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MOB  作者: マキナ
10/11

揺れる

「…はあ」

 最近ため息ばかりついている気がする。中学の時はそんなこと無かったのにな。上手くいかないことが多すぎて、嫌になる。普段怒ることもないのに。学校行くの憂鬱だな。喧嘩したわけじゃないのに、みんなと顔を合わせるのが怖くて仕方がない。朝ごはん食べたら行かなきゃいけないけど。

「……はぁ」

「お前、恋でもしてんのか?」

 一音の兄は欠伸をしながら卓袱台の向こうから声を掛けた。

 まだ風は冷たいのに、兄は半袖短パンとかなりの軽装だ。

「そんなお気楽な悩みだったらいいね。へかさ、兄ちゃんこそ恋とかひてんの?」

 白米を口に運びながらしゃべる。兄と会話をすると時間が無くなるため、いくら態度が悪くなろうがお構いなしだ。

「お気楽て、恋したこと無いなお前。めっちゃ苦しいからな。笑顔見るだけでキュンってなるし、匂いとかめっちゃ嗅ぐし、いつの間にか追いかけてるし、講義一緒になるようにめっちゃ調べ上げるし、最近は大学に来る時間帯まで把握できて」

 後ろに炎が見えるような勢いで唾を飛ばす。一音はご飯に唾がかからないよう、手で蓋をする。兄に気持ち悪いと目で訴えつつも、口元は綻んでいた。

「はいはい、ただの変質者じゃんか。そのうち警察にしょっ引かれるよ。追いかけられてる人も可哀想に…こんな奴に。訴えられたら縁切るからね」

「しょっ引かれるかもな。その時はお母さんの事頼むからな」

 ニシシと歯を見せて笑う顔は一音にそっくりだ。

「せめて凶悪な犯罪にしてよ? ストーカーもまぁまぁだけど、そんなんで逮捕されたとか恥ずかしすぎるわ。お母さんが可哀想」

「凶悪な犯罪で息子が逮捕される方が可哀想だろ。…漬け物食う?」

 ナスの糠漬けを一音の方へ押し出す。

「あ、このナス漬けられてたんだ。鼻ちょん切られてるじゃん」

 祖父が家庭菜園で育てた野菜は時々変わった形をしている。先日は鼻が生えたナスを嬉しそうに見せに来た。それがどうなったのかは、食卓を見れば一目瞭然だ。

 一音はナスの鼻を白米の上に乗せ、一気に口の中へかきこんだ。

「あーあ、鼻食べちまった」

「…なんか悪い?」

「なんにも。…そのうちナスの鼻でも生えてくるんじゃね?っふふふふ」

 思いつきが口をついた。ナスの様な紫色でぷっくりとした鼻が生えた妹を想像すると、腹の奥から笑いが込みあがる。妹が妄想の中で、鼻の重量によって徐々に腰が曲がっていく。次第に四つん這いになり、象へと変化した。

