間話 銀色の瞳
お、お久しぶりです。
俺が「あいつ」と出会ったのは10年前。「あいつ」がまだ5歳の時だった。
あの日のことは、まるで昨日のことのように思い出せる。かなり、衝撃的だったから。
俺はその日、やることもなく食堂で船をこいでいた。
「サト、暇か」
話しかけてきたのはスモークさんで、(当たり前だけど)今よりも若い。(注 スモークさんはこのとき25歳。今は35歳ね。今はリタのおかげかずいぶんと緩和されているが、昔は「表情筋?何それ、おいしいの?」な人だった。
身を起こし、のびをしながら言う。
「暇でぇっす」
俺は特にやることもなく暇を持てあましていた。だからこの話に1も2もなく飛びついた。今思えばおかしな事だ。スモークさんが俺に暇かどうか聞くなんて。(注 俺はこのとき16歳。今は26歳ね。
「じゃあついてこい」
「うっす」
俺はこの選択を、ノリで返事をしてしまった事を、後悔することになった。割と本気で。
「ここだ」
そう言って着いた先は俺の隣の部屋。ここは誰も使われていないはずだった。だが、今は人の気配がする。今朝まではなかった、人の気配。
スモークさんはノックをせずに扉を開けた。
この部屋の作りは俺の部屋と一切変わったところはなく、古びた家具もすべてが一緒。
違うのは部屋にいる人物。
薄汚れた子供がベッドに座り込んでいた。まだ4,5歳という小さな女の子。
それが、「あいつ」だった。
「今朝、裏の森で拾ったんだ」
「あいつ」の目は虚ろで、全く光を映していなかった。暗殺者になってからよく見る目を、まだ小さかった「あいつ」はしていた。だが、それより驚くべき事があった。
「あいつ」は“銀”の目だった。
この世の魔力保有量は、すべて瞳の色でわかる。
色が薄くなるにつれ魔力の量は多くなり、濃くなると少なくなる。それとは逆に色が薄い物は生まれにくく、濃い方が生まれやすい。“黒”“濃い色”“薄い色”“銀”で区別される。
“黒”は魔力を一切持たず、“銀”は魔力保持者の中で最高峰を示す色。その魔力は無尽蔵にあり、やろうと思えば永遠に使い続けることができる。ここだけ言うと、“銀”というものは良いことばかりのように思えるが、もちろん良いことばかりではない。『暴走』と言って、その名の通り魔力が暴走するのだ。原因は簡単で、感情の高揚。一回暴走すれば、正気に戻るか、疲れるまで止まらない。
更に“銀”は魔力量の多い、限りなく“銀”に近い“薄い色”の夫婦から極希に生まれてくる。銀の目を持つ人に会うのは人生に一度あるかないか、と言われるほどである。ここは“銀”に会えたことに喜ぶべきなのだろうが、俺は素直に喜べなかった。
その時この国で確認されていた“銀”は二人。国王レアガルドと、その娘である王女ウィリアナだけ。俺の目の前にいるのは、まだ4,5歳の女の子。ちなみに王女は五歳ぐらいだったはず。
目の前にいる子供と、風の噂に聞く王女の容姿との類似点を次々と発見し、気が遠くなりかけた。
曰く、王女は王妃に似た、綺麗な群青色の髪をしているらしい。
→少し汚れているが、目の前の子供に当てはまる。
曰く、王女は国王に似た、切れ長の目をしているらしい。
→少し汚れているが、目の前の子供に当てはまる。
曰く、王女の肌は雪のように真っ白らしい。
→少し汚れているが、目の前の子供に当てはまる。
曰く、王女は将来期待できる美少女らしい。
→少し汚れているが、目の前の子供に当てはまる。
…………etc.
王・女・確・定 ☆ 乙 orz
……何で王女様がここにいるんだよっ!?
