聖女、君子でございます
「ローラン様! 早く! 早く来てくださいっ!」
色とりどりの花が咲き乱れる丘の上、アーシュラ様が微笑みながら俺を呼ぶ。
「全く……そんなに走ると転びますよ?」
「大丈夫ですっ! 怪我しても自分で治せますから」
アーシュラ様はそう言って、満面の笑みを浮かべる。何だかんだ言って、祖国に帰ってこれたことが嬉しいのだろう。アーシュラ様は楽しそうだ。
つい先程まで、草すら生えぬ荒れ果てた地であった我が国との国境。それが今や緑あふれるオアシスへと早変わりしている。
アーシュラ様を中心にして、見る見るうちに草花が広がっていく様は、あまりにも神々しく、美しかった。雲一つない晴天に心地よい風。太陽の光がアーシュラ様目掛けて降り注ぐ。神様の祝福――――そんな風に俺には見えた。
「聖女っていうのは本当に……すごい存在ですね」
そんな特別な女性を妻にしようとしている俺は、ともすれば神の怒りを買いかねない。そう思うと少しだけ――――ほんの少しだけ、怖かったりする。
「えへへ……そうでしょ? だからこそ、ローラン様の役割はとっても重要なんですよっ」
アーシュラ様はそう言って俺の手をギュッと握る。笑顔の威力が凄まじい。可愛い。可愛くて堪らない。俺は密かに胸を高鳴らせた。
「一説によると、聖女は幸せであればあるほど、その力を発揮できるし、信じられないような奇跡を起こせるものなんですって! つまり、ローラン様がわたしを幸せにしてくれたら、その分人助けができて、みーーんなハッピーになれるって寸法なんです!」
「それは……本当に責任重大ですね」
答えながら俺は、アーシュラ様の左手にそっと唇を落とす。薬指には鮮やかな青色をした宝石が光輝いている。ブルーダイヤのエンゲージリングだ。
以前アーシュラ様に贈ったイヤリングの色味に近い。どうしてこの色が良いか尋ねたら『俺の瞳の色だから』と即答された。胸がむず痒かった。
「必ず、幸せにします」
決意を新たに、そう口にすると、アーシュラ様は破顔する。
「今も、めっちゃくちゃ幸せですよっ」
胸が温かくなった。
俺たちはこれから、アスベナガルの王都――――城へと向かうことになっている。アーシュラ様の転移魔法は使わない。徒歩や馬でのんびり向かうことになっている。その方が、アスベナガルの土地を浄化するのに都合が良いからだ。
この国の元王太子であり、アーシュラ様の元婚約者は、後方から俺の部下たちが護送している。アーシュラ様の強い希望によるものだ。
『だってだって、ローラン様との大事な婚前旅行ですもの』
そう言ってアーシュラ様は朗らかに笑う。邪魔者は視界に入れたくない、ということらしい。激しく同感だった。
「ローラン様、もしかして緊張してます?」
すると、揶揄するような瞳で、アーシュラ様が俺を見上げてきた。表情も仕草も無駄に可愛い。俺は小さく首を横に振った。
「大丈夫です。ちゃんと、心の準備はしてきました」
そう答えつつ、俺はアーシュラ様の手をギュッと握る。
アスベナガルには、アーシュラ様の両親がいる。元王太子を城へ送り届けた後、俺たちはアーシュラ様の両親に会いに行く予定だ。婚約の報告をするためである。
本当は身体中が心臓になったのではないかというぐらい、緊張していた。精一杯の強がりだけど、たまには俺もアーシュラ様に格好いいって思われたい。必死で平常心を装っていた。
「大丈夫ですよ。二度と会えないと思っていた娘が、こんな素敵な婚約者を連れて戻って来たんですものっ! 父も母も絶対絶対喜びます。わたしもすっごく嬉しいです。本当に本当に嬉しいです」
結局、アーシュラ様には全部お見通しだったらしい。全然、格好つけさせてくれない。
けれど、本当に楽しそうな、嬉しそうな表情で笑うから、自分の緊張や体面なんてどうでも良くなってしまう。触れたくて、思わず頬に唇を寄せると、アーシュラ様は「唇が良いです」と言って俺の首に手を回した。
チュッと音を立てて唇が触れ合う。無我夢中で俺を求めるアーシュラ様に、底知れぬ幸福感が込み上げてくる。
柔らかなシルバーピンクの髪の毛も、宝石のように美しい瞳も、柔らかなこの唇も、全部全部俺のものだ。俺だけが触れることを許されている。
「ローラン様」
「ん?」
