プロローグ
「【ギガ・エクリプサー】……やたら強いモンスターがいるじゃないか……」
木の上に立ち、筒状の望遠鏡を覗き込む全身をダークグレーのローブに包むアバターーー清宮総司の操る〈ベイオネット〉は一言そう呟いた。
彼の視線の先には、背がびっしりと黒い鋭利な棘で覆われた、ダンプカー程の大きさを持つ4足歩行モンスターが森の中で横たわり、寝息を立ててる姿が見える。その赤紫の体皮から所々赤い火炎が漏れ出ており、夜だと言うのにそのモンスターの周辺は明るく照らされていた。
「新台学校にはアレサのサーバーがあるってんで試しに潜ってみたが……最上位級モンスターが居るとはね……結構発展してんだなこのサーバーは」
望遠鏡を外し総司は1人感心する。
総司が新台学校に入学してから1週間。
VRMMO(バーチャルリアリティ空間で実行される多人数参加型のネットゲーム)”アレサ”のサーバーが学校に置かれているという事で、興味を持った総司は普段彼がプレイしているサーバーとは異なるこの場所に、どんなものかと試しにリンクしていた。
サーバーに出てくるモンスターはそのサーバーに登録しているプレイヤーの平均レベルや、そのサーバーに住んでいる人を模したNPCの数、安全地帯と呼ばれる拠点の設備の質に比例して種類が増え、強化される。
今彼の視線の先にはそのモンスターの中でも上から2番目最上位級【ギガ・エクリプサー】が存在していた。つまりこの新台学園のサーバーはかなり発展しているという事になる。
しかし、総司はその事実を関心こそすれ驚きはしなかった。色々回ってみたが、確かにこの学校のサーバーは発展し、強いモンスターが出現していたが、普段いるサーバーの方が強力なモンスターが出ていたからだ。
「はい、じゃあこの学校はそこそこ発展しているって事で! お試しリンク終わり! 帰りますか」
総司は、手を左から右に軽く薙ぐ。すると目の前に薄い透明な板状の画面がスッと現れた。それは所謂コンソール画面で、そこには自身のアバターの情報が表示されており、その画面の右下には赤く四角い枠に囲まれた”リンクアウト”と表示されたボタンがあった。総司はそれを押そうとした時――
グウオォォォ!!!
突然視界の端の【ギガ・エクリプサー】が吠える。
「警戒範囲には入ってなかった筈だけど……」
〈ベイオネット〉は再び望遠鏡でそのモンスターを見る。【ギガ・エクリプサー】は何かを追いかける様に木々をなぎ倒し猛進していた。
そのモンスターの進行方向に滑る様に望遠鏡を移動させる。
「はぁ、なるほどね初心者が巣をつついたか」
望遠鏡のレンズの中には2人のアバターが【ギガエクリプサー】から逃げる姿が見えた。1人は袴姿の若い侍で、もう1人は手に小さなハープを持った、ピンク色の髪の毛をした女の子のアバターだった。
ハープを持った女の子の手を引く、若い侍姿のアバターを凝視する。そのアバターの上部には〈雷電〉と言う名のアバター名と、そのアバターの体力を表す緑色のライフゲージが表示され、その隣には”80”というそのアバターのレベルを表す数字が並んでいた。一方で手を引かれる女の子のアバターの名前は〈メイル〉。レベルは”33”だった。
状況から考えるに初心者の〈メイル〉というアバターが誤って【ギガ・エクリプサー】の警戒範囲に足を踏み入れてしまい、怒った【ギガ・エクリプサー】から逃げる為、熟練者である〈雷電〉が彼女の手を引いているのだろう。
(馬鹿な奴……2人で逃げたって逃げられる訳ないんだから置いていけばいいのに……)
その姿を見ながら総司は嘆息した。最上位級相手にレベル33の初心者を連れて逃げる事はできないだろう。ここはレベル80である〈雷電〉だけでも、アバター死亡時に発生するデスペナルティによるレベルロストを避けるため〈メイル〉を置いて逃げるべきなのだ。
「ま、俺には関係ないねご愁傷様」
そう言い、望遠鏡を下げようとした時、驚愕の光景が目に入る。
「あいつ……何やってんだ?」
なんと、そこには〈雷電〉が〈メイル〉を逃がす為なのか、単独でその場に残り【ギガ・エクリプサー】相手に刀を向けていた。
