緑風
ふわり、と、金色の粒を含んだ、淡い緑の風。
背中に、暖かく、懐かしい気配がする。背後から流れる、さらりと、黒髪の先が揺れるのが見えた。
(ロキ殿、落ち着いて)
胸にこみ上げる暖かい感情に、目がじん、とする。
(覇天は、怒りの感情で抜くものではありません。
護りたいと、癒したいという想いで解き放つ力)
冷たく震える、鞘を持つ左手に、柄を握る右手に、白く輝く手が重なるように添えられる。
(ロキ殿なら、大丈夫。さあ、深く息をして。気を込めて)
清羅。
声の導くままゆっくり息を吸い込み、胸の内に沸く暖かなものが全身にめぐるのを感じながら両腕を左右に開くと、純白の下げ緒が光を放ち、すらり、と刀身が現れた。
「な……!」
神の顔が、驚愕に歪む。
覇天の刃に照らされ、白い空間に、クモの糸のような銀色の筋が張り巡らされているのが見えた。エンとレヴィに、幾重にも巻き付き、縛り付けている。
ロキが鞘から手を離し、両手で柄を握って上段の構えから振り下ろすと、糸は引き千切られるように脆く吹き飛ばされ、眷属たちが顔をあげた。
悠然と立ち上がり、ロキの前に立つ眷属たちから、神が飛び去ってはるか上空に移動した。
ロキは再び、空間を薙ぐ。と、それまで真っ白だった空間が揺らぎ、うっすらと木々が立ち並んでいるのが見えた。ロキの生家の裏山の景色。
「こおおのおおおお、くそがきがああああ! きさねええええええ!」
ロキはぐっと奥歯を噛みしめた。
「キサネ」と大声で呼ばれると、しょっちゅう驚き、硬直する自分に、友人がロキという名をくれた。もう自分は、無抵抗に殴られるだけの、誰も手を差し伸べてくれるものがいなかった、一人で怯えるばかりの幼児ではない。
霧に包まれたように白い空間に、あらゆる妖魔が姿を現す。
エンの火焔が禍々しい蟲を焼き尽くし、レヴィの作る渦が錆びた刀を手にしたミイラのような軍勢を飲み込む。二人は奮戦していたが、掛けられた能力への制限は解けず、レヴィの傷は深く、敵の数は無数で途切れる事がない。
ロキも傷だらけになり、ついに膝をつき、巨大な蝉の様な羽虫の体当たりを受けて倒された。巨大な馬が、嘶きながら立ち上がり、ロキの右腕を踏みつける。
「ロキ!」
「神に仇なそうなどと、身の程知らずが。儂を凌ぐ力を持つ種族など、存在すらせんのだ!」
覇天だけは、絶対、手放さない。けれど。
エンの火柱も、明らかに威力が落ちている。レヴィの姿は見えない。自分が意地を張っているせいで、眷属たちが傷ついている。
ヴォルケーノ、風魔、新しい海龍、オルトロス、エン、レヴィ。自分が覇天を手放せば、もう誰も傷つかないのかもしれない。せめて、命だけでも助けてもらえる。あいつらが死んだら、自分は、もう。
仰向けになったまま、覇天を、動かない右手から左手に持ち替えて天に掲げる。さらさらと、幾本かの銀色の糸が切れていく。
神に楯突こうなんて、いい加減、はじめから無理があったのに違いない。
悔しいけど。
悔しいけど。
神が満足そうに笑みを浮かべるのが見える。勝ちを確信したのなら、化け物にエンたちを襲うのをやめさせればいいのに、そうしないのは、楽しんでいるからだろう。そして、ロキを襲わずに、待っている。覇天を渡すと言って、命乞いをするのを。