かき氷
トモカは父と一緒に水族館に行って、その帰りに食べるかき氷が好きだった。
父はなんでも知っていて、聞けばなんでも答えてくれた。
水族館では、飼育係よりも詳しくて、魚の名前から生態まで説明してくれる。
けれども、ある日を境にトモカは父と一緒にいるのが嫌になった。
水族館に行くのも、一緒にかき氷を食べるのも断った。
きっかけは、街で偶然に会った同級生の言葉。
「トモカちゃんのお父さん?お爺ちゃんだよね?だって、白髪もいっぱいあるし」
「こら。ユキ!何言って。すみません。うちの子が」
「いえいえ、よく言われますから。さあ、トモカ行こうか」
その日から、トモカはなんだか父と一緒に出掛けるのが嫌になったのだ。
誘いを断るようになったトモカに対して、父は寂しそうに笑ったけど、それだけだった。
実際トモカの父は同級生の親よりかなり年上で、孫がいてもおかしくない年齢だった。
母は他のお母さんと同年代の30代の36歳。父は50歳。かなり年が離れた夫婦で、トモカが生まれる前は兄妹に間違われたこともあったようだ。
「トモカ。どうして最近誘いを断るの?お父さんが他のお父さんよりも年上だから?」
見かねた母が聞いてきたが、トモカは答えなかった。
「他人の事なんて気にしないの。今度はお父さんと一緒に出掛けなさいね」
母にそう諭されたが、トモカはやはり誘いを断って、父もいつの間にか誘わなくなった。
そうして中学生になり、ますます父と距離を置く様になってしまった。
☆
「トモカちゃんのお父さんって、槇野タケルっていう名前?」
「そ、そうだけど……」
小学校から一緒だったこともあって、中学生になってから立花ユキとよく話すことがあった。サワコは姉がいるせいか、中学生なのに先生にばれないくらいの薄い化粧をしている。香水みたいのも付けてるみたいで、花の香りがよくした。
成長もトモカよりも早くて、背も160センチをすでに超えていて、胸も大人のように大きかった。
「うちのお姉ちゃんの上司がタケルさんなんだって」
「タケルさん?!」
父がそんな風に呼ばれて、トモカは驚いてしまった。
「写真見せてもらったけど、タケルさんカッコいいよね」
「カッコいい?!」
二年前にはお爺ちゃんみたいと言っていたくせにと、トモカは少し苛立って返してしまった。
そんな彼女の様子に気が付かないようで、ユキは一人で話し続けている。
「お姉ちゃんがさあ。変な人に絡まれていたら助けてくれたのがタケルさんみたいで、いつも話してくれるの。写真みたら、大人の男性って感じで素敵だった。いいなあ。トモカちゃんは。うちのお父さんなんて太鼓腹だし、背は低いし、全然だめだよ」
夢見がちに話されて、彼女はその日は唖然としていて、授業どころじゃなかった。
☆
トモカの父は、管理職なのだが、残業ほとんどすることはない。月曜日から金曜日まで午後6時ごろには家に戻ってくる。
塾に通い始めたトモカのほうが帰りが遅くなる時もあるくらいだ。
塾は週に二回。
今日もそうで、塾の前で待っていると迎えがくる。車を運転しているのは母ではなく、父で驚いてしまった。
「ごめんな。今日は、母さんが体調が悪かったんだ。だから父さんが代わりに来た」
「別に謝んなくてもいいから」
思わずぶっきらぼうに答えてしまって、トモカは助手席に乗り込みシートベルト締めた。
車内で会話はない。
「トモカの好きな歌に変えようか?」
黙っている彼女に父がおずおずと聞いてくる。
車内で流れる曲は、昔の曲だ。
彼女が生まれる前に流行ったJポップ。
「いいよ。私はスマホで遊ぶから」
またしてもトモカはとがった物言いをしてしまい、少しだけ反省して父の顔を窺う。すると一瞬眉を下げて、悲しい顔をしているのが見えた。
(ごめんなさい)
トモカはいつもそう思ってしまうのだけど、その言葉が彼女の口から出ることはなかった。
イヤフォンを耳に当てて、スマホにダウンロードした曲を聞く。
曲を聞いているうちに、夢中になって、気が付けば自宅に到着していた。
☆
「今日はコンビニの弁当で悪いな」
「いいよ。別に」
母は風邪を引いており、部屋で寝ている。
仕事帰りで時間もないので、コンビニで弁当を買ってきたみたいだ。
「母さんから、このお弁当が好きだって聞いたから」
父が温めて持ってきた弁当は、チーズハンバーグ弁当だった。
「ありがとう」
