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不器用

作者: 春羅


 やっと納得できる。最期のことばを。


 誰にも言えなかった。笑いながら否定されると思うと、言えなかった。


 いいや、違う。


 最期にくれた優しい心を、誰にも分けたくなかった。


 あのとき隣にいたアイツと俺の、二人だけの特権だ。



 相馬とは結構長い付き合いだが、あんな顔を見たのは初めてだったな。


 親しい仲間でさえ見たことがない表情をさせる、独特の魅力を持ったひとだった。


 その顔をまじまじと見てる場合じゃねぇくらい、俺自身も驚いていたが。


 新撰組の唯一無二の大将は、笑いながらこう言ったのだ。


「歳さんはなぁ、俺と似てるからなぁ」


 流山の官軍駐屯地。こぢんまりとした薄暗い座敷だが、妙に不快感がない。


 普段から地蔵みてぇに寡黙な相馬はこれでもかと目を引ん剥き、真一文字に引き結んだ状態が定位置の口は閉まりなく開いている。俺はというと反対に、普段からその“歳さん”にうるせぇって怒鳴られるぐらいだが、呆気に取られて息を飲んだ。二人でバカみてぇに顔を見合わせると、また笑われる。


 豪快なくせに笑窪が凹む、優しい笑顔がみんな大好きだった。この大将の為ならなんだってやってやろうと誓えた。


 だから流山で官軍サマに投降するときも是非お供をしたいと懇願する隊士が大勢いて、俺たち二人がこの栄誉を勝ち取るのは至難の業だった。力技という名の。


「ぜ、全然似てないっすよ!」


 温厚を絵に描いたような仏の局長と、冷血を絵に描いたような鬼の副長。


 新撰組隊内は無論、薩長の奴ら、誰から見てもここまで対照的な二人も珍しい。


 これも珍しく、相馬も俺の意見に同意して、こくりと短く頷く。口は真一文字に戻っていた。


「局長は俺たち下っ端にも声掛けてくれるし、稽古付けてくれるし、一緒に呑んでくれるし……優しくてあったかくて俺、なんか親父みてぇだって」


「野村」


「ぅげっしまった!」


 正座から少し身を乗り出しての熱弁でつい口を滑らせる俺は、相馬の重低音で一喝され、局長は腹に響く豪快な大声で笑い飛ばした。そして一通り笑って、ゆっくり息を吐いた。


「新撰組のみんなが、かわいくてしょうがねぇんだよなぁ。俺も、歳さんも」


『はぁあ? あっすいません!』


 揃って素っ頓狂な声を上げ、間抜けにも同時に頭を下げた。


 局長がそう思ってくれているのは常々ありがたく感じていたが、あの副長が? 何度も言うが、あの、鬼の副長が?


 新入隊士の裏入隊試験とか言って、寝静まった大部屋に討ち入りをかけるようなあのひとが? 一喝怒鳴って、二言目にはっつうかその前に足蹴にする勢いのあのひとが?


 否定したい原因があり過ぎて、何も言えずにいる間、局長はやっぱり渇いた笑い声を響かせている。


 似てるというなら、周りを楽しませたり驚かせたりで笑ってばかりいるところなんて、むしろ沖田隊長のほうがそっくりだ。笑い方は全然違うが。


「俺はこの通りバカ正直だからわかりやすいだろうが、歳さんはなぁ、不器用な癖して隠すからな」


 あの、何しても人より巧くやる副長が不器用? 交渉にしても、相手に思惑通りのことを言わせて操っちまうのに? とかいちいち、局長の言うことに秘かに反論しちまう日だったな、思えば。