(レベル80にするだけで滅茶苦茶モンスター狩らないといけないのに……レベルロストしても知らねぇぞ……)
【ギガ・エクリプサー】は本来ならレベル80を超える4人パーティで何とか狩れるような相手だ。単独で相手をしたところで勝利する可能性なんて万に一つもないだろう。
きっと〈雷電〉は〈メイル〉を逃がす為にその場に残ったのだ。
「あほくさ……ヒーロー気取りかよ」
つまらない自己犠牲を見せられ、総司のテンションは下がる。そのまま帰ろうと望遠鏡を下げかかった時、総司の視界に再び驚愕の光景が目に入る。
「……馬鹿かあいつは」
視界の中には先に逃げたはずの〈メイル〉が戻り、〈雷電〉と共に【ギガ・エクリプサー】に立ち向かう姿が見えた。
(本当に非効率極まりないプレイだな……)
大きなため息をつく総司。望遠鏡を腰に着いたポーチにしまい、コンソールを再び表示させる。そこには赤く”リンクアウト”のボタンが浮かんでいた。総司はそれに手を伸ばす。
「……」
彼等は負ける。
最初にやられるのはきっとレベルの低い<メイル>からだ、そして次に〈雷電〉があと追う形でやられるだろう――いや、多分最初にやられるのは〈雷電〉だな、今までの行動から考えると〈メイル〉を守る為に前に出るに違いない。
総司はリンクアウトボタンを押しに掛かる。
……やっぱそれも違うな。多分あの2人は一緒にやられるんだ。互いに互いをかばい合おうとして、【ギガ・エクリプサー】に押しつぶされるんだ。本当に馬鹿な奴らだ。
総司は指を更にボタンに近づける。しかし、後ほんの数mmというところで、その指はなかなか前に出ようとしなかった。
「……あ~」
総司は呻きながら頭をかきむしる。指を引っ込め、暫くの間腕組みをし顔を伏せ、沈黙した後、自分に言い聞かせるように口を開いた。
「……まあ、リンクだけして何もしないで帰るのは、それはそれでつまらないし、モンスター狩りでもしていきますか」
そう言って総司のアバター〈ベイオネット〉は木の上でジャンプ、落ちる体の勢いを利用し木の頂点を掴み、大きくしならせると自身を矢のように打ち出した。
※
「なんで戻ってきた!」
〈雷電〉が迫りくる【ギガエクリプサー】を見ながら叫ぶと〈メイル〉は答える。
「先輩1人を残して行けません!!!」
「2人でやっても勝てる相手じゃないんだぞ!!!」
「それでも、1人で逃げるなんて嫌です!!!」
「ぐっ……馬鹿野郎!!!」
〈雷電〉は少しでも【ギガエクリプサー】のヘイトを〈メイル〉から自分に移す為、その巨大なモンスターとの距離を縮める。
「俺が相手だ!!!」
啖呵を切り、刀を上段に構える。【ギガ・エクリプサー】はそれを見ると背の棘を逆立て〈雷電〉に向ける。
棘の隙間から見える赤い火炎が一瞬消えたかと思うと破裂するように輝きだした。
ドガガガガ!!!
背中の棘を弾丸が弾丸のように放たれ〈雷電〉に殺到する。
〈雷電〉は飛来する棘を刀で弾き落とし、本体への直撃を避け続けた。
しかし、状況は好転する気配はない。【ギガ・エクリプサー】の棘は撃ちだされれば撃ちだされるほど、新しい棘が生えていき、間断なくそれを〈雷電〉に打ち込んでいく為だ。
弾丸に匹敵する速度で放たれる棘である。辛うじ切りはらっていた〈雷電〉の剣筋は段々と乱れていき、それに伴い弾き損ねた棘が脇腹を掠め、赤いダメージエフェクトが飛ぶ。
「クソッ!」
〈雷電〉のライフゲージが明滅し減少する。徐々に掠めていく棘が増えていく。〈雷電〉はそれでも諦めず、棘を弾き続けるが――遂に棘の1本が膝に突き刺ささった。
「グッ!」
その場に膝を着く〈雷電〉。それを好機と見たのか【ギガ・エクリプサー】は棘を飛ばすのを止め、その巨体を跳躍させると大きな腕を振りかぶる。
「先輩!!!」
〈メイル〉は膝を着く〈雷電〉をかばう様に前に出て彼を抱きしめる。
盾になるつもりなのだろう。だが、【ギガエクリプサー】の剛腕の前ではそれは障子紙にも満たないほど薄くか弱い物だ。
「ウルオォォォ!!!」
腕が振り下ろされる。2人が押しつぶされるのは誰の目にも明らかだった――
ドガン!
