え?……セクハラ?
「それより何を泳ぐの?クロール?平泳ぎ?」
せかせかと催促してくる妹に対し俺は疑問符を頭に浮かべた。
そんな決まりはないのだが……さてはプール初めてだな?
まぁ言うて俺もそこまで頻繁に行くわけではないので詳しく知ってるわけではないのだが。
そわそわと落ち着きのない妹の肩に手を置く。
「え?……セクハラ?」
「ちげえよ!……妹よ誰かと一緒にプールへ来たことあるか?」
すると妹は首を横に振った。やはりか……。
「プールは人が多いからあまり泳げないわ、それに特に決まりごとはないのよ、泳ぐも自由だし会話を楽しむのもありね……そう本に書いてあったと思うわ……たしか」
志保はまだ腕を胸の下で組んでいた。そんなに小さくないですよ、自信を持って!
志保は美代と自分のを交互に見比べ絶望していた。
……あれは相手が悪い。
「そ、そうなんですか……」
「そうだよ、こうゆ〜ところのプールは自由に泳げるところがいいんだよね〜」
学校だと何かと規制が多いしな。
あと変な帽子も被らなきゃいけないしレーン毎に待たなきゃいけないしバディする時手繋がなきゃいけないし。
「美代も初めはナンパばっかされて嫌だったけど最近じゃ雪くんと言う夫がいますって言えば、なんだ……人妻かって大体諦めてくれるし、それでも諦めない人はお腹の下あたりを摩ると察してくれるよ」
うんうん……っておい、俺は美代の夫じゃないんだが……。
俺が脳内でツッコミを入れると同時に背後からこの日差しですらも冷たく、真冬の冷気を感じさせる恐ろしい気配を読み取った。
それは思わず身震いしてしまうほどに……。
「ちょっと、何言ってるのかしら?美代は昔からよく寝ぼけているけれど温泉入ってのぼせたのかしら?あっちのボロい椅子で少し……いえ一日中休憩していた方が良いと思うのだけれど?」
指さす先には使用禁止の札が貼ってあるボロボロの椅子があった。
あれに座れと言うのか。
「美代は〜のぼせてもいないし胸も小さくないよ〜ほらね?これ見える?志保は盲目なのかな?良い盲導犬でも紹介しようか?志保よりも可愛いくて賢い犬が頭の悪い志保の為にきっと補助してくれるよ?良かったね?」
そう言いながら美代は志保に近づき胸を押し当てると笑顔で勝ち誇っていた。
二人ともいつにも増してエンジン全開だ。
「は?もしかしてあなたは胸の大きさで何事もうまく行くなんて言う価値観を持ってるのかしら?だとしたら嘲笑ね、自らに脂肪を多くの人間に晒しあげ価値観を他人に押し付ける……ふふっ、本当に誰もが胸の大きい人間を好むと思っているの?(チラッ…………)それなら大きな勘違いなのだけれど……そもそも日本人はあまり大きさを気にしていない人が大半なのよ?(チラッ……)こう言うのはバランスが大事なのよ?ご存知ないのかしら?それに大きいのが好きなんて人は程度の知れている馬鹿な人間だけよ(チラッ)」
なんかこっち見てこなかった?
「志保さんちょくちょくこっち見てたよね?」
そう言いつつ妹は志保に熱い眼差しを向けていた。
「そうだな……って妹も凄く同感してんじゃねえかよ」
志保の名言が飛び出すたびに首を縦に振っていた。
「志保ってさ〜前から思ってたけど〜体が細すぎるのよね〜、このグローバルな時代において日本人基準でなんでも考えちゃう辺り、駄目だと思うのね?今の時代はなんでも大きい方が良いんだよ?夢も、胸も……クスッ」
笑顔でめちゃめちゃ煽ってやがる!……志保もかなり苦痛の表情浮かべてるし……二人ともこんなこともあろうかと満を持して相手の悪口でも用意してたのか……。
悪口百選とか買ってないだろうな?そもそも売ってないか。
やがて睨み合う2人からは禍々しいオーラが放たれていた。
何としても止めなくては!
「まあまあ、2人とも落ち着いて……」
すると2人の視線は俺の方に向いた、これはまたもや修羅場なのか!?
「雪くん……ここではっきりさせようじゃない、そ、その……私と美代のどちらが好きか」
え?これはもしかして……と言うよりやっぱ修羅場に突入してね?
