同盟
入学式はあまりにも眠い。
国歌、校歌に続き校長先生の長々しい挨拶。
真尋は既に意識が朦朧とし始めていた。
「えー本日は桜も力強く咲き誇り、新しい生活を始めるには、えーとても良い門出の日です」
ソウデスネ。もう散りかけてるけど。
「えーこの校舎も、新しい子供たちを迎えるにあたり、大変喜んでおります」
校舎が? どうやって訊いたの。
「先生方も、新しい風が吹くことを待ち侘びておられるのではないでしょうか?」
そこは疑問形なの?
「えー、光り輝く未来を、えー作り上げるためには、皆さんで協力して、えー勉学に励まれるように…していただきたいと、思っております」
セリフ忘れただろ。
「そのためには、ルールを守り、……」
………
「新入生代表、起立!」
「はい!」
唐突に気合の入った音量が体育館内に響く。
眠りかけていた新入生数名が立ち上がろうとした。
真尋もそのうちの一人だ。
「暖かな風に誘われ、桜の蕾も膨らみ始めた、今日の良き日に、私たちは、日多輝高等学校に入学できることを、大変うれしく感じています。…」
なんで定型文を書き換えなかった? もう桜は散りかけてますけど?
………
眠気を抑えきれず、再び椅子に体を預ける。いつの間にか堅苦しい入学式は最終局面を迎えていた。
「新入生、起立!」
今度は数名が立ち上がるタイミングが遅れた。
真尋はその場の流れに身を任せ、退場していった。
時刻は十二時。
これから新しい教室で配布物を貰ったらあとは自由だ。
「ふ…わぁ…」
「ふふっ大きな欠伸だね」
「っ…あ、さっきの!」
後ろから声を掛けられ、反応するまでに時間がかかった。その少女には見覚えがあった。列に並ぶ前に初めて声を掛けたあの子だ。
「私、高村一音っていうの。同じクラスだし、これからよろしくね」
一音は期待と友好の眼差しで右手を差し出す。
「私は花瀬真尋です。一音ちゃんって呼んでもいい…かな?」
「うん! 私も真尋ちゃんって呼んでいい?」
「もちろん!」
少し照れ臭いけど、初めての友達ができた。一音の右手を両手で包み込むように握手をした。
新しい教室に張り出された表によると、一音と真尋は一番後ろの席の隣同士だ。
真尋は喜びの感情を爆発させ、席に着いた。
机の上に置かれた生徒手帳や書類の山に軽く目を通し字野先生の到着を待っていた。
「ねぇ、一音ちゃん。字野先生ってどんな人だと思う?」
「分からないよ。入学式の時いたかなぁ? もしいたら寝てたのバレちゃうね」
「こっわ。でも可能性は高いよね。あー不安になってきちゃった。先輩から聞いたんだけど、字野先生ってすごく短気らしいんだ」
入学式で寝てたからと言って目をつける先生はあまりいないと思うが、不安は拭えない。
「まぁ短気でもいいんじゃない? そこまで気にすることじゃないよ。てかさ、私の生徒手帳の写真めっちゃブスなんだけど」
一音が笑いながら写真を見せてきた。
そこには受験する際に撮影した証明写真がそのまま引用されている。
全体的に青く薄暗い背景に、緊張しているのか恐怖すら感じるほどの真顔の一音が写っていた。
「頑張って目を大きく写そうとしてたのに、逆に見開きすぎて怖いわ。こんな事ならもうちょっと綺麗に写っときゃよかったな」
確かに写真と目の前の一音を比べると、本人であることは分かるが雰囲気が全く違う。
一音は飄々としていて朗らかな様子だが、写真だけ見るとホラー映画の一本でも出来そうな仕上がりだ。
「本当だね。これって変えてもらうことできないのかな? これじゃあ嫌だよね」
生徒手帳に引用されるだなんて考えてもいなかった。三年間ずっとこの黒歴史と共に過ごさねばならないのはごめんだ。
「真尋のはどんな写真? ちょびっとでいいから見せてよ」
一音が身を乗り出して興味本位で尋ねる。その純粋な瞳に真尋はおずおずと自身の生徒手帳を差し出した。
「ありがとう! うっそめっちゃ可愛いじゃん。羨ましい。これって誰かに撮影して貰ったの?」
「うん。撮影所で撮ってもらったんだ」
自分の目で確認してもかなり綺麗だと思う。
白の背景に黒い髪がくっきりと映える。ほんのりとチークとリップを乗せ、撮影所のおじさんの言うとおりに口角を上げた。顔の角度も微調整を繰り返され、一時間近く掛けてできた作品と言える写真だ。
「はい。皆さん静かに」
乱暴に開けられたドアは、その男の登場をクラス全体に知らせる合図となった。
髪の薄いメタボリックな男は教壇に立ち、生徒全員の視線を一瞬にして集めて見せた。
