アリエルと名乗る者
「ア、アリエル………………って誰?」
「誰とは失礼ね、誰とは!!」
突然の少女の登場にまだ頭の追いついていないエドワードは、頭の中で多くの疑問が飛び交っていた。
エドワードの知り合いに、こんな美少女がいた記憶はない。
ましてや、彼がいたのはダンジョンの中の見知らぬ穴の奥底だ。
そんなところに彼以外の人間などいるはずがなかった。
「あなたの方から使役しておいて、誰か聞くなんて使役者失格よ!!」
「え、使役した? 僕が?」
「ええ」
頬を膨らませて怒っている少女。
年齢はエドワードと同じくらいだろう。
幼さの残る顔立ちには人を引き寄せるようなかわいらしさがあった。
街を歩けば、少なからずの人々が振り返るレベルの美少女であるだろう。
白いワンピースに、クリーム色の長髪を携えた少女の中で、一点だけ赤く染まった頬が目立っている。
彼女の顔をじっと見つめたとしても、エドワードにはこんな美少女と出会ったような記憶がない。
ましてや、アリエルはエドワードが自分のことを「使役した」と言っていた。
エドワードの記憶がさらに混乱していく。
気を失う前、確かに彼は魔物を使役しようとしていた。
初めて行う使役の儀式に戸惑いながらも、何とか使役に挑戦できた記念すべき相棒。
しかし、その相棒となるべき魔物はもっと丸っこい生き物だったはず……
「そ、そうだよ。僕が使役しようとしたのはスライムだったはずだよ。君みたいなかわいい子を使役してないよ」
「か、かわいい……!」
アリエルはエドワードが言った否定の言葉には気を向けず、ただ自分に放たれた「かわいい」というワードだけに反応した。
それまで膨らませていた彼女の顔が、急激にほころんでいく。
「あらエドワードちゃん、あなたどんくさいのかと思っていたけど、ちゃんと見る目はあるんじゃない!」
「ちょ、やめて……痛いって」
アリエルは嫌がるエドワードを無視して彼の肩を嬉しそうに叩く。
ここまでエドワードのペースで一切話は進んでいない。
全て、お調子者で気まぐれに動いているアリエルに、エドワードは完全に引っ張られていた。
「そ、それで、君は本当にいったい誰なんだ?」
「だから、さっきから言っているでしょ。私は、あなたが使役したスライムよ」
「ええ……そんなわけ」
「あるのよ、これが」
自信満々でエドワードに言いきるアリエルは、困惑する彼の姿を見てすっかり楽しんでいた。
エドワードが見せる行動の1つ1つには、ついからかいたくなってしまう何かがちりばめられていた。
「証拠を見せてあげる」
すっかりエドワードをからかったところで、アリエルは自分の発言の証拠を見せるために動く。
アリエルは一度目を閉じると、その純白な体から青白い光を身にまとった。
真っ暗だった穴底が、彼女のまとう光によって包まれていく。
やっと暗闇に慣れてきていたエドワードの目は、彼女の放つ光によって再びくらんでしまう。
そうして、もう一度彼が目を開いた時、そこにはすっかりなじみのあるスライムが目の前にちょこんと居座っていた。
彼の足元に引っ付いているその丸っこい生き物は、間違いなく彼が使役しようと手を伸ばしたあのスライムだった。
「本当にスライムだ……」
「どう? これで信じる気になった?」
「え?!」
目の前に再び現れたスライムの姿に感動していたエドワードだったが、その感動をさらに上回る衝撃が彼を襲う。
さっきまで「もきゅ」としか鳴くことがなかったスライムの身体から、突如としてアリエルの声がした。
スライムの持つちいさな口から、何のためらいもなく彼女の声が発せられるその光景は違和感でしかなかった。
「スライムが、しゃべった……」
「そりゃ、姿だけ変えているだけなんだからしゃべることくらいできるわよ」
そんなこと聞かないでよ、と言わんばかりにスライム姿のアリエルはため息をつく。
その生意気さが少女の姿をしている彼女と全く同じだったため、エドワードはこれがアリエルなのだと信じざるをえなかった。
「わかったよ、信じるよ」
「それはよかった!」
すっかりあきらめ気味のエドワードをしり目に、アリエルは再び元の少女の姿に戻る。
「このままエドワードが信じてくれなかったら、強硬手段に出も出なきゃいけなかったわ」
「物騒なこと言わないでよ……ってか、どうして僕の名前知っているんだよ」
「なんでって、そりゃあ私は”天使”だからね。人間のことなんて丸わかりよ」
「天使?」
またまたトンデモ情報がエドワードの頭を攻撃する。
しかし、彼もさすがにあまり驚かなくなってきていた。
