羨望
柊は男女二人の教員を舞台に上らせた。
「鏡さん? もしかして、この人たち?」
「おお、そうだ! 私の傷を治してくれる、美術担当の木崎 楓先生!」
そう呼ばれた先生は舞台中央まで走り、ポーズをとった。小太りで可愛らしく、親しみやすそうな雰囲気を醸し出す。
「こんにちは! 美術担当の木崎です。先ほども会った子が何人かいますね~。演劇部の顧問を務めております。気になる子はいつでも会いに来てね~」
明るくハキハキとした声は、子供番組の司会のお姉さんを連想させる。
「そして! 去年よりアクション指導に参加してくださっている、三橋 有基先生です!」
呼ばれた三橋は舞台端の方から、鏡役の男性と同じようにバク転で中央まで進んだ。
まるで本物のスタントマンかのように転げ、注目を一点に集める。
鏡役の男性よりも派手に転げた先生は、流石、と演劇部員から賞賛の拍手を大の字で受け止めていた。
マイクを渡された直後も、息を整えるために無言のままだ。
「はぁ…三橋です! はぁ…体育教師やってます! …良ければ演劇部見に来てください!」
「はいそれでは! このお二方にリンゴロシアンルーレットを行っていただきます!」
柊が合図をすると、1から3まで番号が割り振られた色の違うリンゴが舞台中央まで運ばれた。
「ここにある三つのリンゴ、二つは偽物で、一つは本物です。内訳は、蝋で作った食品サンプル、生徒が石膏で作ったリンゴ、ジョナゴールドです! お二方には触れることなく一つ選んでいただきます。そして同時にかぶりついていただきます! それでは、どうぞ!」
舞台が観客参加型となり、一気に盛り上がりを見せる。
「木崎先生、美術担当ならお分かりになりますよね? 三橋先生も、犬の様な嗅覚で選んでみてください! さぁどれだ!」
真剣な眼差しが観客らの期待にさらに火をつける。
関係のない先生までもがちょっかいを出すほど、体育館内はお祭り騒ぎになった。
「一番! 絶対一番」
「三番でしょ」
「二番は艶がわざとらしいから違うね」
「一音ちゃん、どれだと思う?」
麻乃亜が一音に問いかけた。
「んー、遠くからじゃどれも本物に見えるけど、一番かな」
会場内は一番と三番の声が大きく、挑戦している先生もその声に左右されている様だ。
「そろそろタイムアップです。心は決まりましたか?」
「「はい!」」
一番を三橋先生、三番を木崎先生は選択した。
それぞれ選択したリンゴの前に立ち、覚悟を決めた表情をする。
「それでは、同時に齧っていただきましょう! どうぞ!」
ある程度予想はされたが、三橋先生は舞台上に倒れこみ、木崎先生はガッツポーズを決めた。その瞬間会場内のボルテージは最高潮に達した。
「結果発表です! 木崎先生は見事、ジョナゴールドを当てて見せました。お味はどうですか?」
「ちょっと酸味があって…でもそれが美味しいです。何より本物を当てられたことが嬉しいです。ありがとうございました!」
「三橋先生、倒れてるところすみません。お味はどうですか?」
「すごく硬くて、歯型すらつけられませんでした。歯茎が痛いです。演技ではないです」
口を押さえ、悲しげな感想を連ねる。
「いやー名勝負? でしたね。私たち演劇部では、こうした観客参加型の演劇も行います。人を楽しませることや、驚かせることが好きな人は、ぜひ入ってみてください。それでは、本公演を終わらせていただきます。ありがとうございました」
公演が終了したにも関わらず、室内の熱気はすさまじく、生徒らが舞台に乱入するほどだった。
「真尋、リンゴの予想当たった? 私見事に外れたよ」
一音が笑いながら振り向いた。
「うん。私も外れちゃった。でも楽しかったね。先生カッコよかったなぁ」
「ほんとにね! 私、アクロバットやってみたいな。やっぱちゃんと入部しよ。麻乃亜はどうする?」
「私は…どうしようかな。最初に出てきた人のドレスとか作れるなら…入りたい」
「それも聞こうか。先生どこにいるんだろう」
三人は固まって演劇部関係者を探し始めた。
