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おやすみ俺……いろんな意味で。


 俺はやっとの思いで家にたどり着いた。


  もうくたくた……早く風呂入って飯食って寝たい……。


  家のドアノブに手をかけると安心感からのせいか急に腰が抜けてそのまま玄関とフローリングの境目に流れるよう腰を下ろした。


 両腕を八の字に置きそのまま天井を見上げる。


 なんだか目がチカチカする。こんなに走ったのも久しぶりだしみぞおちも痛い。


  深いため息と共にそのまま腕を大の字に広げてフローリングの上に寝そべる。


  「あれ?お兄ちゃんおかえりんご〜ん」


  台所から出てきたエプロン姿の妹は菜箸に今日のおかずを挟みながらこちらに近づいてきた。


  「あ〜ん、してお兄ちゃん」


  俺は黙って口を開けると甘辛く生姜の風味と肉の噛みごたえのある食感に溢れる肉汁が口いっぱいに広がる。


 生姜の香りが鼻腔を通り抜け俺の食欲をそそりさらには疲れ切った身体に染み渡る。


  うっまぁ!正直言って今日の夜ご飯食う余裕ないと思ってたけどこんなの食わされたら確実に白米が進む進む。


 茶碗大盛り2杯くらいはいける。


  「ど?可愛くて頭も良くて愛想もいい妹の作った豚肉の生姜焼きは?童貞のお兄ちゃんにはちょっと刺激が強かったかな?」


 おい自分で可愛いとか言うな。あと童貞言うな。


 「童貞なのは関係ない、けど夜ご飯は楽しみ」


  「ありがと、それよりお兄ちゃん……どうしてそんなにボロボロなの?戦場にでも行ってきたの?化け物語なの?もしかしてホチキスとカッターを大量に持った女の人に追いかけられたの?」


  そう言って妹は菜箸についた残りカスを口に加えると、ポニーテールにまとめあげた髪の毛を手で少しほぐしながら訊いてきた。


  ちょっとした仕草が可愛いな……。


  「……お兄ちゃん?」


  それに妹の推理はあながち間違いではないな。


 実質的には戦争みたいなものだし。


 「なんでもないよ、それより風呂は沸いてるの?」


 俺は足を器用に使い靴を脱ぎ捨てると立ち上がり階段の方へ向かう。


 「うん、沸かしてあるけどご飯ももう出来るから早めに上がってね……あ、でもお兄ちゃんは早漏だから時間の方は大丈夫か……あ、あと風呂場ですると詰まっちゃうからちゃんとみんなが寝静まった頃に一人で静かに自分の部屋でゴソゴソしてね」


 「おい思春期、もう中3になるんだからその辺は自重しろ……あと早漏言うな」


 俺はビシッと妹に指を刺すとそのまま奥の階段へと進んだ。


  軋む階段を一段ずつ登っていく。


 今日は疲れてるせいか階段の断面にある木目の黒い芯の部分がやたら気になった。


 普段は使うことのない手すりを頼りに俺は上へと足を進ませる。


 はぁ……。


 けどまぁ二人とも普通に元気そうだったし良かったと言えば良かったのか?


 明らかに元気すぎる気もするが。


 ある日を境にパッタリと現れなくなった志保と美代。


 ただ俺は二人の警戒心を中学3年に上るまでは一才緩めてなかったけど。


 ちなみにカウンセリングも受けた。


  俺はワイシャツのボタンを一つ一つ外すと寝間着を持って風呂場に向かおうと部屋の扉を開ける。


  そもそも何で志保と美代はあんなに俺にちょっかいを出してくるんだっけか。


 二人との出会いは確か幼稚園ぐらいの時だったはず。


 第一印象は悪くないはずなんだけどなぁ。


  するとカバンの中からものすごい量の通知音とバイブで振動しカバンはだんだん左にずれてベットから落ちた。


  なんだこの不可解な現象……。


 バカな……カバンの中には新品の教材とノートが沢山入っているんだぞ?


