第4話 カズワリー出動
「消防庁特別消防部隊 Cassowary Flight (カズワリー・フライト)」
より迅速で確実な消火・救助活動の実現を目的に設立された、消防庁直轄の特別部隊。その活動は、試行運用と位置付けられ、テリトリーは首都圏限定。約四十名のスタッフのうち、現場に従事する消防士は三十人余り。
様々な状況に的確に対応できるよう、最新の消防技術を駆使した消防機材のほか、多目的ヘリコプター「Heavenly Maiden (ヘブンリー・メイデン)」、海上消防艇「Dea Del Mare (デア・デル・マーレ)」を配備。
自治体単独での対応が困難な事象に対し、自治体からの要請または国からの指示に基づき活動を展開する。
なお、Cassowaryとは、日本語で「ヒクイドリ」を意味する。
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午前中だというのに辺りは夕方のように薄暗く、黒灰色の分厚い雲に覆われた空から白いものが舞い落ちる。
けたたましいサイレンを鳴らしながら、二台の消防車が新宿の副都心を疾走する。ボディにはヒクイドリをデザインしたマークとCassowary Flightの文字。向かっているのは、住居と商業施設が混在する高層ビル群。その一角から真っ黒な煙が立ち上っている。
「この空の色は、天気のせいだけじゃねえってことか?」
銀色のヘルメットの庇を人差し指で突き上げると、清志郎は、訝しそうに鉛色の空を見つめた。
「タフな仕事になる。煙を見ればわかる」
清志郎の問い掛けに答えるように、隣に座る、ロマンスグレーの柔和な顔の男がポツリと呟く。
「洒落にならねえよ。松さんの話はいつも当たるからな。でも、俺はどんな困難に出くわしてもギブアップはしねえ。『諦め』なんて言葉は俺の辞書にはねえからな」
清志郎は、現場の生き字引きのような存在「松山 千尋」に向かって不敵な笑みを浮かべて、右手の親指を突き立てる。
「出た、出た。清志郎の決め台詞。現場が近づくと必ず言うんだよ。この二年間で何千回聞いたかわからないぜ。まっ、いいか。オレも同じようなこと考えてるしな」
「タケ、何千回は多過ぎだろ? 桁を一つ多く言うヤツはいるが、二つ多く言うヤツはお前ぐらいだ。現場では尾ひれをつけて報告するんじゃねえぞ」
同じ年の「竹下 茂」の突っ込みに、清志郎は冗談っぽく返す。
「隊長、今日はメンバーが少なくないですか? 自分たちと二号車の桂川さんと菊池さん。併せて六人ですよね?」
「川崎の現場に常勤者七人と非番の三人が出動してる。現場がダブルブッキングしたのはカズワリー始まって以来だ。ただ、要請を断るわけにはいかねえ。地元消防もいることだし、この戦力でやれるだけのことをやる」
チーム最年少の「梅宮 春樹」に対し、清志郎は笑顔で発破をかける。
すると、緊張した梅宮の顔に薄らと笑みが浮かぶ。
「二号車の二人と合流した後、改めて説明するが、現場は三十階建てのタワーマンションだ。低層階は商業施設、中高層階は住居施設になってる。火元の中層階には、取り残された住民がいるって話だ。
消火は地元消防に任せて俺たちは住民の救出に向かう。と言っても、ハシゴ車は届かねえから火の中に突っ込むことになる。体制は救助班五人とサポート班一人。サポート班は車に残って連絡係をしてもらう。サポート班を希望するヤツはいねえか? 希望者が複数いればジャンケンで決める」
「わしはじっとしているのは性にあわん。いっしょに行く」
「言わずもがなだ。俺はいつでもお前といっしょだぜ」
「隊長、自分も行かせてください。何事も経験ですから」
間髪を容れず、三人は火の中へ飛び込む任務を買って出る。それは、カズワリーが一枚岩として機能していることの表れであり、清志郎がリーダーとして信頼されていることの証しである。
「希望者なしか……。仕方ねえな。俺がサポート班を――」