真尋はずっと三橋先生を目で追いかけていたが、舞台上でオーディエンスに囲まれている中、話しかけるのは不可能に思えた。
「あ、柊先輩! 舞台面白かったです。私、やっぱり演劇部入りたいです!」
一音は丁度舞台袖から降りてきた柊に声を掛け、入部する旨を伝えた。
「本当⁉ 嬉しいな。どこがよかった?」
「アクロバットです! 私もやってみたいです。先輩もできたりするんですか?」
「あいつよりは上手くないけどね。出来ても連続側転くらいだけど、それでも舞台は盛り上がるから、挑戦するならそこまではやってもらうよ」
あいつ、と呼んだ視線の先には、未だに生徒に囲まれる三橋先生と鏡役の男性が居た。
二人は舞台にセットされたマットの上で、新たに技を披露しようとしている。
あそこまでは出来なくてもいい。連続側転はやれ。それが達成できるなら、挑戦権を与える。一音は柊の言葉をそのように解釈し、覚悟を決めた。
「あの、私はアクロバットとかはあまりしたくはないんですけれど…良いでしょうか?」
麻乃亜が口ごもりながら問いかけた。
柊は不安を払拭するように笑顔を見せる。
「大丈夫だよ。昨日も話したけど、担当はひとつだけでもいい。今回舞台に出た生徒は三人だけど、最初に出た子は全くできないからね。他にも企画した子と衣装作ってくれた子と、道具作ってくれた子と…まぁいっぱいいるんだよね。演劇部って言っても、必ずしも演じなければならないっていう規定はないから、気軽に入っておいで」
「衣装作るだけ、とかもできますか?」
「そだ、この子服を作ることができるんですよ。さっきもロリータの服作りたいって言ってたしね」
一音は言葉足らずな麻乃亜をサポートする形で会話を繋げた。
「えっすごい人材じゃん。めっちゃ歓迎するよ!」
柊の晴れやかな笑顔に麻乃亜は安心したように胸をなでおろした。
その中で真尋は一人浮かない顔をしていた。
騒々しい館内から二人に内緒で抜け出し、校舎の陰に隠れた。
真尋は仲良しグループに「生徒会の仕事があるから行くね。黙って行ってゴメン」と打ち込み、苛立った気持ちを抑えることに専念した。
世の中はそう簡単に甘い蜜を吸わせてくれるわけじゃない。
ただ理由もなく何故か目で追う人が、さらに遠くなる気がして。
どうすれば満足できる距離まで近づけるか。
演劇部に入る? 一音の親友として、顔を出す? 手紙でも書いてみる?
考えた所で行動に移れる自信もない。
深いため息をつき、帰路に着くことにした。
15:52 『生徒会お疲れ様 さっきね、一組の子がかなり入部するって先生が言ってた。今年は豊作だってさ(笑)見てこれ。仲間誕生』
15:52 一音が写真を送信しました
電車にゆうるりと揺られながら、一音からの連絡を慣れた手つきで開いた。
一音が自撮りしたのだろうか。一音の見切れた顔と、前方に女子生徒五人が固まってピースサインをしている。麻乃亜もその中の一人だ。奥には男子生徒が四人と木崎先生、三橋先生が仲良さそうに笑っていた。総勢十二人。
険しくなった表情が緩み、無表情へと変化した。
誰かに見られているかもしれない。表情を出しては危険だ。隠さなければ。
15:59 『こんなに入部したの⁉ すごいじゃん(笑)』
16:07 『でしょ。麻乃亜と私以外一組だってさ。三橋先生の人気ハンパない』
16:08 『そうみたいだね(笑) またいろいろ聞かせてね』
16:24 『うん! 真尋も頑張れ!』
いくら文面で笑おうとも、心から笑うことができなかった。
もしこの写真に私が写っていたら、どれだけ嬉しいだろう。
そういえば、まだ一音と麻乃亜とも写真を撮っていない。
「なんか…一人だけ勝手に拗ねてバカみたい」
真尋は心を落ち着かせるために、小声でつぶやいた。
誰にもバレないように、とても小さく。
涙を流しても平気なように大きく欠伸をするフリもして。
自身の感情を偽ってまで送る文面は、演劇部に入れるのではないかと勘違いするほど笑えている気がする。
車窓から見える太陽は少しづつ光度を上げていく。
旅行帰りなのか、若い親子が楽しそうに電車へ乗り込んでくる。
それは真尋の心に深い影を作った。