これまで彼を襲った様々な衝撃事実のせいで、軽い耐性が付いてしまっていたのだ。
それに、目の前がいともたやすくスライムなんかに姿を変えてしまっているのを見ていて、なんとなくアリエルが自分と同じ人間ではないことは察していた。
それにしても、まさか天使だと言われるとは彼も予想していなかったようだが。
「ええ、天使よ。見て驚きなさい!」
またもやどや顔で掛け声を上げたアリエルは今度は少女の姿のまま変身を開始した。
変身と言っても、スライムに変わった時のような大掛かりなものではない。
真っ白なそのワンピ―スの背中から、同じく純白に包まれた翼を生やして見せたのだった。
アリエルの背中から両翼が現れると同時に、彼女の頭の上に小さな輪っかが浮かび上がる。
その姿は誰がどう見ても、天使と言わざるを得ない輝かしさを持っていた。
「どう?」
「……きれい」
「でしょう?」
本来の天使の姿を見せたアリエルは、今度はエドワードの言葉に興奮することもなく、ただ優しく微笑み返しただけだった。
その笑顔には一種の慈愛がこもっていた。
見る誰もを優しく包み込んでしまうような優しさが、今の彼女からは満ち溢れていた。
その輝きはエドワードにとっては始めて見る光景だった。
アリエルの放つ美しさに、彼はこれまでの彼女への疑問も忘れて見入ってしまっていた。
「天使なんて初めて見たよ」
「まあ、そうでしょうね。そう気軽に地上に降りてくるわけでもないからね。特に、このミレノリアの大陸は天使との関わりはあまりないからね。天使の姿を見る人間なんてそういないわよ」
エドワードはあまり天使という存在について教わってこなかった。
彼が平民ということもあったが、彼が住むミレノリア大陸全体で天使に対して深くかかわろうとしない風土があるのだ。
彼自身、そう言う雰囲気は感じていたものの理由や詳しいことは聞かされていなかった。
ゆえに、彼にとって天使という存在はほとんど未知に近い存在といって差し支えなかった。
アリエルは、ある程度エドワードに天使の姿を見せると、急ぐように翼と輪っかを引っ込めて元の少女の姿に戻ってしまった。
彼女の姿がもとに戻ると、あたりには再び闇が覆いつくした。
「その姿のままずっといるわけじゃないんだね」
「本当ならそうしたいんだけどね」
「?」
一瞬だけ彼女の表情がこわばるのを、エドワードの目は見逃さなかった。
ずっと明るく振舞っていた彼女が見せた一瞬の変化は、何かの違和感を彼に与えるには十分だった。
「……何かあったの?」
「まあ、ちょっと、天界でごたごたに巻き込まれちゃってね、こっちまで来て身を隠していたの」
「追われているってこと?」
アリエルは黙ってうなずいていた。
彼女曰く、天使たちは普段、人間たちが住んでいる地上とは別の天界で生活をしているらしい。
アリエルはその中でもめ事からこの地上に避難してきたようだ。
天使との交流がないミレノリア大陸の中なら、天使たちから身を隠すにはもってこいだったという訳だ。
他の天使たちに見つからないように、わざわざスライムの姿に変装してこれからどう動いていくかを対策を講じていたようだ。
「それで、スライムに変身していたのか」
「そう。こんなスライムの姿ならまず敵意を持たれることもないしね」
「まあ、確かに」
「誰も、まさか最強天使ちゃんであるアリエル様がスライムの姿に変装しているなんて思わないしね!」
アリエルに再び元気が戻っていく。
もう先ほどまでの鬱蒼とした表情はどこかへと消え去っていた。
「そして、エドワード君!」
「は、はい」
「君はそんな最強の天使であるこのアリエル様を、何とあろうことか使役することに成功してしまったの! これは、人類史上かつてない歴史的事件なのよ!!」
「そ、それってすごいことなの?」
突然指をさされて謎の宣言をされたエドワード。
しかし、アリエルに歴史的大事件と言われても、彼にはあまり実感はなかった。
彼がしたことといえば、使役者になるための試練としてスライムを使役しただけだ。
魔力を吸われたものの、他の魔物との戦闘に比べたらあっけなく成功してしまったといっていい。
そんなすごいことをしたという自覚が彼の中にはまだ芽生えていなかった。
「あたりまえよ! 天使を使役することができた人間なんて、あとにも先にも探してもあなただけよ。そもそも、私を使役しようとしてまだピンピンと話ができている時点で、あなたの魔力量は化け物みたいなものなのよ」
「それ、本当なの?」