「――清志郎、そんな選択肢はない」
清志郎の冗談交じりの一言に、竹下が即座に突っ込みを入れる。
小さく笑う松山。笑いを堪える梅宮。車内には子供が遠足に出掛けるときのような、明るい雰囲気が漂う。
不謹慎と思われるかもしれないが、これがカズワリーのカズワリーらしさ。
現場では、メンバーは、死と隣り合わせの危険な環境に身を置く。百戦錬磨の猛者であっても、不安な気持ちがないと言えば嘘になる。
そんな不安な気持ちが大きくなり平常心を失えば、たちまち火の餌食となる。それは学力テストで頭に血が上って実力を発揮できないのと似ている。ただ、テストと違うのは、それが命取りになること。
隊長である清志郎は、メンバーがそんな状況に陥ることのないよう、出動時の雰囲気づくりに気を配っていた。
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火災現場周辺は、野次馬とマスコミでごった返し警察官が交通整理に追われていた。高層ビルの中層階から黒い煙が立ち上り、時折火の粉や煤が風に乗って流れてくる。
一号車を降りた清志郎のもとへ、先に到着した二号車の二人が駆け寄る。
一人は、清志郎よりひと回り年が上で普段から寡黙な「桂川 信二」。もう一人は、清志郎のことを兄のように慕う、アニメオタクの巨漢隊員「菊池 悟朗」。
「渡隊長、私も救助班でお願いします」
「一人がサポートで残るんだって? 僕は清さんと行くからね。留守番は勘弁してよ」
桂川と菊池も、他の三人同様、救助班を希望したため、清志郎の判断により桂川が連絡係として残ることとなった。
「改めて、今回のカズワリーの任務について説明する。現場は三十階立てのタワーマンションの中高層階。短時間でこれだけ火が回ってるところを見ると、火元が複数の可能性もある。早え話が放火だ。エレベーターは落下する危険があって使えねえ。建物の内側に設置された避難階段で中層階へ向かい、逃げ遅れた住人を救出する――こいつを見てくれ」
清志郎は、作業台の上に二枚の図面を広げる。五人の視線が一斉にそこに集まった。
「タワーマンションの図面だ。まず、フロア全体の見取り図だ。非常口の扉は常閉(常時閉鎖型防火戸)を兼ねてる。非常口からフロアに入ると共有の廊下。突き当りがエレベーターホール。各フロアには住居が四つあり、非常口から向かって右側に住居の扉が並ぶ。左側に消火栓があるが、こいつが使えるかどうかで俺たちの活動内容が変わってくる」
清志郎の説明を、五人は現場の様子をイメージしながら聞いている。
「こっちが部屋の間取り図だ。超のつく高級マンションだけあって中はだだっ広い。廊下の幅や天井の高さはまるで高級ホテルのロビーみてえだ。
玄関を入ると長い廊下がある。廊下を挟むように部屋が三つとバス、トイレ、ランドリールーム。廊下の突き当りがリビング・ダイニング。その左側がキッチン。右側がベッドルームだ。
リビング・ダイニングとベッドルームにはそれぞれ独立したベランダがくっついてる。ビルの躯体は鉄筋コンクリート造で耐火構造が施されてる。一時間やそこらで崩れたりすることはねえ。ただ、ベランダはかなり脆い。注意が必要だ」
清志郎は、「わかってるよな?」と言わんばかりに上目づかいに五人の顔を順番に見る。
「それから、俺たちの退路が断たれたときのことを考えて、川崎の現場から多目的ヘリを回してもらうよう要請してある。ただ、多目的ヘリは人気者で、今も現場を忙しく飛び回ってる。片が付き次第こちらに駆けつけてもらう。地元消防のヘリも来るらしいが期待はしねえ方がいい。高層ビルが密集する中、雪混じりのビル風の中を飛べるとは思えねえからな――以上だ。何か質問はあるか?」
清志郎の問い掛けに五人は無言で答える。
清志郎は、小さく頷くと、あたりに響き渡るような、大きな声を挙げた。
「大切なこと! それは生命を救うこと! そして、全員が無事に帰還すること! みんな、行くぞ!」
つづく