合流
一体、どこへ。誰もが疲れ切って頭を抱えた。大槻は考えにも行き詰まり、ふらりと施設内を歩いた。陽は落ちて、薄暗い廊下に自らの足音が響く。喫煙室に、自分と同じくらいの年頃の職員が二人、紫煙をくゆらせて談笑していた。煙草は、もうずいぶん前に止めた。が、無性に吸いたい衝動に駆られた。喫煙室に入ると、二人は小さく会釈をして大槻を迎え入れてくれた。
「すまないが、一本貰えるかな」
「ああ、いいっすよ」
「バタバタしているみたいですね。なにかあったんですか?」
差し出された煙草を一本もらい、労うような響きを込めた言葉に、曖昧に頷く。カチリ、と、煙草を差し出してくれた彼の手の中で、ライターが火を点す。
「あー、大槻ちゃーん、オレオレ、オレっす。全く、ここはなんで火がな」
突然響いた声に、差し出してくれた男が驚いてライターを落とす。火が消えるのと同時に声も途切れた。大槻は目を見開き、弾かれるようにモニター室に向かって駈けだした。
「だ、誰か、ロウソク! あと、マッチかライターを」
いきなり駆け込んできた大槻に驚きながら、非常用のろうそくが点された。
「いやあ、やーっと話せた。現代はさ、火を使わな過ぎ。いやまじで」
「エン君!」
ロウソクから聞こえて来た声に、薗田が悲鳴のような声をあげた。炎の中をじっと見ると、小さなトカゲらしい光がちらちらと動いている。
「ロキは?」
薗田、大槻、エンの声が重なる。
「え、ちょっと待って、大槻ちゃんもロキ、どうしたか知らないの?」
「昨日の朝、部屋に行った時にはもういなかった、らしい。エン君もロキを見失っているのか?」
「とりあえずさ、俺の本体と、レヴィ拾ってきて欲しいんだけど」
エンの声の指示で、地図に示された場所へ車を向かわせ、見慣れた青年二人を連れ帰る事ができた。
二人の話を総合すると、多少の事情が分かった。昨日の朝、ロキがアキを伴って出かけている間、エンは朝食を準備し、レヴィは海に出ていた。と、突然、エンは異次元に弾き飛ばされた、という。
「弾き飛ばされたっつーか、引きずられたっつーか。ロキの元に戻ろうとしたんだけど、あいつの気配が見つからなかった。ないのとは違う。確実に生きているし、この地上にいるんだけど、なんていうんだろな、見えないんだ。手の中に何かを隠していて、確実に何かがそこにあるんだけど、見えないのと似ている感じ。しょうがないから、レヴィに渡してあった証を目指した。こいつに証を渡しておいて助かったぜ」
「レヴィ君は?」
「私は異界に飛ばされたわけではないのだが。主様の気と鱗を目あてにここへ戻って来ていたので、それを見失って、この地に戻れなくなっていた。主様の気が薄くなって辿れなくなり、今、完全に見えなくなったのは同じだ」
エンとレヴィは合流できたものの、ロキの気配は限りなく薄く、たまにちらりと揺らめくように感じる程度。アキの気配ははっきり感じていたが、ここに証を残しておかなかったので、実体が移動する事ができず、なんとか連絡を取ろうとしたが、施設内に海水も、火も見当たらず途方に暮れていた、と言った。
「わずかに感じられていたアイツの気配も、昨日の夜、消えた。こんなん、マジ、ねえよ」
いらいらと吐き捨てるように言うエンに、レヴィが続ける。
「以前にも、似た事があった」
「え、マジかよ、いつ?」
「ヴォルケーノに会う前、飛行機の中で。すうっと主様の気が遠くなって」
「ああ、あれか! そっか、確かにあの時に似ている」
大槻と薗田が顔を見合わせ、記憶を探る。その様子を見て、エンが身を乗り出す。
「あの時は、頭がぼうっとしたようになっていたんだ。耳に何かが詰まっているみたいな、全身を膜で包まれているみたいな。気が付いたら、世界と隔てられていて。アキの声で我に返ったら、ちょうどロキが消えるみたいに遠くなって」
「主様は消え去る寸前、という風だった。何が起こっているのかと驚いて、その場にいるのを確かめようと触れたら目を覚まし、何事もなかったように元に戻った」
「ああ、あったわね。二人で急に立ち上がって、寝ていたロキ君を起こして」
薗田の言葉に、二人が頷く。大槻も思い出した。
「ロキの気配が見つからないと、彼の場所には行けないのか?」
「行けない。場所が、わからないんじゃな、移動しようがねえよ。今は、声も聞こえない。思いも見えない。俺は、ロキと繋がっている。この地上にいる限り、こんな事はあり得ない。レヴィは?」
「エンが見えないのなら、私はなおさらだ。ちゃんとした証を渡しておくべきだった。鱗でも、用を成さないわけじゃない。こんな事態が起こるなんて、予想もしなかった。あ」
はっとしたレヴィの表情に、全員が身を乗り出す。
「主様は、証を持っているはずだ」
「え、レヴィの? いつの間に」
「私ではない。ヴォルケーノの」
「そっか、ああ、でも、奴はロキの眷属じゃない。ロキの血は、ヴォルケーノに入っていないはずだろ? ロキから呼び出されでもしない限り、異変に気付いているかどうか」
「ちょっと待ってくれ」
大槻が堪らず言葉をはさむ。
「ロキの血が入っていないと、ロキの異変には気付けない、というんだな?」
「んー、もうちょっとちゃんというと、眷属だと、繋がっているから気付く。眷属にとって、主がいなくなったら、そうだな、いきなり両手が無くなったくらいの違和感がある。すっげえ心許ない。ヴォルケーノは、呼ばれたら手伝う、と、自分を呼び出すための連絡手段として、ロキに証を渡した。大抵の魔族は、自分の存在している周囲と、証から得られる情報が混ざって混乱するのを防ぐために、証の周辺の状況は意識外にしている。受話器を上げていない電話と同じなんだよ。ヴォルケーノがたまたまロキを意識してみていたんだったら、自分の証の周囲に起こった異変に気付いているかもしれない。けど、状況から見て、ロキは異変が起こった時、俺たちにも助けを求める信号を飛ばす余裕があったとは思えない。ヴォルケーノが、ロキが完全に消える前、気付いてくれていれば、何かわかるかもしれないけど」
「その可能性は低い、というわけか」
エンとレヴィがそれぞれ苦々しい表情で頷く。
「しかし、聞いてみない事にはわからない」
「そうだな、とりあえず呼び出してみよう。レヴィ、この前行った火山島の海域の水、出してくれ」
以前、ヴォルケーノとエンが話し合った時の様子を離れた場所から見た時と同じように、レヴィがレンズ型の水を作り出す。レヴィとエンの二人が、ほぼ同時に水面に手を差し入れると、半透明になった液体に、ぼんやりと茶色い影が像を結び始める。
「ヴォルケーノ、いきなり悪い、聞きたい事が」
『ちょっとーーーーー、マジちょうどよかったんだけど! イフリート、あんたの主ちゃん、どこいっちゃったのよ!』
エンの言葉を遮って叫ぶ褐色の肌の少女の声に、一瞬空気が止まった。