訊問
テーブルから少し離れた席には、ロキが座し、そのすぐ隣には、彼の眷属、レヴィアタンとイフリートが人化した姿で座っている。午前の会議の後、ロキが早速眷属たちに、これからはpikariを買ってもらえる、給料ももらえるから、そうしたら、お金の心配もかけないで済むようになると伝えると、普段の無表情、無感動なレヴィが、ほんの少し頬を染めて目を見開いた。
「へえ、よかったじゃねえか。これからはさらに気合入れていかねえとな」
「pikariを定期的に摂取できるとしたら、
水圧をこれまでより増す事ができるだろう。だいたい」
レヴィはエンの言葉に頷き、ロキへ向き直って穏やかな調子で話す。
「八割くらい?」
「すげえな!」
「そんなにか! 増しすぎだろ」
ロキとエンにほぼ同時に突っ込まれ、照れた様にクスリと微笑む。吉井さんにお礼言おうな、というロキに、恭しく頭を下げて応えた。大槻はそのやり取りを思い出し、温かく、同時に申し訳ない気持ちを胸に満たした。
「礼をというのなら、いくつか質問に答えてもらいたい」
と、吉井は言い、この席を設けた。レヴィアタンはこうしてロキの眷属になる前、世界各国を蹂躙し、人命を奪ってきた。強い制裁は求められないものの、報告の体裁を整えなければならない。吉井が質問を始める。
「君は、いつからこの世界に存在している?」
「眷属となるまで時間の概念がなかった故、答えられぬ」
「最初に人と会ったのは、いつ頃だ?」
「我が主が最初」
「谷城季実君が、最初に会った人である、と」
「いかにも」
「なぜ、渦を起こし、陸を襲った?」
「そのように定められている」
「襲う場所を決める基準のようなものはあるのか?」
「特にない。気の向くまま。指示されれば、従う」
「誰から?」
「そなたらが神と呼ぶ者から」
「神の声が聞けるのか?」
「聞けはしない。が、わかる」
「次に、その声が聞こえたら、再び渦を起こし、陸を襲う?」
「従わぬ。今、私の主は神ではない」
「最初、アイルランド地方の海域に留まっていたようだな。
君は、あの地方の生まれ、というわけか?
なぜ、故郷の海域を乱した?」
「それは、私ではない」
「何?」
会議室の全員が顔を見合わせる。
「その者は消滅し、私が生まれた」
「消滅した? 一体、なぜ? クラーケンと相打ちだったのか?」
レヴィアタンは、これまでよどみなく答えてきた言葉を区切り、僅かに俯いた。
「詳しく説明するには、少し前提が長くなる」
「説明を、頼む」
「まず、大ダコ風情、この身に一筋の傷すらつける事はさせぬ。
我ら海龍は、過去から未来永劫、全海域を統べる王。
相打ちなど、不名誉極まりない邪推は否定させてもらう。
我らにとって、全海域が領土と言っていい。
が、稀に特定の海域に執着をみせる者が現れる。
大抵の場合、神から何かを守れとの指示を受けて。
時には海底に隠された秘宝であったり、海に沈んだ遺跡であったり。
その者、私の生まれる前の王は、フェロー諸島の西の海域を守っていた。
そこへ、クラーケンが現れ、我が一族が守護する海域を侵した。
不遜な振る舞いに警告を発したが、全く聞き入れないばかりか、
我が一族を排除しようと手を出してきた。そんな無礼を許すはずがない。
海龍は渦を起こし、大ダコを殲滅。
が、あまりの怒りに我を忘れて暴れ回り、
本来襲ってはならぬ禁域を海に沈めた。
それでも暴走は収まらず、やがて神の怒りに触れ、消滅した」
「その海龍は、何を守っていた?」
「わからぬ。その海域にも行ってみたが、目立った物は特になかった」
「もし、クラーケンが海龍に手を出さなければ、
その海域周辺の島国が、海にのまれる事はなかった?」
「だろうな」
高岡が薗田にそっと話しかける。
「クラーケンって、確か」
「デンマークのジェーナホルダーの眷属だったはず」
会場全体を秘かな落胆の空気が包む。吉井が質問を続けた。
「その海龍の消滅後生まれた君が陸を襲うのは、神の復讐、か?」
「神の意志は知らぬ」
「少し、質問の内容を変える。なぜこの地を襲う前、大地震を起こした?」
「私ではない。あれは、泥の魚が発した」
「泥の魚?」
「この地の下に、巨大な泥の魚がいる。
山ほどの大きさのムカデすら比べ物にならぬほど、巨大な。
日本列島を背負い、縫いつけられたようにこの場から離れられぬようだ。
私に対して、これ以上近付くなと警告を発して暴れた」
「大ナマズ、か」
吉井の声にも、驚愕が滲む。大きく息を吐き、続けた。
「海上に姿を現す前、数度、陸に近付いているな?」
「訂正する。近付き、この姿を取りて上陸し、様子を見ている」
「何のために?」
「人を巻き込まぬため」
「インドや、東南アジアの国々にも人がいたはずだ。もちろん、この地にも」
水色の長い髪をさらりと揺らしながら首を横に振る。
「人はいなかった。
この地にて主がいるのを見、
巻き込まぬために我が渦が届かぬ高台へ運んだ」
「始めに、最初に出会った人は、谷城季実君だった、といっていたな?
では、一番最近出会ったのは?」
「生まれてよりこの方、出会った人は我が主のみ」
「では、我々は? 君にとって、なんだ?」
「人と同じ言葉を発し、姿は似ている、と認識する」
「けれど、人ではない、と」
「いかにも」
誰もが苦々しく口を結び、視線を逸らした。意思の疎通ができるだけ、マシなのかも知れない。人の形をとっていたとしても、彼は魔獣。彼らの思考は遠い。それらを理解する日は来るのだろうか。我々がこの星を離れる日が来る前に。
「多くの回答に感謝する。今日は、ここまでにしよう」
感情を抑えた吉井の言葉に、レヴィが静かに頷く。ロキとエンは、少し憮然としたように、ただじっと座っていた。