アーシュラ様は頬を真っ赤に染め、切なげに俺のことを呼んだ。恥ずかしそうに、俺の胸に顔を埋め、猫のようにスリスリと擦り寄る。本当に愛しくて堪らない。一生大切にしようと心に誓う。
だけど、次にアーシュラ様から飛び出したのは、全く思いもよらない言葉だった。
「実はお金がっ……! 至急、お金が必要なんですっ。アスベナガルでも、金持ち相手にたくさん稼いで、早くお金を貯めましょう! ねっ!」
「……はぁ⁉」
アーシュラ様は手のひらをワキワキと動かし、切実な表情で俺を見上げている。
「―――――全く、今度は一体どうしたんですか?」
言いながら自然と笑みが漏れた。
アーシュラ様が突拍子がない方なのはいつものこと。旅の資金は十分にあるし、彼女の意図がそこにないことは明白である。
ポンポン頭を撫でてやると、アーシュラ様は頬を染め、わずかに唇を尖らせた。幼子のような、妖艶な大人の女性のような、なんとも言えない表情が俺を惑わせる。それを心地良いと感じているあたり、俺は相当彼女に毒されている。末期だ。
「だってわたし……早くローラン様の赤ちゃんが産みたいんだもんっ!」
アーシュラ様はそう言って、今にも泣きそうな表情で俺のことを抱き締めた。あまりの衝撃発言に、リアルに心臓が止まりかける。身体中の血液が一気に沸騰した。
「なっ……なっ…………! 何を言い出すかと思えば!」
俺は情けないほどに狼狽えていた。これまで、アーシュラ様のありとあらゆる発言に振り回されてきた俺だが、今回の発言はずば抜けている。ヤバい。何がヤバいって、俺の理性が一番ヤバい。今が昼間で、野外で、少し離れた場所に部下が居てくれて、良かった。そう心から思わずにはいられない。
「大体、どうやったら今の発言から、『お金が必要』って話に繋がるんですか?」
心臓が恐ろしいぐらいに早鐘を打っている。正直今は、俺から少し離れてほしい。けれど、アーシュラ様はこれでもかという程、俺のことをキツく抱き締めなおした。
「だって、早くお金を貯めないと、ゆっくり子育てできないんだもの」
そう言ってアーシュラ様は、片手だけを俺から離し、ごそごそとカバンを漁った。出てきたのは、領主たちから貰った宝石のなれの果て――――金貨が入った麻袋だ。売り払った時にはもっと量が多かったはずなので、いくらか預けてきたのかもしれない。ジャラッと音を立てて中身が鳴った。
「あのね、あのね! わたし、困った人は誰でも無条件に助けてもらえる場所ができたら良いなぁって、ずっと思ってたの。だって、わたしに出来ることは高が知れてるし、困っている原因に根本から向き合って、長期的に支援した方が絶対良いもの! だから、そういう施設を作りたいって、陛下に相談してるんです! 殿下も出資を約束してくれたけど、まだまだ資金が足りないから……」
俺は思わず目を見開いた。アーシュラ様は照れくさそうに笑っている。
(全くこの人は……)
いつも、いつだって、俺の想像の遥か上を行ってしまう。胸が燃えるように熱い。
「本当に……聖女が君子じゃないなんて、一体誰が言ったんでしょうね?」
そんな風にして俺は、過去の自分の発言を皮肉る。
アーシュラ様は紛れもなく聖女だ。そして、聖人君子という言葉の良く似合う、素晴らしい御方だと思う。生涯に渡ってお仕えし、守り、幸せにしたい、唯一無二の女性だ。
「――――何を言ってるんですかっ。わたし程利己的な人間は他にいません! こんなの全部、自分のためですよ? だって、少しぐらいは悠々自適の貴婦人ライフを送りたいじゃないですかっ。ローラン様と思う存分ラブラブしたいし、イチャイチャしたいし、他にもたくさん、やりたいことが……」
愛しさのあまり唇を塞げば、アーシュラ様は嬉しそうに目を細める。俺の頬を両手で挟みこみ、もっともっととキスを強請った。
(本当に、欲張りな人だ)
けれど、そんなアーシュラ様が俺は好きだ。これから先もずっと、今のアーシュラ様のままでいてほしいと、そう思う。
「全部、一緒に叶えましょう」
俺はそう言って、アーシュラ様を抱き締めた。聖女としての夢も、女の子としての夢も、諦める必要なんてない。全部全部、俺と叶えていけば良い。
「はい!」
アーシュラ様の返事が、アスベナガルの空に木霊する。太陽みたいなアーシュラ様の笑顔に、俺は目を細めたのだった。
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