「それは美代も気になるよ!雪くんはもちろん美代を選んでくれるけど……そ・れ・に〜もし美代を選んでくれたらぁ〜私が雪くんの盲導犬に……えっちな補助犬なってあげるワン♡」
え?……俺の盲導犬に?
それってもしかしてあの犬耳付けて首輪して夜の公園で散歩するアレのことか?
想像しただけで美代の大胆な部分が露わに……。
「わ〜ん、もっと……美代を虐めて?ワンワン♡」
あ、死ぬ……尻尾を振りながら俺に甘えてくる美代を想像したら死ぬ。
ちくしょう……妹よ今すぐ救急車に電話をかけておいてくれ……このプールは赤く染まる!
二人の抗争に巻き込まれて俺が血を流すか……俺の理性が保てず鼻血で血を流すか。
どのみち俺の血なんですが。
妹は何か言いたそうな顔をしていたが、それより早くこの場をなんとか切り抜けなくては……。
あぁ……美代の盲導犬プレイを堪能したかったが志保に殺されるのは火を見るよりも明らかなため諦めるしかない。
俺は歯を食いしばりながら、志保と美代の怒りを収めようと思考を巡らせる。
「2人ともクレープでも食べないか?俺が奢るぞ?」
「それはもちろん後でいただくわ」
「それより早く決めて、美代なの?それとも美代なの?」
それは選択肢って言わないだろ……。
グイグイと顔を近づけてくる美代と志保。
二人の息が俺に触れるくらいの距離まで近づいてくる。
「うっそ〜!あいつらまたこんなところでギャーギャー騒いでるよ〜」
その何処かで聞いたことのある声の方へ振り向くと今朝電車内で一悶着あった二人組にプラス男が二人いた。
よし逃げよう。この後の展開なんてよめてる。
「え?なに?この人ら知り合いなの?」
相手の男がそう聞く。
「きいてよ〜今朝この人たちにいじめられて〜特にあの子が〜」
そう言って指差す方向には志保が居た。
完全に復讐しに来てるじゃん。
「そうなん?でもこの人たち高校生とか中学生くらい……いや俺らと同い年くらいか」
もう一人の男が順番に俺らを見ていき最後に美代を見たところで意見を変えた。
そりゃまぁあの胸ですからね。
「いやいや!どう見てもうちらより歳下……歳上?」
同じように女の人も順番に俺らを見て最後に美代を見ると意見を変えた。
気持ちはわかる。
「そんな事どうでもいいのよ!たっくん!こいつらボコボコにしちゃってよ!うちら馬鹿にされてちょー悔しー思いしたんだから!」
二人が演技がかった芝居を始めると二人組が俺にジリジリと威圧感出しながら近づいてくる。
まじかよ!俺なんも悪くないって!悪いのは志保と美代なんです!こいつらまじで人目気にしないんです!
「悪いな俺らもカッコ悪いとこ見せるわけにはいかないって訳よ」
「そーそー大学生にも面子ってもんがあってそれがまぁ大切なんだわ」
腕を回しながら喧嘩する気満々で近づいてくる。
いや本当無理だから!
俺が一歩また一歩と足を後退させると二人組がジリジリと距離を詰めてくる。
くそっ!もうおしまいだ!
俺が殴られると感じたその瞬間にぎゅっと目を瞑る。
その時。
やはりと言うべきか流石というべきか。
そこには志保の背中が映っていた。
「おいおい、俺らに女の子と喧嘩させるつもりか?そっちのお前根性ねぇなぁ〜」
「女の背中に隠れるとかまじシャバイわ〜」
煽るように身振り手振りを使い指を刺してくる二人組。
もちろん俺も思う事はある。
確かにダサいとは思うけど。
それ以上に志保が強くて怖い事を知っている。
小学校卒業まで味わった恐怖心が根強く残っているのだから。
「シャバイなんて死語に近い言葉よく使えるわね、時代はもう令和よ?平成なんてとっくに終わってるわ」
「あ?……いやいや!なんか逆におもしれーわ!口と態度がでかい女は散々見てきたけどお前はなんかちげぇ感じするわ!」
「いや口だけだろ?ちょっと痛い目見ればすぐ泣いて警察に訴えるとか言い始めるんだからさ……ガキが調子乗んなボケェ!!!!」
ドスの効いた声で叫ぶ。
俺は怖くて身震いしてしまった。
これが歳上の威厳というやつだろうか。
高校生なりたての俺にとっては恐怖でしかなかった。
この恐怖は志保や美代とはまた違った力でねじ伏せられるような、遺伝子レベルでの怖さだった。
だが志保は一歩も引いてない。
自分より明らかに大きい身体の男二人組に対して視線を逸らす事なくただガンを飛ばしていた。
「はぁ……お前女だから殴られないと思ってんだろ?さっきも言ってたけど今時本当に手を出す奴なんていない法律が守ってくれるって……世の中は広いぜ?」
そう言うと拳を志保目掛けて大きく振りかざす。
ちょ!まじかよ!