「わかりづらいかもしれないが、いい奴なんだ、ほんとにな」


 こうして副長のことを話すときの局長の表情を見ると、まさか嘘を言ってるとも思えないし、心の芯から信頼しているのが伝わってきた。


 それでも、はいそうします、と言えないことはある。


「だからな、お前たち。あいつを助けてやってくれないか」


 それでも局長は真っ直ぐに、俺たちが絶対に頷くと信じて見詰めるんだ。


「……どういう……意味ですか」


 その上、まるで自分の子どもたちが野山を駆けて遊んでるのを見るように、嬉しそうに微笑んでいるんだ。


「今頃、俺のいない新撰組を精一杯率いてくれている。その手伝いをしてやってくれ」


 こっちは目を逸らしてないと、逆らうことなんてできやしねぇ。


「ちょっと……待ってください」


「俺たちは、ここを離れません! こんな……薩長共の巣窟で、局長をひとりにできるわけないじゃないっすか!」


 局長は旗本の大久保大和と名乗ってここにいる。


 だが奴等もそこまで間抜けじゃねぇんだ。いつかバレる。隠し通せるはずがない。むしろ知ってて捕らえたのかもしれねぇ。


 奴等の仲間を散々斬ってきた新撰組の、憎くてたまらねぇだろう局長・近藤勇を、生きたまま帰すはずがねぇんだ。


「お願いします! お供させてください!」


「頼りないかもしれませんけど、その為にここに来たんっすよ!」


 局長も副長も、隊士全員、それを承知で、だから副長が全力で助け出そうとしてるんだ。


 新撰組の局長は、誰も代わりがいない。局長あっての新撰組なんだ。


 外でさえ曇り空。元々陽の当たらない場所なのに、障子の隙間から光の暖かさが差し込む。局長が黙ったまま、ひとつ小さく息を吐いた。


「相馬主計、野村利三郎。お前たちは新撰組の隊士だな」


『はい! もちろんです!』


 そして交互に見据えながら、淀みない言葉が続く。こうまで落ち着き払われて、一語一語聞くたびに耳を塞ぎたいくらいに哀しくなる。なのにずっとでも、聞いていたいんだ。


「新撰組とは、何のためにある。法度に律され、副長が育て厳しく導き、隊長たちが指揮し、隊士たちが命懸けで働いてくれて、そして会津中将様のご信頼をいただき、ここまでやってきた。でもな、副長の手下だからでも、隊士たちの食い扶持だからでも、会津藩の配下だからでもないだろう。幕府の、恐れながらすべては、大樹公の御為だからだ。お前たち二人のしていることは、真に大樹公の御為か? 俺などの傍で細々と時と労力を擦り減らす、それは真に大樹公のお役に立つのか? お前たちが真の大義を持つ武士ならば今こそ、副長とともに最前線にて三尺の剣振るうが務めではないのか? それが新撰組ではないのか? 我ら新撰組が守るのは、隊そのものでも、ましてやたった一人の男でもない。命を捨てろとは言わぬ。しかし最期まで、志を貫いて生きろ」


 じゃあ俺は、武士なんかじゃねぇんだ。


 だってそれでも、局長を置いて行きたくねぇ。


「局長は……死ぬときは主君の馬前でと、誓ったことがありませんか」


 相馬は膝の上で握り締めた拳を震わせる。だがそこまで必死に訊いたって、答えは決まっているんだ。


「俺は、お前たちの主君ではないよ。な、俺達は仲間だろう」


 本当は、局長も器用だ。相手に口答えさせない方法を知ってる。


 それは敵にでさえも。


「こ奴等は何も知らぬ小物だ。うろつかれても目障りである」


 敢えてそう言って、俺達を帰してくれた。


 命を救われたのは明白だった。


 以前よりも副長の側で働いていて、やっとわかる。


 ああ確かに、二人は似ているかもしれない。


 局長を喪ってからの副長は、別人のように優しい。


 それは、厳しく取り締まり続けてこれ以上味方が減っては戦にならないから、との計算の上だと言ってしまえば、逆に大将がいなくなって腑抜けたのだと言ってしまえばそれまでだ。


 俺は、これが本来の土方歳三なのだと思う。


 どうしようもねぇ荒くれ隊士どもから、まるで母だと言わんばかりに慕われ続け、この男の為なら喜んで身を戦場に投げ出そうと決意をもさせる。


 十分に大将の器を持ってるくせに、あえて二番手の座で、自分の惚れた男を支えたんだ。


 その方が自由に動けていいんだ、なんて言っていたが。


 今日だって、成功しても失敗しても、これからの戦況に大影響だろう戦を前に、喧嘩上等のガキみてぇな顔して海の向こうを睨んでる。


 女が涼しげとか騒ぐ横顔だが、わくわくしちまってるに違いねぇ。


 なんせこれから、海戦に接舷攻撃に、初めて尽くしの作戦決行だ。


「副長、中入ったらどうっすか? 無理しちゃってぇ。見てるこっちが凍え死にそうっす」 


「おおい相馬。野村が海ん中入りてぇそうだ。手ぇ貸してやれ」


 局長から預かったすべてで、俺は志を貫く。


「はい。わかりました」


「そっちん中じゃないっす! うぉあ! 相馬テメエ!」


 そうでなければただの生き恥だ。


「お前ら、死ぬ気はあるか」


 また、もちろんだと答えそうな相馬を遮る。


「いいえ、まっさかー!」


「よし。俺がいいっつうまで死ぬ気で生きろ」






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