わたし、あの人苦手です
「いやぁ、上手くいきましたねぇ」
「――――何が上手くいきました、だ」
ウキウキと大手を振って歩くアーシュラ様に向かい、不機嫌な声を浴びせかける。人の気も知らないで、実に満足気な笑顔。本当に、天使のような顔をした悪魔のような少女だ。
「まあまあ、そんな怖い顔をしないで」
「誰のせいだと思ってるんですか」
溜息を一つ、前に向かって歩を進める。
王宮を飛び出し、国内を旅する許可が出たものの、さすがに数日間は王都に滞在しなければならない。王都の中にも聖女の力を必要とする人々がいるし、今代の聖女の力を見定めたいという王家の意向だ。
そんなわけで俺は今、アーシュラ様が不便をしないよう、王宮を一頻り案内させられている。非常に面倒な役回りだ。
「ローラン様も、少しずつ言葉遣いが雑になってきましたねっ」
「あなたに対して丁寧に接しても、埒が明かないと思ったんですよ」
「うんうん、賢明な判断だっ」
アーシュラ様は楽しそうに笑いながら、俺の頭を撫でつける。小柄な身体で、精一杯背伸びをして。
「……一体何をなさっているんですか?」
「ん? だって、ローランさまはこれからわたし付きの騎士になるんでしょう? 今からしっかり手懐けておかないとなぁって」
どうやら犬扱いされていたらしい。俺は頭をヒョイッと動かし、アーシュラ様の手から逃れる。アーシュラ様はキョトンと目を丸くし、それからふふっとあどけなく笑った。
「ねぇねぇ、ローラン様はお幾つですか?」
「――――今年で19歳だ」
「わぁっ、老け顔ですね! まさかわたしと2歳しか違わないとは」
「老け顔⁉」
あまりにも歯に衣着せぬアーシュラ様の感想に、俺は密かにショックを受けた。自分でも老けている自覚はあったが、面と向かって言われたことは無い。
「アーシュラ様の方こそ、童顔じゃありませんか! とても十七歳には見えませんよ」
「え? 本当ですか? 初めて言われた気がします」
俺とは対照的に、アーシュラ様はなんだか嬉しそうだ。どうやら彼女に嫌味は通じないらしい。
コホンと咳ばらいをしつつ、俺は居住まいを正した。
「ところでアーシュラ様、あなた、本当に国内を旅して回る気がおありですか?」
「…………えぇ?」
俺の問いかけに、アーシュラ様はそっと明後日の方向を向く。やっぱりか、と思いつつ、俺は盛大なため息を吐いた。
「言っておきますけど、逃げようったって無理ですよ? 王宮への報告は毎日欠かさず行いますし。こっそり家に逃げ帰って、これまで通りに暮らすなんてことはまかり通りません」
「――――――――――わかってるわよぅ」
そう口にしつつ、アーシュラ様はぷぅっと頬を膨らませる。
(いや、絶対分かってない)
腹立たしい――――そう思っている筈なのに、妙に可愛く見えるのが癪だ。俺は思わずアーシュラ様の両頬を軽く摘まんだ。
「いひゃぃ……いひゃぃです、ローランしゃま」
「うるさい。少しは反省しろ」
「えーーーー? はんせいっていったいなにを――――」
「こら、ローラン。そんなことをしたら聖女殿に失礼だろう?」
背後から聞こえた声音に、俺は急いで振り返る。そこには、眩い笑みを浮かべた王太子殿下が佇んでいた。
頬から手を放してすぐに、アーシュラ様は俺の袖をクイッと引っ張る。身体がグッと引寄せられて、驚きの余り、ほんの少しだけ心臓が跳ねた。
『ローランさま、あの方なんてお名前でしたっけ?』
声を潜め、アーシュラ様はそんなことを尋ねる。先程紹介があったはずだが、もう忘れてしまったらしい。
『アレクサンダー王太子殿下だ。粗相はしないでくださいよ?』
囁き声でそう返すと、アーシュラ様は心得た、といったようにコクリと頷く。不安だ。物凄く不安。けれど、俺には見守ることしかできない。静かに一歩後ろへと下がった。
「聖女殿、先程はありがとうございました」
殿下はアーシュラ様の前まで歩み寄ると、うっとりと目を細める。
(近い近い)
