第5話 避難階段の攻防
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高層マンション内部に設置された避難階段は、地下二階から地上三十階までを貫通する、煙突状の構造となっている。
避難階段を上る、カズワリーの五人は、赤い文字で「8F」と書かれた防火扉の前を通過する。火も煙も確認できず、上階で大惨事が起きている様子は微塵も感じられない。
「こちらサポート班・桂川。無線の状態を確認します。渡隊長、聞こえますか?」
「こちら救助班・渡。声は途切れ途切れだが、とりあえず聞こえる――みんなはどうだ?」
桂川からの無線連絡を受けた清志郎は、他の四人に無線の状態を確認する。
「こちら松山。隊長に同じ。感度良好」
「竹下だ。俺も清志郎と同じだ」
「僕もOKかな……。あっ、菊池です」
「隊長、梅宮です。自分も感度良好です」
現場を知り尽くし、清志郎が絶大な信頼を置く「松さん」ことベテランの松山。清志郎と同じ年齢でプライベートでも親交が深い「タケ」こと竹下。清志郎を兄のように慕う、ゲームオタクの巨漢隊員「キクッチ」こと菊地。そして、真面目を絵に描いたような、入隊一年目の最年少・梅宮――四人から即座に連絡が返ってくる。
「サポート班、了解しました。声が小さかったり途切れ途切れになるのは、機械が古いからです。それについては、任務完了後、担当部署と相談しましょう。では、現在の位置と状況を教えてください」
「避難階段を八階まで上った。今のところ、肉眼で火や煙は確認できねえ。煙の臭いも感じねえ。酸素マスクは未使用だ」
あたりを見回しながら、清志郎は現在の状況を報告する。
「了解しました。では、地元消防からの情報を伝えます。火元は十八階と推定され火は既に十九階まで達しています。二十階の二〇〇四号室に小学生と幼稚園の女子二人がいるとのことです。子供を留守番させて買い物に出掛けた母親からの情報です。他にも取り残されている人がいるかもしれません。救助班は、二十階で二人の身柄を確保するとともに、逃げ遅れた人がいないかどうか確認願います。
地元消防はカズワリーの退路確保のため、十八階と十九階の消火に向かうと言っていますが、火の勢いが増しているため当てになりません。そこで、別に脱出路を確保します。
救助班は、二十二階の東側にある空中庭園へ向かってください。そこに多目的ヘリを着陸させます。川崎の紅林副隊長には連絡済みです。くれぐれも無理はしないようお願いします」
「空中庭園なんて洒落た場所があるのか? さすがは、超のつく高級マンションだ。桂川さん、段取り、サンキューな」
努めて明るく答えると、清志郎は、四人の方へ視線を向ける。
「聞いた通りだ。これから俺たちは二十階へ向かう。そこで二人の子供の救出と逃げ遅れた住人の確認を行い、二十二階の空中庭園からメイデンで脱出する。火が勢いを増してるって話だ。急ぐぞ」
清志郎の呼び掛けに、四人から同時に了解の声があがった。
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階段を上るにつれ煙の臭いが強くなっていく。
十七階の防火扉の前では、白い煙が漂っているのが肉眼でも確認できた。温度計の表示も四十度のラインに達しようとしていた。
「全員、酸素マスク着用。耐火シールド確認。上着のファスナーとヘルメットの紐を締めるのを忘れるな」
清志郎は四人の状況を具に確認し、耐火対策を指示する。
「この様子だと十八階と十九階は火の海かもしれねえ。でも、俺たちは何としてでも二十階へ行く。俺たちの助けを待っている子供がいるからな。ここからは、二・二・一でいく。俺と松さんが先導して前方を確認する。タケとキクッチはいつでも援護できるよう消火器と特殊消火剤を準備しておいてくれ。梅宮は後方を確認して何かあればすぐに知らせろ。衛生係も兼ねてもらう。わかったか?」
無線を通して、再び四人の了解の声が聞こえた。
松山の目つきが俄に鋭くなる。竹下と菊池は、消火器と特殊消火剤を手にして感触を確かめる。梅宮は、緊張した面持ちでリュックの中の衛生用品を確認している。
白煙が立ち込める中、五人は、ぼんやりと浮かぶ「17F」の赤色の表示の前を足早に通り過ぎる。
しかし、十八階の防火扉が目に入った瞬間、足が止まった。扉の表面が赤く変色し「18F」の文字が読めない状態だったから。