通常授業が開始され、一週間が経過した。
「麻乃亜、ユイカがまたドレスのデザイン描いてきたんだって。昼休み一組行こ」
「ユイカちゃんが? なんかまたフリル爆発しそうだな~」
二人が演劇部の話を始めると、誘われない限り私はそこへ入れなくなる。
真尋はそれとなく新しい壁を作り、傷つかないように二人と微妙な距離を保っていた。
真尋を挟み交わされる言葉に耳を傾けながら、生徒会の資料に没頭するふりをして。
資料には『新・地域ボランティアの参加の是非』と記されている。四月の会議内容は、どのボランティアに参加するかを主題に話合うらしい。
ゴミ拾いに桜の花びらの清掃、老人施設に出向き話し相手になるボランティアなど、今まで行われてきたものが簡潔に並べられていた。
昨年はボランティアに当たるのか微妙なラインの『メニュー表作り』をしたそうだ。
二つ目のカテゴリーに『新たに挑戦してみたいボランティア』と記され、以下白紙となっている。
いくら考えても何も思いつく気配がない。
「ねえ、真尋もさ、ドレスのデザイン見てくれない? みんなでデザイン出し合ってるんだけどさ、まともなの麻乃亜のだけなの」
一音は笑いながら真尋にファイルを差し出した。
「ドレス…? 見ていいの?」
何枚ものデザインがルーズリーフに描かれている。
その中で目を引くのは、寸法やスカートの広がり具合まできっちりと指定されたシンプルなものだった。ほんのりと黄色のグラデーションがかかっている。他のデザインは虹色のフリルであったり、油性ペンでざっくりと描かれたものであった。まともなのは一枚だけのようで、確実に麻乃亜が描いたものだと推測できた。
「これ、麻乃亜ちゃんが描いたの? すごく上手。どんな劇の衣装なの?」
「これね、一年だけで劇を作ることになって、美女と野獣をやろうって決まったの。でもそのままやるのはだめなんだって。衣装とか話にアレンジを加えたいんだけど…でもやっぱり原作の衣装が一番だよね~」
麻乃亜が行き詰ったかのように口を尖らせた。
見る限り、麻乃亜のデザインは原作に一番近い。凝り固まったイメージが紙上に表現されているように思えた。衣装にアレンジを加えると、話に変化も出せるかもしれない。
「うん…確かに衣装が変わるだけでも、お話は変えられるからね。ドレスじゃなくて民族衣装とかにしたって、舞台を変えることもできるし…」
「民族衣装…すごくいいかもしれない! アイデアとして出してみようか」
真尋が呟いた意見がさらりと拾われた。麻乃亜はまるで雷に打たれたかのようにペンを走らせ、思い出せる限りの民族衣装をルーズリーフに書き連ねていった。
「やっぱりいろんな人の意見を聞く方がいいよね。ね、他に話のアイデアとか無いかな?」
無邪気な一音は真尋の作り立てで固まりきっていない壁を軽々と乗り越えた。光の当たる部分に土足で入り込む単純な性格は真尋の考え込みすぎる性格と真反対だ。その凹凸がカチリとはまると、物事が驚くほど捗る。
「えと、私が入っていいのかな? 部外者だけど」
「むしろ入って欲しい。一年はなんか馬鹿しかいないんだよね。全然話がまとまらないの。真尋がいてくれたら助かるー」
「馬鹿しかいないってのは言い過ぎだけど…でも民族衣装にはみんな気が付かなかったね。真尋ちゃんがいたら話広がりそう」
いきなり始まった褒め殺しの様な状況に、真尋は両手で顔を隠した。
勝手に傷つき、避けていたのが馬鹿らしい。
「私ね、最近真尋と話すことがなくなっちゃったなーって思って。もし真尋さえ良ければ、演劇部のアドバイスくれる人になってくれないかな。真尋は頭よさそうだし、まとめ役って感じがするし」
「真尋ちゃんお願い! なんなら聞いてくれるだけでもいいし」
「…ボランティア、か」
真尋は心の壁を自ら壊し始めた。
これこそ参加してみたいボランティアに当たるかもしれないと、真尋は白紙の部分に『部活の手伝い』と記した。この案が通る訳が無いと自負しつつも、その文字には自信が溢れているように見えた。
「よし、手伝おう!」
プリントをファイルにしまい込み、会話に花を咲かせた。