二人の距離はほんの数センチほど。殿下は今にもアーシュラ様の手を握りそうな様相だ。見ているこちらの方がドギマギしてしまう。
「こちらこそ、ありがとうございます。初めての謁見で失礼をしたのではないかと、密かに心配しておりました」
そう返しつつ、アーシュラ様はさり気なく一歩下がった。殿下との物理的距離がほんの少し確保出来て、ほっとする。完全に保護者気分だ。
「とんでもない。堂々とした佇まい、御見それしました。しかし、あんな短時間ではちっとも話し足らない。その上、数日後にはあなたは旅立ってしまわれます。どうでしょう? これから俺と一緒にお茶でも」
殿下はそう言って、アーシュラ様の手を握った。外面の良いアーシュラ様のこと。きっと、嫋やかな天使のような笑みを浮かべているに違いない。
けれど、殿下に握られていない方の手は、俺の騎士装束をグイグイ引っ張っている。殿下とお茶をするのは嫌らしい。『諦めろ』という気持ちを込めて、俺はその手を退けたが、それでも追いすがって来た。
(アーシュラ様ならご自分で何とかできそうだが)
十七歳という年齢の割に、アーシュラ様は処世術に長けている。先程殿下も口にしていたが、堂々とした受け答えや絶妙な距離の取り方。本当に平民だったか不思議な程だ。
けれど、今回は知り合ったばかりの王太子殿下が相手だから分が悪い。アーシュラ様自身で断ると角が立つのも確かだ。俺はこっそりとため息を吐いた。
「殿下――――恐れながらアーシュラ様は、長旅の疲れが出ていらっしゃいます。さすがに今から、殿下のお相手をするのは難しいかと」
このままではきっと埒が明かない。そう思った俺は、殿下が不快にならない程度に助け舟を出す。世話役を仰せつかった以上、面倒でも腹を括るしかない。
「そうか? リラックスできると評判の茶に、美味い菓子を用意させるんだが」
とはいえ、殿下も簡単には引き下がらなかった。絶妙に断りづらい提案を加え、再度アーシュラ様に微笑みかける。
「……申し訳ございません。何分不慣れなもので……せめて少しなりと礼儀作法を学んでから、と思っております。殿下にご不快な思いをさせたくありませんし、万が一にも嫌われてしまったら、わたくし……わたくし…………」
そう言ってアーシュラ様は、ペリドットのような瞳をうるうる潤ませる。気のある様なセリフに態度。こういうものに男は弱い。
(まぁ、俺は本性を知っているから騙されないけど)
殿下はすっかり気を良くしたようで「じゃあ明日」と次なる約束を取り付ける。アーシュラ様も完全に断れないことは分かっているので承諾していた。
「では聖女殿、また明日」
殿下はそう言って、アーシュラ様の手の甲に触れるだけの口付けをする。青い瞳が獲物を見つけた肉食獣が如く、ギラギラと輝いていた。
(何だかなぁ)
たった数分のやり取りだというのに、気疲れがすごい。殿下がアーシュラ様に迫る度、こんな応酬をしなければならないのだろうか。本当に先が思い遣られる。
「……ローラン様、わたし、あの人苦手です」
殿下の後姿を見送りつつ、アーシュラ様がポツリと漏らす。
「おい、誰が聞いているか分からないんだぞ」
「そりゃぁ分かってますけど。でもでも、ああいうキラキラしい人は一緒に居て疲れます」
「…………アーシュラ様も、見た目だけはそんな感じですけどね」
俺の言葉にアーシュラ様はキョトンと目を丸くする。それから、クスクスと楽しそうに笑い声を上げた。
殿下に向けていた作り笑いとは違う、自然な笑み。邪気のない可憐な姿は、まるで妖精のようだ。いつもそうやっていればいいのにと思わずにはいられない。
「因みにわたしは、ローラン様と一緒に居ると、すっごく落ち着きます」
「――――それ、どういう意味ですか?」
「えぇーー? そのまんまの意味ですよっ」
悪戯っぽい笑みを浮かべ、アーシュラ様は俺の真っ黒な髪の毛を撫でつける。
(……どうせ俺はキラキラしてないですよ)
心の中で憎まれ口を叩きながら、俺は小さく笑うのだった。