俺も心のどこかで流石に女性に対して手は出さないだろうと思っていたけど。
そんな保証はどこにもないのだ。
もう拳は目と鼻の先。
やばいって!
俺が止めに走ったがどう考えても間に合わない。
だがその拳はピタッと止まる。
時が止まったかのように思った。
男はニヤリと笑う。
「……なんてな!流石に女性に手は出せねぇって!いやぁ〜俺たちの負けだわ!」
「だな、流石にそこまで常識知らずじゃないんで……二人とも行こうぜ!せっかくの休みがもったいないだろ〜」
女二人組は納得していない様子だったが男に背中を押されながら何処かへ行った。
そして残ったもう一人の男が追いかけるように歩く途中こちらに振り向いてくる。
「確かにお嬢ちゃんは強いけど男が女に守られるなんて恥ずかしいだろ!」
ただそれだけ言って去っていった。
視線は間違いなく俺の方を向いていた。
……確かに志保とあいつが睨み合っている時俺は何も出来なかった。
俺なんかより志保の方が強いって。
でもその時もう一つ思ったのが。
思ったより志保の身体は細くて華奢だった事。
あいつらと比較してそれがよく分かった。
普段から志保と美代への恐怖が植え付けられていたせいか俺より何倍も大きい存在だと思っていたけど。
この二人もただの女子高生なのだ。
「よかった〜危うく美代が手を出すところだったよ〜」
そう言って美代は両手に持っていたアイスピックを手から離しそれがプールサイドに突き刺さる。
「そうね、正当防衛とは言え人殺しになるのは出来るだけ避けたいわね」
志保もどこから取り出したのやらカッターナイフを器用に手先でクルクルと回す。
妹はそんな二人をただ呆然と眺めていた。そりゃそうだわな。
やっぱこいつらの方が全然怖いわ。
すると二人の視線が俺の方へ集まる。
「それで?話を戻すのだけれどどっちなのかはっきりしてもらってもいいかしら?」
「へ?」
俺はなんの事かさっぱり分からなかった。
「美代の方がいいよね〜?」
その話続いてたんだ!あんな事あったのに!
「さぁ!」
「早くしなさい!」
ど、どうすれば!?
一体どうすればいいんだぁ!
「お兄ちゃんはまだ童貞のままでいいと思うのです!」
「ふぁ!?」
何を言ってるんだ!どうした妹よ!?この状況が耐えられなくなったのか?
ほら?二人とも呆気にとられてるよ。
ところがこの一言は2人の心に響いたらしく一歩引いてくれた。
「そうね……ここは私のことをさらに必要になってもらうためにも少し待ちましょうか……それにお楽しみは取っておきたいし」
「珍しく雫ちゃんが叫んだ……そうだよね今日は楽しく遊ばないと……ごめんね?雫ちゃんは私の妹になる予定だから大丈夫だよ?」
た、助かった〜。
なんか後半二人の台詞に私欲が混ざってた気がするが気のせいだろう。
でも二人の尻尾を振る姿……見たかった!
「それじゃ雪くん?さっきのクレープの件忘れてないわよね?」
あ……そんな話もあったな。
「もちろん、約束は約束だからな」
「それが終わったらウォータースライダー行こうよ〜」
「ビーチバレーも良いわね」
「お兄ちゃん、私にもクレープ奢ってくれるよね?」
なんだかんだ、仲のいいこいつらに俺は呆れ顔をする。
「はいはい、順番な」
一悶着あったがなんだかんだ楽しい空気感が生まれてきた。
嫌われ作戦はまた今度でいいか。
このまま楽しく一日を終える。
……はずだった。