突如として爆音が鳴り響く。それと同時に2人を押しつぶそうとしていた腕は大砲に撃たれたかのように弾かれ【ギガエクリプサー】は衝撃で体を地面に打ちつけ体制を崩し、その場に転がった。
茫然とする2人の前に一人のアバターが降り立つ。全身をダークグレーのローブに身を包み、手には巨大なリボルバーと片手剣が一体となった漆黒の銃剣を握っていた。
そのアバターは銃剣のシリンダーをスライドさせ、空いた弾倉に1発弾込めし、シリンダーを戻すとクルリと1回転させ腰にしまう。よく見るとその銃剣はもう片方の腰にも同じ形の物がぶら下がっていた。
「スリリングなデートの途中悪いけど、邪魔させてもらうよ」
あっけらかんと言い放ち、振り返るそのアバター――清宮総司の操る〈ベイオネット〉に2人は目を見開き見つめる。
「貴方は……?」
〈メイル〉が尋ねると〈ベイオネット〉は答える。
「ただの通りすがりだよ」
「何が目的で俺達を助けた……?」
〈雷電〉が続いて尋ねる、総司はそれにフッと鼻で笑うと、
「思い出狩りだよ」
〈雷電〉が続いて尋ねる、総司はそれに暫く「う~ん……」と唸った後、答
える。
「思い出狩りだよ」
一体なんの事を言っているのか理解できない、と言った表情を浮かべる2人に総司は頭をかく。
「あ~……ほらさ、リンクしたらなんかしたくなるだろ? 【ギガエクリプサー】狩って思い出にしておこうかなって思って来たんだ」
「は、はぁ……」
イマイチピンと来てないと言った〈メイル〉の前で、総司は更に説明を続けようか迷っているところ、
ドガガガガ!!!
体勢を整えた【ギガエクリプサー】からガトリングガンの様に〈ベイオネット〉の背に棘が放たれる。
このままでは〈ベイオネット〉は串刺しになってしまうだろう。しかし、〈ベイオネット〉は素早く振り返ると――
「ちょっと、うるさいよ」
放たれる棘を片手で連続してキャッチし、同時にもう片方の腕で銃剣を抜くと【ギガ・エクリプサー】の頭部を撃つ。
「グオオォォォ!!!」
そのモンスターは悶絶するように頭を押さえ、その場に伏した。
〈ベイオネット〉は銃剣をしまい、再び2人に振り返る。
「まあ~……よく分かんないだろうけどそういう訳で、邪魔させてもらうね。後、これあいつから仲直りのプレゼントだって」
そう言って〈ベイオネット〉は何が何だかと困惑する〈メイル〉に棘を渡すと【ギガエクリプサー】に向きなおした。
「ま、待って! 私も手伝います」
背中から〈メイル〉の声が掛かると〈ベイオネット〉は返す。
「いいよ、1人でやるから」
言い終わると同時に〈ベイオネット〉は【ギガ・エクリプサー】に駆け、戦闘を開始する。
「あの人は一体……?」
目の前で最上位級モンスターと単独で戦おうとする命知らずなプレイヤーに〈メイル〉はつい疑問が出たのか、それが声に出てしまう。〈雷電〉は呟く様に答えた。
「あいつのレベルを見てみろ」
〈メイル〉は目の前で戦う〈ベイオネット〉の上部を見る。そこにはレベル”130”と表示されていた。
「……え? 130!? アレサの最大レベルは100じゃないんですか?」
〈メイル〉が疑問に思うのは何もおかしくない。アレサにおけるアバターの最大レベルはシステム上は100に設定されているのだから。〈雷電〉は彼女の問いに自身も半信半疑と言った表情を浮かべ答えた。
「理由は分からないが……極稀にレベルキャップの100を超えている奴がいるんだ。彼はその1人なのだろう。彼にとってみれば、あのモンスターは取るに足らない相手なのかもしれない……」
「……」
〈メイル〉は〈雷電〉の答えを聞くと無言で、早くも佳境に入った【ギガ・エクリプサー】と〈ベイオネット〉の戦いを見つめた。
※
「オラオラオラァ!」
〈ベイオネット〉は【ギガ・エクリプサー】の懐に入り込み棘を連続してむしり取る。
「グオオオォォォ!!!」
悲鳴のような鳴き声が【ギガ・エクリプサー】から上がる。
「ごめん、ごめん、返すよ」
