清羅
囲炉裏端に座るよう勧められ、不思議な香りのお茶を出してくれると、天狗は早速話し始めた。
「私は、神より清羅という名を賜った者。
この山を守護するよう申し付かった風の魔人。天翔ける狗。
わが神からは、代々この地を治める谷城家を助けるようにと命ぜられており、当主が我が証を引き継いでいく事になっていました。
だが、何代か前の当主は、我が証を他者に譲り渡してしまった。当然、即刻その証は奪い返しました。
前当主は、証を引き継がぬまま永逝し、新しき当主は、我が領の外。証の受け渡しは、この神域で行われるのが慣わし。
私の力はもう必要ないのかと思いながら、正統な当主が代替わりを告げに来るのをお待ちいたしておりました」
清羅と名乗った魔族のとある言葉に、ロキはピクリと反応した。永逝した、前当主。
「親父って、死んだんだ?」
そんな気はしていた。
全国民に行われていたという血液検査。父が一度でも受けていれば、自分の倍のジェーナを持っている事が明らかになったはずだ。そうでなくとも、自分の存在が公になってずいぶん経つ。自分の時のように、曾祖父である神がその結果を隠していたのだとしても、大槻や吉井だけじゃない、その他各国の妖魔対策関係者だって、血眼になって父を探すはずだ。
誰も、父の事に触れようとしなかったって事は、つまり。
眷属たちが、自分の様子を窺っている事は感じていたが、彼らに気を使わぬよう伝えるようなリアクションはできなかった。
「御尊父の逝去には、悔みを申し上げます。
そなたは徳高き御心を引き継ぐ一族の末裔。家名を穢さぬよう、一心に御精進なさってください」
漆黒の天狗は、懐から取り出した物をロキへ呈した。細い麻紐の様なものを通した黒い石。ロキは表情を冷たく変えて受け取り、すっと首にかけた。
「力になってくれるって言うんなら、悪いけど遠慮はしない。ダメな事は、そう言って。
正式に俺の眷属になってくれない?」
「それはできません。私は人の眷属になるようには創られていない。
この地を守護するべく縛られています。証を通して、できる範囲でお助けいたします」
「天狗さん」
「きよら、と」
「清羅は何ができる?」
「私は風の魔族であり、山の守護者。
風を呼んで天翔け、真空を創って一時に別な場所へ渡る。
山の獣と木々はわが眷属。
そなたの眷属らと大きく違うとすれば、薬学と経に通じ、癒しと再生の力を持つところか。治癒と、そなたの能力を一時的に高める事ができる」
「俺は、神を倒す力が欲しい」
「畏れ多い事」
言い切るロキに、どこか好意的な笑みを含めてそう返す。
「神は、俺の大事な人たちから地球を奪おうとする。地球を傷付ける。
守りたいんだ」
「人こそがこの星を傷付けてきた根源だという事は看過して、ですか」
ロキは唇を噛んで言葉を止めるしかなかった。清羅は相変わらず、どこか楽しげに言葉を続ける。
「まあいい。
わが神がこの地を離れて久しい。今となっては、わが力、ただ持て余すくらいなら、欲する者に使っていただくのが良いでしょう。谷城の血筋の者の求めであれば、なおの事。
御当主は、剣の心得はおありですか?」
「え、えっとー、剣道なら、少し」
「しばし留まれる時間がおありなら、剣術の稽古をつけて進ぜましょう。
いかがかな?」
「え、まじで? やった、お願いします!」
ふと、ロキの表情が困惑に変わる。言いよどんで、顔をあげて問う。
「清羅。じいちゃんも、証を持っていた事がある?」
「そなたが問うのは、数代前に一族に名を連ねた神の事ですね?
いいえ。かの方は谷城の血を引きません。私は家名のみならず、血筋に仕える。証を引き継ぐ者が、何らかの理由で谷城の籍を離れた場合を考えての配慮でしょう」
「そっか」
また一つ、パズルのピースが揃った。ロキが否定し続けている答えの像が、さらにその輪郭を鮮やかにしていく。
「さあ、少し休んだら、早速剣術の稽古を始めましょう。稽古は温くはない、御覚悟を。
私は、あふたーふぉろーは万全にする性質故」
狐面の向こうで、深い緑色の眼が笑っている。ロキもいつものようにへらりと笑って返した。