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MOB  作者: マキナ
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線引き

 うつうつと睡魔が襲い来る午前八時四十分。

 暖房もいらぬ陽気に誘われ、惰眠を貪る生徒が複数いた。

 今日は二時間ぶっ通しの美術の時間からスタートする。

「おはようございます。じゃあ、今日やる課題を配りますね!」

 木崎先生が教室に入るなり、白紙を一人二枚ずつ回していった。

「もう四月も終わりです。皆さんも高校生活に慣れてきたころではないでしょうか。そして、来る五月の第二日曜日、この日が何の日か知ってる人~」

 木崎先生は右手を挙げ、しばらく等分に教室を見つめた。だが、誰の手も挙がる様子はなかった。

 目線すら合うこともなく、無駄な数秒間が過ぎる。

「間違っててもいいんだよ~?」

 生徒らは確かに間違いを恐れて発言するのを拒んでいた。また、誰かが答えてくれるであろうと期待を押し付け合っていた。

「…仕方ない。高村さん、分かる?」

 演劇部で顔見知りだからこそ、当てられることが多いのは仕方ないことだ。

 一音は分からなかったふりをやめ、座ったまま回答した。

「母の日…です」

「なんだ分かってるじゃーん。そう母の日です! 今日はその日に向けて、手紙を書いてみましょう。まずは白紙に何を書くか想像を膨らませてみましょう! 真ん中にお母さんって書いてー、お母さんの趣味とか、得意そうなこと諸々を引っ張り出してみましょう!」

 黒板の中心に母と書き、様々な方向に線を書き始めた。

「じゃあ、一番端の列五人! お母さんの印象ってどんなんかな?」

 名簿の順番通りに当てていく様だ。

「料理作ってくれる」

「料理ねー、毎日作ってくれるもんね。飽きないように作るのが大変なんだよ。はい次」

 黒板に料理と書き写すと、すぐさま後ろへシフトしていく。

「掃除…」

「おー、そうだね。意外と重労働なんだよねこれが。部屋の掃除、水回り、食器洗い。いっぱいあるよね」

黒板がカツカツと音を立てる。

「洗濯」

「うんうん。お母さんの仕事って多いね。干して取り込んで畳むまでがワンセットだからね」

 白い粉が時間をかけて受け皿へ舞い落ちる。

「えっと…ごみ捨て…?」

「おっ! 良いところに目を付けたね。ごみも分別が必要だし、忘れないように前日に準備してる家庭も多いかな? すごく重要なことです。じゃあラスト」

 どこかもの言いたげな黒板消しの上にもふわりと粉がかぶさる。

「ええ…買い物?」

「うん! 普段の買い物って何かな?」

「食材とか」

「そうだねー。野菜とかお肉は買いだめできないから、頻繁にスーパーに行く必要があるよね。結構出たかな? じゃあ、こんな感じで皆さんそれぞれのお母さんに対して持っているイメージを書き出してみましょう。そして、そこからイメージされることの大変さを考えてみましょう。例えば…料理に付随して、毎日違うものを考えてくれる、とかね。趣味とかであれば、それに打ち込んでいるときのお母さんがどんな表情をしているか考えてみましょう。思い出でもいいよ」

 教室中に一斉にペンの走る音が響く。

「清書には飾り付けもするから、たくさん書けるようにひねり出そうねー」

 ただ一人を取り残して。

 見回りに来た先生が、これはいい視点だね、と次々に声を掛けていく。

 完璧でいなければいけないのに。どうすればいいんだろう。どうすれば褒められる? どうすれば正解になる? 見回りに来る前に考えないと。手を動かさないと。動け。うごけ。ウゴケ。


ウゴイテ…


「…あれ? 花瀬さん。体調悪い? 全然進んでないようだけど…」

 だめだ。もうだめだ。完璧ではなくなってしまった。

「真尋? どうしたの?」

 見ないで。お願い。完璧ではない私はいらないから。

 真尋は急に定規で真ん中から放射状に線を引き、先ほど出た例を倣って書き始めた。

 そのスピードはすさまじく、文字はぎりぎり読めるくらいのものだった。

 いつも料理を作ってくれる。栄養を考えて買い物もしてくれる。洗濯してくれる。掃除してくれる。(綺麗好き)働いてくれる。笑っている。家族を大切にしている。ダメなことは怒ってくれる。