お礼をいうと父が目を細めて笑い、トモカは驚いてしまった。
そして同時にそんな父を凝視する。
髪の毛は真っ白になってしまったが、顔立ちは渋い。笑うとその渋さに優しさが加わる。
「どうした?食べたくないのか?だったら、別の」
「そうじゃないから。食べる」
(お父さんは、カッコよかったんだ)
久々にじっくり父の顔を見てそんなことを思ってしまったが、口に出せるわけがなくトモカは無言で弁当を食べ始めた。
☆
二年前、ユキに父がお爺ちゃんみたいだと言われ、トモカは恥ずかしくなって父と出かけるのを止めてしまった。そうして今日、ユキに今度は父がカッコイイと言われ、そう思ってしまう。
そんな自分が嫌で、ベッドに横になっても、トモカはなかなか眠れなかった。
「……トモカ。寝た?」
「お、お母さん?!」
ノックをされて扉の向こうから声をかけてきたのは母だった。
「大丈夫なの?」
母が風邪を引いていたことなどすっかり忘れていた自分に罪悪感を覚えながらも、トモカは慌てて扉を開ける。
「うん。薬飲んで寝たら大分よくなった。でも弁当はつくれないから、ほらお金」
「あ、ありがとう」
寝起きだから当然なのだが、母の髪はぼさぼさで、唇がカサカサに乾いていた。
(まだ、全然大丈夫じゃない)
「お、お母さん。明日も私コンビニのお弁当でいいから。作らなくてもいいからね」
「え?いいの?本当に?」
「うん。お父さんが買ってくれたチーズハンバーグ弁当美味しいかったし」
「ああ。父さんも喜んでいたよ。ありがとうって言ってくれたって」
「……当然だもん」
「当然ね。あんた、最近父さんにお礼言ったことなかったでしょう?」
「……ごめんなさい」
「まあ、いいわ。ごめん。明日もゆっくりさせて。明後日からは頑張るから」
「うん」
母はくるりと背を向けると、寝室へ戻っていく。
私は貰った千円札を財布に入れると、再びベッドに横になった。
「……お父さん、喜んでいたんんだ。ちゃんと言わないと」
(そういえばお父さんが笑った顔久しぶりに見たかも。うん。ユキちゃんが言うようにカッコイイ)
眠らないと唸っていたのが嘘のように、トモカはいつの間にか眠りに落ちていた。
☆
翌日の朝食は父さんが作ってくれた。
トーストとハムとスクランブルエッグ。
「お父さん、時間は大丈夫なの?」
いつもこの時間には父の姿は家にはない。
なので心配して聞いてしまった。
「大丈夫。今日は会社を休むことにしたんだ。ちょっと母さんが心配だからな」
「そう」
「お弁当は作れなかったけど、夕飯は作るからな」
「無理しなくていいよ」
「実は父さんは料理が得意なんだ。結婚してから全くしてなかったが、母さんも美味しいって食べてくれてたんだぞ」
「そうなんだ。じゃあ、学校行ってくる」
自慢げに語る父にトモカはあっさりと答える。
本当はもっと驚いたりしたいのだが、父の前だとどうも素直になれなかった。
(二年前のことも謝りたいのに。ユキちゃんに言われたから、お父さんと出かけたくなくなったなんて最低だ。お父さんは何度も誘ってくれたのに)
「いってらっしゃい」
「うん。行ってきます」
不愛想なトモカに対しても父は笑顔で彼女を送り出す。
謝れない自分がもどかしくイライラしてしまう。
けれども、結局普通に挨拶をして学校に向かった。
☆
「トモカちゃん!お母さん病気なんだって?」
学校に来ると挨拶もそこそこにユキにそう聞かれ、トモカは目を見開く。
「なんで、知ってるの?」
「ほら、タケルさん。会社を休んだんでしょ。トモカちゃんのお母さんが病気で看病したいからって」
「そうだけど……。ユキちゃん。お父さんは確かにタケルって名前だけど、タケルさんって呼ぶのやめてくれない?お母さんのことは、トモカちゃんのお母さんって呼ぶでしょう?だったら、お父さんのこともタケルさんじゃなくて、トモカちゃんのお父さんって呼んでよ」
「……わかった」
口を尖らせて明らかにむっとした表情だったが、ユキはそう答えた。
その日、彼女は声を再びかけてくることはなかった。
その日だけじゃなく、彼女はトモカを無視することが多くなった。
幸い無視をするのはユキだけだったので、寂しい気持ちを覚えながらもトモカは普通に学校に通った。
「ユキちゃん?」
ある時、トモカは塾に行く途中、ユキを見かけた。そうして隣にいたのは父でさらに驚いた。
(なんで?二人でいるの?)