 スマホのバイブごときで数十センチも移動することなんてありえないだろ。


 これはバイブなんかじゃない……。


 怯えているんだ!スマホも!


 俺はカバンを見つめたまま足を後退させドアノブの位置を確認する。


  「そろそろお風呂にでも入ろっかな〜……俺は何も見てないし聞いてない!誰かぁ!助けてぇ!」


  俺は逃げるかのように風呂場に向かう。


 「お兄ちゃんドタバタうるさ〜い、そう言うことするなら静かにしてって言ったじゃん……なんでそんな生まれたての子鹿みたいに足が震えてるの?寒いの?それとも抜いた後に全力疾走するとそんな感じになるの?」


 「そ、そうなんだよ!寒い!寒いから早く湯船に浸かりたいなぁ〜!」


 俺はちゃっちゃと服を脱ぎ風呂場に入ると湯船の蓋をぐるぐると巻く。


  ザバァーと湯船の中の水が外へ流れ落ちると俺は数十秒そのまま頭までお湯の中に浸かった。


 そして息苦しくなってきたところで顔をあげ天井を見上げる。


 ふぅ〜とりあえずリラックス……つまりチルだ。


 髪の毛をオールバックさせ足を湯舟の端まで伸ばす。


 ピチャ……と水滴が落ちていく音が聞こえる。


  蒸気が水滴と化していくのをただボーッと眺めていると何となく心が落ち着……かない!


  「どうしてこう身震いが止まらないのだろうか?」


  その場には水滴がポタポタと落ちる音が響き渡る。


 何故かその音は次第に大きく早くなっている気がする。


 いや!そんな訳ない!


  俺は心を落ち着かせるために目を閉じた。


  視界はただ真っ暗で何も映っていないはずなのに何故か背後に誰か居るようなそんな気配がして落ち着かない。


 お、落ち着け!俺!後は壁しかないだろ!


 俺はゆっくりと目を開け視点をそのまま後ろまで動かす。


 いる……訳ないよな……俺の考えすぎだバカ。


 やはりそこには壁しかなく先ほどの凍り付くような気配はただの気のせいだと分かり安堵のため息と同時に自分の頭を軽く叩く。


 「明日が楽しみね雪くん♡」


  どひゃ!?


 その凍りつくような声に驚きそのまま足を滑らせ湯舟の中に滑り落ちる。


 な!な!何!?今の声!?なんか聞こえたんですけど!?聞こえてはいけない声が聞こえたんですけど!?


  驚いて立ち上がり辺りを確認すると誰もいなかった。


  湯船から流れ落ちる水以外は特に異常も見当たらない。


  「ついに幻聴まで聞こえるように……」


 怖い怖い怖い怖い!


 なんで!?どうして!?てか誰!?……いやまぁ見当はつくんですけど。


  恐ろしさのあまりに湯船に顔ごと浸かった。


 多分2分くらい。


 間違いなく人生で一番呼吸を忘れてた気がする。


 息吸うことより湯舟という謎の安心ゾーンから抜けることの方が嫌だった。


 分かりやすく言うとホラー映画見た後に寝る時布団を頭まで被って全身守る的なやつ。


 あれと同じ現象だ。


  俺は風呂から上がるとリビングで家族と飯を食べた。


  テーブルに並べられたのはご飯と味噌汁そして先ほど、一口食べた豚肉の生姜焼きに添えられたキャベツの千切り2リットルのお茶だ。


 まぁそんなんどうでもいいが。


 両親共に仕事の関係上帰ってくるのが遅かったり出張行ってしばらく帰ってこなかったりするご都合主義設定があるのだが今日は普通に定時で上がれたらしい。


 まぁ定時と言ってももう7時過ぎなので8時間勤務じゃないところから察しなのだが。


 席順は特に決まってないがなんとなく俺と妹が隣に座ってる。


 四人で食べる時はいつもこうだ。


 まぁこれは昔からの風潮みたいなやつだけど。


 豚肉の生姜焼きを一枚口に入れると俺はそのまま米をガツガツと口の中に流し込む。


 少し濃いめの味付けになっているからこれがホカホカのご飯とよく合う。


 ちなみに野菜も食べないと妹がぐちぐち言ってくるので摘む程度には食べておく。


  「さっきお兄ちゃんがボロボロで帰ってきててさ〜お風呂入るって言って2階上がったんだけど降りてくる時なんかちょープルプルしてて……ププッ……この間やってた動物番組の生まれたての子鹿みたいで可愛かった」


