トンでも聖女のお墨付き
それから数日後、王都を旅立つ日がやって来た。
「本当にそれしか荷物はないんですか?」
「はい。どうせ途中で増えていきますしっ。初めは身軽な方が良いでしょ?」
女性の荷物は嵩張りがちだというが、アーシュラ様の荷物はビックリするほど少なかった。数日分の着替えが入ったカバンを自分で抱え、ニコニコと楽しそうに笑っている。
「俺が持ちますから、もう少し持っていったらどうですか? 殿下や陛下から色々貰っていたでしょう? 侍女だって、一人ぐらい連れて行った方が便利が良いと思いますけど」
アーシュラ様がお供に指名したのは俺一人。伝令役は入れ代わり立ち代わり付いて回るが、彼等の役割は俺のそれとは違う。今からでも遅くはない。考え直してほしいと俺は思っていた。
「えーー? 今更荷物を用意するのは面倒くさいし、わたしって結構気を遣うタイプだからぁ。侍女とか付けて貰ったら、かえって疲れるというか……」
「――――それ、一度でも俺に気を遣ってから言ってもらっていいですか?」
悪戯っぽく笑うアーシュラ様が腹立たしい。半ば強引に荷物を奪い取ると、アーシュラ様はよしよし、と俺の頭を撫でた。
胸のあたりがモヤモヤ疼く。それは自分でも訳の分からない感情だった。
(気を遣う、か)
王宮での滞在期間中、アーシュラ様はあまり侍女を部屋に入れたがらなかったらしい。お仕えし甲斐がないと馴染みの侍女がぼやくほどだ。
とはいえ、王都に来てからの殆どの時間を、アーシュラ様は神殿や街の中で過ごしていた。「面倒」だとか「休憩したい」が口癖の癖に、いざ祈りを捧げる時のアーシュラ様は真剣そのもの。あまりの神々しさに、彼女の本性を知る俺ですら見惚れてしまったほどだった。
(そういえば、王都までの旅の間も、よく西に向かって祈りを捧げていたな)
毎日決まった時間、決まった方角に向かってアーシュラ様は祈りを捧げる。お祈りの時はいつだって真剣だが、西へ向かって手を合わせるアーシュラ様は殊更美しく、神秘的で。神から愛された雲の上の存在なのだと実感した。
「アーシュラ、本当にもう行くのか?」
アーシュラ様と二人、揃って後ろを振り返る。
声を掛けてきたのはアレクサンダー殿下だった。いつの間にか呼び方が『聖女殿』から名前に代わっている。途端、アーシュラ様は口の端を引き攣らせ、さり気なく俺の後ろに移動した。
露骨とも受け取れる拒絶行為。けれど、幸いなことに殿下は気づいていないらしい。ニコニコと朗らかな笑みを浮かべ、アーシュラ様と向かい合うように身を翻した。
「もう少しゆっくりして行ったらどうだ? 俺ともまだ、十分に交流が深められていないだろう?」
「まぁ……! そんなことはございません。国中の乙女の憧れ……殿下と、一度でもお茶が出来たのです。もう十分――――光栄ですし、幸せですわ」
アーシュラ様は口元に手を当て、上品に笑う。
(本当に外面が宜しいことで)
心の中でこっそりと悪態を吐く。と、いうのも、殿下主催のお茶会の後、アーシュラ様から散々愚痴を聞かされていたからだ。
***
『王族ってのはどうしてあんな、自慢にもならない自慢話を堂々とできるんですかネ?』
気だるげにソファへ腰掛けつつ、アーシュラ様が口にする。思わぬ言葉に、俺は眉間に皺を寄せた。
『ちょっ! そんなこと、王宮内で口にしたら――――』
『平気平気! 聖女の魔力舐めんなってんですよ! そこらへんはちゃんと対策取ってますーー』
アーシュラ様はそう言って身を乗り出し、屈託のない笑みを浮かべる。
俺は聖女の能力について詳しくない。が、以前本人が言っていたように、割と色んなものを自在に操れるらしい。
(そりゃぁ、国を護るほどの結界を張れるんだ。この程度の空間、自在に操るよな)