「Why!?」
「すまん、なんて言ってるか分からん」
「あいつ」を指さしながら、俺はスモークさんに向かって言った。
「こいつ絶対お」
「サト、黙れ」
「っ……」
この人これでも、拠点の主なんだよな。だからそれなりの強さを持っている。とりあえず、俺を黙らせる事は簡単にできるくらいは。
「こいつは拾ってきたんだ。」
「分かりました。で、俺は何をすれば?」
「飲み込みが早くて助かる」
要するに、これは身元不明で、俺たちはそれを保護したに過ぎない、と言うことか。きっと「飲み込みが早くて助かる」も、いろんな意味が含まれているはずだ。
「お前はこれからこいつの教育係だ」
「俺がっすかぁ?でもここの拠点に確か女がいたじゃないっすか。最近見ないですけど、そいつに任せれば良いじゃないですか」
「ああ、俺もそう思ったんだが」
「思ったんだが?」
「仕事でしくじったらしい。帰ってこないんだ。多分死んでるな」
「マジっすか……」
暗殺者の俺たちは常に危険と隣り合わせ。知り合いが死ぬなんてしょっちゅうだ。最初のうちは結構ショックを受けていたが、もう慣れた。慣れって怖い。慣れる人間も怖い。
スモークさんは回れ右をすると、ドアノブをつかみ、俺の方を見ていった。顔の横で、手をびしっと音がなりそうなほどぴんと伸ばしながら。ただ顔が無表情で、非常にシュールな光景になっている。笑わせようとしているのだろうか。
「と言うわけだ。後は頼む。俺はこれから仕事に行く」
「あ、ちょっ!?」
「そうそう、こいつの名前はリタだ。仲良くしろよ」
スモークさんは言い忘れたかのように、さらりとなかなか重要そうなことを言い残し、部屋を出て行った。バタリと無情にも閉められた扉は、居心地の悪い空気まで一緒に閉じ込めてくれた。
ああ、もう。どうしよう。……とりあえず、アレをやっておこうかな。アレを。
思いっきり息を吸い込んで、せーの。
「どうしろってんだああぁぁぁぁぁ!!!」
目の前に背が低くて丸い『ちゃぶだい』なるものがあったならば、間違いなくひっくり返していたことだろう。
こうして俺たちは出会った。いろんな意味で、衝撃的な出会いだった。
それから俺は大変だった。
風呂とか、トイレとか。
いつもぼんやりしていたから『暴走』の心配はしていなかったけれども。
だんだん意識がはっきりしてきたと思ったら、第一反抗期ときた。いやあ、大変だった。
しかも、妙にやんちゃになってきたし。生意気だし。
高い木に登って降りれなくなったし、一人で森に入って迷っていたし、俺とかくれんぼだって言ってスモークさんの机(スモークさん付)の足下に隠れていたし。
……あの隠れ場所はないだろ。絶対俺が探れないような場所を選らんだに違いない。それとも俺がスモークさんの足下を探れると思っていたのか?
ただ、記憶がなくなっていたのは助かった。あんな様子だったんだから、かなりショックなことが起きたに違いない。記憶があったのなら、どうなっていたものか。
リタがここに来たのは5歳くらいだったが、正気に戻るまでかなりの時間を要した。だから本人は7歳からの記憶しか無い。
「さと、あそぼ!」
「さと、おまえばかか!」
……はぁ。
まあ、あの時は可愛かった。今とは全然違う。
男口調なのはその時はからだが、感情が豊かだった。声にも抑揚があり、無邪気に笑っていた。いつも俺の後をついて回り、遊んで欲しいとねだっていた。
だが、俺たちが暗殺者な限り、そんな生活続く訳がなかった。
俺は魔法の使い方を教え、スモークさんは人の殺し方を仕込んだ。
リタは何も言わなかった。人の殺し方を学ぶことに、疑問が無いように思えた。
当たり前だろう。リタがここに来たときからいい続けて来たのだから。
お前はいずれ人を殺すのだ。
ずっと、言い続けた。
リタが抵抗するようなら、やめるつもりだった。だがリタは、小さいながらにして賢く頭のよく働く子。俺たちの考えを見抜いていた。
指導したのがスモークさんだったのもひとつとだろう。リタは誰よりもスモークさんを慕っていた。まるで、父親のように。教育係のはずだった俺より先になついたのだ。多分スモークさんも満更ではなかったんだと思う。リタを見る目は父親のそれだった。まとわりついてくるリタを見る目はどこまでも優しかった。
いつだか、同業者がこんな事を言い出しやがった。
――リタに房事は仕込まないのか。
