第13話 訣別
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プラネタリウムをあとにした、清志郎とシオンは、銀座で遅めのランチを食べた後、歩行者天国を皇居の方へと向かった。
銀座の華やかな街並みにシオンは目を輝かせる。キョロキョロと辺りを見渡し、ショーウインドウの前に立ち止まっては黄色い声を上げる。
「すごい、すごい。江戸とは別世界だ。毎日来ても飽きそうにないよ」
シオンは、興奮した様子で「すごい」という言葉を何度も口にする。東京散策を十二分に堪能しているように見える。
「そんなに東京が気に入ったなら、また戻って来ればいいじゃねえか。いつでも案内してやるよ」
清志郎の本気とも冗談とも取れる言葉に、シオンは困ったような顔をする。
「それは無理だ。一旦過去の世界へ行ったら二度と戻っては来られない。歴史が変われば、あたいはミヅハノメと出会うことはないからね。東京にあたいがいること自体、あり得ないのさ」
「そうだな……。悪かった。変なこと言っちまって」
申し訳なさそうな顔をする清志郎に、シオンは笑顔で首を横に振る。
「謝ることなんかない。そんな風に言ってもらえてうれしいよ。確かに東京は魅力的な街だ。歩いているだけで楽しい気分になる。でもね、あたいは、江戸に戻らないといけないんだ。やり残したことがあるからね」
シオンは、赤ちゃんが乗ったベビーカーの前にしゃがむと、自分の顔を両手で覆って「いないいないばぁ」をする。赤ちゃんは、きゃっきゃっと声をあげてうれしそうに笑う。
シオンには、やり残したことがあった。ずっと成し遂げることを望んできた。ただ、これまで、そのことを一度も口にしたことはなかった。江戸に戻らなければできないことであって「不可能以外の何物でもない」と思っていたから。
しかし、今、シオンは、あえてそのことを口にした。「清志郎がいれば実現できる」と思ったから。
赤ちゃんをあやすシオンを見て、清志郎は思った。「シオンの未来は自分にかかっている」と。それは、大きなプレッシャーであると同時に、清志郎を突き動かす原動力でもあった。
銀座から丸の内のオフィス街を抜け帝国劇場を通り過ぎると、二人の目の前に、皇居を取り囲む、広大な濠が姿を現す。
皇居の正門に差し掛かった辺りで、不意にシオンの足が止まった。
「シオン……?」
清志郎が心配そうに声を掛ける。
しかし、シオンは、上の空といった様子だった。
その思い詰めたような視線の先にあるのは、江戸城の伏見櫓の跡。
シオンは、思い出していた。南城忠興とともに歩んだ、あの頃のことを。そして、自分と仲間を死に追いやった、あの炎のことを。
★★
シオンと忠興との出会いはあくまで偶然であり、シオンが忠興に才能を認められたのも偶然なら、江戸一番の歌姫になれたのもただの偶然。
しかし、偶然は、いくつか重なることで必然となる。
忠興がシオンたちの興行に多大な援助を施したことで、江戸に新たな芸子の文化が誕生した。夢物語と思われた、シオンの構想は現実のものとなる。
シオンにとって、忠興はいくら感謝してもし過ぎることのない存在であり、心から信頼できるパートナー。「お殿様のやることに間違いはない」。いつしか、シオンの中にそんな思いが確固たるものとして根付いていた。
いつか天下を取る――忠興は、そんな野望を抱いていたが、彼が置かれた状況を考えれば、決して手が届かないものではなかった。
シオンと出会ったとき、忠興が「シオンは手駒として使える」と思ったかどうかはわからない。下心があって多大な援助をしたのかどうかもわからない。
ただ、戦における、天賦の才を持ち合わせ、二手三手先を読むことができる忠興であれば、そんな発想を抱いたとしてもおかしくはない。
忠興の目論見は失敗に終わり、野望は夢と消えた。
それは、忠興に対する、幕府の不信感が思った以上に大きく、監視の目を強化することで不穏な動きを事前に察知したから。
宴の場に居合わせた要人のほとんどが影武者であったことに加え、万が一の事態に備えて、幕府は対忠興を想定した軍勢を隠密に配備していた。
大火に乗じた幕府転覆の動きが歴史の表舞台に登場しないのは、その前段で片が付いていたからに他ならない。
シオンは、忠興に利用されたにもかかわらず、恨みや憎しみをほとんど抱いてはいなかった。「お殿様が自分を裏切ることなどあり得ない」。シオンの確固たる思いが、無意識のうちに、恨みや憎しみの感情を抑え込んでいたのかもしれない。
