序章
私は何度でも生まれ変わることができるんです。
MOBってご存じですか?
日本語訳は、大衆とか群衆、野次馬です。大概は事件が起こる序盤の方や最終場面の盛り上げ役として様々な作品に登場します。 最近では名前のない重要なエキストラもMOBと言われるようになりました。
MOBは姿かたち無く、何かに憑りつき実体を得ます。
そして、誰かの物語の群衆に紛れこみ、引き立たせることを役目としています。
良い意味でも、悪い意味でも…。
あなたは自身の意思とは裏腹に行動したことはありませんか?
誰かに命令されたから仕方なく、もしくは気が向いた。いつもこんな事はしないけれど…。
人助けも、衝動買いも、犯罪も。
もしかすると、その誰か、またはあなた自身にMOBが憑りついていた可能性があります。
私の名前は『MOB#351073』
これでもかなりの古株です。今までいろんな役をしてきました。
その中の一部を紹介していきたいと思います。
さて、どこに隠れているでしょう。
六月六日午前六時三十分
「本日をもって、私は死にます。応援してくださった方々、ありがとうございました」
動画共有サイトに投稿された少女と思われるアカウントのメッセージ。
黒無地の背景に無機質な白文字が浮かんでは消えて行く。
たった二十秒足らずの動画がにわかに社会を賑わせた。
そのアカウントでは常日頃からいじめに関する内容が投稿されていた。
「今日は上履きを牛乳漬けにされていました。古典的過ぎてあほくさ」
下からそう書かれたメモがフェードインして、全体がブラックアウトする。
動画の背景には証拠写真と思われるポリバケツと牛乳、そこから上履きのかかと部分のみが顔を出している。
このアカウントの動画の特徴として、可愛らしい小鳥が描かれたメモに〇時〇分、いじめられた内容、時には証拠がセットで投稿される。小さな丸文字で、いかにも女子であることをアピールしている様だ。
しかし、これらの動画を本気で受け取る人は少なかった。
『自演乙ww』
『悠長に動画なんか撮ってないで警察行けよ』
『牛乳もったいなすぎる…牛に謝れ』
『これはすごい。自演にどれほどの資源を無駄遣いしてるんだろう』
『被害者は農家だな。こんな奴のために子牛から栄養奪ってるとか考えるだけで泣けてくる』
ネットでは好き勝手に誹謗中傷が行き交う。
そして、六月に投稿された自殺を仄めかす動画。
それ以降の動画は投稿されることはなかった。
通勤ラッシュで人通りが激しくなる日多輝駅の改札口で、花瀬真尋は期待に胸を膨らませていた。
真新しい制服、少しきつめのローファー、ほぼ空っぽの鞄にぴっちりと結われたストレートロングヘアー。少しだけ大人びた色付きリップをほんのりと唇に乗せる。
気合の入った完璧な姿だった。
私立 日多輝高等学校は制服が可愛い。
偏差値は決して高くはないが、それなりに人気のある高校だ。
都内の高校に行くのに、なめられちゃ困るからね!
入学式は十時半から体育館で始まる。集合時間は十時だ。
だが真尋は八時過ぎにも関わらず、日多輝駅に到着していた。
「おはよう! 案内係の子かな? ちょっと早いけど荷物置いてきて、案内板持ってきておいで」
それはこれから通うことになる高校の教員と思しき人物の言葉だった。
若く溌剌としたこの男性は体育教師だろうか。入学式当日であるのにジャージ姿で真尋の前に現れた。
「おはようございます! えっと、私は今年一年生になる者です。少し早く来すぎてしまいました…」
「えっ新入生なの? 早すぎるよ~。どこかで待っててもらおうか…。ちょっと他の先生に聞いて来るからここで待ってて」
慌てた様子で電話をする先生の姿をただ茫然と見つめた。
これから花の高校生活をスタートさせる手前で、先生に迷惑をかけてしまった。家に帰ったら反省会決定だな。
「ごめん、事務員さんの部屋になるんだけど、待ち合わせとか無かったらそこで待っててもらっていいかな? 名前はなんて言うの?」
「花瀬真尋です。待ち合わせはありません」
「花瀬さんね。じゃあついて来てもらえる?」
「はい…」
私はまだ悪いことはしていない。ただ少し早く着いてしまっただけ。それなのに不安で押し潰されてしまいそう。調子に乗った罰だ。高校への通学路は下調べ済みだが、この先生についていくことにしよう。
西改札口から真っ直ぐ進み、U字のバスロータリーを左方向に曲がる。大きな横断歩道を渡り、さらに左へ。
「花瀬さんはどこから通うの?」
唐突に話しかけられた。無言よりかはまだましか。
「八円町駅からです。だいたい一時間くらいで通う予定です」
「八円町駅⁉ ごめん、その駅分からないわ。一限はもうすぐ始まる時間帯だけど…花瀬さんは遅刻しそうにないね。頼もしい新入生だ」
ふわりと微笑む顔に安堵する。明るい口調で壁がなさそうな人だ。
「そうですかね…この時間であれば余裕です」
真尋は照れ隠しのためにぶっきらぼうに対応する。
この日のために目覚まし時計を三つ用意していたことは黙っておこう。
「君だったら生徒会にも入れるんじゃないかな。今の時間帯であいさつ運動とかをしてるんだけどさ、もし花瀬さんさえよかったら入ってみない?」
「生徒会ですか。ちょっと興味あります」
「わー嬉しい! 生徒会メンバーより早く来てるんだから、今年は安泰だね」
歩幅は私に合わせてくれているのか、かなりゆったりとしている。
そして小さな商店が立ち並ぶ路地へと差し掛かった。
あれ?
