1話:日常になったゲーム
宙を舞う桜の花びらも少なくなり、所々に優しい色をした若葉が見られる時期。
清宮総司は、つい先週まで皺一つ無かった黒のブレザーをだらしなく着こなし、ぼさぼさになった頭をかきながら肩に鞄を引っ掛けながら通学路を眠そうに歩いていた。
(昨日ちょっと夜更かしし過ぎたな……)
ふあ~と欠伸をしながら、視線だけで周囲を見る。
遅刻するほどでもないが、かと言って余裕がある時間帯でもなかったので、通学路を歩く生徒の数はまばらだった。
そんな静かな道をしばらく辿ると、視界の片隅に比較的真新しい白い校舎が見えてくる。
私立新台学園
東京都の世田谷区にあるこの学園は大学付属の中高一貫校だ。生徒の数は中学生、高校生含めて2000人以上、高等部の殆どが同じ学校の中等部からエスカレーター式に進学した生徒に占められていたが、高等部からの外部生徒募集の制度もあった。
清宮総司はその制度を利用し今春からこの学校に通う高校一年生だ。
「おはよ~ございます~」
「うん、おはよう!」
校門に近づくにつれ、生徒の気怠そうな挨拶とそれに律儀に答えるジャージ姿の初老の教師の姿が見えてくる。
総司も前例に習い小声で挨拶し、軽い会釈を交え校門を抜ける。
校舎に設置された時計を確認する、朝のホームルームには余裕で間に合いそうだ。
(校門が閉じるギリギリ前だけど、間に合えば何の問題も無し)
そんな事を考えながら下駄箱に向かうため、気持ち早めに歩き始めようとしたら――
「そこの君! ゲーム部に興味ない!?」
落ち着いた雰囲気には似つかない一際大きな声が聞こえた。
総司は自分に話しかけられたのかと思い、声のした方向に振り向いた。
「あの……僕もうアレサ関係の部活動に入ってまして……」
「あ! それなら安心して! ゲーム部って言っても専らアレサしかしないから! だからゲーム部のギルドに移籍しない!? 広い部室にクーラー、ウォ―タ―サーバーに小型の冷蔵庫まで完備! おまけにふかふかのソファも! しかも、しかも! 今なら可愛い先輩と2人っきりの超優良ギルドだよ!」
どうやら自分に話しかけてきてるわけではないらしい。
横目で様子を伺う、そこでは自分より少し先に学園に入った男子生徒が一人の小柄な女生徒に、まるで悪質なマルチのような部活勧誘を受けていた。
「ハハ……考えておきます」
そう言って逃げようとする、男子生徒に、
「考える!? 入部するって事!? はい、じゃあこれ入部届! 楽しい部活動にしようね!」
一瞬で先回りし、入部届と思わしき書類を押し付ける女生徒。
「いや、本当ちょっと時間ないんで……すいません」
その男子生徒は瞬時に回れ右した後、小走りに下駄箱へ走っていく。
「ちょっ、ちょっと待って!……はぁ」
勧誘活動に失敗して、がっくり肩を落とす彼女、どうやらこうした扱いには慣れているようだ。
(朝っぱらからギルド勧誘とは頑張るね。まあ俺には関係無いか)
落胆する彼女に少し同情的になるも、さして気にも留めず下駄箱に向かおうと足に力を込める。
すると突然、視界の端で項垂れていた彼女の体に電流が流されたように生気が戻る。
……なんだ?
つい気になり再びその女生徒を見る。
不自然なまでに伸ばされた背筋をそのままに、彼女は首だけ動かしゆっくりと――
こちらを向いた。
(ヤバいッ! こっち来る!)
咄嗟に状況を理解した総司は顔を地面に向け、全力で歩く。
しかし無慈悲にも足音が段々とこちらに近づくてくるのが聞こえ始める。
頼む! 話しかけないでくれ!
必死に願う総司だったがそんな抵抗を嘲笑うかの如く、行く先を塞がれ、
「そこの君! ゲーム部に興味ない!?」
声を掛けられてしまう。
ああ……捕まちまった……。
必死に断る理由を考えながら、顔を上げると、バッチリ目が合ってしまう。
そこには、光り輝く丸く大きな茶色い瞳があった。
顔つきはやや童顔で、茶色い髪色の髪型は長めのボブカットで、身長は150cmくらい。リス科の小動物のような雰囲気を持つ、可愛げのある少女だった。
服装はサイズがあってないのか袖余りした黒のブレザーに2年生用の緑色のリボンが付いている。
どうやら彼女は自分より1年上の2年生であるようだ。
が、そんなことがどうでもよくなる一際目を引くものがそこにはあった。
(おっぱいでか!)
