参拝
駅前で乗ったバスを降り、針葉樹に囲まれた寺の参道をしばらく進んだ。まっすぐ進めば本殿がある、が、ロキは路地を右に折れた。行く先には、墓地。多少不安はあったものの、くねくねと細い通路を歩くうち、鮮明に記憶が蘇ってきた。記憶と違わず、敷地の最奥に、谷城家の名を刻んだ墓石があった。誰が参ってくれているのだろう、少し傷んだ程度の、まだ新しい花が供えてある。手を合わせ、目を閉じた。冷たい石の気配と、湿度と、線香の残り香が鼻孔を満たす。
「なんか、買ってくればよかったね。すっげえ、久しぶりに来たのに」
小さくつぶやいて墓標を見る。最後に彫られているのは、母の名。その隣には、曾祖父の、谷城霜司の名が刻まれている。
「こんな切っ掛けでもないとさ、なんか、来ようって気になれなくて。ごめんな、母さん」
墓地の敷地を後にすると、眷属たちが姿を現した。やはり、落ち着く。眷属たちが言うのには、今回訪ねる天狗は、山と、この地域を守護する者として神格化、人の眷属になる事はない存在になっているという。
「そういった魔族はアタマもいいし、厳格だし、滅多に人の前に姿を現さない。話を聞きたければ、とにかく、誠心誠意祈り続ける以外にねえんだよ。その誠意が伝わるまでに、どれだけ時間がかかるかもわかんねえ。こっちの誠意を計ろうとして試練を与えてくるかも知れねえし。ま、気合入れてけ」
エンがそういってぽんと背中を叩く。大槻には、数日は戻れないとことわり、宿坊へ泊まる手配をしてもらっていた。長期戦を覚悟して長い階段を上り、本殿に参って宿坊に荷物を預け、裏手の山をさらに登って行った。山頂近くの松の木が生えた大岩が、通称天狗岩と呼ばれている。とりあえず、そこを目指すことにした。山登りには慣れていない。どれくらい時間がかかるのか、全く読めない。ケータイを取り出して時間を見る。昼前には着けるだろうか。一応、ここは圏外じゃないんだな、と、なんとなくほっとして眷属たちを伴い、歩き続けた。
本殿の裏の山道を、二百mほど進んだだろうか。背の高い針葉樹と広葉樹が混在し、下生えが茂り、昼なお暗い。ふいにばさりと何かが羽ばたく音がして、杉の葉が落ちてきた。カラスか鳶だろうか。ふり仰ごうと顔をあげると、山道の数歩先に、長身の男が立っていた。その立ち姿から察するに、二十代後半くらい。膝上くらいの丈の黒い僧衣の下に、裾を絞った野袴姿。白い半襟が映える。緩く結い上げた漆黒の長い髪を、幅のある元結で留めている。顔の上半分を、狐を模した様な黒い面で覆い、口元と顎部分だけは人の肌の色を見せている。何より特徴的なのは、その背に生えた大きな黒い翼。鴉の濡れ羽色という言葉がぴったりの、しっとりと滴るような黒い羽。さわさわと風が木々の間を通り過ぎていく。ロキは戸惑いつつ思い切って声を掛けてみる事にした。
「あの、すんません、もしかして、天狗さん、っすか」
「人の世では、そう呼ばれもする」
ちらりとエンを振り返り、速攻出てきたけど、というと、慌てた様子で窘められた。ちゃんとしとけよ、と。
「谷城家の現当主ですね? なぜ告げに来なかった?」
「え、俺? 当主?」
父が行方不明になり、それ以外、兄弟も血縁者もいない。言われてみれば、確かに、当主といえば当主だ。レヴィが一歩進みでて、深く頭を下げる。
「私は主に仕える海龍。そなたの気配、以前、神仏の力を願った折、取次をしてくださった方とお見受けする。改めて礼を述べさせていただきたい」
「いや、礼を申すのはこちらの方。邪な蟲は、我とて目障りでしたが、如何せん別な神の治める山、不在になって久しいとはいえ、勝手に手出しする事はできません。それに、谷城家の者に仕える方とあれば、手助けするにも理に適う」
「もしかして、ムカデの時? 助けてくれたの?」
ロキの驚きの声に、レヴィは微笑んで頷き、言葉を続けた。
「先程から伺うに、我が主をご存じのご様子。詳しく訳をお話しいただけぬか」
天狗を名乗った男は、面越しにちらりとロキを見た。
「どうやら、その若き当主は、申し送りを受けていらっしゃらないようだ。いいでしょう。立ち話もなんですから、我が庵にお招きしましょう」
ごう、と強い風が吹き付け、埃を避けようとぎゅっと目をつぶり、二秒後瞼を開くと、目の前にしっかりした造りの、あまり大きくない茅葺屋根の家が建っていた。さっき立っていた山道と、まるっきり風景が変わっている。立ち尽くしてきょとんとしているロキに、天狗は微かに口元を緩め、
「天狗の神通力、お気に召しましたかな」
と言った。