それは佳奈の心の叫びだった
「雪くんにとってはそっちが本当の世界なんだね」
雪が走る背中を佳奈と真由は見届けていた。
佳奈は今にも訴えそうな目で真由を見つめていたが、彼女はもちろんそれを分かっていたので温かい目で見つめ返す。
言葉を紡いで説得するより目で伝える方がより伝わると真由は感じた。
「……そんな目で僕を見ないでよ」
俯く佳奈に真由はそっと顔に手を添える。
「ごめんなさい、私なりに色々考えて佳奈がどうしてそんなに必死なのか、一生懸命なのか……色々頭を悩ませて周りを見てようやく一つの仮説に辿り着いたわ」
ここ最近の真由は頭を悩ませていた。
佳奈が妙に単独行動している事。
必要に雪に絡む事。
何かに怯えている事。
そして……真由自身心の何処かに穴が空いてしまっている事。
「僕は……確かに必死じゃないって言ったら嘘になるけど、ただ雪くんと仲良くなりたかっただけだよ」
その発言とは噛み合わず真由の眼を見ようとはしなかった。
「ほら、また嘘ついてる」
「嘘なんかじゃないよ!それに!真由姉だって……困る事になるんだよ!それを僕がなんとかしようとしてるのに!なんで邪魔するのさ!」
それは佳奈の心の叫びだった。
それは真由にも充分伝わっている。
「そうなのね、それは私が悪いわ……ごめんなさい」
「ち、違うよ!そうじゃない……そうじゃないんだってば!僕はただ……この世界が理不尽で僕にばかり不幸が起こって、それが許せなくて……けどそんな儚い思いが実ったのか、神様のいたずらなのか分からないけど奇跡が起きたんだ!僕にはもう後がない……先だって無い……だから今行動しなくちゃいけないんだ」
真由は佳奈の声に圧倒されて声も出なかった。
芯の通った声に所々掠れ消え入りそうな淡い話し方をする。
彼女が深く傷つきながら生きてきた事がよく分かる。
生きていくのなら不安や恐怖は付きものだ。
いずれ来る死にも怯えながら生きていくし目の前の出来事にも心配しなくちゃいけない。
だから生きて行くことより死んでしまった方が楽だと感じる事もあるだろう。
そうやって不安に押しつぶされそうになって何度も転んで。
けどその度に立ち上がって自分が成長して……その時に見える光景は成長前とは全然違った景色だったりして。
なんでこんな事に悩んでたのかも分からなくて成長前の自分に教えたくなる。
生きていればいい事は必ずあるって。
諦めなければ、たとえ転がりながらでも前に進めば立ち上がった時に必ず誰かが手を差し伸べてくれる。
「佳奈の気持ちは良く分かったわ、けど雪くんの邪魔をしちゃダメよ、佳奈は良い子なんだから」
その台詞を聞いた途端に佳奈の腑が煮えくり返りそうになった。
浴衣の胸部分をギュッと握り溢れそうな感情を押さえつける。
「佳奈……子供じゃないんだから」
「僕はお姉ちゃんのそうゆうとこが嫌いなんだ!僕より少し早く産まれたからってお姉ちゃんぶってさ!なんでも正しいことを言って感情に一切流されなくて!……そんなの……僕には出来っこないよ!」
溜まりに溜まったものがついに吐き出されたと言った感じだ。
タンクに穴が空いてしまったように一度吹き出してしまえばもう止まらない。
もう佳奈は感情をコントロールする事が出来ない。
「どうして妹の我儘を許してくれないの!?良いじゃん!ちょっとくらい見守ってよ!そうやって僕を縛らないでよ!邪魔だけはしないでよ!お父さんもお母さんもお姉ちゃんの言う事聞きなさいって!まるで僕自身は否定されてるみたいじゃん……お姉ちゃんが正しい事をすれば周りはそれを真似しろって言った!僕はお姉ちゃんの作った道を歩くだけの人生なんて歩みたくない!……たとえそれが正しくて、道を外せば終わってしまうとしても」
佳奈の身振り手振り、目の表情、それら全てが真由の目に焼き付いた。
それが真由の違和感を感じる瞬間だった。
佳奈がこんなにも真剣に自分の事を話す事があっただろうか。
自分の妹が道を外さないためにも私は模範であり続けなければならない。
そう自分に手枷を付けてたはずだったのに佳奈はもう自分で道を歩こうとしている。
「佳奈も成長するのね」
「そうだよ……僕も成長はするんだよ、それがたとえ道を外れてたとしても、遠い空だとしても」
真由と佳奈はしばらく見つめあった。
お互いの目には涙が今にも溢れそうなくらい溜まっている。
そして真由が先に佳奈をギュッと抱きしめる。
離れたくない、離したくないと言うお互いの思いが強く絡み合う。
「……いいの?僕たち……消えちゃうんだよ?本当に消える訳じゃないなんて楽観的な考え、僕には……出来ないよ」
「落ち着いて、私たちは世界から消える訳じゃない……また違った形で会えるわ」
「……いいんだ?もう……僕たちが姉妹じゃなくなっても」
「そうじゃないわ……きっと私たちならまた逢える……だってあなたは私の妹だもの」
「言ってる意味がわからないよ……僕たちは雪くんさえこの世界に残ってくれれば、このまま幸せになれるかもよ?そうでしょ?」
「そうかもしれないわね……けどここは本当の世界じゃないわ」
「それはどうですかね」
聞き覚えのある声に真由と佳奈はその声の方へと振り向く。
「この世界は本来あるべき姿形のはずなんです、けど世界を捻じ曲げるような出来事が10前に起きた、それはとても現実離れした話で……とてもくだらない出来事です」
それは耳を疑いたくなるような発言だった。
真由はそっと眼を閉じた。
佳奈は真由の手をギュッと握る。
「そのせいで佳奈さんは死んだのですから」