「ピノキオかよ。嘘つかないしあり得ないって」

 一音は腹を抱え静かに笑う兄を蹴り飛ばした。

食べ終わった食器を流しに置き、母が作ってくれた弁当を鞄の中に入れた。

 外の景色はいつの間にか緑へ移り変わり、外出するにはいい気温になってきている。

 家の中は寒いのに、いったん外に出ると暑さすら感じる。

「行ってきまーす‼」

「おう、行ってらー」

 なよなよとした意識を立て直すように自転車に跨る。

 風を切る度に嫌なことが吹っ切れていく。

 道路の真ん中でホバリングしているクマバチを危なっかしいスピードで避け、高校へ突き進んだ。


「おっはよーみんな」

 教室を開けると、昨日の出来事を知らないクラスメイトは朗らかな笑顔で迎え入れてくれた。

「おっはよ、たかむー」

「おはろー」

「へい」

 次々と適当な挨拶が飛んでくる。変哲のない日常が暖かい。

「おはよう一音ちゃん。昨日大丈夫だった…?」

「おはよ、麻乃亜。いやー昨日はイラついてたね。今日は脚本作ることだけに集中しよ」

「ゴメンね。私が荒らしちゃったから…」

「麻乃亜のせいじゃないよ。そんなに気負わなくてもいいって」

 麻乃亜の潤んだ瞳がやけに一音の気持ちをざらつかせる。

 その涙に毒が含まれていることを一音は気づいている様子もない。

「昨日ってなんかあったの? 一さん泣いてんじゃん」

 新敷が体を百八十度回転させ、麻乃亜の顔を覗きこんだ。

「へへ…ちょっと一組の子と言い合いになっちゃって。一音ちゃんのおかげで何とかなったんだけどね」

 一音にだけ向けた涙を新敷に見られてしまった。麻乃亜はバレないように顔をふにゃりと歪ませ、事を荒立てないように細心の注意を払った。

「へー、たかむーやるじゃん。一組の奴って誰?」

「演劇部の子だよ。ちょっとやんちゃな子。悪い子ではないと思うけど、関わりたくはない」

 ふ、と一音の顔に影が落ちる。

「…へぇ。たかむーにそこまで言わせるのって相当な奴だな。男? 女? 男だったら殴りに行くんだけどー」

「女の子だよ。それに口は悪いけど、間違ったことは言ってなかったと思うし」

 新敷を制止するように言葉を繋げる。

 今度は麻乃亜の顔が固まった。

「…え? そんな…だったっけ?」

「ん? うん。麻乃亜に対する暴言はどうかと思うけど、意見としてはしっかりしてると思ったけどな。どうせ部内で終わらせる劇だし、発表は夏だしワンピースの方が楽じゃないかな」

「そっか…そうだよね」

 麻乃亜の目から怒気とも取れそうな光がちらつく。

 頭が痛い。衣装を馬鹿にするな。メッシュ生地や編み込みにすれば通気性だって保たれる。それをペラペラなワンピースで? お話はお姫様が主役なんでしょう? ワンピース? ふざけないで。

「え、なになに? 演劇部って夏になんかやんの? 俺も見たい」

「だめですー。まず合宿に無関係の人呼べないし」

「合宿⁉ 何何何どこでやんのさ、詳しく教えて」

 期待に満ちた新敷の声が一音に突き刺さる。

「…学校」

「…あ、らま」

 二人のテンションがジェットコースターのようにスピードを上げて落下した。

「おはよう。なんか元気だね」

 相も変わらず完璧に整えられたポニーテールが揺れる。だが、その顔は疲弊に満ちていた。

「おっは、真尋…どしたん?」

「花瀬が暑さで茹ってる」

「真尋ちゃん…? 大丈夫?」

 心配を肯定するように細く開けられた口から消え入りそうなため息が漏れる。

 ハイライトが消失した真尋の眼は、これ以上関わるなと訴えるような気迫を持っていた。

「ちょっとね…生徒会で大失敗して」

「…ああ…真尋、私でよかったら昼休み話聞くよ? 話した方がすっきりするだろうし」

 同情するような笑顔に、心が揺らぐ。失敗という言葉で片づけていいのかすら不安になる。ボランティアの意味をはき違えた私は救いようもない馬鹿だってのに。

「一音…ありがとう。でも演劇部は? 昼休みいつも一組行ってるんだし、気にしなくていいよ」

「それは大丈夫。配役は一部除いて決まったし、脚本はそれぞれ考えて明後日発表なんだ。ちょっと一組には行きづらいし…。真尋とも話したいし!」

 ニカッと歯を見せて笑う。

真尋は嬉しさのあまり勢いよく顔をそらした。醜い感情があふれ出た顔を誰にも見られないよう、ゆっくりと表情金を落ち着かせた。すぐに完璧な微笑みでありがとう、と呟いた。

