素性
ほどなくして戻ってきた吉井は、薄い封筒を持っていた。席に着きながら中の書類を取り出して捲る。
「谷城君、父親の高校時代の話を、何か聞いているか?」
「え、親父の? 確か、野球で推薦貰って、他県の名門校の寮に入って、甲子園目指していた、とか、聞いた気がする。ウソかホントかわかんないけど」
吉井から差し出された一枚の写真を見て、大槻とロキが息をのむ。卒業アルバムのコピーなのだろう。青い背景、詰襟の学生服姿の少年の、胸から上の写真。TOPを立たせた髪はまだらな金色で、細く剃った眉、挑むような目付き。一見して素行の悪さが窺える。写真の下に記された名前は、谷城智昭、とある。
「これ、親父」
大槻がロキの呟きに改めて写真を見れば、確かにロキの面影がある。吉井が頷く。
「もう少し、事情を詰めてから話そうと思っていたんだが。君から言われた、神が私と、うちの飼い猫の事を知っている、というのが引っ掛かってね。実は、私は、みーこと暮らした事はない。私の実家は、高校のあった市の、隣の市にあったんだが、電車の路線が遠回りで、直線距離では然程でもないのだが、通学に時間がかかるので、高校近くの伯父の家に下宿していたんだ。その事は、親しい友人数人と、教師にしか知らせていなかった。事情を知らぬ者は、私は実家から通っていたと思っていた事だろう。飼い猫のみーこは、そうして私が家を出てから母が飼い始めたんだが、二年後、高校在学中に若くして死んでしまった。
高校時代は月に何度か、週末に実家に帰っていたが、卒業してからは、年に一、二度帰ればいい方。そんなわけで、みーこが家にいる、という意識はほとんどない。谷城君の、神からの伝言を聞いて、改めて飼い猫の存在を思い出したほどだ。猫は嫌いではないが、特に好きというわけでもないし。もし、誰かに猫の話をしたのだとしたら、高校時代以外考えられない。
改めて調べてみたら、君の父親は、私の一年先輩だった。が、私は君の父親と接触した覚えはない。大きな学校だったし、学年の違う、寮に入っていた野球部員とは全く関わりがなかった。高校時代の、生徒指導をしていた恩師に話を聞いたんだが、恩師は君の父親を覚えていた。入学当初は、真面目で、野球の才能に恵まれ、ひたむきに練習に打ち込む、明るく素直な生徒だったんだが、寮のよくない先輩の影響を受けてか、すっかり自堕落になってしまったと。問題を起こして、親代わりの祖母がわざわざ他県から出向く事もあったそうだ。恩師は、祖父とも話そうとしたんだが、いつも対応するのは祖母、祖父は言葉を濁すばかりで、君の父親に関心を持っているようには見えなかった、というんだ。
神の能力が、どれほどのものかはわからない。我々、人類の常識に当てはめる事はできないだろう。けれど、やはりおかしい。
君の父親が、偶然、私が猫の話をしていたのを聞く事は、ないとはいえない。けれど、根掘り葉掘り話を聞いていたのだったらまだしも、関心も、交流もなかった、離れて暮らしていた孫の、一学年下の、直接話した事もないような男の、実家の飼い猫の名など、知る術があったのかと。
この事が何を意味するのかはわからない。けれど、何かのヒントが、謎を紐解くキーワードが、隠されているような気がするんだ」
ロキは神妙な面持ちで聞いていた。どこか、諦めのような、覚ったような表情にも見える。
「そっか。吉井さん、ありがと。俺もさ、もうちょっと考えてから話そうと思っている事があるんだ。今の、すげえでっかい情報だと思う。天狗に会えて帰ってきたら、なんか、答え出るかも。そしたら、聞いてやって」
吉井は、わかった、とだけいって頷いた。見えない場所で、何かが確実に動いている。大槻は、まるで地下水脈を流れる砂のようだと思った。