「そもそも、天使と人間の関係っていうのは本来逆なものなの。天使は非力な人間に知恵と力を分け与える代わりに、その人間を使役することができる契約を結ぶの。それくらい、人間と天使なんて力がかけ離れているものなの」
「スライムの使役とは違うの?」
「スライムなんかと一緒にしないでよ!! あんなの、あんたの魔力があれば数百匹は軽く使役できるわよ」
「そ、そうなのか」
アリエルの半ギレ気味の褒めちぎりを受けながら、エドワードは自分の魔力量を考えてみた。
アキ先生からもいつも「あなたの魔力量は計り知れない」と言われてきたエドワード。
しかし、それは平民である自分を慰めてくれる言葉なのだと、エドワードは勝手に解釈していた。
せいぜい、クリスたちに比べたら少しはあるくらいのそれくらいのものだろうと自分で限界を決めていた。
しかし、もし、アリエルが言っていることが本当なのだとすれば、自分の中には……
「あなたには才能があるわ」
「才能?」
「ええ。私と一緒に世界最強になる才能がね!」
「はあ?」
話はエドワードが追い付けない速度で、アリエルによって引っ張られていた。
突如として彼の前に吹っ掛けられた「世界最強」の言葉に、ついに彼の頭はパンクしかけた。
「どうして、世界最強なんてことになるんだよ!」
「だって、最強のアリエル様とその天使すらも使役できる最強の器であるあなたが組めば、最強以外に道はないでしょう」
「アリエルは身を隠していたんじゃないの?」
「エドワードという最強の主を見つけたのよ。もう身を隠し続けているのはもうやめよ!」
「そんな、無茶苦茶な……」
突拍子のなさすぎる話の連続に、エドワードはこれが正しいのではないかと考え始めてた。
すこしでも、心配そうな表情を浮かべていたアリエルに同情しかけていた自分を恨んでいた。
終始引っ張られ続けるエドワードの手を、アリエルは慈愛に満ちた表情でそっと包み込む。
「エドワード、これからは病めるときも、健やかなるときも私があなたに力を貸してあげる。あなたの唯一の相棒としてね」
「なんでだろう、全然嬉しくない」
「あなたと私は運命によって導かれたのよ。私たちは出会うべくして出会ったのよ。天使の私が言うのだから間違いない」
「それ、自分で言っちゃったら一番胡散臭い奴だからね?」
すっかりアリエルのペースで相棒の関係になってしまったエドワード。
彼の手を包むこむ形で、アリエルの手が優しく握りしめてくれている。
その手のぬくもりは、彼がスライムを膝の上に乗せた時のぬくもりと全く同じものだった。
兄弟子たちから嵌められて、絶望の淵に居た彼を救ってくれた一匹のスライム。
そこに迷い込んでいたはぐれもののスライムに、彼は何か自分と似たものを感じていた。
それだからだろう、最弱と言われているスライムであっても彼は自然と相棒にしたいと思えたのだ。
アリエルの言う通り、この出会いが運命だというのであれば納得できないこともない。
「どっちにしろ、丸腰で帰るわけにはいかないんでしょう? 私がいなきゃ、ね?」
「う~~、卑怯だぞ」
「安心して。気絶してからそんなに時間は経っていないわ。穴の向こうから誰かが帰って来る気配もなかった。今から戻れば、全然一番でゴールよ」
「本当!!」
「ええ。私の力を使えば、ね?」
アリエルのどや顔にエドワードは思わずため息が出る。
かわいらしかったスライムの相棒は、すっかり生意気な少女へと姿替わりしてしまった。
これから、どれだけ彼女に振り回されるのだろう。
他のどんな使役者も陥らなかった悩みに、彼は1人立ち向かおうとしているのだ。
しかし、それが嫌ではない自分も彼の中にいることも、また確かなのだが……
「さあ、乗りなさいわが主!! 私の力でこんな穴の中なんて一瞬で脱出よ!!」
「こういう時だけ調子がいいんだから」
エドワードはアリエルに促されるままに背中に乗る。
アリエルはとんと足を浮かせて、エドワードもろとも元来た道へと浮かび上がる。
彼女ほどのちからがあれば、翼などなくても飛び上がることはできるらしい。
「一気に飛ぶから、落ちないでね!」
「そんな、無茶苦茶なって、うわああああああああああああああ!!」
アリエルの警告そのまま地上へ向かって飛び上がった二人。
「……やっぱり、あなたの体は温かいわね」
はにかみながらもつぶやいたアリエルの言葉は、エドワードの耳に届くことなく、優しく地価の底へと残されていくのだった。
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