それは今にもブレザーのボタンを弾き飛ばしそうなくらいバツバツに張った胸だった。
なかなかお目にかかれない双丘に一瞬心を奪われる総司だったが、その煩悩を必死に振り払い平静を装って、その女生徒に答える。
「あ~……俺ギルドとか部活とか興味なくて……」
「……!? じゃあ今どこにも所属してないって事!?」
「え? あ、はい」
「じゃあゲーム部に入ろうよ!」
「いや、その、あんまり興味が……」
「うんうん! 皆最初はそう言うんだよ! でも、大丈夫! やっていく内に楽しくて仕方なくなるから!」
「……」
一際大きな胸を張り頷く彼女。どうにも会話が通じない。
そんな総司の様子などどこ吹く風その女生徒はアピールを続ける。
「今ならクーラーにウォ―タ―サーバー、冷蔵庫にソファ完備の部室に私と2人っきり! こんなにいい話は無いよ」
絶対嫌である。
時計をチラリと見る。もう朝のホームルームまで時間が無い。
「あの、時間が……俺もう行きますんで……」
そう言って彼女の脇を抜けようとするが、彼女は神速の動きで行く手を遮る。
「入ってくれるまで通さない!」
(えぇ……)
あまりの即答っぷりに総司は困惑する。
(いっそ走って逃げるか?)
そんな考えが頭に浮かぶが、ここで逃げても教室まで追ってくるかもしれない。
チラリと彼女を見る。目がマジだった。
総司は考えるのを止め。取り合えずその場しのぎをすることにする。
「はぁ……分かりました」
「え!? 入ってくれるの!? マジで!?」
目を見開き信じられないといった表情を浮かべる彼女。
なんで誘ってる当人が一番驚いてるねん! と考えながら総司は妥協案を示す。
「気が向いたら入るかもしれません……気が向いたらですよ」
たっぶり逃げ道を用意し、問題を先送りにする。彼女は満面の笑みを浮かべた。
「ありがとー! はいじゃあこれ入部届! 私待ってるからね!」
グイっと入部届を押し付けられ、彼女はその場から走り去っていった。
「気が向いたらですからね!!!」
彼女の背に念を押す一言を投げかけるが、その言葉はどうやら届いていないようだった
※
ホームルーム前の賑やかな教室、総司は窓側の席に座り、
「はぁ……」
声に出る程のため息をついていた。
「ずいぶんデカい溜息だな総司、なんかあったのか?」
前の席の男子生徒――中田俊が椅子に座りながら体をこちらに捻り、声を掛けてくる
日に焼けた健康的な男で見た目通りのはつらつとした声だった。
「まあちょっとな、変なのに絡まれて」
「変なの?」
「おっぱいデカい先輩」
「あ~……あのゲーム部の」
概ね察しがついているらしい俊の前に鞄から今朝押し付けられた入部届を見せる。
「入部届もらっちゃたよ」
「いっその事、入っちまえば? 確かお前校内のギルド入ってなかっただろ」
「ギルドとかあんま乗り気じゃないんだよなぁ」
ぼやく総司に、俊は呆れながら返す。
「あのなぁ……この学校にいる殆どの奴らが何かしらのアレサ関連の部活かギルドに入ってんだぜ? お前も絶対入った方が良いって! うちの学校のサーバーの質は他より断然良いんだからレベル上げの効率がダンチだし、ギルドに入れば色々特典もある! 例えばだが――」
俊はその後も熱の入ったPRをする。総司はそれを聞きながらこの学校に入ってからの事を思い出していた。
この学校でのアレサの熱の入れようは尋常では無かった。校内にはアレサのサーバーが置かれ、幾つものギルドが立ち上がり、学生たちは学業そっちのけで日々校内のサーバーでせっせっとレベル上げに勤しんでいるのだ。
お陰でレベルの高い奴はちょっとしたヒーローだ。レベルが高いと言うだけで多くのギルドから熱烈な勧誘を受け、クラスメイトからは一目置かれる存在になっている。入学して1週間程しか経っていない総司ですらそれは手に取る様に感じられた。
「――更に更に女の子にもモテる! どうだい? 入りたくなってきただろう?」
長かったPRを終えると俊は総司を覗き込む。だが、総司は興味なさそうにため息をつき、頬杖をついた。
「……そんなのどうでもいいし、レベル上げも一人で出来るよ」
そう言って視線を窓の外に投げる総司。そんな彼を俊は半目で見る。
「……総司、お前レベルいくつだ?」
「……」
俊の言葉に窓の外を眺めていた視線を僅かに戻すと総司はボソッと言った。
「……22」
「低っいな!」
「うるせぇよ!」