「はい。初めまして。皆さんの担任となった あ、ざ、の、です。歴史を担当しております。よろしくね」
わざと名前をゆっくり読み上げる辺り、先輩の言っていた通り本人も気にしてることが読み取れる。
「それでは、お腹もすいているだろうしちゃっちゃと名前と顔確認しますねー」
高圧的な態度は、確実に生徒の心を引き離している。
名簿通りに名前を読み上げ、返事をさせるだけ。
時折、隣のクラスから笑い声が聞こえる。
静まり返った教室内は、物音を立てる事すら許されない程凍り付いていた。
「十五番、たかむら いちと?」
「あっはい。高村かずねです」
読みを間違えられた一音は、即座に訂正した。
「ほーん。男みたいな名前だな。見た目も男っぽいし、いいんじゃないか」
一音は苦笑いで答えを濁した。
次の名前が呼ばれると、一音の表情は暗くなり今にも舌打ちしそうにいていた。
「次はー、十九番。ん? これはなんて読むんだ? いち…あさのあ…読めん!」
「にのまえ まのあ、です」
可愛らしい声が震えながら返事をした。
「はっ珍しい名前だな。お前の両親はだいぶ若いだろう。こんな名前つけるだなんて。読みにくいったらありゃしない。それにこの名字! 俺より珍しいかもな」
名前を馬鹿にするように名簿を指で叩きつける。乾いた紙の音のみが耳につんざく。聞くに堪えない一方的な会話に真尋の我慢は限界に達しそうになっていた。
その堅くて薄い頭をぶんなぐってやろうか。
にのまえさんは背中を丸め、苦しそうにしている。
笑いを誘おうとしているのか知らないが、鬱憤が溜まる。
「二十番、花瀬、えー、まさひろ」
「…はい。花瀬マヒロです」
このロングヘアと制服を見て分からないのか。
できる限りの抵抗で、先生を睨みつけ返事をした。
「お前も女か。最近の名前は男女の区別がつきにくいな。もっと分かりやすい名前はないのか。全く」
今度こそ腸が煮えくり返りそうになった。
ただ、入学初日から目立つのは自身のためにも避けるべきだ。
真尋は唇を噛みしめ、感情を押し殺した。
「えーと、これで全員だな。まだ顔と名前が一致しないが、これから三年間よろしく。資料は全部持って帰り確認するように。はい解散!」
三十番まで名前が呼び終えると再びドアを乱暴に開け、先生は足早に教室を後にした。
恰幅の良い体が揺れながら廊下を軋ませる。
「っはぁぁー。何あのおっさん。なんかウザい。にのまえさん、あんな奴気にしなくていいからね!」
一音が長々とため息をつき本音を盛大に漏らした。
脱力したのか、机に突っ伏しながら斜め前に声を掛ける。
ゆっくりと小さな背中の少女が振り返る。その目は少し赤くなっていた。
「大丈夫。ああいうのには慣れてるから…」
ふわりとした漆黒のくせ毛が揺れる。その顔立ちは日本人離れした美しさだ。まるで人形を思わせるような色素の薄い瞳は、一音と真尋の心を一瞬にして捕らえた。
「かっ…かわいい。もしかしてハーフ⁉」
「本当だ。お人形さんみたい」
「うん。お母さんがハワイ出身なの」
今までの事が浄化されるような天使の微笑みに、真尋の母性が溢れ出す。
「絶対にあの先生から守ってあげる! 何かあったら私に言って! 受け止めるから」
「真尋ズルい! 私も守るからね。まのあちゃん!」
「てか、にのまえってどんな字なの?」
真尋は首をかしげながら問いかけた。
「漢数字の一だよ~。二の前だから、一でにのまえ!」
指で空中に横棒を描く。
「え、私のと同じじゃん。私は一って書いて『かず』って読むんだ。一っていろんな読み方があるんだね。まのあはどういう字? もしかしてカタカナ?」
「えっとね、この漢字!」
まのあは貰ったばかりの生徒手帳を開き、二人に示した。
一 麻乃亜
それが彼女の名前だった。
「可愛い名前…。二人とも名前の共通点があっていいな。私なんて男よ。あの発言は教師としてどうなんだろ。訴えれば勝てるんじゃない? 録音してやればよかった。これから証拠バンバン揃えて行ってやろう」
真尋の怒りはとんでもない方向に飛び火してしまっていた。
「私も男って言われたー。あいつ何考えて発言してるのかね。人の気持ち考えろや。…でもマサヒロはやばいね。イチトよりむかつくわ」
「髪の毛全部引っこ抜いてやりたいね。触るの嫌だけど」
「分かる‼」
「うふっ二人とも強くて良い名前だね。…友達になって欲しい、な」
「「もちろん‼」」
我先にと手を差し出す。
天使の様な麻乃亜は両手で二人の手を合わせるように包み込んだ。
字野先生に馬鹿にされた三人の同盟が築かれた瞬間だった。