手にはまだ湿った感触が残っている。
窓から涼しい風が入り込んでくれると、このジメジメした教室を少しだけ軽くしてくれる。
僅かなそよ風にも感謝だ。
二時間目の授業が始まる。
志保と美代は前を向いて黒板に記載された文字をノートに書き込んでいる。
俺は机に肘をかけて窓の外を眺めていた。
あ、今の俺なんかいい感じ。
そんな黄昏た雰囲気を醸し出していたが窓の外の様子に目が映る。
何やら体育の授業で50メートル走をやっているみたいだ。
体操着の色的に俺らと同じ緑って事は一年生だろう。
まだ確立していないグループ関係を見ていると俺も本来ならあんな風に少しづつ友達を作って行く予定だったのにと思ってしまう。
あ!あの子可愛いな……おっとりして優しそうだし……って!おい!なんだあの男子!あんな可愛い子にタオル渡してもらって!羨ましい!
こっからシャーペン投げつけて嫌がらせしてやろうか。
俺が歯を食いしばっていると何やら視線を感じた。
おっと先生の視線がこちらに向いてしまった、このままだと警戒されてしまう。
まだ入学して間もないと言うのに要注意人物になるのはまずい。
俺は気まずくなりつつも黒板の文字を今から写す。
XもYもよく分からん。
数学の公式が将来なんの役に立たのやら。
それ以上にもっと学ぶべき事が沢山あるだろう。
俺は志保と美代の事を交互に見る。
例えば日頃から刃物を振り回す女性から穏便に過ごす方法とか絶対に逃げ切れる方法とか。
俺が今真に必要としているのはそう言う事なんだよ!
「えっと〜それじゃあここの答えを〜……関根 美代さん答えて貰ってもいいかな?」
先生は一度名簿に視線を送り美代を指名する。
美代は立ち上がり
「えっと〜答えはy=2x−4で〜す」
「はい、正解です、さすが関根 美代さんですね高校一年の問題についていけないとこの後もどんどん遅れて行くので窓なんかボーッと眺めてる暇ありませんからね」
俺は顔が熱くなる。
俺の思考が最近おかしいのは分かってる。
苦痛な笑みを浮かべながら机に顔を埋める。
自分でも分かってるんだよ?けどさぁ!
みんな青春に汗を流しているのに!……俺なんて血か冷や汗か涙を流すんだぞぉ!
勉強しなきゃいけないのはわかるけど!確かに良い成績とって誇れる学歴を持って就職する事が普通なのは分かるけどぉ!
あんま正論ぶつけられると心が折れるからやめて欲しい。
もうこれは某有名アニメの何とかスバル君くらい頭おかしくなっちゃうんじゃないかな?
間違いなくこの二人は白鯨より手強い。
コロコロ……。
微動の下に目線を下げるとそこには可愛らしいオレンジ色のシャーペンが転がっていた。
ん?志保がシャーペンを落としたのかな?ほれっ……拾ってやるか。
俺は、右側により手を伸ばすと志保の体温が俺にまで伝わった。
あれ?なんだろう?この感触?
人肌?
俺は三度その感触を確かめる。
柔らかく繊細で少し熱い……慎重に触れなければ崩れ落ちてしまうガラスのようななにか。
そう手と手が触れ合ったのだ。
志保と……俺の手が。
「あ……」
え?
志保は頬を赤らめながら俺の顔を見つめて来た。普段は強気なくせにその驚いた表情とかギャップ萌えで死にそうだからやめてほしい。
俺はテンパりつつもなんとか言葉を探した。
え、えっと……。
「ご、ごめん」
「い、いいのよ……ありがとう」
俺はシャーペンを拾い上げ志保に渡すとまた窓の外を眺めた。
一応先生が見てないかも確認。
俺は自分の指先に触れる。
手が触れちゃったよ……なんかラブコメ展開な気が……。
思わずニヤケ顔になりそうだったがここはしゃんとしなくては。
そうだ!俺が求めてたのはこう言うのなんだよ!ちょっとした肌の触れ合い!待ち遠しいメールのやり取り!ぎこちない会話!
やっぱラブコメはこうでなくっちゃ!
コロコロ……。
うん?またか。
俺はシャーペンを拾い上げようとするとまた志保の手に当たってしまった。
「ご、ごめんなさい……」
だからなんで、そんな可愛い声出すんだよ!興奮しちゃっただろ!……てかこいつわざとだな。
志保は何度も俺の方をチラチラと見てくる……やはり窓の外を眺めている最中にわざと落とす気だ。
俺は窓を眺めているふりをして志保の落とす瞬間を見ていた。
窓ガラス越しから。
すると志保は俺の方をじっと見ながら机からゆっくりとシャーペンを落とそうとしていた。
そこにすかさず俺は声をかけた。
「……何してるの?」
俺は志保の方に振り向くとあたあたとし始め咳払いをした。
その慌てふためいている志保の姿はめちゃくちゃ可愛いし弄りがいあるし照れまくってるし最高なんだけどやり過ぎると後が怖い。
「これは……う、うん!……そう!自由落下について勉強をしていたのよ!ちょうど化学なのだし重力って凄いわよね?地球って丸いじゃない?中心に引き寄せられる原理って一体どうなってるのかしらね?」
「そっか……」
志保よ……
今は数学の授業中だぞ!気づいてないのかな???
見ろ!黒板に書かれた文字を!
さぁ!?さぁ!?さぁ!?ほらね!貴様には読めんだろう!
yもxも染色体の話なんですかねぇ!?
……とは言えず俺は再び窓の外を眺める。
これはもう弁解の余地もない訳だが……相手が志保だし怖いしなんか窓ごしに睨んでくる人影が見えるし?
ふと目線をずらすと膨れた顔で美代がこちらを見ていた。
……嫌な予感がする。
全身の震えが止まらない!
「ど、どうかしたの?」
「別に!雪くんが志保に取られるくらいならこんな世界……こんな世界なんてっ……!」
危ない!こいつ授業中に叫ぶ気だ!気が狂ってるぞ!
さっきまでスムーズに先生の質問に答えて褒められたやつとは思えない行動に出る気だ!
瞬時に判断し俺は過ちを犯してしまった。
俺はすかさず美代の口元を手で抑えると呼吸が手のひらに当たり自分がまずい行いをしている事に気がついた。
「……っ!」
さらに美代の柔らかい唇を俺は手のひらに当てているわけで!えっと!えっと!
「ご、ごめん!わざとじゃないんだ!」
薄い声でそう叫ぶが美代も呆気を取られ動けなくなっていた。
とりあえず俺はすぐさま手を離し謝った。
手にはまだ湿った感触が残っている。
くそっ!この手を洗う前に色んなことしたい!がそんな事したら俺は人として終わる!
この右手!今日は特別輝いてやがる!
「べ、別に美代は気にしてないよ」
シュンと下を向くとそのまま前を向く。
だから、なんでそんなに顔が真っ赤なんだよ!俺も人の事言えないけどさ!
「えっと……高橋くん、もう少し静かにしてもらえるかな?」
……あ。
教室中の人間が俺を見ていた。
恥ずかしさのあまりに俺は下を向きもう何も言えずに蚊の鳴くような声で謝罪。
「すみません……」
こうして俺たちは二時間目の授業を迎えたわけだがこの後志保と美代が大暴走することはこの時の俺はまだ知らない……。
と言うか知りたくもない。