総司のレベルを聞いて笑う俊。総司はもんもんとした感情を抱いていたが、すぐにしょうがない事かと思い腹の虫を抑える。
レベル22それが、総司の”この学校”でのレベルだった。
理由は単純だ、ただ目立ちたくないのだ。仮に自身のレベルが130だという事が周囲に知れたら、毎日のように勧誘を受けるだろう。1人を好む無精者な総司にとってそれは何としても避けたいものだった。
俊は一頻り笑い終えるとやや不貞腐れ気味の総司に「悪い、悪い」と言いながら顔を向けなおした。
「そう言えば総司ってまだ残ってたっけ?」
「何が?」
「クラス戦だよ」
「あ~……それね」
クラス戦。
この学校の悪しき風習(だと総司は思っている)の1つである。
それは学期の初めにクラスメイト全員がアレサで対戦、勝率からクラス内の順位を決めるというものだ。名目上は仲良くなるためのレクリエーションだが実態はスクールカーストを決める歪な制度(だと総司は思っている)。加えてランク付けする事により人々の心からゆとりを無くし、過度な競争社会を助長する憎むべきシステムなのだ(だと総司は思っている)
ついでに総司は今の所全敗である。
「なんでこう、人間ていうのは格付けが好きなんだろ……」
体中の空気が抜けるような溜息をしながら総司は言った。
「俺はずっとこの学園で育ったからあんまり強くは言えないが、何処も似たようなもんあるんじゃないのか?」
俊はそんな総司の心中など露知らず、尋ねる。
「まあ俺がいた中学も皆アレサ、アレサ言ってたけど、ここまでシステム化されてるのは始めてだよ……この学校そういうの好きなのかね……」
「ならもう、諦めてうちの流儀に慣れろ、ほら言うだろ……えーと『虎穴に入らずんば虎子を得ず』ってな」
「虎ゲットしてどうすんだよ……『郷に入っては郷に従え』だよ」
「ん? そうだっけ? まあ通じれば万事オッケーよ!」
俊ははっはっと通る声で笑ったが、直ぐに真面目な目線を総司に向ける。
「で、話を戻すけどクラス戦は残り何人残ってるんだ?」
「まだ1人残ってる」
「なんとか勝てよ。1勝でもすれば、俺の所のギルドに入れないかギルマスに相談するからさ」
「だからギルドとか乗り気じゃないって言ってるだろ。人間関係とかめんどくさそうだし」
投げやりな総司の答えに、俊は僅かだが憂うような目で総司を見つめてくる。
「……総司。お前ギルド入ったことある?」
「……ないけど」
「悪い事言わないから入っておけよ。仲間と一緒に何かに向かって行動するっていうのは結構楽しいぞ? このままずっと一人で学校生活送るつもりか?」
そう言って総司を見つめるその目は何処か憂うような物だった。
「……」
総司は黙ってその目チラリと見る。
1人の何がそんなにいけないって言うんだ? 総司はそう思った。
朝の先輩もそうだったが、ギルドや部活を無条件に楽しい前提で話しているのが、何処かおかしいと総司には思われた。話が合わない奴だって居るだろうし、ムカつく奴だって居るだろう、雰囲気や空気にだって気を遣わなてはならない、そう言ったものを無視しているように感じられたからだった。
総司自身今まで、何処かの集団に属したことは無かったが、それでもそう言った物が常日頃から存在することくらいは、十二分に分かっていた。だから総司は1人で居ることを好んでいた。最初から1人なら誰かに気を遣う事も無く、楽で、効率的で、結果的に楽しく感じられたからだった。彼は彼の為だけに戦うのを是としていた。
総司は俊を再び見る。今思ったことを言ってしまおうか? とそんな考えが頭をよぎる。
しかし、彼の真剣な表情を見るとその決心は容易にブレた。
思えばこの男――中田俊は本当に良い奴である。編入生という事で右も左も知らない自分に何かと世話を焼いてくれている。きっとさっきの言葉も本心から言ってくれているのだろう。
そんな彼を突き放すような言葉は言えなかった。
総司は彼から目を逸らし、呟いた。
「……考えておくよ」
つい思ってる事とは別の言葉が出てしまう。総司にとってそれは、自分でも自覚している悪い癖だった。
俊は総司の答えに満足……とまではいかないが悪くないと言った様子で、表情を軽くした。
総司はそんな俊の様子に罪悪感を感じていると、教室のドアが開く音が聞こえた。
「ホームルーム始めるぞ~」
やや肥満気味の担任、岡田先生が、点呼を取るために教段の上に向かう。
俊は、それを一瞥すると、
「とりあえず、クラス戦頑張れよ」
そう言って体を前に戻した。