「そういえば、この前見せてもらったドレスってもう決まったの?」

「いや、美女と野獣やめることになった。主人公は世界のお姫様(仮)で、私はイヤリング落として熊を引き連れてくるあのお嬢さん役」

「…ん? あー、あの歌のか。なんだっけ、えっと…森のくまさんだ!」

 新敷はクイズでもないのに曲名を言い当て、褒めて欲しそうに一音を見ている。

 一音は新敷の目線には気が付いていたが、何故か兄と被ってしまい、無視をするという選択をしてしまった。

「今のところ熊役の子を背負い投げしたいから、男子は全員悪役にしたい」

「男だけとかひでー! 全員悪役にしろよ」

「一音…多分それは却下されると思うよ」

 どこか腑に落ちない。あの歌は最後に歌うんじゃなかったっけ? ケンカするパターンなのか。

「でも、強烈なアレンジを加える方が面白いかもね。私もそういう風に提案してみようかな。お姫様同士で殴る蹴る。服を破り合ったり…それだったらワンピースでもいいかも」

 意地悪く微笑んだ麻乃亜は机に向かい、懸命に何かを書き始めた。

 普段純真そうな顔つきからは想像もつかない面妖な面持ちをしている。

「服を…破る。インパクトあって良いかもね。何回もできるようにマジックテープで切れ目を作ったりできないかな。練習もしたいし」

 一音の悪乗りは麻乃亜の歯車とより一層加速させた。

「それだったらスナップボタンの方がいいよ。デザインもできるし、掛け違いさえしなければヨレも気にならないよ」

「じゃあ、ワンピースの下に血糊付けた服を仕込んでさ…」

 演劇部の二人はさらに物語の内容をさらに過激な物へと変化させ、楽しんでいた。

「女子の考える事ってすっげぇよな。もうお化け屋敷出来そうじゃん。俺もあいつらの劇見てみたいな」

 新敷は二人をにやにやと見つめ、真尋に声を掛けた。

「そうだね。…劇って見れないのかな」

「あれだろ? 一年生だけの企画で、演劇部の合宿だけで発表されるんだって。盛大にネタバレしてるけど、見ちゃダメって言われると見に行きたくなるよな。…なあ、花瀬が予定聞いてくれない? んで一緒に覗きに行こうぜ」

 真尋は気が進まない様子で腕を組んだ。それでも従順な犬のように期待だけを持つ新敷にこっぴどく断りを入れると可哀想にも思えてくる。正直真尋も覗いてみたいと感じていた。

「なーお願い! 生徒会だろ⁉ ちょっとだけ!」

 なまじ生徒会に入って権力を持ったことを後悔した。

「…分かった。でも、それだったら演劇部二人に直接頼んだらどう? 二人から部員に伝えてもらったら早いんじゃないかな?」

「頼む役を花瀬がやってくれないか…?」

 下からお願いされているが、つまるところ面倒くさいことは丸投げ、と言う事だ。


「にのまのー! なんか一組の子が話あるんだって」

 教室の出入り口の方から、麻乃亜に向かい召集がかかった。

 近くに立っていたのは、朝喜だった。

 いつもと変わらない茶髪だが、今日は髪形が自然に垂れ下がっている。

 指定の靴下を履き、以前より落ち着いた印象だ。

 それでもどこか威圧感を与える立ち姿に、二組の生徒も少し距離を置いた。


「…何か用ですか?」

「…うん。あのさ、チビって言ってごめんな。はい」

 麻乃亜に手渡されたメモは、内容が見えないようにきっちりと折り込まれていた。

「じゃあ」

「えっ? これは?」

 朝喜は何も言わず、隣の教室へ姿を消した。


 メモを開くと、可愛いオカメインコと目が合った。真ん中には汚い丸文字が細かく書かれている。所々何度も消した跡や滲みがあり汚く感じるのだろう。


『この前は悪口言ってごめんなさい ゆるしてもらえないかもしれないけどいじめられる人の気持ちは分かってたつもりだった。本当にごめんなさい。もし謝り足りなかったら殴ってもいいよ。口下手だから手紙でごめん

一年一組六番

加々野朝喜 かがの あさき 』


 丁寧に名前にふりがなまで記載されてる。文面では何度も謝ってくれた。朝喜の意外過ぎる一面に触れた麻乃亜はそのメモを元通りに折りたたみ、誰にも見られないようにファイルへ挟み込んだ。


「はい、おはようございます。朝礼を行いますー」

 字野が教室に入ると、乱れていた教室が一気に整う。

 恐怖で圧を与えてる訳でも脅している訳でもなく、ただ流れに身を任せるだけ。

 字野に目を付けられるとねちねちと怒られる。

 それが授業開始のチャイムが鳴っても続くことがある。

 そうならないためにもクラス全員で一致して何事も起こさぬように努力をしていた。


「えーと、全員いるな。よし。貴重品回収しますねー」


 いつもと同じ日常


「連絡ある奴はいるかー?」


 変わらぬ風景


「無いな。季節の変わり目なので体調を崩さないよう、気を付けてください。では」


 さらさらと流れだす記憶


 この季節の定型文を倣っただけの先生の表情なぞ覚えてる人なんて誰もいない

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