拝辞
(何も、あんなに笑う事ないのに)
清羅の家の座敷に敷かれた布団の中で、憮然と闇の奥を見据える。ぼうおく、が、茅屋、茅葺屋根のみすぼらしい家という、自宅をへりくだった風に言う表現だと聞いた。
だいたい、ロキは神社や特別に保存されているもの以外、茅葺の家なんて見た事はなかったし、レヴィにしても清羅にしても、古い、自分のよく知らない言葉を使い過ぎるのが悪い、と、心の中で秘かに逆切れをした。
本当の苛立ちの原因は、別にあった。あの後、何かのきっかけでエンが、ロキはファザコンだ、と言い出した。吐き気がするほど頭に来て、そんなわけないだろ、と否定すると、清羅が、
「ロキ殿は、父性に飢えているようにお見受けしましたが。
いや、これは少し踏み入りすぎたかな?」
と、くすくすと楽しげに言ったのだ。
感情の波立ちが収まっていなかったせいだろうか、また、涙が止まらなくなってしまった。
父性、なんて、確かに触れた覚えなんてない。あんなクズに、今さら求めるものなんてないけれど、自分は、清羅に理想の父親を見ていたのだろうか。そしてそれを、眷属たちにも、清羅自身にも見透かされて。やたらと恥ずかしくて、その羞恥に苛立っていた。
翌朝からの訓練でも、清羅に対し、ついよそよそしい態度をとってしまうのを自分でも抑えられなかった。多分、清羅は気付いている。けれども気にする風でもなく、変わらず自分に接してくるのが申し訳なく、自分の不甲斐なさがさらに苛立たしかった。
どうしてもわだかまりを解消できぬまま、帰る日を迎えた。
「なんていうか、いろいろ、お世話んなりました」
「ロキ殿はぐんと成長なされました。わが自慢の弟子だ。
どうか、幾久しく健やかでおいでください」
ぶっきらぼうに言うロキに、清羅は笑みを湛えてそう言葉を掛けてくれたが、はあ、と気のない返事を返すのがやっとだった。
「山の幸くらいしかないが、土産に」
「や、あの、電車で帰るし、荷物になるんで」
「そうか」
清羅は何か言いかけ、ふと空を見て大きく息を吸い込み、
「やはり、人というのは、よいものだな」
と言った。
「別れ難くはあるが、キリがない。伝えられる限りの事は伝え、もう、何の心残りもない。わが証が常に傍にある事、どうか忘れずに」
「大袈裟だなあ、用があったら呼ぶよ。もう遠慮とかしないし。
それに、また来るし。ここ、自分ちだと思っていいんでしょ?」
憮然としたロキの言葉に、それでいい、と、朗らかに笑う。
「そなたたちも、ご健勝であられよ。御当主をよくお守りなさいますよう」
眷属たちが、清羅の言葉に深く頭を下げる。
清羅に元の山道まで送ってもらって下山した。きっと見送っているのだろう。そう思うと、どうしても振り返る事ができなかった。
電車の窓越しに見る夕闇の空に、星が瞬き始めている。
なぜ意地を張ってしまうのだろう。修行の日々が、清羅の家が、もう懐かしい。清羅は、今、どうしているのだろう。誰も見てなどいないだろうに、隠れるようにそっと視線を落として首から下げた証を見る。黒曜の丸い石は鈍く光るばかりで、何も答えはしない。電車はこの路線特有のリズムを刻みながら、大槻達の待つ特務本部へ向かう。
ホームに降り立ち、改札へ向かって人の流れに沿って歩き始めた。肩からずれ落ちそうになる数泊分の荷物を担ぎ直し、すぐ目の前を歩く人の背中をみて進む。
と、いきなり周囲が真っ白になった。一歩前まで、確かに駅のホームにいたのに。唖然として視線だけを動かして周囲を窺い、天を見た。全てがわずかに光をはらんだ乳白色の世界。
「季実」
呼びかけられた声に振り向くと、神が立っていた。