 こいつ……同じ目に合わせてやろうか。


 多分薄い同人誌で酷い目に……合わされても妹なら逆に手駒にしそうで怖い。


 と言うか妹を薄い同人誌に登場させようとしている俺が一番怖い。


  「そうなのか?父さんに言ってみなさい、お前は一時期様子がおかしかったからなぁ……急に引っ越して下さいって泣きながら土下座までしてきたし」


 腕を組みまじまじと俺の顔を見てきた父さんの頭を引っ叩く母さん。


  「ちょっと!お父さん!酒臭いですよ!口閉じて!お風呂も汚れるから最後に入ってくださいね!それから風呂上がったなら洗濯機も回して!いつも雫がやってくれてるのどれだけありがたいのかちゃんと感謝もして!あと……」


 頭を抑えながら涙目になる父さん。


  いや確かに酒臭いけど父さんも頑張ってるんだよ……。


  仕事とか対人関係とか……。


  俺は一度箸を茶碗の上に乗せると意を決した。


 二人のこと……家族には伝えておかないと。


 確実に!家来るし!


 さっきの感じだと家バレてそうだし!てかいずれバレる!


 ただ両親や妹の中では志保と美代は仲のいい友達で礼儀礼節を弁えている完璧超人のはずだ。


 もちろん俺が必死にそれを否定してもあの二人のイメージが崩れる事はまずない。


 つまりとりあえず志保と美代と再会したことだけを伝えそのうち顔を合わせる機会がある旨を伝えればいいのだ。


 よし……話すぞ。


 固唾を飲みお腹に力を入れる。


  「じ、実は久しぶりに美代と志保にあってね2人とも元気そうで何よりだよ〜あはは……」


  妹は箸を止めるとポカンとした表情で俺の事を見つめていた。


 なんでそんなに固まってるの?時間停止ものなの?あれって9割はフィクションで1割はノンフィクションだからつまり今時間が停止してるって事か?


  「えっ?それってお兄ちゃんもしかして……」


 あ、普通に喋った。残念……じゃなかった、良かった。


  「あら、そうなの?2人ともちょっと前はよくうちに来ては雪を取り合ってね〜今でもそうなの?」


  「そんなことより母さんビールだ、おい!雪にあの2人は勿体無いくらい可愛いからな、大切にしろよ〜!」


  ニヤニヤと笑う父の顔をぶん殴ってやりたかった。


 やっぱ口閉じて欲しい。


  「そう言えば二人とも毎年の様に私とお父さんの誕生日プレゼントを持ってきてくれてね〜長いお付き合いになるなんて言ってて最近の若い子は凄いって思ってたのよ〜」


 「へ〜そうなんだ〜」


  え?何その話?初耳なんですけど。


 と言うか……なんだこの妙な違和感は……ただ俺の脳が余計な事は考えるなと訴えてきている。


 俺は余計な事は考えず再び茶碗を手に取りおかずを摘む。


  「そうそう!孫の顔を見せてくれると約束までしてくれてな!いやもう父さんそれが嬉しくて嬉しくて……うぅ!!いやぁ!お前は幸せ者だなぁ!」


 渾身の三文芝居を見せてくる父さん。


 母さんもそれに伴い泣き真似をする。


  このバカ親たちは一生仕事してて欲しい。


 俺が!どれだけ!弄られて!いじめられて!殺されかけたのか知らないだろぉ!