「…あの! この道って通学路ではないですよね。資料ではこの大通りをもう一つ進んだところで右に曲がるはずです」
先生は目を丸くして真尋を見た。
「えっと、そうだね。あっちの方が道幅も広いし、車もあまり通らない安全な道だ。えっとでもこっちの方が近くてね。コンビニもあって結構使い勝手がいいと言いますか…」
挙動不審でしどろもどろとした態度に不信感が芽生える。
「先生はいつもこの道を使われているのですか?」
「…はい」
先生は漬物石でも背負ったかのような猫背で真尋に向き合った。
真尋は当然だと言わんばかりに案内資料に描かれている道に進路変更した。
先生と真尋の立場も変更されつつあった。
「先生は体育教師ですか? ジャージだからそう思いまして」
「そうだよ。保健体育を担当してます。あ、名前言ってなかったね。僕は三橋有基と申します。これからよろしくね」
「通学路を新入生の前で破る三橋先生ですね。よろしくお願いします」
「えっちょっ待って! 報告だけはしないでください。どうかお願い致します」
新入生の真尋に向かい仏を拝するような格好で頭を下げた。
いたずら心でいじってみたが、三橋先生の地雷を作ってしまったようだ。
「報告はしません。オープンスクールの時も何人かあの道を使われている生徒さんはいらっしゃったので、一概に先生の責任にはできません」
「理解の深い子でよかったよ…。オープンスクールに来てくれてたってことは通学路も完璧に覚えてるの?」
安堵のため息が教師らしからぬ緩いイメージを植え付ける。
「もちろんです。これから三年間通う学校なので、事前の予習は済ませてあります」
「だんだん花瀬さんの事がわかってきたよ。本当に生徒会に向いてそうだね」
「私も三橋先生の事がわかってきました」
「どんな感じ?」
「生徒になめられるタイプの先生ですね」
三橋先生の表情が笑顔のまま凍りつく。
「…花瀬さん、直球ストレートよりもカーブの方が嬉しいな」
「じゃあ、生徒に慕われつつこき使われるタイプの先生ですね」
良いところにカーブして触れつつ、また先生のキャッチャーミットに派手に言葉がぶつかる。
「それの方がまだましだよ…。こき使われないように頑張らなきゃ!」
三橋先生はどこかに向かってガッツポーズを決めた。動きが大きく単純な性格は体育教師に向いていると真尋は考えていた。
「それでは三橋先生の良いところが無くなってしまうような気がします。私がこうして話せるのも、先生が話しやすい存在だからこそです。…そのままでいてください」
正直、学校の先生はもっと怖い人ばかりだと思っていた。
三橋先生がものすごく近い存在に感じるのは年齢が近そうだからだろうか。
それとも、ゆるキャラの様な性格だからだろうか。
どちらにせよ、相談できそうな先生がいてくれて良かった。
これからの高校生活を楽しむには外堀から作っていかないとね。
高校の正門が見えてくる。
オープンスクールとはまた違った雰囲気だ。
『入学おめでとう! 高校生活エンジョイしようぜ! 』
派手に飾り付けられたメッセージが真尋を出迎えた。
「到着っと! 花瀬さん、入学おめでとう! 花瀬さんがこの門をくぐる新入生第一号だ!」
「ありがとうございます。これからよろしくお願いします」
本当は第一号という言葉が嬉しくて仕方がないが、向かうのは新しい教室ではなく、事務員さんの部屋。真尋は新入生が事務員さんの部屋に向かう第一号だ。
何とも言い難い気持ちの中、ここからは三橋先生に案内してもらう。
「あ、みはティーだ。おはよー」
後ろから声が飛んできた。
そこには先輩と思われる女子生徒が手を振っていた。
髪はセミロングで寝ぐせがついてるのは愛嬌だろうか。
はっきりとした顔立ちと低めの身長が憎めない可愛らしさを助長させている。