持っていた棘を【ギガ・エクリプサー】の頭部に突き刺す。突き刺した部分から血液の様に火炎が吹き出し【ギガ・エクリプサー】は逃げる様に〈ベイオネット〉から距離を取る。
「帰るのか? いいぜ?」
腕を頭に組みその場で立つ〈ベイオネット〉に【ギガ・エクリプサー】は怒ったように目を赤く煌かせ、一瞬体を膨張させると地が震える程の雄たけびを上げた。
〈ベイオネット〉は指で耳を塞ぎつつ、その雄たけびが終わるのを待つ。すると森の陰から10匹ほどのモンスターが現れ、【ギガ・エクリプサー】の背後に横一列に整列する。
上から3番目上位級モンスター【メガ・エクリプサー】だった。
「おいおい……負けそうになったからってそれはズルいぜ~フェアにやろうぜ? 俺も1人なんだからよ」
ぼやく総司に【ギガ・エクリプサー】は「それがなんだ」と言わんばかりに怒り狂う様に吠えると、それを合図に【ギガ・エクリプサー】を小さくしたような【メガ・エクリプサー】が〈ベイオネット〉に飛び掛かる。〈ベイオネット〉はハア~……とため息をつくと腰に付けた2対の銃剣に手をつけた。
ドガガガガガガガガガガ!!!
一瞬連続して銃声が響くと。飛び掛かっていた10匹の【メガ・エクリプサー】の脚部が正確に撃ち抜かれていた。
「るううん!」と鳴き声を上げ飛び掛かっていた【メガ・エクリプサー】は地に伏し、その場をもがく。【ギガ・エクリプサー】はその光景を見ると恐れる様に後ずさりし、距離を取る。〈ベイオネット〉はいつのまにか抜いていた銃剣をクルクルと回し腰に戻すと自慢するように言った。
「俺は1秒間に片腕で大体5発弾が撃てるんだ! 凄くない? 世界記録は1秒に8発らしいけど俺の場合は両腕合わせりゃ10発いくからな! ま、仮想世界だからちょっとズルいけど」
〈ベイオネット〉は軽く笑った後【ギガ・エクリプサー】に近づく。
「このゲームのアバターはその人間の素質や好み、願望でその姿が変わっていくんだ」
後ずさりする【ギガエクリプサー】に説明するように話す。
「例えば、剣の才能がある人間のアバターは、いつの間にか騎士っぽい見た目になってるし。魔法が使いたいな~って思ってたら、魔法使いっぽくなってたりする。空に強い憧れを持つ奴には羽だって生えてくる。要は自分にとって一番強くて理想的な姿になるわけだ」
〈ベイオネット〉は腰に差していた銃剣のシリンダー部分を撫でる。
「俺もリボルバーってかっこいいな~って思ってたらさ。こんな感じの装備になってたんだ! でもそれだけじゃないんだ――」
〈ベイオネット〉は銃剣を軽く抜く。そこには黒く煌く刀身が見えた。
「いつの間にか、こんなのも付いてた。これがどういう意味か分かる?」
光る刀身に自身の姿が見えたのか【ギガエクリプサー】はプルプルと震えだした。
「どうする? 逃げるなら追わないよ」
「グルルルウウウぅぅぅ……」
「お前も最上級モンスターだろ? 力量差は分かるはずだ」
淡々と言う〈ベイオネット〉に【ギガ・エクリプサー】は身を縮ませる。猛々しく燃え滾っていた自身の体皮の火炎は、いまやすっかり大人しくなっていた。
「ほらステーキにされたくなけりゃ、森に帰りな。お前の巣には入るなって言っておいてやるから」
諭されるように言われる【ギガ・エクリプサー】は暫く立ち止まった後、身を翻し――
「るうううぅぅぅん!!!」
怯える様に声を挙げ森に去って行った。それに続き【メガ・エクリプサー】も足を引きずり森に逃げていった。
「良い子だ」
〈ベイオネット〉はそれを見て微笑むと。視界の端で呆然とする〈雷電〉と〈メイル〉のほうに向かう。
「じゃあ俺は帰るけど。今後はあいつの巣には近寄らないでやってくれ」
「あ、ああ……」
「ありがとうございました……」
驚く〈雷電〉と〈メイル〉に総司はひらひらと手を振り答えた。
「いいよ、俺もたまたま散歩してて通りかかっただけだし」
「え!?でも、さっき狩りに来たって……?」
言ってることの食い違いが気になったのか〈メイル〉が言うと、総司は一瞬眉を潜めた後、ややムキになり返した。
