片方だけじゃだめなんだ
俺は焦っていた。
もう見えないくらいまで進んでしまった志保を追いかけなくちゃいけない。
けど佳奈に強く腕を掴まれている。
瞳は見えないがその手は決して俺を離してはくれない。
さらに追い打ちをかけられる様にこんなセリフを吐かれてしまっては俺にはどうする事もできない。
彼女を振り払って志保を追いかける事も。
佳奈に対して優しい言葉をかける事も。
だってそうだろ?
どんな意図で佳奈がこんな事を言ってるのかは分からないがある種俺はこの世界を捨てるって選択に近いのだから。
もちろん佳奈本人にはそのつもりはないのかもしれない。
この世界がそうさせてるのか?
それとも……。
佳奈が俺に対して好意を持ってくれているのは分かる。
けどそれが本心なのかはわからない。
この世界にそう仕向けられているのか。
ただ俺が何も知らない状態だったのなら間違いなく疑いもしなかっただろう。
それくらい佳奈は真剣なのだ。
「あのさ、前に少し話したかもしれないけど俺はこの世界に連れて来られたんだ……信じられないかもしれないけど」
「うん、僕はその話を信じてる……つまり雪くんのこの行動は元の世界に戻りたいって事だよね?」
「そう言う事に……なるな」
俺が言葉に詰まると佳奈は力強く俺の体に抱きついた。
急な展開に脳が混乱している。
彼女の綺麗な髪の毛が静かに靡く。
それと一緒にシャンプーの良い香りが優しい風に乗って俺の鼻腔をくすぐる。
「僕は雪くんが好き……だからこの世界に残って欲しい……僕じゃダメかな?僕なんかじゃ……」
その甘く優しい声に耳を傾けたくなる。
もう面倒ごとに関わりたくない。
また辛く苦しい思いをするかもしれない。
吐き出しそうになって逃げそうになるかもしれない。
また悩んで悩んで同じ様な悩み事で苦しんで。
振り回される自分に嫌になって。
……けど、その度に自分が成長する。
沢山の人に支えられている事に気がつく。
そうやって大人になっていくんだ。
俺は佳奈の肩を掴み僅かに距離を取る。
その隙間から彼女の顔を覗き込む。
けど合わせようとはしてくれない。
「ありがとう……佳奈には本当に救われたんだ……もう言葉なんかじゃ言い表せないくらいそれはもう支えられた」
「なら……それなら……僕を選んでよ」
か細い声だ。
雑踏に掻き消されてしまいそうだがこの距離だから聞き取れる。
「ごめん、それは出来ない」
「どうして?」
「好きな人が居るから」
「それって志保さんの事?それとも別の人?」
「そう言われると困るんだけど志保と美代……二人の事」
ここに関しては言葉が詰まってしまう。
俺は二人とも好きだ。
どちらかを選べと言われれば両方を選ぶ。
悪いけど国語は苦手なんだ。
「そんなのおかしいよ……どうして僕じゃないの?確かに大した取り柄もないけどさ……僕なら雪くんを理解してあげられるよ?甘やかしてあげるし一緒に悩んだりも出来る」
そう言うと俺の服をギュっと強く掴み直した。
「ごめん……それでも俺はあの二人を選ぶよ」
これは……これだけは変えられないんだ。
「なら……それなら二人のどっちかを選びなよ」
俺はその力強い声にすくんでしまった。
本当に佳奈の声なのか疑ってしまうほど力のある声だ。
「僕を……選んでくれないなら二人のどちらかを選んで!じゃなきゃ僕は君を行かせるわけにはいかない!」
また言葉に詰まる。
色んな感情が入り混じってややふわふわした感覚にも近い。
佳奈の本心は分からないけど。
引き止めてくれたという事に関しては嬉しくもあるのは事実だ。
もし俺が本当に初めからこの世界で生きてきたのなら間違いなく彼女の事を好きになっていただろう。
俺が佳奈に振り回されてそれをいやいや付き添うんだけどそのおかげで世界が広がっていって。
どんどん前に進んでいく彼女の姿に俺の心は惹かれて、どうしよもない感情を彼女にぶつけて。
それでまた気まずくなったりして喧嘩もするんだけど仲直りしてお互いを成長させて行くそんな関係に。
そんな未来があったのかもしれない。
「佳奈の気持ちは嬉しいよ、ありがとう……けど佳奈の物語に真由が必要なのと同じで俺にもあの二人が必要なんだ」
片方だけじゃだめなんだ。
俺の物語にあの二人は欠かせない存在。
これだけは曲げられない。
「お姉ちゃんは今関係ないじゃん、これは僕と雪くんの話だよ?雪くんは僕か志保さんか美代の選択で僕以外を取ろうとしてるんだよ?そんなのあんまりだよ……それなら一人に絞って欲しい……そしたら僕も納得するから!」
起伏の激しい声でそう言われる。
その潤んだ瞳越しに映っている自分の表情は彼女にどう見えているのかは分からない。
だが俺には覚悟の決まった顔に見える。
「そうだよな……佳奈の言い分だとそうなるのが自然で客観的に見てもそうなんだと思う、だから本当にごめん」
「なんで謝るの?謝るって事は悪いって思ってるんでしょ?……悪いって思ってるなら決めてよ!僕は……君を絶対に行かせないよ」
俺の覚悟が決まってるのと一緒で佳奈の瞳からも相当なものが見える。
この状態の佳奈を説得させるためのピースが俺に揃っているだろうか。
……いや明らかに不足している。
俺は彼女に弱音を聞いてもらってばかりで佳奈の話はほとんどしてもらってない。
力ずくで振り切る……なんて事は俺には出来ない。
人として当然だ。
志保はどれくらい行ってしまっただろうか。
今から行って追いつくのか?
間に合うのだろうか?
まずい、また悪い方へ思考が進んでいる。
もう佳奈を説得している余裕もなければそもそも説得させられる情報もない。
一体俺はどうすれば……。
「佳奈……あまり我儘を言ってはダメよ、あなたそう言うところは昔から変わらないのね」
振り返った先、そう優しく声をかけたのは真由だった。