復仇
「キモいねえ」
数歩、ムカデの群れに向かって歩みを進め、おもむろに立ち止まり、腕を組んでため息交じりに、独り言のように言うロキの、右背後に火焔の渦が、左背後には霧の幕が降り、彼の眷属たちが姿を現す。
「エン、ガキ共全部イケる?」
「もち」
「レヴィは、あのでっかいの。OK?」
「御意」
「リベンジだからさ、派手に行こうぜ」
ロキの言葉に笑みを返し、エンが、すう、と、上空に浮きあがりながら前へ出る。右手を胸の前にあげると、その先に、昏く蒼い炎の球が揺らめく。直径十cmほどの炎の球体は、緩やかな速度で蠢くムカデの群れへ飛んでいく。
「たーまやー」
黒い、硬質な波に飲み込まれて、火球が炸裂した。
暗闇に突然発生した直視できないほどの光を放つ炎の中に、吹き飛ばされたムカデの影が舞う。時を置かずして熱量を含んだ爆風が吹き付け、車の片輪を浮かせた。直立したまま身動き一つしないロキと、彼の水色の眷属の前には、薄い水のカーテンがかかり、熱風を遮っている。
大槻は両腕でなんとか衝撃を避け、咄嗟に隠れた車の陰から前を見る。吹き上げる熱風を受け、両手を広げ、不敵な笑みを浮かべたエンの唇が動く。
「踊れ」
ムカデの群れの中で、数本の火焔の竜巻が火柱となって駈けまわる。まるで、舞踏会のワルツにでも擬えるように。断末魔の声。苦し紛れに伸び上がり、絡み合い、うねるムカデの影も踊る。
大槻の隣で、薗田が耳を塞いで目を背けてしゃがみこんだ。
グオオオオオオオォォォオン。
天空から、大気を切り裂くような声が響き、山が動いた。大ムカデが、エンをめがけて牙を伸ばす。その体躯は、目の前を過ぎゆく特急列車を思い起こさせた。エンが火球を投げると、まるで炎のマントに突っ込む闘牛のよう。一瞬照らされた大ムカデの顔。大きく開けた口。潰れ、色を失くした右目。白銀の光が闇夜に浮かぶ。大ムカデの頭上には、直径二mほどの円盤。それは、鋭い回転を掛けられた海水だった。前回切り裂いた大ムカデの首辺りをはじめ、全身を縫うように飛び回る。円盤が大ムカデに触れるたび、ジュバ、ジュイン、と鈍い音が響く。大槻が瞬きする間に、青年は海龍に姿を変えていた。
キャアアアアアン。
甲高く鋭い咆哮をあげると、突如現れた水流が渦となり、大ムカデを包む。スローモーションのように、逆巻く波の中から巨体が滑り落ちていった。飛沫から現れた上体に頭はなく、ほとんどの足が引き千切られていた。硬直する大槻の隣で、薗田が、ふ、と意識を失う。咄嗟に支えるとすぐに意識を戻し、けれど、茫然自失で中空を見ている。
大槻は薗田をその場に残し、ロキに駆け寄った。未だ燃えさかる焔に照らされた顔は、薄く微笑んでいた。
「まだだよ」
ロキの言葉に目を見開く。ごおお、と、山鳴りがする。湿度の高い風が吹き、木々がざわざわと大きく揺れる。いや、風のせいだけじゃない、と、大槻は気づく。足下から、ビリビリと振動が伝わってくる。
「きた」
囁くような声に、山を見る。微かに光を放つように、宙に留まる海龍の向こう、山頂が黒く持ち上がる。はじめ、飛行機の尾灯だろうか、と思った。赤く、夜空を染めるもの。それは、さっきの大ムカデより、さらに大きい、巨大ムカデの双眸だった。山、そのものであり、人知を超えた質量を持った魔物だ。
ゴアアアアアアアァアァアアァァァァアアァン。
大気が震える。咆哮と共に、バラバラと響く音は、降り注ぐ毒液だろう。
こんな、馬鹿な。有り得ない。その体躯を呆然と見上げ、大槻は瞬時に全てを諦めた。確かに、体長二mのムカデの大群だって、体長数kmの大ムカデだって有り得ない。が、それらはどこか、現実として受け入れられた。敵として認識できた。目前のモノは、それらを軽々と超越した。湧き上がる感覚は、畏怖。大槻は、笑い出したい口元を片手で抑え、なんとか堪えた。自分は、恐怖でおかしくなってしまったのだろうか。バカバカしい。なんだ、これは。敵うわけがない。
海龍の頭上に、ゆっくりと、昏い太陽が昇った。コロナが蒼く揺らめくので、その存在が認識できる程度の明るさの。その周辺を、サアアと涼しげな音を立て、水が廻る。
「なんか暗いなあ。あれ、ちゃんと熱、でてんの?」
「俺はまだ、火力が低いからな。光源に熱量を使うなんて、野暮だよ、野暮。
派手に行きたいけどね。俺は資源を効率よく使う、エコな魔人なの」
エンの軽口に、へえ、と、楽しそうに笑いながら頷く。空中の海流はやがてゴボゴボと沸き立ち、その上空に丸い雲を作る。
「レヴィは、熱くないのかな」
「熱は上昇するから。奴のところは、それほど熱くない、と思う、多分。
ま、あいつはあの程度の熱でどうにかなるようなヤワなカラダしてねえよ」
沸き立つ水は、徐々に量を増している。泉から河が流れ出すように、水流は山へ向かって伸びはじめた。熱湯を浴びて、激しく蒸気を上げながら山が暴れる。巨大ムカデの苦悶の咆哮は、そこから数キロ離れた場所でも聞こえたという。潮の香りを含んだ霧が降り、周囲にたち込める。水流は山に降り注がれながらも、蒼黒い火球の周りをまわり続け、その量はいつまでも減らない。熱湯に包まれたムカデは、逃れる術もなくやがて暴れる動きも緩慢になり、どう、と倒れた。山麓では、パチパチとムカデの死骸が焼け、爆ぜる音のみが聞こえている。それらの死骸はやがて全て砂塵となり、風に運ばれて消えていった。
大槻は再び、愕然とロキを見る。
戻ってきた眷属たちと向かい合って立ち、遊びの計画でも話すように無邪気に笑っている。後に、その呼び名と性質故に、「トリックスター」と呼ばれる事になる、世界最強のジェーナホルダーの戦士、誕生の瞬間だった。