「おはよう、牛田さん。新入生の前にみはティーって呼ぶのはやめてくれないかな」
「嘘っ! 一年生⁉ かーわいー。めっちゃしっかりしてそう!」
真尋はそれとなく会釈をする。
「あ、紹介しておくべきかな。牛田さんは新生徒会のメンバーだよ。んで、こちらが新入生の花瀬真尋さん。もしかしたら生徒会に入ってくれるかもしれないから、一応紹介ね」
三橋先生が二人の間で他己紹介を行う。
「生徒会入ってくれるの? まってすごい嬉しいんだけど。みはティーやるじゃん」
「まだ入るとは決めてませんが…。活動内容がどんなものか分かれば入るかもしれません」
ハイテンションな牛田先輩と少し距離を保ちながら真尋は言葉を交わした。
「入学式とオリエンテーションが終わったら、自由参加だけど部活紹介第一弾があるから参加してみてよ! 生徒会もちらっとやってるから」
「はい。そうさせてもらいます」
オリエンテーションが終わると帰る予定だったが、この後特に用事もないので参加することにしよう。生徒会の人にも顔を覚えてもらうチャンスかもしれない。
「んじゃあ、集合まであと一時間近くあるから、事務員さんの部屋行こうか」
「はい」
牛田先輩と別れ、校舎に入る。一階の渡り廊下を突きあたりまで進むと、関係者以外立ち入り禁止の文字が書かれたスライドドアが現れる。
「ここが事務員さんの部屋だよ。今日は誰も来てないから貴重品はないだろうけど、あまり探らないようにね」
三橋先生が鍵を開け、中へと案内する。
東向きの窓から燦燦と陽が照り付ける。
パイプ椅子や簡易な作りの机に、お菓子やポットが置いてある。電子レンジと簡易キッチンも完備されていて、最低限の生活であれば出来そうな部屋だ。
「集合時間の十分前くらいに呼びに来ようか? 新入生も多くなる時間帯だし、さらっと紛れ込めそうな当たりで」
「そうしていただけると嬉しいです」
「じゃあ他の先生にも伝えておくよ。それまでここにいてね」
「分かりました」
静かにドアが閉まる。
探らないで、と言われても気になる物は気になる。
まずは何故かレンジの中に置き去りにされたピザパン。
温められたけど存在を忘れ去られた悲しい子。
多分消費期限が過ぎてるだろうから手は付けないでおく。
次に小さく折り目が付けられた少年漫画雑誌だ。
広げてみると、激しい戦乱が繰り広げられた迫力のある世界が目に飛び込んでくる。
この折り目を付けたのは大方男性だろう。
とてつもなくスタイルの良い美少女の服が切り裂かれ、肌が露わになっている。
何故か血は流れていない。
「こんな物を学校に持ってくるだなんて…どんな事務員さんなんだろ」
真尋は文句をたれながら、暇つぶしと言い訳をつけて漫画を読みだした。
少女漫画しか読んでこなかった真尋にとって、その世界は新鮮で想像力を豊かにさせてくれる存在だった。
宇宙の果てで繰り返される爆破音。鋼鉄をも吹き飛ばすレーザー光線。現実味のない会話や魔法、少し下品な表現も慣れてくると全てが笑顔に反映される。熱気すら感じるスポーツ漫画に伏線の多いミステリー。
どれもこれも前話からの続きのためいまいち入り込めなかったが、満足感はある。
真尋は気に入ったミステリー漫画をもう一度丁寧に読み返した。
漫画は時間を忘れさせてくれる。集中していたところでドアの向こうからノック音が聞こえた。
「花瀬さん、もうすぐ時間だから行こうか」
三橋先生の声だ。
「はい。すぐ行きます」
急いで漫画をもとの位置、角度に調整する。
抜けかけた気合を入れ直すように頬を叩き、ドアを開けた。
「…三橋先生?ですよね」
「ですけど?」
真尋の目の前に立っていたのは、紺色のスーツを身に纏い、髪の毛もきっちりと整えた三橋先生だった。見た目が変わりすぎて混乱してしまう。