「散歩も兼ねてたんだよ!」
「あ、すいません……」
「あ、いえ、こちらこそ」
総司は反射的にペコッと頭を下げる。彼はそういう人間だった。これ以上ここに居るといずれボロが出そうだったので、さっさと帰ろうと思いコンソールを表示させた。
総司は画面上に表示された、リンクアウトボタンを押そうとするが、その前に〈雷電〉が慌ただしく言う。
「ちょっと待ってくれ! このサーバーに居るという事は君もこの学園の生徒だろう? どこのギルドに所属している?」
「え? ギルド? んなもん入ってねーよ」
「なら俺たちのギルドに入らないか?」
「いやだ、ギルドとかそう言うのめんどくさいし」
「そんなこと言わず是非!」
「……俺は煩わしい人間関係は嫌いでね、”俺は俺の為に”自由にやりたいんだ。じゃあな」
「ま、まて――」
〈雷電〉が言い終わる前に〈ベイオネット〉は光の粒子となって消えた。
※
何の変哲もない部屋でベッドに寝ころんでいた総司は目を覚ました。日はすっかり落ち、部屋の中は窓から差し込む僅かな街頭の光のみが照らしている。
総司はサッと身をベットから身を起こし軽く伸びをすると。頭に巻き付いたヘッドギアらしきものを外し、
「飯でもくうか」
と呟き部屋を出た。
リビングと台所が併設された1階に向かうため階段を下りつつ、総司は先ほどまで戦いの余韻に浸り顔を緩めていた。
フルダイブ式ゲーム"アレサ"。
”ESG”と呼ばれる折りたたみ式のヘッドギア型、脳波同調装置を頭に付け。仮想空間の世界で自身の分身となるアバターを操作しプレイ出来る、というそれまでのテレビに線をつなぎプレイするタイプのゲームとは、次元の違う技術により爆発的な人気を呼び、世界的な人気を博したゲーム界の金字塔。
現在では全世界で8億人を超えるプレイヤーと200万人を超えるプロゲーマー人口、そしてそれを支える膨大な関連産業ににより、日々莫大な資産がゲーム上を流動し、”もう一つの世界、もう1つの自分”とも言われるほどに人々の生活や経済、価値観に根差すものになったそのゲームの発売から、今日でちょうど10年の月日が経った。
そして彼――清宮総司の両親が離婚してから経った月日も今日でちょうど10年だった。
彼は今、表向きには父親と2人暮らしだったが、彼の父親は海外のエネルギー産業に努めている関係で家に帰ってくるのは年に数度だけだった。
幼き頃は朝と晩に1時間程来るヘルパーの人間に世話をしてもらっていたが、今ではそれももうない。今現時点ではこの家の主は正しく彼であった。
総司は1階に降り、台所が併設されたリビングに入る。照明を付けるとパッと明るくなった広いリビングは綺麗に片付いているというより、物がなく閑散とした雰囲気で、ひっそりとテーブルと4つの椅子が置かれただけの寂しい部屋だった。
部屋を照らす電灯の4本の内の1本が消えかかり、明滅していたが総司はそれを気にする様子もなく。冷蔵庫を漁る。
冷蔵庫の中は幾つかの食材が転がっているだけで殆ど空っぽに近かった。総
司はそれを幾つか手に取るが、暫くするとそれを元の場所に戻す。
「……今から作るのも面倒くさいし、冷凍食品でいいや」
冷凍庫を開き、適当に並んでいた袋の内の1つを取り、皿に並べると彼はそれを電子レンジに突っ込み、スイッチを押す。続いて思い出したかのように冷蔵庫を再び、開き、袋詰めされたカット野菜を皿に並べた簡易的なサラダを作る。野菜も食べてるというただの気休めの為だった。
タイミング良く温まった料理を電子レンジから取り出し、サラダと共にテーブルに並べた。
「明日は何のモンスター狩ろうかな~」
総司は誰に言うでもなく独り言を呟き、椅子を引いて座る。テーブルに置かれていたリモコンで、まともに見もしないTVをBGM代わりにつけ、1人黙々と明日のアレサの予定を思案しながら食事を始めた。
その姿はこの家では何も珍しいものではなかった。
彼は10年間このような日々を過ごし、トッププレイヤーの1人になっていたのだから。