 雪くん女の子計画の時はいよいよ男としてのプライドとか諸々全部失ったからなぁ……。


 思い出すだけで俺のあそこがヒュンとしてしまう。


 ちゃんとついてるか心配になってきた。


 俺は一応その場で誰にも見られないようについているか確認する。


 良かった〜まだ健在みたいだ。


 「……お兄ちゃん食事中に自分のソーセージ食べようとするくらいなら冷蔵庫に入ってるからそっち食べなよ、お兄ちゃんのソーセージはちっちゃいんだからあんまお腹にたまんないし満足出来ないでしょ?」


 「おい、お兄ちゃんのソーセージをバカにするな、今はシャイだがバッターボックスに立てばそれはもう立派なんだからな」


 「いやいや、お兄ちゃんの場合三振どころかグラウンドにすら立てないんだから……一生外野で素振りしてたら?」


 箸で俺のあそこを刺しながら鼻で笑ってきた。


 この毒舌すぎる妹め……普通に心折れる。


 もう嫌……。


  家族団らんその後もとりとめのない話が続いたが妹だけは浮かない顔をしていた。


 まぁ俺もだけど。


  その後、俺は寝ようとカバンを一旦タンスの中の一番奥の奥にしまいこみ明日の準備をしていると妹が入ってきた。


  「お兄ちゃん……」


  「うわぁ!ごめんなさい!……ってなんだ妹か……ノックくらいしてくれ!危うく殺されると思ったろ」


  平然と入ってきやがって。


 美代と志保の顔が必ずチラつく!


 俺は馬と同じで後ろにいきなり立たれると驚くし死を覚悟する癖があるんだよ!


  「そうだよね、あれしてる最中だったらお兄ちゃん困るもんね〜一生懸命頑張ってこれをこうしてこうしてたら突然入ってきた可愛い妹にぶっかけて大変な事になっちゃうもんね」


  「やかましいわ!あとその手の動き!やめろぉ!……あれとは何か詳しく聞こうじゃないか!ほら!言えるのかい!?無理でしょ?無理ですよね?」


 身振り手振りを使い煽る俺に対しジト目でジッと見つめてくる妹。


 こいつ必死すぎてキモって顔してやがる。


 無視だけは心折れるからやめてください。一人で盛り上がっててなんか馬鹿みたいだろ。


  「それで?どうした?」


  すると妹は下を向いて片足をブラブラとさせると頭をかいてこちらを見てきた。


  「なんでカバンしまったの?」


  「か、カバン!?なんのことかな〜?よく分からないんだけど〜」


  思わず声が裏返ってしまった。


  「あっそ……志保さんと美代さんが帰ってきたってほんと?」


 今度は真面目に真剣な表情で俺の事を見つめてくる。


 おふざけなしのモードみたいだ。


  「ああ、ほんとだ」


  まぁ帰ってきたって表現は少し変な気もするが……そこは再会とかじゃないのか?


 ただ確かに三年近くはあってなかった。


 謎の空白期間に二人が何をしていたかなんて想像もつかない。


 と言うか想像したくない。


  「じゃあ……また、あんまりかまってくれなくなっちゃうんだ……」


  「ん?」


  うまく聞き取れなかった。


 ラノベ主人公あるあるだよね。


  「なんでもない!おやすみ〜お兄ちゃん、あれは次の日に響くし寝つきも悪くなるみたいだから程々にしたほうがいいよ〜まぁ何回も素振りして自分を大きく見せたいのは分かるけどさ」


  そう言って妹は顔を合わせずに自分の部屋に入ってしまった。


 あいつ言いたい事だけ言ってさっさと部屋に入りやがって。


  するとタンスの方からバイブが振動しているのが伝わった。


 俺の身体から妙な汗が噴き出てきたのも伝わった。


  「よし、寝たことにしよう」


  俺はすぐさまベットの中に潜り込んだ。


  おやすみ俺……いろんな意味で。

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