もれなく恐ろしい視線と殺気が送られた。ちなみに俺のも。二つの殺気におびえた同業者は、この拠点を出て、それっきり音沙汰もない。死んでいようが生きていようがどうでも良いが。
とにかく、スモークさんは目に入れても痛くないくらいリタを大切にしていた。今だってリタもスモークさんの前では表情が少し緩んでいるし。
端から見れば似てない親子くらいには見えるだろう。
今思えば、何故スモークさんはリタに人殺しを教えたのだろうか。
あの人ならきっとリタがどうなるか分かっていた。
なのに何故なんだろうか。
一回仕事をさせてしまえば、リタが今のままではいられない事くらい分かったはずなのに。
実際、初仕事を終えたときリタは泣きじゃくった。今までの元気の良さが嘘のように泣き喚いた。
しばらく部屋に閉じこもり、出てこなかった。出てきたら出てきたで、何も食べない。無理矢理食べさせても、すぐにはき出してしまうと言う始末。
それが収まったとき、リタは変わってしまった。
表情が乏しくなった。
声に抑揚がなくなった。
無邪気に笑ってくれなくなった。
遊べとも言い出さないし、俺の後をついてこなくなった。
正直、悔しかった。暗殺者になってから、無邪気とか、良心とか、そういったものとは無縁になっていたのだ。だがリタと接して、戻ってきていたような気がしていた。
それがなくなったのが、悔しくて、悲しくて。後悔しても、しきれなかった。何も出来ない自分に苛ついた。
それに、リタは気付いた。
俺の考えを悟ってしまった。何も出来ない自分に苛ついている俺に気付いてしまった。
だから、彼女は立ち直った。俺を安心させるために立ち直った。いらいらしたままの俺を置いて、前に進んだ。
なんとも言えなくなった。リタが賢いからとはいえ、自分よりも小さい子に自分の心内を悟られる。そして、心配されて立ち直ったなんて。
情けなくて、泣きたくなる。
あいつは、何も言わなかった。
自己嫌悪に陥っている俺を見ても。
自分が苦しんでいるのに何も言わないスモークさんを見ても。
どうしようもなく汚い世界を見ても。
全部受け止めやがった。俺だって、最初は何かを言わずにいられなかったってのに。苦しまずにはいられなかったのに。
俺より小さい癖して、俺より早く現実に目を向けた。
あるとき、リタが俺に抑揚のなくなった声で言った。
――バーカ。
その一言は一気に俺を現実に引き戻した。
リタはリタだった。笑顔も何もなくなったのに、リタ自身は何も変わらなかった。
アホみたいに生意気で、優しい。
やってらんねぇよ。なんで当事者が立ち直ってんのに、俺はぐじぐじしてんの。
ホントにバカみたいだな。
俺は、バカだ。
時が流れていくとともに、リタの中の何かが減っていくような気がした。それが分かったところで、するべき事も分からないが。
15歳になったリタは、もう俺の実力をとうの昔に超し、魔力の制御だってお手の物。しかも、独学で魔具さえも作り出した。王宮騎士団2、3人だったら軽く相手に出来るはずだ。ちなみにリタには第二反抗期が来た。誰か、年頃の女の心情を教えてくれ。俺には理解できない。
あれから分かったことがある。
リタは頭が良いんじゃない。そんなものじゃなくて、もっとすごいものだ。今出している実力は氷山の一角に過ぎないはずだ。具体的に、と言われる困るのだが、とにかくまだ眠っている何かがある。それは確かだ。
そうそう、リタの正体のことだが。やっぱり王女ではないかと思う。
これまでに数回、王宮に潜入する機会があった。その時王妃を見かけた。
リタに、そっくりだった。パーツそれぞれは微妙に違うものの、持っている雰囲気が似ていた。何よりも、背中に流れる群青の髪が二人の関係性を示していた。
だが、ウィリアナ王女が行方不明になったなんて誰も言っていなかった。
聞くところによると、『ウィリアナ王女』は、体が弱く離宮に籠もっているらしい。“銀”だからいつ暴走するかも分からず、必要最低限の使用人しか世話に回せないそうな。
俺は政治に関してはさっぱりだ。だが、おかしいと思う。
離宮に『ウィリアナ王女』はいなかった。必要最低限の使用人とやらも、離宮の掃除のための女官のみ。
だが裏ではウィリアナ王女は今でも探されているようだった。何故一国の王女が行方不明なのに公にして探さず、裏でこそこそ探るようなことをするのだろうか。
それとも王女が行方不明だと知られてはいけない、何かがあるのか?
これ以上は危険だと判断し、探ることはしなかったが……
いったい何があるというのだろうか?
