狐の神隠し
昼休み。まだ明るいというのに、明音と彩夏は心霊話で盛り上がっていた。学校の七不思議や心霊スポット、とにかくばかみたいに盛り上がっていた。
「あ。明音はこっくりさんってやったことある?」
先にその話を持ちかけたのは彩夏だった。明音はどちらかというと彩夏の話をあいづちをしながら聞いていた。
「うん。はやってたよ」
「やっぱりー? 久しぶりにやってみない?」
彩夏は楽しそうにニコニコ笑っていた。笑っていただけではなく、彩夏は明音の返答を聞く前にノートに何かを書き始めた。鳥居にひらがな、数字にはいといいえ。書き終わるとノートを広げ、財布から十円玉を取り出し、鳥居の上に置いた。
「ほら、明音も」
「あ、うん」
明音は言われるがままに十円玉に指を乗せた。それを見た彩夏も満足そうに指を乗せる。
「何? こっくりさん? お前たち子供だなぁ」
そう言って机を覗き込んだのは、彩夏の隣の席に座る理久。クラスでも、それなりのイケメンだと言われている。明音は、顔をそむけた。少しだけ頬が染まっている。彩夏は、そんな明音の様子に気づき、ニヤリと笑った。
「幸村さぁ、あんたも一緒にやらない? まだ呼び出してないし、一緒に出来るよー?」
ニヤニヤと笑う彩夏。明音はそんな彩夏の言葉を聞き、俯いてしまった。理久はそんな明音の様子に気づいているのか、気づいていないのかわからないが、曖昧な表情で笑った。
「俺はいいよ。ここで見てる」
良く見えるように、体を2人の方に向ける。明音は心臓が跳ね上がるのを感じた。明音は、理久が好きだった。彩夏はその態度を見て、明音が何も言わなくても気づいていた。
「そーお? 残念! じゃあ、明音。準備はいい?」
「うん」
「こっくりさん、こっくりさん、どうぞお越しください」
彩夏がそう唱えると、十円玉は2人の指を乗せたままゆっくりと、鳥居から「はい」と書いてある方に動き始めた。
「やっぱり動くんだー」
気の抜けた声の彩夏。明音も苦笑する。小さい時にやったときは、あんなにも不気味で君が悪かったのに、今ではそうでもない。それよりも、明音はこちらを見ている理久の方が気になってしょうがない。
「さーてと、何聞こうかなー」
「あ。始めたばかりの所悪いんだけどさ、もうすぐ5限始まる。しかも、移動教室だろ? そろそろやめた方がいいよ」
彩夏がうーんと唸っていると、理久が時計を指さした。時計は、午後1時15分を指している。5限は1時半からで、明音たちの教室から一番遠い理科室にいかなければならない。
「あ、ほんとだー。まぁ、聞くことも思いつかないし、帰ってもらうか。こっくりさん、こっくりさん、どうぞお戻りください。犬と車に気を付けて」
再び彩夏が唱える。すると、十円玉は、すーっと動き、鳥居をこし、今度は「いいえ」と書かれている上で止まった。
「あーらら」
理久が苦笑する。彩夏は舌打ちした。一応、こっくりさんでは、こっくりさんがお戻りになるまで、十円玉から指を離してはいけないことになっている。それは、明音も彩夏も知っているルールだ。
「どうする?」
明音は不安そうな声で問うた。小さいころも今まで十円玉を途中で離したことはない。彩夏ははーっと息を吐いた。表情が明らかに不機嫌そうだ。誰が見てもわかる。
「くだらない、明音。授業いこっ」
十円玉から指を離し、明音の指も離させ、財布にしまう。先ほど書いた紙はノートから破き、ぐしゃぐしゃにしてゴミ箱に放り投げた。
「あれ? 指を離すと何かあるんじゃなかったっけ?」
その動作を見ていた理久が問う。彩夏は授業の準備をし、それを見た明音も急いで授業の準備をした。
「何も起こるわけないじゃん。ただの遊びなんだから」
そう冷たく言い放った彩夏は、一瞬明音を睨んだようにも見え再び、息を吐く。
「明音、いこっ」
「う、うん……」
明音は睨まれたことに気づいた。もしかして、十円玉を動かしていると思われたのだろうか。明音は、彩夏が動かしているのかと思っていた。だが、あの様子を見ると彩夏が動かしていたわけではなさそうだ。
「あーあ。何か起きなきゃいいけどね」
まるで独り言のようにつぶやく理久。その顔はどこか楽しそうで、その目は教室の隅を捕えていた。
特に何も起きた様子はなかった。それは、授業が終わり、部活が終わり、2人が帰るときまでは。2人は、バトミントン部に属している。練習は厳しいもので、帰るのはいつも遅く、夏だというのに外は暗くなり、空には星が瞬く。教師も何人かが帰ったあとで、ほんのりと職員室に灯りが灯るだけであった。