「お父さん!」
トモカは大きな声を出して、父を呼ぶ。
すると気が付いた父が手を振り、彼女は安心した。
「ユキちゃんはトモカの親友だろう?何か相談ごとがあるって聞いたから」
(親友なんかじゃない)
三人は喫茶店に来ていた。
どうやら、二人は喫茶店にいく途中だったようだ。
「でもおかしいよ。なんで」
「ユキちゃんのお姉さんが私の部下なんだよ。それで少しでも時間が空いたら相談に乗ってほしいって言われてね。家に帰る前にちょっと話を聞くことにしたんだ」
「ふーん」
トモカは、ユキに目を向ける。
彼女は悪いことをしたように目を伏せていた。
(絶対に相談とかじゃない)
「で、相談って。もしかしてトモカに言えないことなのか?」
「そ、そんなことはないですけど」
ユキは頬を火照らせても、髪の毛をいじったりして、父を見上げる。
「私は君が娘のトモカを無視していることを知ってる」
「お父さん?!」
(なんで知ってるの?お母さんにも話してないのに)
「トモカ。お母さんから話を聞いて、クラスの子に様子を聞いてみたんだ。いや直接じゃないんだ。その両親の知り合いの知り合いに頼んで」
(そんなネットワークどこから?!)
「娘の事は心配だからね。例え嫌われていてもね」
「嫌いなんかじゃない。ただどうしていいかわからなかったの。二年前にユキちゃんからお父さんがお爺ちゃんみたいだって言われてから……」
「ああ、そんなこともあったね」
父がそう言うと、ユキちゃんの顔が急に青くなり始める。
「怒ってないよ。私は確かに年寄だからね。今年で50歳だし。戦国時代ならとっくに死んでる年齢だよ」
「戦国時代??」
「ほら、織田信長が人生50年って言っていただろう」
トモカは父に説明されて、そうだったかなと記憶を探る。織田信長が誰なのかは知っていたが、その人が言ったことなどは覚えてているわけがなかった。
「タケ……いえ。トモカちゃんのお父さん。織田信長は実際そういう意味で言ったわけではないのですよ。大体、その頃の平均寿命が短いのは戦と乳幼児の死亡率が高いためです。だからその頃人生が50年だったという解釈は間違ってます」
「いうね。ユキちゃん」
「戦国時代は大好きですから」
それから始まり、戸惑うトモカを脇に二人はすっかり戦国時代の話で盛り上がる。
どうしてこんなことになったのかと周りを見渡すと、トモカはかき氷に目を奪われた。
しゃりしゃりに削られた氷の上に練乳ミルクとストロベリーがたっぷりかけられ、それをスプーンでさくさくっと食べている。
「お、お母さん?!」
よく目を凝らしたら、それは母だった。
「え、リエナだって?」
トモカの言葉に反応したのは父で、立ち上がってきょろきょろを店内を見渡す。
「タケルさん。こんなところで浮気かしら?」
「浮気って。娘と娘の友達と話しているだけだろう」
「でも、トモカが合流しないとこのユキちゃんと二人っきりだったのでしょう?」
母はスプーンを持ったまま、父に睨みつけていた。
(えっと、これは)
トモカは状況が把握できず、隣に座るユキはさらに混乱しているようだ。しかも、浮気などと言われたりして顔色が悪い。
「あの……お客様。同じテーブルで話されてはいかがでしょうか?」
店員が見かねてそう言い、母はかき氷をもったまま、父の隣に座る。
「それ美味しそうだね」
「美味しいわよ。でもあげない」
「ひどいな。一緒に食べよう」
トモカとユキの目の前で両親はなんだかいちゃつき始めてしまった。
「……トモカちゃん。ごめんなさい。ずっと無視してて。カケルさん、いや、トモカちゃんのお父さんは素敵な人だけど、トモカちゃんのお父さんだもんね。しかもお母さんもちょっと怖そうだし。これから、また仲良くしてくれる?」
「あ、うん」
少し釈然としない思いも残るがトモカは頷く。
「トモカもユキちゃんもかき氷食べて。ここのお店、タケルさんと初めて会ったお店なの」
すっかり機嫌が直った母はにこにこと二人に声をかける。
自分の親ながら微妙は気持ちになるが、トモカは素直にかき氷を注文することにした。
「ユキちゃんも食べよう。ほら、これプリンがのってるんだよ」
「プリンなんて邪道じゃないの?」
「邪道だよ。是非、この店お勧めの練乳ストロベリーを頼んで」
父にごり押しされ、結局二人はそれを頼むことにした。
かき氷をスプーンですくって、口の中に少しずつ入れる。ほろほろと氷が解けていき、甘さと冷たさが染みる。
「美味しい」
「だろう?」
気持ちがあの時に戻っていく。
父と一緒に水族館に行って、その帰りにかき氷を食べてたあの時。
トモカの中の、父に対するわだかまり。
それは口の中で溶けて消えるかき氷のようになくなっていく。
「お父さん、ごめんなさい」
気が付けばトモカは自然と謝罪の言葉を口にしていた。
「気にしてないから」
父は優しく微笑むと、トモカの頭を撫でた。
(おしまい)




