熔解
「ギャウン」
突然の声に目をぎゅっとつぶっていたロキが顔をあげると、ロキを庇うように立つレヴィの肩越しに、黒い中型犬が地面に横たわっているのが見えた。
硬そうな毛質、がっしりとした体躯で、頭が二つある。最後に別れた時は、まだ子犬といってもいいくらいだったけれど、見間違いようがない。
ヴォルケーノに預けてあった、ロキの三番目の眷属。
「オルトロス!」
駆け寄ろうとするロキを、レヴィが止める。オルトロスは、溶岩の直撃を受けたのであろう焼け爛れた左半身から血を流し、よたよたと立ち上がって、弱々しくヴォルケーノを威嚇した。
「や、だよ」
小さくつぶやくヴォルケーノの右足から、溶岩が吹き出す。
「うち、もうやだよ。オルちゃんや、主ちゃん、ケガさせるの」
「ヴォルケーノ!」
「やだ、よ」
ごぼ、と、腰のあたりからも溶岩が泡立って流れ始める。エンが少女に駆け寄って両腕をつかんだ。
「バカ、対流を抑えろ、鎮まって溶岩を冷ませ!」
「できないよ、止まんないんだもん。こわいよ」
泣きじゃくるヴォルケーノから、激しく溶岩と噴煙が吹き出し続ける。
「なら、全部放出しちまえ。俺が受け止める。
このままじゃ、お前、内側から自分に飲み込まれんぞ」
「イフリート、今のあんたじゃ、全部は無理。
やだよ、おさまんないもん、主ちゃんやオルちゃんも巻き込んじゃう」
チョコレート色の肌はところどころひび割れ、オレンジ色の光を放つ。
「クソ。レヴィ、俺たちを密閉しろ」
その言葉が終わるのと同時に、エンとヴォルケーノを水のカーテンが覆う。ちょうど試着室か電話ボックスの中にいるように見える。
「レヴィ、踏ん張れよ」
言葉が終わらぬうちに、水の幕の中が炎に包まれた。
激しく蒸発する水は、常にほぼ均一に周囲を覆い続ける。制限のある水量でそれを続ける事は、驚異的な技術力がいるであろうことは予測が付いた。
彼らが何をしようとしているのか、ロキには見当がつかなかった。密閉空間の中で、ヴィルケーノを倒そうというのか。
ふいに、急激に炎が収まった。
ヴォルケーノは、ぐったりとエンに支えられているが、激しい噴煙と溶岩は止まっていて、さあさあと流れ続ける水の音だけが響く。堪らず、おずおずとロキがレヴィに声を掛ける。
「ヴォルケーノ、は?」
「しばらくあのままでゆっくり冷やしていけば、とりあえずは大丈夫かと。
あの中の温度は未だ数千度、決して近づかれませんよう」
ぜいぜいと肩で息をしながら、苦しそうにそう答えるレヴィに、もう大丈夫なんだ、と、一瞬表情を和らげようとしたとき。
突然白い空間に淡い紫の突風が過り、レヴィの作っていた水の幕を引き裂いた。
バシュ、という、水の弾ける音の直後、その切り裂かれた部分がから激しく炎が吹き上がった。
シャボン玉が割れるのをスローモーションで見るように、水の幕が消える。エンの抱きかかえる腕の中で、ヴォルケーノが泡立ち、熔けていく。眼球のあった部分は空洞となり、涙の代わりに溶岩が流れ落ちる。
紫の風は刃となって、ヴォルケーノを庇うように抱き寄せるエンの腕を切り裂いた。
見上げると、黒い僧衣、黒い羽、黒い髪を顎あたりで切りそろえた少年の姿があった。清羅の後、山の守護になった風魔。
「ぬ、し、ぢゃん、に、げ、で」
ざりざりとした声に、はっと振り返ると、ヴォルケーノがゆっくりと右手を挙げていた。
その指先が、ぼたぼたと熔けて落ちる。
ぐしゅり、と、大きく崩れ、エンの腕から零れ落ちて流れ、しばらく地面にわだかまった後、飛び散るように爆発した。
ヴォルケーノに駆け寄ろうとしたロキの体が、自らの意思に反して背後に倒される。背中を打った衝撃に軽く息が詰まり、頬や肩に鋭い痛みが走る。
目を開けると、淡い水色の、ロキに覆いかぶさるレヴィの長い髪が見えた。
「レヴィ!」
ぐったりとロキに体重を預ける眷属の体の下から這い出そうともがくと、う、と呻きながらゆっくり起き上がろうとしていたレヴィが、弾かれたように再びロキの頭を抱え込んで押す。
ロキは、自分を抱きかかえて倒れるレヴィの肩越しに、黒い影が過るのを見た。
なんとか起き上がると、レヴィの背中には溶岩が張り付き、燻りながら蒸気を上げ続け、黒い羽根が、ナイフのように何本も刺さっていた。