半ば呆れ、半ば感心しつつ、俺は嘆息した。
『……そんなにつまらなかったんですか? 殿下とのお茶会は』
『うん! そりゃぁもう、つまらなかった! わたしの話なんてちっとも聞いてくれないし、ずーーっと自分の話をしてるの。俺はこんなすごいことができる、あんなすごいものを持ってる――――ってな感じで。周りにどれだけ下駄を履かしてもらってるかも知らずに、いい気なもんデスよね。
……あっ、安心してください。ちゃぁんと褒めちぎっておきましたから! お茶会の間はちゃんとバッチリ猫被ってましたから! いや、聖女の皮を被ってた、が正解かな?』
アーシュラ様はそう言って得意げに胸を張る。何とも複雑な気持ちで俺は首を傾げた。
『アーシュラ様は王族がお嫌いなんですか?』
『うん。あんまり好きじゃないねっ』
アーシュラ様は躊躇いなくそう答える。俺は少しだけ眉根を寄せた。
『あっ、でもでも! ローラン様のことは好きですよ。一緒にいるとなんか落ち着くし』
『……俺、王族だと名乗った覚えはありませんが』
俺の返答に、アーシュラ様はふふ、と笑う。
『だーかーらー、聖女の力を舐めるなってんですよ! そういうのは、神の力って奴でちょちょっと調べられるもんで……』
『とか何とか言って、本当は殿下に聞いたんでしょう?』
『…………バレたか』
満面の笑みを浮かべ、アーシュラ様は身を乗り出した。満足気なその表情に、なんでか俺の心も満たされる。
『血の繋がりがあるってだけですよ。俺はしがない公爵令息です』
『うん。わたしもローラン様はローラン様だって思ってます!』
アーシュラ様はそう言って穏やかに目を細める。
だけど、良かったのはそこまで。その後はずっと、アーシュラ様の愚痴地獄に苦しめられることになった。
***
「――――土産話が楽しみだ」
「はい。ありがとうございます」
俺が回想を終えたその時、殿下とアーシュラ様の別れの挨拶が済んだらしい。アーシュラ様がそそくさと俺の後ろに移動した。
(毎回俺を盾にするんだもんなぁ……)
殿下はパーソナルスペースが近い。距離を置くためには、ガタイの良い俺を挟んだ方が楽なのだろう。チラリとアーシュラ様を見れば、『ごめんごめん』と囁きつつ、ペロリと舌を出していた。
「ローラン」
その時、殿下が俺を呼んだ。その表情は固く、どこか牽制するような色を帯びている。
「ちゃんとアーシュラを――――聖女殿をお守りしろよ」
殿下は敢えて『聖女』の部分を強調する。その言葉の裏にある意図は明らかだ。
つまり殿下は、俺がアーシュラ様に手を出すことを危惧しているらしい。
(そんなこと、するわけがないのに)
とはいえ、アーシュラ様の美しさを思えば、釘をさしたくなるのも無理はない。腐っても聖女。神に愛された完璧な容姿なのだ。
けれど、これでも己の分は弁えている。
神の愛し子にちょっかいを掛けて、無事でいられると思うほど自惚れてはいない。殿下じゃあるまいし――――そう思ったことは、俺だけの秘密だ。
「大丈夫ですよ。ローラン様は聖女のわたくしよりも余程聖女らしい――――いわば聖人君子みたいな御方ですから。絶対にわたくしを守ってくださいます」
アーシュラ様は聖女らしい嫋やかな笑みを浮かべ、そう断言する。風に吹かれ、アーシュラ様のシルバーピンクの髪の毛がふんわりと靡いた。太陽の光りがアーシュラ様を照らし、天使のようにキラキラと輝く。まるで神様本人からお墨付きを貰ったかのような、そんな気分だ。
(聖人君子、ねぇ)
こんな、よく分からない煩悩に塗れた聖人君子なんて、存在していいはずがない。アーシュラ様に握られた手のひらを、殿下に見えない位置に隠しつつ、俺は小さく笑ったのだった。