微かに唇は動いている
奇妙な体験をした後、俺は神崎妹と会ってさっきあった出来事を話した。
こんな摩訶不思議な話を聞かされたら普通は病院を紹介されるところだが佳奈は真面目に話を聞いてくれる。
メロンフロートのグラスを長いスプーンで軽く叩きその音はよく響いた。
俺は最後の一本だけ残されたフライドポテトをつまみ口の中に頬張る。
しけっててもう美味しくない。
グラスに入った水を飲み干すと佳奈は俺を見てニコッと笑った。
……結婚しよう。
とまぁ騙されるのは素人だ、腹の中で何を考えてるかなんて本人にしか分からない。
「なんというか佳奈は愛嬌ありすぎて逆に怖いな」
「なにそれ?僕は普通にしてるだけだよ?嫌な事は嫌って言うし好きなものは好きって言う……だからこのフロートも美味しいしなんならもう一個食べたいくらいだよ」
そう言うとグラスの中にスプーンを入れる。
スプーンが軽く跳ねてまた甲高い音が響く。
普通に考えて神崎姉妹は姉の真由の方が大人っぽく見えるはずだ。
それはさながら見た目や仕草が高校生のそれとは少し違っているから。
だが妹の佳奈は話してみるとその姉よりずっと大人っぽい対応をしてくれる。
場を繋いでくれるし話を促してくれる。
この無邪気さも相手が話しやすいようにしてくれてるのだろう。
「僕も何回は怖い経験はした事あるんだけどさ〜特に怖かったのはお姉ちゃんとホラー映画観ててさ?それで久しぶりに一緒にお風呂に入ろうってなったんだけど、ほら?お姉ちゃん僕の前だと少し弱い部分を見せてくれるのね?」
「へ〜」
二人でお風呂か……俺も混ぜてくれないかな。
「な〜んかいやらしいこと考えてないよね?」
「うん」
「……本当に?」
「本当、本当だって」
よし、あとでじっくり考えよう。
佳奈はジト目でこっちを観てくる。めっちゃ疑ってるじゃん。
「まぁいいや、それでね?お姉ちゃん髪の毛長いから頑張って髪を極力前側に行かないようにこ〜んな感じで洗ってたんだけど、シャワーで洗い流す時はどうしても目を瞑らなくちゃいけなくなって、でも怖がってるのは僕にバレたくないからすごくはなしかけてきてさ?」
あ〜確かに鏡になんか映ってそうで怖いよな。
真由の気持ちが痛いほど分かる。
実際俺もエミと入ろうとしたしな。
「それで僕返事しながらバレないように移動してゆっくりとお姉ちゃんの頭にシャンプーをかけたのね?そしたらお姉ちゃん「あれ?泡が落ちない……なんで!?怖い!怖い!」って大騒ぎしてさ〜僕もう面白すぎてその場で笑い転げたんだよね」
……こいつ最低だ。
その場面を思い出したのか佳奈は口元を押さえて再び笑い始める。
「あははっ!それでさ!そしたらお姉ちゃんホラー映画に出てくる貞子みたいな髪の毛で僕に飛び掛かってきてさ!本当に怖いのはお化けじゃなくてお姉ちゃんだったんだよね!」
「そりゃ怒るだろ!」
こいつ人の心がないのか!
俺だったらマジでトラウマものになる。
「え〜ちょっとからかっただけじゃ〜ん、そのあと湯船に浸かりながらブクブク泡立てながらわかりやすく膨れててさ〜抱きついてほっぺたいじってたら許してくれた」
……姉妹で裸で抱き合いか。
よし、これもあとでじっくり考えよう。
「それからさ〜学校の通学路の話とか家族で遠足行った時とか話はいっぱいあるけどやっぱあのお風呂の時が一番怖かったね〜」
佳奈が姉の話をしている時はすごく幼く見えた。
それは年相応とかじゃなくて本当に幼い子供のような。
根は実は幼いのかもしれない。
佳奈がこんなに楽しそうに話してるとこっちまで感情が移って楽しくなる。
俺はもっと二人の話が聞きたくなってきた。
佳奈が前のめりになるのを俺はどうどうと抑える。
「直近であった怖い話とかあるのか?」
俺がそう聞くと腕を組んで佳奈は唸る。
すると突然目を見開き一点を見つめる。
「ん?どうかしたのか?」
しばらく目が合った。
微かに唇は動いている。
けど佳奈は喉がつっかえた様に言葉を発さない。
そうしてグラスの水を飲み干すと縁を指先でなぞるように円を描く。
何かまずいことを聞いてしまっただろうか……。
「ごめんね……喋り過ぎて喉が乾燥しちゃった」
「お、おう、こっちこそごめん」
お互いさっきとは声のトーンが全然違った。
空気が重くなり自然と口数は減る。
何か話さなきゃとは思うけど何を話して良いのか分からない。
俺があたふたとしているの佳奈はクスッと笑う。
「えっとね……ふと思い出しちゃってさ」
「思い出した?」
「うん」
返事をすると大きく息を吸って目を閉じた。
「お姉ちゃんの誕生日の日に僕喧嘩しちゃってさ、誕生日って一年に一度じゃん?だから大切って分かってるんだけど毎日会ってるんだしその日は友達と遊びに行くのを優先したんだ」
「真由はそれで怒っちゃったってわけ?」
「うん……あ、もちろんプレゼントも用意してたし夜には帰ってきて一緒に祝うつもりだったよ?けどお姉ちゃん祝い事は結構大事にしててさ……その日は一日中僕と一緒に遊ぶつもりだったみたいで」
当時の記憶を思い出したのか気まずそうに頬をかく。
「それでその夜は全然口聞いてくれなくて、それで僕もムカついて絶対僕から話しかけてやらないってさ……僕の言い分も分かるでしょ?」
「まぁ……友達付き合いも大切だしプレゼントも用意したわけだしなぁ」
お互い言い分はあるのだろう。
「次の日にも喧嘩は続いてていつもは一緒に登校するんだけどその日は僕が別の班についてってさ……普段なら絶対怒るんだけどその日はなんも言ってこなくて、そのままどんどんギクシャクしちゃったんだよね」
「周りの人にはなんか言われなかったの?」
「もちろん言われたよ、喧嘩したでしょって……やっぱ普段仲良いから余計目立っちゃったみたいでさ〜親にもすぐ仲直りしなさいって言われて……でも僕はなんでお姉ちゃんが折れてくれないんだって思ってさ、ちょっとくらい妹の我儘聞いてくれても良いじゃんって家を飛び出してさ」
「え?まじ?」
姉妹喧嘩がそこまで発展してしまうとは。
「うん、その日の夜の街灯とかすれ違う人とか全部が怖かった……きっとこんな夜中になんで一人で出歩いてるんだろうって思われてたのかな……光に群がってる虫を見て僕は……」
佳奈はそこで話すのをやめた。
当時の情景を思い出しているのか天井の照明をジッと見つめている。
彼女の頭の中ではきっとその時あった心情なんかも色々あるのだろう。
「えっと……それで仲直りは出来たのか?」
また俺たちは見つめ合ったが俺はすぐに視線を逸らした。
佳奈は無理に作ったであろう笑顔を見せてきた。
「忘れちゃった」
悲しそうな表情でそう言った。
でもきっと今仲良くしているところをみると仲直りは出来たのだろう。
グラスに付いた水滴がゆっくりとこぼれ落ちる。




