誰かに任せてばかりでは社会に出られないわよ
夕日が沈み込んでいく中、これから夏に入ろうとしているせいか今朝とは違い少しジメジメとした空気が流れこんでくるのを感じていた。
額から流れる汗は頬を伝いそのまま下へと落ちていく。
もうすっかり日も落ちかけてこの場所には灯りという灯りが存在しない。
ただ枠上から伝わって来る窓の光のみが俺の視界を照らす。
……そうここは男子トイレの個室の中。
俺は特にズボンを下ろすことなくただ便器に座っていた。
え?なんでこんな事してるかって?
隠れてるんだよ!奴らから!
「雪く〜ん?隠れても無駄だよ〜クラスの女子がトイレの方に向かって走って行ったって美代に教えてくれたんだから〜」
俺は両手で口元を抑え叫び出しそうなのを抑える。
と言うか呼吸が乱れすぎてこのままだとバレそうだ。
てか単純な疑問なんだがなんで美代は普通に男子トイレ入ってきてんだよ!
そこが前提としておかしいだろ!
「こっちかなぁ?早く雪くんの可愛い顔が美代見たいなぁ〜」
ひぃ!!
原理はよく分からないけどトイレの中はやたら音が響く。
だから美代の声や上履きの足音がゆっくりとこちらに近づいてきているのもよく分かる。
一歩……また一歩と俺の方へ。
すると扉の隙間から影が通り過ぎたのが見えた。
窓際の一番奥側から確認しているみたいだ。
今のうちにこっそり抜け出して逃げるか!?今なら個室の中を調べてるわけだしそれにここは一番手前側だから距離なら十分ある!
焦って思わず手前側に入ったのは失敗だと思ったがそれが生きた!
「雪くんここかなぁ?……あれ?違うみたいね〜でも安心して?見つけたらもう一人でトイレに行くことも無くなるからね〜」
こわぁい!動けない!腰抜けた!足震えてる!
俺はドアノブのスライド式ロックを外す直前まで手を伸ばしていたが指先が震え上手く開けられる自信がなくなってしまった。
無理だ!美代から逃げるなんて!志保ですら怖いのに美代なんて正直何考えてるか分からん!
確か幼稚園の時お気に入りのぬいぐるみのワタを全て抜き切った後に「苦しいよね?直してあげる」って言ってまたワタを入れたあと「美代が治してあげたんだよ?」って言ってたのを見て俺は思わず漏らしそうになったのを覚えてる。
あのクマのぬいぐるみは今でも美代に感謝しているのだろうか。
いや!確か卒園式の時に汚れたクマを見て「もういらなぁ〜い」って言ってバラバラにしたあと両腕を燃やし頭部のワタを園長先生に渡し下半身は別のぬいぐるみと縫い合わせてた!
そんな昔話を思い出していると美代の上履きの足音は隣の個室まで近づいてきていた。
「美代って飽きたぬいぐるみとかおもちゃはすぐ捨てたり壊したりしちゃうんだけど雪くんだけは別だよ?」
へ?ま、まぁそうだよな人間相手にそんな乱暴しないよな。
「雪くんは壊れても治してあげる♡ううん、壊れて!壊れた雪くんも見たいの!」
「ぎぁぁ!!!!誰かぁ!!助けテェ!!!」
ーーーー
桜の木もすっかり気持ちを入れ替え、これから夏を迎えようと新緑へと色を変える準備をしている。
志保はこちらをチラッ、チラッと見てきて美代は俺の腕をつかみ、胸を押し当てて「結婚しようね〜」とか話しかけてくる。
それらを全て軽く流していたが、そろそろ限界に近そうだ……。
くそ!理性が爆発しそうだ!妙に頭が痛いし!
よし、何か別の事を考えよう……えーっと美代は今裁縫道具を持っていて……あれ?こいつカバンどうしたんだよ?てか家庭科の授業なんてまだだいぶ先なのになんで裁縫道具持ってんだ?
「ねぇ?聞いてるの雪くん?……そ……」
「もちろん聞いてるとも!でもあれだな!……今朝とは違って少し暑いな!」
俺は全ての空気を切り裂くためあえて大声を出した。
まずい……まずい!暑さのせいか二人とも不機嫌なのが伺える!もう既に一触即発な状況になってるよ!
「そうね、特に胸のあたりが暑いわね……」
志保は制服を少し淫らにし手で仰ぐとその虚しい胸部に俺は目がいってしまった。
「美代もそう思うの〜」
そう言って美代もパタパタとスカートを仰ぎ始めた。
その光景は明らかに同い年とは思えない格差があった。
あえて何とは言わないが……。胸も……足も。
「ぬっ!……かっ!……そ、そうよね!特に上半身が暑いわよね!」
あぁ〜、嫌な予感がする〜。
美代の軽いジョブに思いっきりカウンターをかまそうとしている志保が眼に浮かぶ。
「うん、美代はね〜ここがねっ?特に蒸し暑いかなぁ〜最近また大きくなってきたしあんま成長しても困るんだけどなぁ〜でも赤ちゃんにもたくさん飲ましてあげたいし多少は大きくないと困るよね〜」
これはまずいな……2人が喧嘩したら世界が、俺が終わる!
俺が終わるって事は世界も終わりを意味する!
「ふ、2人とも!部活とかどうするの!?もう決まったのかな!?」
俺の声は聞こえているのだろうが志保はもみあげをくるくると回し斜め下を見てしばらく黙っていた。
なんだか照れてる様子が伺えるが……実際は分からん。
その隙に美代が俺に飛びついてくる。
「私は雪くんと同じ部活動にし〜よっと〜」
「わっ!あぶなっ!」
いきなり飛びつかれたので少しバランスを崩したが美代をなんとか抑えると志保がものすごい目つきでこちらを睨んできた。
こわっ!!
「誰かに任せてばかりでは社会に出られないわよ、いつまでも雪くんに甘えているのは良くないと思うのだけれどその辺どう考えているのかしら?そもそも甘えて良いのは自分へのご褒美として特別な時にした方が良いと思わないのかしら?脳みそ空っぽで全部胸に持ってかれたから考える事も出来ないのね?あ〜あそんな人に付き纏われてる雪くんが可哀想ね」
殺気立った目つき。
あと五秒と謎の忠告が俺の脳内に伝わってきてる!
必死に美代を剥がそうとするか両腕ともがっしり捕まれあえて志保を挑発するように訥々と見つめていた。
「え〜、美代は社会に出ないで雪くんと幸せに暮らすから必要ないんだけどなぁ〜……ね?雪くん?子供は何人欲しいの?五人?六人?」
「「なぁ!……」」
俺も志保も思わず赤面し、しばらく動けなかった。
その後も俺たちは特に意味もない会話を続け二人からようやく解放された。
あいつら部活動入る気あるのか?
強制的に入る必要は無いとは思うが……せっかくの高校生活に部活動へ入らないのももったいないのか?
一度きりの人生で後悔したくないし……志保と美代は怖いし。
部活動……どうするかなぁ〜。
あの二人とは違う部活に入りたいけどなぁ〜。
「ただいまぁ〜」
「お兄ちゃんおかえりスペクトのかけらもない残念な高校一年生の春〜……って」
それは俺のこと言ってんのか?
とツッコもうかと思っていたが妹の様子が変だ。
俺の事をじっと見て驚いた表情をしている。
へ?
「お、お兄ちゃん……頭にまち針刺さってるよ……」