「すっかり遅くなっちゃった! 早く帰らないと昇降口しまっちゃう!」
彩夏が明音の手を引き、走る。既に完全下校の時間は過ぎている。部活が終わり、2人はうっかり更衣室で長話をしてしまったのだ。階段を1段飛ばしで、降りている時、何か気配を感じた。
「待って。誰かいる」
先に気づいたのは明音だ。今までついていた廊下の電気が、全て一瞬のうちに、ぱっと消えた。
「ちょっと、何よー?」
わけがわからず彩夏が文句を言う。明音はそんなことよりも、階段の下にいる人物のことが気になった。暗くてよく見えないが。人の気配がする。確実に誰かいる。その誰かは、ゆっくりとペタペタと足音を立てながら階段を上がり、2人に近づいてきた。ここで彩夏もその気配に気づく。
「ちょっと! 誰よ!? 電気消したのあんたなの!?」
彩夏が悪態をつく。それでも、階段の下にいた人物は2人に近づいてくる。明音は段々怖くなり、寒気を感じだ。一体目の前にいる人物は、誰なのか。何故、こんなにも恐怖を感じ、背筋がゾクゾクするのか。闇から現れた人物は……。
「あそぼ」
青い和服で裸足の男の子だった。
「え、子供……?」
彩夏の呆れるような声。2人とも、すっかり気が抜けてしまった。明音が感じていた恐怖も、ゾクゾクする感じも今はない。ただ、消えた電気はいまだつかない。
「ちょっと! あんたね? 電気消したの!」
彩夏は男の子に詰め寄った。男の子は楽しそうにニコニコ笑っている。
「ねぇ、あそぼ」
そう言って、彩夏の腕をつかみ、走り出す。
「ちょっと!?」
「彩夏!」
男の子に引っ張られ、階段を下りる彩夏。明音も後を追おうとしたが、何故か足が動かなかった。何故か、彩夏が連れられて入っていた目の前の闇が怖いと感じてしまった。ペタペタという足音が彩夏の足音を連れて行く。暗闇のせいで、姿は見えない。階段はこんなに長かっただろうか、と思ってしまうくらいその足音が聞こえてくる。時たま彩夏の「ちょっと!」「離しなさい!」という声も聞こえてくる。だが、次第にその声は聞こえなくなり、足音もしなくなる。彩夏と男の子の気配がなくなった。
「彩夏!!!」
明音は、そのことに気づき、急ぎ階段を駆け下りる。思った通りだ、階段はそんなに長くない。なのに、何故あんなに足音が聞こえたのだろうか。軽く40段くらいは降りていた気がする。廊下の方を見ても、彩夏の姿はない。男の子もいなくなっていた。ただ、階段を下りて行っただけなのに、2人は消えた。
「えっ、彩夏……?」
再び恐怖が襲ってくる。何故、誰もいないのか。彩夏はさっきまで、いたのに。
「くすくすくす……」
「誰!?」
どこからか聞こえる笑い声。でも、どこから聞こえてくるのかわからない。さっきの男の子の声によく似ている。
「だ、誰なの!? 彩夏をどこにやったの!?」
きょろきょろと、あたりを見回す。闇で当たりが見えにくい。
「ねぇ、あそぼ」
「ひっ……!」
気配なんてしなかった。なのに、彩夏を連れ去った男の子は、今明音の目の前にいる。
「あそぼ」
にぃと笑い、明音の腕をつかむ。びくっと体が震える。足はガクガクと震え、声が出なくなる。男の子は、そんな明音を楽しそうに眺め、彩夏のように引っ張っていく。動かないはずの足が一歩一歩前へと踏み出す。どこに連れて行かれてしまうのだろうか、そう諦めかけた時、誰かが明音の腕をぐいっと、引っ張り、ぱっと電気がついた。
「秋本? 大丈夫か?」
引っ張ったのは理久だった。明音は体が軽くなるのを感じた。恐怖が遠のいていく。同時にやってくるのは、嬉しさと、恥ずかしさと、うるさいくらいの心臓の鼓動。
「幸村くん……。お、男の子が、彩夏を……」
「男の子? 誰もいないけど」
「え…?」
理久の言う通りだった。さっきまで自分の腕を引っ張っていた男の子はどこにもいない。いるのは、明音が好きな理久だけだ。
「秋本、部活で疲れていたんだよ。菅原は先に帰ったんだよ」
にっこりと笑う理久。明音は、何か腑に落ちなかった。彩夏は確かに隣にいた。隣にいて、男の子につられて、階段を下りて行った。そして、そのまま消えた。
「でも、確かに! 男の子がいて! 彩夏を連れて行ったの!!」