「ギャップがすごいですね。気合を入れすぎるとイメージを保つのが大変だから、少し崩した方がいいのでは?」
「何言ってるんだ。入学式には親御さんも来るんだ。俺一人のせいでイメージダウンしたら校長先生に怒られるわ」
どことなくふてくされた様子の三橋は、朝の絡みやすい三橋と打って変わって不満そうだ。
「三橋先生…怒ってますか?」
「あーゴメン。髪の毛固めるとシャンプーするのめんどくさいからイラついちゃうんだよね。んじゃ、集合場所行こうか」
真尋はこれ以上先生の期限を損ねないよう、細心の注意を払い先生の後を追った。
改めて見ると、不機嫌な表情の方がスーツに合っている。眉をひそめた表情がどこか大人の雰囲気を醸し出し、頼もしく見える。
静かな渡り廊下を抜け、校舎を出る。
三橋先生とは靴を履き替えるタイミングで別れた。
騒がしい正門付近へ何事もなかったかのように紛れ込む。
「あ、あの! 今ってどういう並び順になってるんでしょうか」
真尋は元気そうで話しかけやすい女子生徒に照準を当て、声を掛けた。
「あそこにクラス別の表があるから、それに合わせて並んでるんだよ」
彼女の指の先に、正門をくぐった時には見つけられなかった表が立ち並ぶ。新入生たちがその表に群がり楽しそうな声を上げている。
「ありがとう!」
真尋は彼女に小さく手を振り、真っ直ぐにその表へと向かった。
「花瀬…は、あった」
三クラスに振り分けられた表の真ん中に近い場所に真尋の名前が記されていた。
担任の名前は『字野 賢二』
『じの けんじ』先生…?変な名前。
「一年二組はこっちでーーす!」
その声とプラカードを頼りに集団の中へ進む。
先ほどの彼女も同じクラスの様だ。
「あっ、花瀬ちゃん!二組だよね?」
背筋が凍る。私を知っている人がいるの?
「もう後輩作ってるの? ユミは手を出すのが早いんだから」
「今朝会ったばっかだけどね。おーい」
声を掛けてくれたのは牛田先輩だ。こちらに向かい大袈裟に手を振っていた。その腕には生徒会と書かれた腕章がきらめいている。
隣には同じ腕章をつけた眼鏡の先輩が立っていた。
「牛田先輩、今朝ぶりですね」
「花瀬ちゃん、あの担任に当たっちゃったかー。まぁ頑張れ!」
「あの担任とは…? じの先生は評判悪いんですか?」
「じ、の、先生…。あっはははは」
いきなり腹を抱えて牛田先輩は笑い始めた。その笑いは止まることを知らず、眼鏡の先輩にもたれかかるレベルだった。
「えっとね、この子はツボにハマると数分間この状態だから気にしないでね。二組の担任は字野先生だよ」
優しく教えてくれる先輩が近くにいて良かった。
眼鏡の生徒会の先輩、もとい、牛田先輩のお世話係。真尋の先輩に対する印象はその二つだった。それにしても言い間違いで笑い転げるとは、どういうことだろうか。
「あざの先生…そう読むんですね。教えてくださりありがとうございます」
「いえいえー。珍しいから読みにくいよね。あと、先生本人の前で名前をいじったらブラックリストに載るから気を付けて」
「そうだぞー。あの先生は気が短いから、いじらない方がいいぞー。うっふふふ」
牛田先輩はまだ涙目で真尋の失言を笑う。
「ねぇ、君も二組だよね。名前教えてもらえるかな」
「うす、新敷 雄大です」
「新敷君ね。じゃあ花瀬さんは新敷君の二つ後ろに並んでいて。ここらへんかな」
先輩がクラス表らしき資料を確認し、的確に指示を出した。
生徒会ならばこれくらいのリーダーシップを発揮できる人がいて当然だろう。
この先輩みたいに頼られて仕事ができる人になりたいなぁ。
「まもなく入学式を執り行います! 保護者の方から順番に会場内へお入りくださーい!」
入学式が間もなく始まろうとしていた。
これから新しい生活が始まる。
今までの自分とおさらばするチャンスだ。