「…ああ、怒ってくれるっていうのはいいね。今までにこの回答は見た事なかったよ。確かにダメなことはダメって言ってくれるのは、近くで見てくれているお母さんならではかもしれないね。花瀬さんは素晴らしい視点を持ってるね」

 先生は真尋の課題用紙をまじまじと確認し、納得したかのように立ち去った。

「そうでしょう? 自慢のお母さんです」

 完璧な笑顔は空虚に向けられた。それでも真尋は笑顔を絶やすことはなかった。

 誰にも怪しまれないためには、笑顔で取り繕うのが一番の策だと教えられたから。

醜聞好きなおばさんにも、清掃業のおじさんにも、隣人にも、友人にも、他人にも、笑顔を振りまけばみんな優しくしてくれる。

鋼鉄で作られ、熱した状態で顔に癒着した仮面はこてを使っても剝れないであろう。

剝れる時は全てを失った場合のみだ。顔の皮膚を引きちぎり、隠し続けた素顔も捨てる時にのみ、仮面は体から離別する。生々しい腐臭を撒き散らしながら。


真尋は次に母との思い出へ考えを移行させ書き連ねた。

 手を繋いで横断歩道を渡ってくれた。ごみの分別の大切さを教えてくれた。ランドセルを選んでくれた。初めて一人で買い物に行けた日には大喜びで家の前で待っていてくれた。初めて作った料理は卵かけごはん。卵を割る時は力を入れ過ぎてはダメと教えてくれた。次いで卵焼き、ホットケーキ、野菜炒めにお味噌汁。小学校に上がる前には一通りできるようになっていた。

 振り返ると、たくさんの思い出が滲みだす。

 九月にはお月見団子を作ってくれたよね。月にはウサギさんがいるんだよって教えてくれたよね。ウサギさんの真似をしてぴょんぴょん飛びをしたら、弟は私を指さして笑った。ずっと楽しそうに。

 あれ?  あの時の月って どんないろだったっけ


「みんなそろそろ書けなくなってきたかな? よし、じゃあもう一枚の方にどういう手紙を書くか試しに書いて見よう。次の時間に清書用紙渡すからね」

 残りの授業時間が二十分を切ったところで、先生が合図をした。

 麻乃亜はまだ書き足りなさそうにいっぱいになった一枚目の紙を見つめた。

 私と一緒に平仮名練習したよね。同じドリル買ってさ。漢字も二人で競い合って覚えたよね。おかげで漢字のテストはいつも満点が取れた。音読では一緒に教科書を見て、登場する役を交代でやっていた。学習発表会では綺麗な服をクラスのお母さんたちと集まって作ってた。まるでマネキンのようにされていたのが懐かしい。私の家に来たことがないクラスメイトはいないんじゃないかな。みんなしてお母さんたちのお人形になってたしね。楽しかったなぁ。

麻乃亜は二枚目の紙に、たくさんの思い出を凝縮させた『ありがとう』を書いた。

 同時にいくつかの『ごめんなさい』も追加して。

 朝喜から貰った手紙と同様に、名前とふり仮名も書こう。

 お母さんの出身地であるハワイのマノアは多くの雨が降り、たくさんの虹が出る。

 たくさん泣いて、たくさん笑える人生を送ってほしいと願いを込められた名前だ。

 地名が私の名前だなんて、って思ったことは何度もある。

 八つ当たりしたこともある。

 そんな嘆きを受け入れてくれたお母さんの広大さに感謝の気持ちを込めて。


 授業終了の合図が鳴ると、先生は紙を持ってくるね、と教室を後にした。


「んんん…つっかれたぁ~。真尋、さっき大丈夫だった? すんごい顔してたけど」

 一音が伸びをして訊ねてきた。

「大丈夫だよ。最初は何書こうか迷っちゃったけど、書き出したら止まらなくて。ほら見てよ。こんなに真っ黒になっちゃった」

 真尋は一音に課題用紙を見せた。真ん中には乱雑に書かれた文字が目立つが、端に行くにつれ、丁寧な文字が所狭しと羅列されている。

「うわ…逆にすごいね。私はそんなに書けなかったよ。ほれ」

 一音もお返しとばかりに真尋に紙を見せた。大きな文字だが、一つ一つに愛情が籠っているように感じる。

『あまり泣かないから心配』『笑い声がうるさい』『近所の犬と時々喧嘩してる』『じいちゃんの野菜をちゃんと食べられるように料理してくれてる』『お弁当作ってくれる』『仕事大変そう』『宝物はアルバム』『大ざっぱ』『おならがうるさい』…