明音は泣きそうだった。何故、彩夏がいなくなってしまったのか、いくら考えてもわからない。理久はただ、そんな明音を見て困った顔をするだけだったが、何かをひらめいたのか、はっとした顔をした。
「もし、秋本の言う事が本当なら、昼のこっくりさんが原因じゃないか? ちゃんと終わらせなかったから、菅原は連れて行かれたとか……」
うーんと唸る理久。「まさかな」と付け足したが、明音は納得した。いつもと違うことをしたのは、あのこっくりさんだ。彩夏は動かしていなかった。明音も動かしていなかった。と、いうことは、答えはただ一つ。
「あの、男の子がこっくりさんなんだ……。ちゃんと終わらせれば、彩夏を帰してくれるかも……。でも、1人では……。そうだ! 幸村くんも手伝って!」
「は!?」
「お願い! 彩夏の危機なの!!」
「まぁ、別にいいけど……」
顔の前で手を合わせて頼みこむ明音。理久はそんな明音を見て、ポリポリと頬を掻いた。
明音は彩夏がやったように、ノートにひらがなに数字、鳥居にはいと、いいえを書き込んだ。急いでいるためか、いつもより字が汚い。明音は理久をつれ、一番近い教室に入り、教卓の上にそのノートを置く。財布から十円玉を取り出し、鳥居の上に置いた。
「幸村くんも」
「あ。うん」
十円玉の上に指を置く。明音は深呼吸をした。
「こっくりさん、こっくりさん、どうぞお越しください」
彩夏が唱えた言葉を言う明音。十円玉は直ぐに「はい」へと移動した。緊張が走る。
「こっくりさん、こっくりさん。申し訳ございません。どうか、お戻りください」
十円玉は「はい」から動かなかった。暫くそのまま止まっていると、ゆっくりと、鳥居の方へと進み、鳥居の上で止まった。
「やったぁ! こっくりさん、帰ってくれた!」
安堵の溜め息をつき、十円玉から手を離す。それを見た理久も指を離す。
明音は、そのノートと十円玉をそのままゴミ箱へと捨てた。
「きっと、これで明日には彩夏が戻ってるよね!」
安心して、ニコニコ笑う明音。理久はそんな明音を見て、苦笑した。
「良かったね。はやくしないと、昇降口しまっちゃうよ。お互い、部活が大変だね」
「そうだね! 帰ろう!」
明音が感じていた恐怖はどこかへ行ってしまった。すっかり安心し、理久が隣にいることから、ルンルン気分である。
「あ。秋本、見て……」
そんな気分の中、廊下を歩いていると理久が真っ直ぐに廊下の先を指さした。再び、ぱっと電気が、全ての電気が消えた。
「え……な、何……?」
驚きを隠せない明音。理久を見ると、まだ廊下の先を指さしている。何だか、嫌な気配がする。理久の指の先を見ると、誰かいる。気配がする。
「ひっ……!!」
その人物が分かった時、明音は悲鳴を上げた。廊下の先にいたのは、理久が指さしていたものは……彩夏をどこかへ連れ去った男の子だった。
「ゆ、幸村くん、あのこ……。あの子が、彩夏を、連れて行ったの……!!」
明音は理久の腕に縋り付いたが、理久はそれを払った。
「幸村くん……?」
「秋本、心配しないで。あの子ならよく知っているから。君も、菅原と同じ所へ行けるよ」
そうにっこり笑って、理久は明音の背を押した。前にでる明音。目の前には、あの男の子……。
「ねぇ、あそぼ」
「い、いや、いやあ……」
にたぁと笑う男の子を前に、再び恐怖が襲って来た。次から次へと涙があふれ出てくる。理久に助けを求めようとするも、理久はただ楽しそうに見ているだけで、助けようとはしない。
「秋本。菅原に宜しくね」
男の子と同じような笑顔で笑う理久。明音は、自分の運命を悟った。
「あそぼ。僕と、あそぼ」
男の子に、腕をつかまれ……明音は、そのまま闇へと消えて行った。その場に残ったのは、理久だけとなった。
暫くして、男の子が闇の中から出てきた。理久を見るなり、ぎゅっと抱きつく。
「理子、楽しかった?」
理久は、今までに見せたことのないような優しい笑顔で、男の子……理子の頭を撫でる。先ほどまでは、なかったのに、理久と理子に狐の尻尾がある。こっくりさんで呼び出された理子は、理久の策略によって戻らなかった。
「楽しかったー」
「これで、俺がいない間も寂しくないね」
「うん!」
理子はにっこりと笑った。そんな理子を見て、理久も満足そうに笑った。
「じゃあ、帰ろうか」
「うん!」
狐の兄弟は、手を繋ぎ、闇へと消えて行った。
翌日、秋本明音と、菅原彩夏の捜索願が警察に届けられた。だが、2人はいつまでたっても見つからなかった。それこそ、死体すらも。