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どのくらい走ったか。
いくらかしたあと、後ろからおってくる気配がないことを確かめ、あたしはようやく速度を緩めた。
歩みは止めない。
止まっても良かったのだが、立ち止まると同時に追っ手の気配がした気がして、あたしは移動し続けた。
歩き続けながら、代わり映えのしない廊下の風景に不安を覚えた。
一体ここはどこだろう。
がむしゃらに逃げたおかげで方向を見失ってしまった。
完全に迷子だ。
エントランスホールを起点にすれば、なんとなくわかっていたのだが、今は完全にわからない。
とりあえず知っている場所にでなければ、目的地にも外にも出られない。
あたしは進み続けた。
右に曲がって、左に曲がって。
方向が分からず進んでいたら、角を曲がったあたりに人の気配がしてあたしは立ち止まった。
そっと伺うようにみれば、どうやら兵士らしい甲冑の人間が扉の前を守っているのが見えた。
そこそこ離れているためこちらに気付いた様子はない。
(あぶないあぶない)
おそらく貴人の部屋なのだろう。
あたしは見つからないように元来た道を引き返そうと踵を返した。
しかし。
「妙様ったら、ちょっと話をしていただけだというのに仕事をサボっているなんて言いがかりだわよ」
突然愚痴のような女性の声が聞こえた。
その声はあたしが踵を返した方向から聞こえた。
「しかも偉そうな貴族にお使い頼まれるし、最悪…」
だんだんあたしのいる行き止まりの通路に近づいてくる。
背後には兵士のいる扉。やばい逃げ場がない。
逃げ場がないとわかった瞬間、どちらに見つかる方がまだましかを考える。
…考えるまでもないか。
「まったく、…え?あら、貴方はさっきの…」
角を曲がった女性があたしの姿を見て驚いたように声をあげた。
みれば、メイド服の先程将軍に色目を使っていた女性だった。
手に持った飲み物のお盆をかかえ、お仕事中か。
「お、お疲れ様です」
再びの遭遇に内心ドキドキしながら、焦りを押し隠し、何事もないかのように彼女の脇を通り抜ける。
それがあたしが今考えつく最善の行動だ。
兵士と女性とではどう考えても無難に切り抜けられそうなのは女性だ。
だからあたしは何食わぬ顔で彼女の横を通り過ぎようとした。が。
「ちょっと待ちなさい」
ぎくり。
「な、なんでしょう?」
「ねえ、貴方。今暇?」
「え?」
「暇でしょ?手ぶらだものね。ねえよかったらこれ、この先の貴賓室に届けてよ」
そう言って、彼女はあろうことかあたしに飲み物の載ったお盆を押し付けてくる。
「え?でも…」
「貴方新人でしょ?先輩に楯突く気?」
「え、そんなつもりでは…」
「じゃあ、問題ないわよね。あたしは忙しいからよろしくね」
そう言いおいて、彼女はあたしの返事も待たずに帰っていく。
あまりのことに呆然と彼女の姿が角をまがって消えるまで見送ってしまう。
彼女の姿が消えてようやく、状況に気がついて追いかけるが、時すでに遅し。
どんな魔法を使ったのか、彼女の姿はどこにもなかった。
お盆を抱えてあたしは、途方にくれた。
いや、どう考えてもこれを届けるわけにはいかない。
だって絶対兵士とあったら偽メイドだってバレる。
さっきの彼女はあたしを偽メイドだと気づいていないが、それも彼女がうかつだからでしかないし。
これがあの門の前を守る兵士にも適応されるのかわからない。
下手な博打は打ちたくない。
ならばこの飲み物はどうするか。
しかし、これを廃棄していいかどうかも、わからない。
あたしの手の中にあるのは綺麗なグラスに入った発泡性の琥珀色の飲み物だ。
さっきの彼女の愚痴から、これを運ぶよう指示したのは身分の高そうな人らしい。
下手に届けなくて何か内紛とかあったらいやだな。
そんなことを考えつつ少し考えたたしの最終的な結論は兵士のいる方とは逆の通路に進むことだった。
結論。飲み物は捨てて、逃げる。
品物とかならともかく、飲み物なんて手違いで届かなくても大した問題にはならないだろう。
どうせ怒られるのなって仕事他人に押し付けた彼女だし。
我が身の方が大切です。
こんな飲み物を持ってウロウロしてたら怪しまれるので、これを始末したかった。
グラスは高価そうでもったいなかったが、持ち歩けば足が付く恐れがある。
とりあえずこぼしたら大変なので、近場のテラスに向かった。
そこから中身を外に流す。
暗がりで下に誰かいたかもしれないが、確認しようがないので、だれかにかかったらごめんなさいだ。高級そうな飲み物だからご堪能くださいませ。
流石に誰がいるかわからないため、グラスは始末できずにあたしはそれを持って室内に戻った。
と、戻った廊下の先に人影を見つけてぎくりとする。
舞踏会の出席者だろうか。
豪奢な黒いドレスの女だった。仮面をつけているため人相はわからないが、まだ若そうだ。
身分の高そうな雰囲気の女性にあたしは緊張した。
そして彼女があたしを凝視しているのも気になった。
いや凝視しているのはあたしではない、あたしの胸のあたり、手に持ったグラスだった。
「…貴方、そのグラスは…」
その一言にあたしは背中に汗が流れるのを感じた。
やばいな。どう考えても、この人だよね?
さっきのメイドの彼女がお使い頼まれた貴族って。
しかも彼女の声には聞き覚えがあった。
「…中身はどうし…っきゃ!」
あたしはそれ以上何か言われる前に女にグラスを投げつけた。
それから脱兎のごとく逃げ出す。
背後でグラスの割れる音が聞こえたが、知ったことではない。
国王暗殺計画の犯人に同情する余地などこれっぽっちもないのだ。
「ちょ、待ちなさい!」
背後から聞こえた声にもちろん待つような謂れはない。
だが。
「おっと、逃げようったってそうはいかないぜ?」
突然影から伸びてきた腕に捕まった。
そのまま引き倒され、したたかに打ち付けた体が悲鳴をあげる。
「ぎゃあ!」
「おいおい、色気のない悲鳴だな?」
アホか!悲鳴に色気なんかあってたまるか!
上から伸し掛られて、腕をひねられ痛みに抗議を込めて叫ぼうとしたが、突然首筋に走った痛みに、口をつぐんだ。
「騒ぐんじゃねんぞ?そうじゃなきゃ一瞬で口を聞けなくしてやる」
そう言われて首筋に銀の冷たい金属を押し当てられれば静かにするしかない。
あたしは恐怖に震えていると、あたしの体当たりから立ち直った女が歩いてくるのが見えた。
「…バレット、その娘は」
「なんだよ。無関係なメイドとか言わねえよな?」
「いえ、よくやったわ。そのメイドはあたしが届けるように言った例の飲み物を処分してた。……まるであれがなんであるか知ってるみたいにね」
「…なんだそりゃ。もしかして計画がどこかに漏れてんのか?」
「…わからない。でもその女は放置しておけないわ」
「…始末すんのか?」
その言葉に血の気が引いた。
うそ、こんなところで殺されるの?
だが、あたしを見下ろしていた女がそっと首を横に振ったのを感じた。
その様子に、一瞬助かったかと安堵したのもつかの間だった。
「ここでは人目につきすぎるわ。場所を変えましょう?」
その言葉にあたしは絶望した。
抵抗もできずあたしは男に脅されたまま連れて行かれた。