 文面から一音が明るい家庭で育ってきたのだと、ひしひしと痛感する。

 母に対する悪口も、裏を返せば愛情となる。

「おならがうるさいとか…私に見せていいの?」

 真尋が苦笑しながら一音に聞いた。

「全然いいよ。あの人は笑いの種になるんだったらなんでもするような人だから」

「…いいなぁ」

 きっとこの声は誰にも届かないであろう。そう願い、呟いた。

「麻乃亜ちゃんははどんな感じ?」

 前に声を掛ける。そっと振り向きふわりと微笑む桜色の唇は、いつでも癒しを与えてくれる存在だ。

「私は…こんな感じ」

 恥ずかしそうに一枚目の紙を差し出してくれた。

『優しい』『可愛い』『服は作ってくれる』『ガーデニングが趣味』『日本語がおかしい』『友達みたい』『いつもありがとう』…

「やっぱり服は手作りしてくれるんだね。羨ましい」

 真尋は麻乃亜の紙を見て、しっかりと聞こえる音量で呟いた。

「それが仕事だからね。でも楽しそうだから私も羨ましいよ」

「日本語がおかしいって何事」

 一音の着眼点はユニークな部分に行く様だ。真面目な声で興味深そうに聞いた。

「もともとハワイ出身だからおかしいんだ。どこで覚えてきたのか知らないけど、てやんでいとか使ったりするよ。あと自分の事を(それがし)って言ったり」

「何それ、すごく楽しそう。かっこいい日本語使うんだね」

 真尋は羨望の眼差しをどこかにいる麻乃亜の母親へ向けた。

「かっこいい? 確かに純粋な日本人が言ったらかっこいいかもしれないけど、片言でしゃべられるとおかしいだけだよ」

 馬鹿にするように吐き捨てた言葉の奥に、確実に愛が籠っているのを真尋は見逃すことはなかった。

「ギャグセンスが天然で高いとか絶対面白いじゃん。私の母親は全然しゃべらないし、二人の家が羨ましいよ」

「あー真尋の家は本当にしっかりしてそうだもんね。寡黙な母に侍みたいな父! ついでに日本刀とかが床の間に常備してありそう。あと不動明王とか書かれた掛け軸とかがあってさ。あと、盆栽とか! 刀でバシュっと枝を切り落としたり」

 眉根をキリリと吊り上げ、誰かの物まねを始めた。

「日本刀はさすがに置いてないな。一音は時代劇の話でもしてるの?」

 一音の膨らみ続ける想像に針を刺した。しかし、その妄想は留まるところを知らない。

「いいじゃん。そういうの憧れるけどな。武士道カッコ良くない? 真尋にすごく似合いそうだしさ。襲い掛かる敵を三味線弾きながら撥で倒したり…あー真尋かっこいー」

 どんな妄想をすればその境地にたどり着けるのか問いただしてみたい。

「襲い掛かる敵ってどういうことよ。優雅に三味線弾いてる場合じゃないよね? まずセキュリティがだいぶ昔の設定になってるよね?」

「セ○ムとかあったら台無しでしょ。私は真尋が黒い敵をバッサバッサと倒してるところが見たいんだよ! …あ、真尋がセ○ムになったらいいのか。いや、違うな」

 一音はブツブツと楽しい妄想を繰り返す。

 かける言葉も止める動機も見つからず、仕方ない、と真尋は微笑んだ。

「何言ってんだあいつ?」

 休み時間開始した直後から席を離れていた新敷が戻ってきた。

 一音を見るなり怪訝な顔をして麻乃亜に聞いた。

「一音は自由な小鳥だからいいんだよ。心が強いと入れそうな隙間もない」

「…どういうこと?」

 麻乃亜はそれ以上新敷に話す事はなく、チャイムが鳴るまで三人で駄弁っていた。


たった十分の貴重な休憩時間を会話だけで終わらせてしまった。

それぞれの家庭の片鱗を見つめると、互いに羨ましさを覚える。

そして良い部分を言い合い、自身の家庭を顧みる。


仲間外れは常に微笑みを絶やさない。

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