フロアの火が防火扉を浸食しところどころ穴が開いている。そこから勢いよく吹き出す、赤い炎がカズワリーの行く手を遮る。
「こいつはタフだぜ。松さんの予想、バッチリ的中じゃねえか。ゲーム・フリークのキクッチに言わせれば、このステージの難易度は激辛ってところか?」
清志郎が視線を向けると、菊池は唇を尖らせてうんうんと首を何度も縦に振る。
「ただ、俺たちにクリアできねえステージはねえ。こういうときこそ楽観的に考えるんだ。ここに比べたら十九階や二十階はまだマシってことだ。ここさえクリアすれば、俺たちは目的地にたどり着ける――キクッチ、特殊消火剤だ!」
力強い言葉に鼓舞された菊池が、リュックから大人の握り拳ほどのプラスチック製の球体を二つ取り出す。
特殊消火剤は、消防庁防災技術研究所が数年掛けて開発した、即効性を有する鎮火物質。威力が強力であり人体にも影響を与えるため、使用する環境には細心の注意を払う必要がある。ただ、火に対して防戦一方だった人類が初めて手にした攻撃的設備であり、現在、効果検証のため、カズワリーにて試行運用がなされている。
「みんな、一度しか言わねえからよく聞いてくれ。これから『一・二の・三』で特殊消火剤を扉へ投げつける。そうすれば、火は後退し進路が確保できる。その隙に走り抜けろ。ただ、数秒後には反動が来る。このあたりは火の海になる。もたもたするんじゃねえぞ!」
「清志郎、ちょっと待て! それじゃあ、お前が危ない! もう少し入念な打ち合わせを――」
間髪を容れず、竹下が口を挟む。
「――いくぞ! 一・二の・三!」
竹下の言葉に耳を貸すことなく、清志郎は二つの特殊消火剤を防火扉目掛けて投げつけた。あたりは白い霧に包まれ、噴き出していた炎が嘘のように後退していく。
「こ、このバカ野郎が!」
清志郎に罵声を浴びせながら、竹下が走り出す。その後に三人が続く。
四人が扉の前を通過したのを確認した清志郎は、後を追うように急いで階段を上り始める――が、次の瞬間、非常扉の穴から炎が勢いよく噴き出した。
両腕を顔の前に掲げて、清志郎は必死に炎をガードする。しかし、それを嘲笑うかのように炎が襲い掛かる。
「くそったれ!」
そんな言葉が漏れたとき、火の勢いが再び衰えていく。
「相変わらず、無茶を絵に描いたような男だ」
避難階段の上から松山の柔和な顔が覗く。松山が放った特殊消火剤が、清志郎に襲いかかる炎を間一髪で退けた。
「助かったぜ、松さん!」
清志郎は、小さく手を上げながら再び階段を駆け上がる。
すると、金属が軋むような音とともに焼け爛れた非常扉が崩れ落ち、フロアから夥しい量の炎が噴き出してきた。清志郎の背後から炎混じりの熱風が迫る。
「急げ! 清志郎!」
「わかってるって!」
竹下の声に導かれるように、「19F」と書かれた扉の前を清志郎は必死の形相で駆け抜ける。
「清さん、火が来るよ! 早く、早く!」
「焦らすなよ、キクッチ!」
煙で足元がほとんど見えない中、清志郎は背中に火が燃え移るような感覚を覚えながら必死に走った。そして、迫り来る炎を何とか振り切り、四人がいる二十階の扉の前へと辿り着いた。
「このバカ! 死ぬ気か!? 松さんの援護がなかったら、今頃お前は燃えカスだぜ!」
荒い呼吸をしながら非常扉の前にしゃがみ込む清志郎に、竹下が大声で捲し立てる。
「悪いな、タケ。でも、あの扉はいつ崩れてもおかしくなかった。そうなったら俺たちは前に進めねえ。そうだろ、松さん?」
「確かに。数秒後にはどうなるかわからんかった。ただ、まともな人間なら引き返したよ」
話を振られた松山がいつもの柔和な顔で頷く。
「そいつは言いっこなしだ。結果オーライってことで許してくれよ――こちら救助班・渡だ。サポート班、応答してくれ」
息が整ったのを見計らって、清志郎はサポート班に無線連絡を入れる。
「こちらサポート班・桂川です。何かありましたか?」
「今二十階に到着した。これから逃げ遅れた子供の救出に当たる。十八階のフロアから避難階段に炎が漏れて辺りは火の海だ。地元消防には来ないよう伝えてくれ」
「了解しました。隊長も気をつけてください」
無線連絡を終えた清志郎は、ゆっくり立ち上がると四人の顔に視線をやってニヤリと笑った。
「今度はこっちの番だ。忌々《いまいま》しい炎野郎に見せてやろうぜ。俺たちカズワリーの底力をよ」
つづく