ただ、シオンが忠興の命に従い宴を準備したことが何の罪もない人々を死に至たらしめたのは、紛れもない事実。そのことを考えると、シオンは、いつも、激しい、心の葛藤を抱いた。「歌姫なんかにならなければよかったのではないか」と。
★★★
「清志郎、あたいの歌のせいでたくさんの人が死んだ。あたいの歌は呪われているのかもしれない。でも、あたいはずっと歌い続けた。おかしいだろ?」
シオンの視線が清志郎の方へ向けられる。悲しみを蓄えた、漆黒の瞳が微かに揺れている。
「……そうだな。確かにおかしいよな」
一呼吸間が開いて、清志郎は、素っ気ない態度で言い放つ。
「俺は、お前の歌が呪われているなんてこれっぽちも思ったことはねえ。現に俺はお前の歌に救われた。いや、俺だけじゃねえ。たくさんの人がお前の歌のおかげで死なずに済んだ……。だから、そんな風に考えるお前はおかしい」
「でも、あたいはあんたの先祖やあんたの家族、それにあんたの仲間を救えなかった。きっと、あたいの歌が呪われているからだ。そう思わないかい?」
シオンの質問は、清志郎にYESと言わせようとする誘導尋問のようだった。
今、シオンに発現しているのは、心の葛藤が具現化したもの――シオンがずっと独りで抱え込んできたもの。
清志郎は、真剣な眼差しでシオンの瞳をジッと見つめる。
「これまでのことはよくわからねえ。もしかしたら、お前の言うとおりなのかもしれねえ。ただ、これからは大丈夫だ。お前の歌が呪われていようが鬼や悪魔に取り憑かれていようが関係ねえ」
「何が大丈夫なんだい? どうしてそんなことが言えるんだい? あたいのせいでたくさんの人が犠牲になったんだよ? これからも同じことが起きるかもしれないんだよ?」
清志郎の言葉を否定するように、シオンは、辛い胸の内を吐露する。
すると、清志郎は、屈託のない笑顔を浮かべて、ゆっくりと、そして、はっきりと言った。
「パートナーだから。俺がお前のパートナーだからだよ。俺は、絶対にやり遂げてみせる。そして、お前を絶対に裏切ったりしねえ」
心の中を見透かされたような言葉に、シオンは、目を見開いて清志郎の顔をしげしげと見つめた。
シオンは、心が穏やかになっていくのを感じた。不安な気持ちが抜けて、それに代わるように安堵が全身を包みこむ。
目の前にいるのは、いつもの清志郎であり、いつもの笑みを浮かべている。ただ、シオンには、いつもとどこか違って見えた。
清志郎は何も変わってはいない。変わったとしたら、それはシオン自身――長い間、シオンの心に圧し掛かっていた葛藤が消えていった。
シオンは、静かに目を伏せると、胸に両手を当ててうんうんと首を縦に振る。まるで、自分に何かを言い聞かせるように。
明暦の大火のとき、手駒として利用されたのはわかっていた。しかし、それを認めたくない自分がいた。心の中でずっと否定し続けてきた。「忠興はいつも自分のパートナー」。そんな気持ちを持ち続け、忠興の姿をずっと追い続けてきた。三百年以上の時間が経っても、忠興の面影と決別できずにいた。
シオンは、ゆっくりと顔をあげた。
その瞳は穏やかな光に満ち溢れ、迷いは微塵も感じられない。
シオンは、再び視線を伏見櫓の方へ向けた。
「この者は、渡清志郎と申します。清志郎は『絶対にやり遂げる』と言ってくれました。『絶対に裏切らない』と言ってくれました。あたいは、清志郎のすべてを信じます。そして、清志郎のことを絶対に守ります。なぜなら……清志郎は、あたいの大切なパートナーだからです」
シオンは、両手を身体の前で重ね合わせて深々と頭を下げた。
「お殿様、これまでお世話になりました。本当にありがとうございました。ご恩は一生忘れません。さようなら」
その瞬間、シオンは決別した。いや、決別することができた。
南城忠興と、そして――過去の自分と。
「清志郎、心配かけて済まなかった。でも、もう大丈夫だ。あたいのパートナーはあんただけさ。あんた以外にはあり得ない」
シオンの表情は、何かが吹っ切れたように、とても晴々としていた。
「本当に大丈夫か?」
「ああ。あんたがいれば、鬼や悪魔が取り憑いたって大丈夫なんだろ? 頼りにしてるよ」
心配そうな顔をする清志郎に、シオンは悪戯っぽくウインクをする。
「そうだったな」
清志郎は、口髭を撫でながら小さく頷く。
シオンとの距離がまた少し縮まった気がした。
つづく