今日帰ってきたリタは少し顔色が悪かった。何かと思ったが、言わないことにした。心配したところで「大丈夫だ」ぐらいしか言わないから。
壊れかけの魔具を託すのは少し気が引けたが、呼び止めておいて何もないのも不自然だ。娘か妹のような存在から、変なものを見るような視線を送られる気持ちも分かってくれ。
どうやら部屋に入ってそのまま寝てしまったらしい。隣からは物音一つしない。
リタが寝ているとき俺が騒がしくしていると、隣の部屋から静かな、それでいて鋭い殺気が送られてくるのだ。要するにゴキゲン斜めな状態。昔は壁を蹴る殴るの暴行のみだったが、第二反抗期が訪れてからというもの、容赦が無くなってきた。もっと俺に優しく出来ないのか? ……あいつが俺に優しくするわけがないか。
ため息をつくと、ベッドにそのまま寝転ぶ。静まりかえった部屋は、俺に寝ろと言っている。お言葉に甘えて寝るとしようか。
かさりと、小さな音が聞こえた。勢いよく体を起こし、周囲を警戒する。
暗殺者だって殺されることもある。
理由は様々だ。
自分より強い力に嫉妬したり。
裏を知りすぎたと、元依頼主から処分されたり。
安心なんぞ出来ない。
音の元を探すと、どうやら隣の部屋のようだった。
呻き声が聞こえる。どうやら魘されているらしい。
思いっきり顔をしかめた。
リタが魘されているのは初めてじゃない。まだ正気に戻っていない頃、いつもいつも魘されていた。正気になってからは無くなっていたので安心していたのだが……。
「……」
更に顔をしかめた。
昔はリタの部屋に入り、面倒を見ていた。だが昔と言ったら5、6歳の頃。今は15歳のお年頃である。部屋に勝手に入るなんてことをしてしまったら、リタに殴られる。寝起きのリタはたまに不機嫌になる。ちょうどその時に話しかけてしまったら、無言の圧力か罵倒の嵐だ。いったい俺の何が悪いんだよ……。
とにかく、部屋には入れない。じゃあどうするかと言われれば、見守るしかない。
俺は今も昔も見守ることしか出来ない。
暗い考えが脳裏を横切る。
突然部屋の扉がノックされる。ノックされるまで全く気配がしなかった。俺が気配に気付かない人なんてそうそういない。これが出来るのはリタと、あと一人。
「スモークさん……」
「開けろ」
扉を開けると、不機嫌そうに顔を歪めたスモークさんが立っていた。
「どうしまし――」
「王宮騎士が冒険者を装って来た」
「は?」
「リタを取り戻しに来たらしい。かなりの手練れたちだ。何人か向かわせたが全員やられた」
全員やられた? そんなバカな。向かわせるのは場数を踏んだベテランたち。そいつらがやられるなんて。
それよりも王宮騎士だって? 国直属の兵士じゃないか。
「気付かれたんですか!?」
「らしい。お前はリタ起こせ。逃げろと伝えろ」
「何でですか」
「取られたら、リタは王女になる。裏側ではなく、表舞台に出ることになる。そんなことになれば今度こそ、あいつらに……」
「あいつら?」
スモークさんははっと目を開き、頭を振った。
「いや、何でも無い。とにかく、良いな? 俺は時間稼ぎをする」
「わ、分かりました」
「頼むぞ。もう時間が無い。リタには『ここにいたら殺される』とでも言っておけ」
そう言って、スモークさんは走って玄関ロビーへ降りていった。
俺は急いでリタの部屋の扉をノックする。
「おい、リタ。起きてるか?」
「ああ、起きてる」
よかった。いつの間にか起きていたらしい。下の階から話し声が聞こえる。早くしなければ。
扉を開いたリタは暢気にこう言い放った。
「どうした。眉間にしわが寄ってるぞ」
「しっ、静かにしろ」
「……だからどうしたと聞いている」
状況を察したらしく、静かな声で聞いてくる。
「リタ、早く逃げるんだ」
「……は?」
本当のことを話そうとしたが、とっさに話を変えた。いやだって、お前は本当は王族で王宮騎士が連れ戻しに来ました、なんて言ったらどうする。俺は病院に連れて行く。
「ここにいたら殺される。だから早く逃げるんだ」
「ちゃんと説明しろ」
「……冒険者だ」
「冒険者?」
リタはそう言って黙り込んだ。まさか、心当たりがあるのか?
疑問には思ったが、聞いている暇はない。俺は更に作り話を続ける。
「ここが暗殺者の拠点だって気付かれた。暗殺者殲滅の依頼を受けた冒険者が来たんだ!」
リタは何を言っているんだという風に顔を歪める。そこで下の階から聞こえてくる声に気付いたようだ。
すっと、顔をいつもの無表情に戻した。そして言った。
「ああ、あいつ等か」
……心当たりあったんかい!