第7話 冤罪
電話口の向こうで、綾音は、昂った気持ちを抑えるように言った。
「昼間、西北大学の戸山キャンパスへ行ってきたの。ゼミでお世話になった胡桃沢先生のところ」
大学時代、綾音は文学部で史学を専攻していた。そのときの指導教官が民俗学の第一人者・胡桃沢教授。テレビの歴史番組に出演しているタレント学者で、西園寺グループが主催するイベントにもよく顔を出している。
「アヤ、どうしてシオンのことをそんなに気にするんだ? 忘れろって言ったじゃねえか」
蟠りが払拭できない清志郎は、不機嫌な口調で言い放つ。
「シオンさんが何か大切なことを伝えようとしている気がしたからだよ。清ちゃんは頭に血が上って聞く耳を持たなかったけど」
「放っておけばいいんだよ。あんなヤツは」
「放ってなんかおけないよ! すごく大切なこと見落とすところだったんだから!」
清志郎の投げやりな一言に、綾音は声を荒らげた。
桜庭から電話が掛かってくる前から、清志郎は戸惑いを覚えていた。シオンに対する自分の態度が正しかったのかどうか、悩み始めていた。
そんな中、普段温厚な綾音が、声を荒らげ、必死に何かを伝えようとしている。無碍にできない雰囲気がひしひしと伝わってくる。
清志郎は思った。今自分がすべきことは、綾音の話に真摯に耳を傾けることだと。
「アヤ、話してくれ。シオンのこと」
清志郎の声のトーンが変わった。落ち着きを取り戻し、いつもの清志郎に戻っている。
安堵の胸を撫で下ろした綾音は、小さく深呼吸をすると再び話し始めた。
「胡桃沢先生にシオンさんのことを訊いたら、いろいろ教えてくれた。でも、清ちゃんから聞いたことと大差はなかった。『仲間から恨まれていたんですか?』って訊いたら、先生もよくわからないみたいで、明暦の大火を研究している歴史学者に確認してくれることになったの。それで、三十分ぐらい前に先生から電話があって……」
不意に綾音の言葉が途切れる。
沈黙の中、微かな息遣いが聞えてくる。
「アヤ……? どうした?」
清志郎が心配そうに声を掛ける。
すると、綾音の息遣いがすすり泣くような声へと変わる。
「おい、アヤ! 一体どうした――」
「――シオンさんは火事で死んだんじゃない! 打ち首にされたんだ! 見せしめのため、通りに首を晒されたんだよ!」
「なっ……」
予想だにしない、綾音の一言に、清志郎は言葉を失った。
「明暦の大火は、ある外様大名の一派が幕府転覆を謀るために企てたテロだっていう説がある。火事のあった日、外様大名の屋敷に幕府の要人と芸子が集められて宴が開かれていた。要人がすんなり集まったのは、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった歌姫・シオンさんがいたから。
結果として、シオンさんだけが生き残った。シオンさんは外様大名に加担した戦犯と見做されて……打ち首と晒し首の刑に……処せられた……」
綾音は、一言一言を噛みしめるように言った。最後は涙声になり、聞き取ることができなかった。
『どうしてだよ? あいつ、そんなこと一言も言わなかったじゃねえか?』
清志郎は、身体を震わせながら心の中で疑問を投げかける。しかし、次の瞬間、ハッと息を呑んだ。
『違う。言わなかったんじゃねえ……。言えなかったんだ。俺が聞こうとしなかったから』
自分は何もしていない。誰かに嵌められた。話を聞いて欲しい――清志郎の脳裏に、必死に何かを訴えかけるシオンの姿が浮かんだ。
シオンは、犯罪者のレッテルを貼られて処刑された。そして、仲間からも裏切り者と罵られ孤立した。
もしかしたら、シオンが嘘をついているのかもしれない。自ら犯した罪を償うために戦いに身を投じたのかもしれない。
仮にそうだとしても、シオンがたくさんの人の命を守ってきたことに違いはない。その中には、多数の消防士も含まれている。
「……ねぇ、清ちゃん?」
半ば放心状態の清志郎に、綾音が鼻をすすりながら尋ねる。
「シオンさんは、ずっと昔から、私たちを隅田川の畔で見守ってくれていたんじゃないかな? 私ね、シオンさんに助けられた気がするの。お祖母ちゃんの形見のボールペンを隅田川へ投げ込まれたとき」
清志郎も綾音と同じことを考えていた。
これまでシオンの姿を見たこともなければ声を聞いたこともない。にもかかわらず、どこかで会っている気がしてならなかった。
クラスメートが綾音のボールペンを隅田川へ投げ込んだとき、清志郎は迷わず川の中へ飛び込んだ。
今思えば、清志郎が無事だったのもボールペンが見つかったのも奇跡としか言いようがない。言い換えれば、「水を操ることができる誰か」が奇跡を起こしたとしか思えなかった。
それだけではない。
小さい頃、清志郎はよく隅田川を訪れた。隅田川の畔に立って水面を眺めていると心が穏やかになった。それがなぜなのか、深く考えたことはなかった。
しかし、今ならその理由は見当が付く――シオンの歌が心に響いていたからではないか。
「俺は……とんでもねえことをしちまった……」
清志郎は、喉の奥から声を絞り出すように言った。
「俺は、すべてをあいつのせいにしようとした。そうすることでやり切れない思いを晴らそうとした……。あいつは俺に助けを求めてきた。それなのに俺は……。これじゃあ、最低のクズ野郎じゃねえか」
清志郎は、自分の情けなさに怒りが込み上げてきた。
「清ちゃん、今ならまだ間に合うよ」
綾音が穏やかな口調で言った。
それが何かの合図であるかのように、清志郎は携帯電話を握りしめたまま外へ飛び出した。
「あいつに謝ってくる! あいつが許してくれるまで何十回でも何百回でも謝る!」
携帯電話をズボンの後ろのポケットに押し込むと、清志郎は、人気が疎らな道を祈るような気持ちで駆け出した。「シオンに会わせてくれ」。心の中で、そんな言葉を繰り返しながら。
つづく




