一個やりだしたら全部やらなきゃ気が済まないわけ。でも、全部やるほどの体力は無いから、一個もやらないの!」


「どういう理屈なんですか、それ?」



 完璧主義が聞いて呆れる。どや顔を浮かべたアーシュラ様の額を軽く小突きつつ、俺は密かにため息を吐いた。

 この数分間の間に、ひとまずは見れる程度の部屋にすることができた。空いたソファの一角に腰掛けつつ、気持ち良さげに伸びをするアーシュラ様を顧みる。



「……まさか、王宮の部屋もこんな惨状のままにしてきたんですか?」


「まっさかぁ! さすがに侍女を完全シャットアウトはできなかったし、実に綺麗な状態だよ! その辺は心得てますって!」



 つまり、この部屋の惨状は確信犯らしい。俺はこめかみに青筋を立てた。



「……って! 一体なにをしてるんですか!」


「何って……着替えだけど。ご飯食べに行くんでしょう? それに、ちゃんとお仕事しないと王宮にチクられちゃうし」


「そんなことを言ってるんじゃありません! 着替えは俺が部屋を出てからにしてください! 俺を何だと思ってるんですか?」


「せいじんくんしぃーー」



 アーシュラ様はニカッと歯を見せて笑いつつ、寝間着を脱ぎ去る。その下にも服を着ていないわけではないが、明らかに薄布だし、鎖骨や腕が剥き出しになっている。普段見ることのできない真っ白な肌から、目が離せなかった。



(いや。いやいやいや)



 立ち上がり踵を返すと、出口に向かって歩いていく。アーシュラ様の表情は見えないし、見ない。きっと今頃、キョトンと目を丸くしているのだろう。



「――――天真爛漫なのは結構ですが、あまり俺を信用し過ぎないでください」



 そう口にしつつ、俺はアーシュラ様の部屋を出た。腹立たしさのせいか、胸のあたりがモヤモヤと熱い。頬にも熱が集まっているのが分かった。


 聖人である前に――――いや、聖人ではないんだが――――俺はただの男だ。君子にすらなれそうにないというのに、アーシュラ様は人が良すぎるというか、無防備というか、危機感がなさすぎると思う。いくら神様に愛され守られているからって、こんな調子じゃいつか悪い男に騙されてしまう。



(だからこそ護らなきゃいけないんだろうな、俺が)



 騎士としての使命より、こちらの方が余程堪えそうだ――――そう思いつつ、俺は盛大なため息を吐いたのだった。

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