プロローグ
火事と喧嘩は江戸の華――そんなフレーズを一度は耳にしたことがあるのではないか。
江戸の町は、建物が密集したくさんの人が暮らしていたことで頻繁に火災が発生した。また、江戸っ子は、せっかちで気が短く取っ組み合いの喧嘩が日常茶飯事だった。
火事と喧嘩に共通するのは威勢の良さ。どちらも大きな声に釣られて人が集まり路上に黒山の人だかりができる。特に、燃え盛る業火に挑む火消しの活躍は目を見張るものがあり、集まった人は、まるで演劇でも鑑賞するかのように火消しの一挙手一投足に目を奪われた。
火事と喧嘩は江戸の文化を語るのに無くてはならないキーワードであり、そのフレーズは、長きに亘り、実しやかに語り継がれてきた。
それは、今も当てはまるのだろうか。
江戸と言えば、言わずと知れた、現在の東京。
火災については、消防技術の進歩や消防組織の強化により発生件数こそ減少しているものの、無くなったわけではない。死傷者を伴う、大規模な火災がいくつも発生しており、火の力を制御できているとは言い難い。人が火を使う限り、火災が無くなることはまずあり得ない。
東京は、少なくとも三度、未曾有の大火により壊滅的な打撃を受けた。
一度目は、一六五七年の「明暦の大火」。
江戸の町の大半が焼失し、死者は七万人とも言われている。
当時の資料がほとんど残っていないため、その背景や原因は明確にはなっていないが、江戸幕府転覆を謀ったテロリズムといった説もある。
二度目は、一九二三年の「関東大震災」。
マグニチュード八を超える地震が昼食の時間帯に発生したことで多数の火災が発生し、死者十万五千人のうち火災によるものが九割を占めた。
三度目は、一九四五年の「東京大空襲」。
第二次世界大戦末期、アメリカ軍が焼夷弾を用いた、大規模な空爆を行い、市街地の三分の一が焼け野原と化し死者は十万人を数えた。
しかし、このような危機的状況に直面しながら、東京は何度も復興を遂げた。
官民一体となって尽力した結果と言えばそれまでだが、復興の陰に消防組織の存在があったことは否めない。
大火により多数の犠牲者は出したものの、消防組織が整備されていなければ、犠牲者の数が何倍にも膨れ上がったことは容易に想像がつく。そのため、過去の大火を教訓とした、消防技術の開発や消防組織の最適化が継続的に行われてきた。結果として、百パーセントの備えをすることは困難ながら、常に百パーセントに近づける努力は払われている。
火は、いつの世も人々の生活になくてはならないものであると同時に人の生命を脅かす存在である。そんな諸刃の剣を制御し尊い生命を守ることこそ、火の担い手たる人類に課された責務だと言える。
これは、そんな火の力により大切なものを奪われた、消防士と歌姫の数奇な物語。二人が出会わなければ始まることのなかった、二人の物語である。
つづく