黎明
頬の冷たさに目を開くと、自室のベッドの中だった。カーテンが朝日に明るく染められている。
ドア越しに、いつもの音が聞こえた。エンが朝食を作る音、レヴィが洗濯を干す、洗濯バサミの触れ合う音。その足元を歩く、アキの足音。
パジャマの袖でごしごしと涙をぬぐって起き上がり、彼らの元へ歩いて行った。
「おー、起きたか」
「主様、おはようございます」
「うん、おはよう」
清羅の余韻が、手に、髪に生々しく残っている。
「清羅サン、来ていたみたいだな」
味噌汁に味噌を溶きながらいうエンをはっと見る。振り向くとレヴィが微笑みながら頷いた。
清羅は、もういない。急にそれを理解して、涙が流れた。
泣きながら、
「エン、レヴィ、いてくれて、ありがとう」
というのがやっとだった。足に触れるものを見下ろして、
「ごめん、アキも」
と付け足して、少しだけ笑って、また泣いた。
ミーティング室に入ってきたロキを見て、大槻はどきりとした。
天狗に会い、一か月分の修行をしてきた、と戻って来た時も、そのあまりの変貌ぶりに驚いたが。何がそんなに変わったのだろう。
落ち着いて改めて見ると、まず、姿勢と立ち居振る舞いがきちんとしている。
肩を引き、顎をあげて真っ直ぐに立つ姿は、以前のどこか斜に構え、常に警戒しているような、神経質そうな態度から、育ちの良い、良家の子息の様な大らかな印象に変えていた。
詳しくは聞いていないが、ロキの様子から察するに、神に消されてしまったという、清羅と呼ぶ天狗を、ずい分と慕っていたようだ。愛され、尊重されて育つ子供は、自分を肯定し強くなるという。わずかな間に、ロキは彼から慈愛を与えられていたのだろうと予測が付く。
その清羅が神に消されたと知ったロキは、かなり動揺し、落胆していた。
元気を取り戻し、復調するには時間がかかりそうだ、と思っていたのだが。
ロキは、目元をかすかに赤くしてはいたが、全てを吹っ切り、受け入れたような、力強く清々しい表情をしていた。すっかり大人びて、落ち着いた真っ直ぐな目をしている。
ロキにとっては一カ月近い日数が経っているだろうが、他の者にはたった三日の間に起こった変化、誰もがひそかにロキに目を奪われ、盗み見ている。
そんな視線を全く気にするでもなく、いつものように挨拶をし、大槻の隣の席を引く。
「今日さ、すっげえ久しぶりにちゃんとした朝めし食って。
なんか、がっつりいっちゃった。朝からおかわりとかして」
青白く、やせ細っていたロキは、今、健康そうな明るい表情でそういって笑う。
大槻は、笑って頷きながら思う。
いい事だ。とても、いい事のはずだ。けれど、この、言いようのない不安は、なんだ?
ミーティングの後、ロキと大槻は吉井にその場に残された。
「谷城君、情報はまとまったか?」
ロキはわずかに眉を寄せ、何かを言いかけて唇を噛み、ほんの一瞬、泣き出す前の様な表情を浮かべてから、無理やりのように笑顔を作った。
「ごめん、もうちょっと待って」
吉井はそれ以上追及せず、かすかに頷いてミーティング室から出て行った。
きっと、ロキの答えはもう出ている。彼は一体、何に気付いたのだろう。
態度から察するに、いい事ではないはずだ。
この、胸の奥をずっとざわつかせている予感が、外れてくれるといい、と、大槻は思った。小心者で心配性ゆえ、悪い方にばかり考えてしまうのは、いつもの良くない癖だと。
せめて、ロキの心を占めている負担が、少しでも軽くなってくれれば。けれども結局、大槻と視線を合わせると困ったような笑顔を見せるロキに、何もかける言葉が見当たらなかった。