祈祷
大槻が大股で歩み寄り、ロキの顔を覗き込んだ。
「どうした、ロキ?」
「ロキイイイイ!」
エンの叫びに全員が振り向くと、大ムカデが口を開け、エンに襲い掛かるところ。
上半身を狙った牙は、ぎりぎりでかわしたエンの左肩を噛み千切った。
失ったエンの半身から炎が上がり、体液が吹き出す。
再び、レヴィがロキの両肩を掴み、揺さぶるように声を掛ける。
「主様、お命じください。私に、奴を助けろ、と」
呆然とした表情のロキの頬を、涙が伝う。
「レヴィ、エンを、助けて」
レヴィは頷き、弾かれるように踵を返して、
背後に生えていたナナカマドの枝を十五cmほどの長さに手折った。
「高天原に」
葉と小枝を払いながら、何かを口の中で呟いている。
「畏み、畏み、申す」
大槻が何とか聞き取ろうとすると、それは祝詞のようだった。
大ムカデは暴れ続け、宙にやっと浮いているという状態のエンに、触覚が直撃する。
「這虫の禍、息吹放ちて破邪の光」
レヴィアタンの手の中で、小枝が光を帯びて輝きだす。
「閃光、我が矢となりて、邪を滅せ」
光は剣の形をとり、水色の髪の青年が、矢を番えるような仕草で引き絞る。
放たれた光剣は、吸い込まれるように大ムカデの右目に命中した。
ギャアアアアアアアン。
大きく口を開け、闇雲に暴れる大ムカデの前に、海龍が姿を現す。
その体長はせいぜい数十メートル。ムカデの前では、対比で小さく見える。
海龍は咆哮をあげ、ムカデの首辺りに喰らい付くと、思い切り硬い表皮を引き裂いた。
大ムカデの傷からは、緑色を帯びたタール状の体液が激しく噴き出して飛び散り、
周囲の木が融けるように崩れ落ちていく。
黒鋼に光を返す大ムカデが、ぐっと体を伸ばし、大きく頭を振ると、
その牙が海龍の胴を貫いた。
その体制のまま、海龍がそのうねる尾で伸び上がっていた大ムカデの体を打つ。
衝撃は地鳴りとなり、立っていられないくらいの震動となって麓の大槻達に伝わった。
打撃で加わった力は、噛み切られていた傷を大きく広げ、
ムカデは断末魔のような叫びをあげて、ふいにその姿を消した。
海龍はしばらくその場にいて、ゆっくり山に近付くように高度を下げ、幻のように消えた。
誰もが声も出せず、身動きもできず、立ち尽くしていた。
と、山の方から、レヴィが脇腹を抑えながらエンを抱えて歩いてくるのが見えた。
大槻と高岡が駆け寄る。
「離れて。火焔が暴走する可能性がある」
レヴィの言葉に、足を止めて距離をとる。
エンの傷は、直視できないほどひどいものだった。
左肩から先が欠損し、腰から下は体液と、自らの炎で焦げている。
レヴィはエンを地面に下し、ザアザアと水をかけ始めた。
以前雷獣を癒したものと同じ液体なのだろう。
ムカデの体液が洗い流され、激しく蒸気が上がり、エンの表情が苦痛に歪む。
その水流が止まり、レヴィが集団に背を向け、倒れ込むように膝をついて咳き込み、
突然に激しく吐き戻した。
脇腹を抑える手の下から、じわりと液体が滲み、衣服の色を変えて広がっていく。
「レヴィ君」
駆け寄ろうとする大槻を、手を伸ばして制する。
しばらくそうしていて、ふらふらと立ち上がり、ぜえぜえと喘ぎながら、
やっと立っているというような状態で、再び、エンに水を掛ける。
「ヤツの、毒が少し、体内に入っただけだ」
そういって、ふと、目前に立った人物を見上げる。
「エン、レヴィ」
「主様」
「あの、ケガ」
「おい、レヴィ」
エンのかすれた声に、ロキがびくっと言葉を止める。
「手、貸せ」
レヴィはエンの右腕を支え、引き上げて立たせた。
「ロキ、ちと、そこに。ああ、もうちょいこっち。
うんそう。あ、もちっと手前かな。
ああ、いいね、その辺」
言われるままにうろうろとエンの指示に従っていたロキの体が、
正面からの蹴りを受けて二mほど後方に吹き飛び、反動でエンもバランスを崩して座り込む。
レヴィに支えられながら、地面に倒れ伏して動かないロキを怒鳴りつける。
「てめえ、何してくれてんだ、おい。
敵の前に出しておいて、縛り付けて動けなくしやがって。殺す気か!」
「主様に怪我をさせても。もうその辺に」
傷口に水を掛けながらそうエンに囁き、雷獣の時と同じく、ペットボトルに液体を満たす。
エンは舌打ちをして苦々しく顔を背け、
「恩に着る」
と、小さくかすれる声で言い、レヴィと数秒視線を合わせ、姿を消した。
レヴィの手の中のペットボトルに小石が沈んでいる。
水色の長い髪の青年はそれを一瞥して確かめ、のろのろと起き上がろうとしているロキのもとにしゃがんだ。
バシ。
支えようと伸ばしたレヴィの手を、ロキが邪険に振り払う。
レヴィは、少し悲しげな表情のまま、傍らに座して待つ。
ロキはやっと上体を起こして、地面に足を投げ出して座り、
俯いたまま、エンに蹴られた胸辺りをぎゅっと掴んだ。
ロキの手がおずおずと自らに伸ばされると、レヴィは膝立ちになり、主の背中に手を回す。
と、ロキはレヴィの服を掴んで自らに引き寄せ、その胸に額を当てて、
肩を震わせて嗚咽を漏らした。
無線の向こうの声が、山頂に取り残されていた人たちが、軽傷者はいるものの、
全員無事に救助されたと告げていた。