表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄昏のエッダ  作者: 羽月
風魔
85/104

記憶

 ピーという甲高い音。軽快で澄んだ太鼓の音が聞こえる。

 よく晴れた空には赤トンボが群れを成し、刈入れられた田は、まだ瑞々しい藁の香りが漂う。

 子供たちが駈けてくる。質素ながらも、新しい着物に身を包んで。

 向かう先の参道には縁日の出店が並んでいる。子供たちに人気なのは、風車と面の屋台と、水飴を売る屋台。樽から棒に絡めて取り出した水飴に、目を輝かせて手を伸ばす。

 子供だけでなく、村人は皆、年に一度の祭りを楽しみにしている。

 今年も、稲はよく実った。善き水と、善き風を送り、土を善くしてくれる神に感謝を捧げる。

 境内では、能や相撲が奉納される。旅芸人の技に、猿回しの猿の賢さに、わあ、と歓声が上がる。

 それを黒い長髪と大きな羽を持った青年が、木の上からにこにこと見下ろしていた。

 切れ長の、緑色を帯びた黒い目。面をつけてはいないが、遠き日の清羅。

 隣には、光に包まれた、女性の様な姿が見える。二人は並んで太い枝に座り、村人たちの笑顔を見下ろしていた。

 視線を移せば、田の間には小川が流れ、畔にはワレモコウやミゾソバの小さな花が見える。


(きよらも、おめん、つけてみて。あの、きつねの。

 ああ、にあう、にあうわ)


(ありがとうございます)


 顔の上半分を覆う黒い狐の面を付け、照れて小さく頭を下げる。


(みんな、しあわせそう。へいわで、おだやかで。

 ねえ、きよら、ここはとてもやさしくて、ゆたかなせかいね。

 せかいは、みんなつながっている。

 ちいさな、めにみえないいのちが、このみのりをささえているの。

 きよら、これからもずっと、まもってね。

 やまを、もりを、おがわを、さとを、たを、はたけを。

 わたしのつくった、いとしいこのばしょを。

 まもってね。

 わたしのちをひきつぐ、やしろのいちぞくを)


(はい、この身、滅びるまで、永久とわに)


(きよらに、かたなをあげる。だれにもじゃまされず、ここをまもれるように)


 光は、笑顔を見せたようだった。


 柔らかな光の粒が、人々の間から立ちのぼる。

 ふわりふわりと数を増し、境内に溢れ、山を包み、空を照らす。

 永遠に続くと思われた、穏やかな秋の一日。


「ロキ殿」


 あたたかく柔らかい闇の中、わずかに光を放つ、黒い狐の面を付けた清羅が目の前に立ち、微笑みながら自分の名を呼んでいる。目の奥が、じんと痛くなった。


「清羅、ごめん。俺、本当は、すごくうれしかったんだ。

 帰る場所にしていいって言ってくれた事も、お土産、持たせてくれようとした事も。なのに」


 必死で告げると、笑いながら首を横に振る。


「ちゃんと、わかっておりました。礼を申すのは、私の方。

 私は、あの地を育み、愛してきた神に創られた。

 けれど昨今、拭い難い思いが芽生えてしまいました。

 人さえ、いなければ、と。

 その思いを、どんなに否定しようとも、贖罪に明け暮れようとも、拭いきれぬ思いは日毎に強くなるばかり。

 けれど、ロキ殿としばし時を共にし、人の愛しさを思い出す事ができました。

 やはり、人とはいいものだと思う事ができるようになった。

 私はやっと、清き姿に戻り、逝く事ができる」


「やだよ、清羅の所を、自分ちだと思っていいって言っただろ?

 証を通して助けてくれるって。そばにいてくれるんじゃなかったの?

 俺さ、甘えていた。バカだったよ。

 ちゃんと反省するから。お願い、どこにも行かないで」


 子供のように泣きじゃくるロキを、腕を広げて包み込むように抱き寄せ、頭を撫でる。


「私になど、もったいないお言葉。

 ロキ殿がわが証をお持ちになっている以上、姿は変われど、ずっと傍におります。

 それに、ロキ殿の帰る場所ならちゃんとある。

 家族のいる場所が帰る場所だと申したでしょう?」


 見上げると、黒い狐面の奥で、潤んだ翡翠色の瞳がすっと細まる。


「そなたは、あの方によく似ている。血はすでに遠いのに、こんなにも。

 私は恵まれている。

 山も、里も、空も、木々も、人も、なにより、ロキ殿、そなたの事が、我が子のように愛おしい。

 甘えて突っぱねられる事すら歓びでした」


 ロキの頬を伝い落ちる涙を、手の甲でそっと拭って首をかしげる。


「最期に出会えたのがそなたで、本当によかった。

 さて、そろそろ、逝く事にしましょう。最良の生涯でした。

 そんなに泣かれては、名残惜しくなってしまう」


 くすくすと笑う清羅の声が、かすかに震える。


「ごめん、もう泣かない。ありがとう、絶対忘れないから。

 清羅、あの、大好き」


(きよら、だいすき)


 僅かに目を見開いた清羅の脳裏に過った声を、ロキは知らない。面の下から、雫が伝って流れる。


「人とは、本当に、善きものだ」


 くしゃりとロキの頭を撫でた手が離れ、清羅の姿が遠ざかる。

 追って駆け出そうとする自らの足を必死で止めたロキに、深々と頭を下げて、満面の笑みで手を振る。その姿が消えていく。

 後には、暖かな闇ばかり。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